第2話 先輩、ふよふに、と近寄る。

 


「あ、ありがとうございます……」

 

 目の前の赤いブレザーの女生徒から差し出された手を、ドギマギと掴んだ颯太。


 粗忽者と言われた事に、貴女に驚いたんですよ!と心の中でツッコミつつ立ち上がり、目の前の人物について考えた。


(この人って確か、部活紹介の時に演劇部の寸劇とか剣道部の紹介で出てた……特別待遇生)


 颯太は、この学校に特別待遇生制度が存在しているのを知っていた。

 が、赤いブレザーを着る生徒を間近に見るのはこれが初めてだった。


 勉学、及び部活動において特に秀でたる者。

 この学園に於いて、上位の管理権限者に認められし者。

 

 この赤いブレザーの特別待遇生がどちら側なのか颯太には見当がつかない。


 話し方や立ち振る舞いは名家の出も匂わせる。

 だが、両方の可能性もあるのかもしれない、と考える。


 ただ、そうなると。


(やっぱり、そんな人が僕に話しかける理由が検討つかないや。僕が稽古の邪魔をしたのかも)


 そして、自分が勝手に驚いてコケただけだったのか!恥ずかしい……と思い直し、


「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。助け起こして頂いてありがとうございました、先輩。失礼します」


 と、謝罪と礼を告げ立ち去ろうとする颯太。


 が。


 いきなり、両肩をガッ!と掴まれた。


「なあっ?!」


 野生の獣のように踏み込んできた女生徒に颯太は驚愕した。


 愁いを帯びつつキリリと唇を結んだ美しい顔が、近い。


 肩をぐっ!と掴んで颯太に近寄っている為だ。


「ちょっ、ちょっと!何を?!」


 そしてその近さは、颯太の耐えられる限界を超えてしまっていた。


 ふよ。


 ふに。


 ついさっきまで女の子の手をロクに握ったこともない颯太。


 少し見上げるほどの身長のその先輩の胸部と颯太の鎖骨あたりが挨拶を繰り返す事に、意味が分からない!と顔を赤らめる。


 初めまして!

 こんにちわ!


 顔も20センチと離れていないそんな緊張感の中、その女生徒は言った。


「頼む!」


 その言葉に合わせて、颯太に息が吹きかかる。


「頼む!」

「何なんです?!近い!近いです!離れて……!」


 訳の分からない颯太は、距離を取ろうとした。


 が、腕は今。

 使い物にならない。


(上半身の存在感がハンパない!!まかり間違って、押し返そうとしてソノ場所に触れてしまったら……!)


 バッバーン!


『特別待遇生に痴漢を働いた一般生徒を逮捕』


 新聞のそんな見出しを思い浮かべながらも、『御免下され!頼もう!頼もう!』とふわぽよされている状況に、あわあわわ!と為す術がない。


 仕方なく必死に顔を背ける颯太。


 すると。


「私は乳繰り合いが終わるのを今か今かと待っていた!次は私の話を聞け!逃さんぞ!」

「今の方が間違いなく乳繰り合いの1歩手前ですよ!一体何なんですか先輩!」


 中庭で乳繰り合い乳繰り合いと言いはじめた二人。


 ちなみに常連の女生徒達はお菓子と飲み物を手に、はわわ?!はわはわ!と絶賛鑑賞中である。


「私は先輩云々ではなく、由布院蘭ゆふいん らんだ!蘭と呼べ!」

「こっちの話を聞いてくれてない?!いや、そうだ!逃げませんから!聞くから手を離して下さい!離れてくださいよ!」 


 ●


 そんなこんなで颯太はやっと解放され、何とか蘭をベンチに座らせた。

 

「それで、由布院先輩」

「蘭だ」

「……蘭先輩。僕への頼みって何でしょうか?」

「うむ。実はだな」


 肩で息をする颯太に、語られた内容は。


 名家の出であり、幼少から剣術を嗜み中等部から剣道部に籍を置いていた蘭は、アドバイザーとして競技者としてこの学校の剣道部を全国有数へと導いた事により、特別待遇生の中でも特別な存在となった。

 

 そんな蘭が、去年。


 演劇部の副部長で親友の皇城綾乃すめらぎ あやのから、『学園祭での演劇部の出し物に本格的な剣戟を取り入れたいの。もし手伝ってくれたらを大幅に清算するから、蘭ちゃんお願い!』という言葉に魅力を感じた蘭がその話に乗ったのが始まりだった。


「貸し借り、とかあるんですか?」

「うむ。綾乃曰く、250ほど恩を借りているそうだ」

「それは貸しというよりもはや呪いでは……?」


 学園祭の活劇はそのリアルな剣戟とストーリーにより喝采を浴び、またそれによって人前で演じる事に楽しさを感じた蘭が掛け持ちで演劇部に在籍する事になった。


 が。


「私は演じるのが下手らしくてな。特に、台詞に熱が感じられないと言われた」

「そうなんですか?確か、部紹介では格好よく演じられてましたよね?」

「世辞はいい。台詞を言ってくれる者達がいたのだ、春まではな」

「ああ、吹替だったんですね」

「で、だ。その者達が家の事情や学業優先で退部してな。綾乃から『蘭ちゃん!こうなったら台詞もお願いね!』と言われて練習をしているのだが、上手くない」


 颯太は蘭の悩みを朧げながら理解した。


 しかし。



 ●



「理解はできましたが、僕がお役に立てる要素が全くありません」

「さっき、滔滔とうとうと台詞を言っていただろう。多分に心に響くものがあった。私に教授してくれないか」

「……僕じゃなくて演劇部同士で練習したらどうですか」

「もちろん礼は用意している」

「蘭先輩。言葉のキャッチボールって、キャッチしてくれないと只の流れ星です」


 しかし、その言葉さえも聞いていない蘭はおもむろに。


 自分の太ももを、ぺちーん!と叩いた。


 思わず音の鳴る部分を見下ろした颯太は、陶器のように白く滑らかな両脚から慌てて目を逸らす。


 颯太はその行動の意味が分からず問いかけた。


「……今、何で太ももを叩いたんですか?」

「綾乃が『男子の夢だよ!』と言っていた事を思い出したのだ。礼の先払いで是非とも頼む。ひざ枕と言うらしいのだが、男子とはよくわからんものだな」

「僕の方が理解不能ですよ!初対面の男女が知り合って数分後にひざ枕とかどこのラノベですか!そもそも僕に演技はできませんし、昼休みも終わりが近いのでごめんなさい、もう戻ります」


 そう言って歩き出そうとした颯太に蘭は、むむぅむうぅ、と唇を尖らせた。


 美人のあどけない表情に颯太は思わず、どきり、として足を止めてしまう。


 数巡の間。


 右腕の肘を折り曲げて胸元を、ぽより、と叩いた蘭は。


「心得た。男子の夢を叶えるだけでは到底足りぬのだな」


 そう言って動き出した蘭に、颯太は問いかける。


「何で……地面に正座してるんですか?」

「……?土下座の用意だが」

「何を心得たんですか!ああ、もう!ベンチに戻ってください!わかりましたから!!」


(この人、まるで本能で動く動物!何とかうまく話をまとめてお引取り願うしか……)


 颯太は根負けをした。


 

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