5話 果樹園

 おまえはこの部屋で寝ていろと言い置いて外に出た岩角と山田を、百裏モモウラは慌てた様子で追ってきた。どこへ、という問いに、決まってるだろ、と岩角は愛車の鍵を指先で回す。

「果樹園だよ」

 場所は今しがた、百裏本人の口から詳しく聞き出したところだ。東京の中心部から少しばかり外れた土地。軽く地図アプリで検索してみたところ、確かに色々な種類の果樹園が存在している場所だった。木を隠すには森ってか。アホ臭い。

「だめです、若頭カシラ、相談役も」

 追い縋る痩せぎすの青年に、岩角が穏やかな口調で問う。

「どうして?」

「それ……は……」

 口ごもる百裏の肩を軽く叩き、

「俺とこいつがただのヤクザだから? 果樹園の持つ呪いには敵わない?」

 俯く百裏が、小さく、本当に小さく頷くのが見えた。そうしてくちびるの形だけで呟く。

「それじゃあおまえも一緒に行くか?」

「え?」

 岩角が初めからそのつもりだったとは、山田は思わない。彼は山田とふたりでことを成し遂げるつもりでいた。岩角の目に映る百裏の本当の姿は、ただの子どもだ。守られなかった子ども。道具として使い捨てられる予定だった子ども。それをわざわざ、良い思い出のない故郷に連れて行こうとは思わないだろう。

「行って確認するか? 俺たちがどれほど悪い大人かを」

 百裏の沈黙は、短かった。

「妹も、一緒に連れて行っていいですか?」

 そうして尋ねる。岩角と山田は黙って視線を交わす。今夜、何度お互いの目を覗き込んだのか、もう分からなくなっていた。


 岩角が運転するクルマで、百裏の自宅だというアパートに寄った。助手席に座っていた百裏が家に駆け込んでいるあいだに、山田は後部座席から助手席に移動した。

「代わるか?」

「あ?」

「運転」

「腕一本でどうにかなるほど親切仕様じゃねんだよな、俺の愛車は」

「なるほど」

 断固としてハンドルを手放す気がないらしい岩角の煙草に火を点けてやっていたら、百裏が彼と同じぐらいの背丈の、色付き眼鏡をかけた少女の手を引いて戻ってきた。岩角が顎で後部座席を示す。

「妹です」

枇杷びわです」

 そうだろうと予想はしていたが、あまりにもあっさりと名乗られて山田は少し笑ってしまった。岩角はバックミラーに映るきょうだいの顔を無言で見据えている。

「……本当に行きたいのか?」

 岩角の問いに、はい、と枇杷は良く響く声で答えた。

「お役に立ちます」

「そういうのは求めてないが……まあ、来たいなら、いいよ」

 真夜中のドライブ。2時間弱といったところだろうか。途中でコンビニに寄って煙草を買い足したり、百裏が帰宅するまで──つまり今日は半日以上も何も食べていないという枇杷を連れて24時間営業の定食屋で食事を取った時間なども含めての2時間弱だ。食事をしながら、岩角の質問に枇杷はハキハキと答えた。見えるのか? 見えません。そのサングラスは? 義眼を入れているので、ガードのためです。特別な義眼なのか? はい。百裏を兄と呼んでいるのか? はい。おまえをなんと呼べば良い? 枇杷です。枇杷でいいのか? 気に入っている名前です。

 そうか、と言って岩角は定食に付いてきた味噌汁を飲み干した。


 辿り着いた東京の端。『ひのもと果実園』と書かれた看板の前でクルマを泊める。

「季節の果物狩り──梨、ぶどう、桃など」

 岩角が平たい声で読み上げる。なるほど目の前には、夜の闇に紛れていても分かるほどにしっかりと手入れをされた木々が整然と並んでいる。

「モモウラ?」

 呼ぶ声に反応したのは百裏ではなく枇杷だった。見えていないとは思えないしっかりとした足取りでクルマを飛び降り、看板に息を吹きかける。

 途端、霧が晴れたかのように、木製の巨大な門が一堂の前に立ち塞がった。

「若頭、本当に中に」

 入るのですか、という百裏の言葉を最後まで聞かずに岩角はふところから取り出した拳銃の先端を鍵穴にねじ込んだ。そのまま立て続けに引き金を引けば、扉は呆気なくその口を開く。

「ここの連中は、物理的な暴力には慣れてないみたいだな」

 銃弾を装填しながら岩角が笑う。本来ならば格上の若頭岩角に先陣を切らせるべきではないのだが、今の彼を止めるのは賢明ではない。扉を押し開き、岩角、百裏、枇杷、山田の順で中に入った。


 冷たい風が吹いている。ここはこの世ではないと山田はほとんど反射的に思った。


 百裏のシャツの背中をしっかりと掴む枇杷の表情に迷いはない。どちらかといえば彼女の杖代わりになっている百裏の方が戸惑っているように見えた。

「モモウラ」

「はい」

「今もこの果樹園の中には、100人の子どもがいるのか?」

 くん、と鼻を鳴らした百裏は、

「90人が脱落、災いの部屋に。残る10人は壺の中に」

「なるほど、今まさに熟成の最中ってわけだ。その壺ってのは、」

「あたしが案内します!」

 声を上げた枇杷が勢い良く岩角に飛び付いた。薄っぺらい生地の黒いワンピース、首の周りに薄汚れたピンク色のショールを巻き付けた枇杷の両腕は剥き出しで、両方の手首には無数の傷跡が光っていた。

「行けるか?」

 その枇杷の手を力強く握り、岩角が尋ねた。色付き眼鏡の下の目を細め、枇杷が満面の笑みを浮かべる。

 彼女もまた、今日という日を待っていたのだろう。

「もちろん!」

「よし。じゃあ壺は俺と枇杷だ。山田、おまえとモモウラはそのワザワイのなんちゃらから子どもを回収しろ」

「邪魔が入ったら?」

 質問を舌に載せる意味すらなかった。答えは分かりきっていた。

 岩角はまるで保護者の手付きで枇杷の手を引いて、笑った。


 壺と災いの部屋は、果樹園──と呼ばれている日本家屋のそれぞれ正反対に位置する場所に置かれていた。百裏に先導されて災いの部屋に辿り着くまでに、山田は女をひとり、男をふたり撃ち殺した。拳銃の扱いが下手なので、少し苦しませてしまったかもしれない。

 一方、枇杷と岩角が走り去った方向からは銃声に加えて何かが軋むような、金属と金属が触れ合って生じるような音が響いていた。聞き覚えのある音だと思った。

「枇杷の能力のひとつです」

 尋ねてもいないのに百裏が言った。

「おまえの話だと、枇杷の能力は『』とかいうやつじゃなかったか」

「眼球を抉られ、生まれついての才能は残念ながら消去されました。でも枇杷には、枇杷の肉体にはになる才能が残されていた。本来ならばここで呪いとして消費されるはずだったに、私が力を与えました」

 百裏の説明はどうにも周りくどくて良く分からない。専門用語が多すぎるせいかもしれない。くちびるをぺろりと舐めた山田は、

「要はあのギシギシは元々おまえが持っていた能力で、そいつを手持ち無沙汰の枇杷にくれてやったってことで合ってるか?」

「はい」

「具体的にはどういう能力なんだ」

「すべての金属に強く干渉します。金属そのものが本体でなくとも、たとえば……骨折をしたらズレた骨の位置を正しい場所に戻すために、体内に金属を入れたりしますよね。その金属が突然100度を超える熱を帯びたとしたら?」

「すごく怖い」

 即答する山田に、フフ、と百裏は静かに笑う。

「そういう力です」

 大阪で市岡ヒサシと山田のスマートフォンを爆発させたのが枇杷なのかどうかを確認したいと思ったが、別に今でなくても良いかと黙って拳銃を構えた。災いの部屋とやらまであと少し。悲鳴は圧倒的に壺の周りで起きている。


 壺に辿り着くまでに和装の男をさんにん、壺の前で見張りに立っていた黒服のふたりを撃ち殺し、駆け付けてきた派手なワンピース姿の女の胸も撃ち抜き、さて、と岩角は壺の扉に手を当てた。

「こいつは普通に開けて大丈夫なものなのか?」

 岩角の手の上にひた、と冷たい掌を重ねた枇杷が僅かな沈黙の後に首肯する。

「まだ

「ふむ」

「仮に攻撃されたとしても、あたしが弾きます」

「枇杷よ、おまえのあのギリギリギイギイいう音すごいな。俺がなんもしなくてもみんな勝手にひっくり返って」

「苔桃が能力に少し手を加えたんです。金属と金属をすり合わせて出しているだけの音なんですけどね。でも、ふつうの人間の鼓膜ぐらいなら簡単に破れますよ」

「すげー」

 と、岩角は枇杷の手入れされてないぼさぼさの黒髪を撫でて微笑んだ。

「俺は全然信じてねえけど、超能力だな」

「あたしたちは選ばれた子ども……だったから」

「なんで過去形なんだよ」

「……だって、神様になれなかった」

「……」

 落ち込んだ様子の枇杷にどう言葉をかけるべきか迷う岩角の横顔に、貴様、としわがれた声を投げ付けた者がいた。顔を上げる。板張りの廊下。目の前には、禿頭の男性が立っている。

 枇杷の体がひくりと痙攣し、硬直するのが分かった。

「そこにいるのは……枇杷、か……?」

 なにも見えていないはずの枇杷の体がガタガタと震えている。細い指先が必死に岩角のスーツの裾を手繰る。

 ──ああ、なるほど、こいつが。

「どうも初めましてぇ、わたくし関東玄國会若頭、岩角遼と申します」

 名刺はいらないですよね、どうせここでさようならなんだから。歌うように続ける岩角を、恰幅の良い体を墨色の小袖で包んだ中年の男が刺すような目付きで睨み付ける。

「ヤクザか……ヤクザなんかどうでもいい。枇杷、貴様なぜ」

「やだぁ、」

 両腕で岩角にしがみ付く枇杷は、先ほどまでの笑顔をもぎ取られたかのように泣き崩れていた。やだ、やだ、やだよう──許してよう、やだあ、やだやだやだやだぁ──

 爆発する感情の渦に巻き込まれる。否、枇杷が心の底に抱え続けた恐怖、鬱屈、屈辱が岩角の中に流れ込んでいるというべきか。

 枇杷の痩せた頬を流れる涙を左手の指先で掬い、弾き、そのまま右手に提げていた拳銃で男の両膝を撃ち抜いた。躊躇いや迷いなどあるはずもなかった。このために来たのだ。男が何やら喚きながら血を流して倒れる。枇杷の手を握ったまま近付き、板張りの廊下に爪を立てる両方の手の甲にも穴を開けた。

「枇杷」

 男の喚き声が聞こえないよう、彼女の耳を両手で塞ぎ、頬に頬を押し付けて名前を呼んだ。響けば届くだろう。

「終わらせ方を教えてあげるね」

「──」

 しゃくり上げながらもどうにか泣き止んだ枇杷が、くちびるを引き結んで頷いた。

 枇杷の小さな手に銃を握らせ、銃口を男の歯と歯のあいだにねじ込んだ。少女の肌が間違っても男の身に触れないよう細心の注意を払いながら位置を定め、革靴で男の背中を踏み付ける。

「3、2、1、バン、だ。OK?」

「……あ、たし」

「俺を信じろ。ふたりで一緒に、終わらせようね」

 手に手を重ねて囁いた。ようやく安堵した様子で肯く枇杷には、倒れ伏す男の声はもう届かない。彼が本当に神様だったとしても、延髄を撃ち抜かれればそれで終わるだろう。


 岩角は神様なんて信じていない。

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