五章

1話 市岡稟市

 果樹園という集団について詳細を知りたいという旨手紙を書いて速達で実家に送ったところ、翌々日に父親から電話がかかってきた。諸般の事情で電話やメールといった電子機器は使わない方が安全だと思われる、と書き添えたにも関わらず。

「またスマホ爆発したら泣いちゃうな俺」

「いいから出ろ」

 ピロピロピロピロと電子音を発しているのは弟、ヒサシのスマートフォンである。ヤクザに買ってもらったものなのだから、これを機に壊れてしまっても本望だろう。

「はい〜、ヒサシですよ〜」

『俺だ』

 父親、市岡さくの声だった。ハンズフリーにしたスマホを事務所応接室のテーブルの上に置き、兄弟揃って遠巻きに見ながら、おとうさん! 久しぶり! と口々に声を掛ける。

「父さん、手紙にも書いたんだけど……」

『電話やメールは妨害されるという件だろう?』

 別に手紙を読まなかったわけではないらしい。稟市の知る穏やかな声音で、父は言った。

『稟市、氷差も。落ち着いて聞きなさい』

「めちゃくちゃ落ち着いてるよ!」

「うるさいヒサシ黙れ」

 低く耳触りの良い父親の声音が、ひどく懐かしく感じた。思えば兄弟ふたりとも碌に実家に顔を出さずに過ごしてしまっている。盆暮正月などは神社の繁忙期だし、この世のものではないものたちも元気に動き出してしまう時期な分、一般的な帰省シーズンを稟市もヒサシも完全に無視して生活していた。今住んでいる場所でやることも色々あるし、それに何より実家に持ち込まれる厄介ごとに巻き込まれたくない。市岡家は稟市とヒサシの代で末代になるのだ。狐憑きの市岡を滅ぼすためにも、過度に土地の人間と親しくするつもりはなかった。


 全員死んだ。

 一瞬理解が追いつかないフレーズだった。


「何それ!?」

 気を取り直して反応するのは、ヒサシの方が少し早かった。スマートフォンの向こうの父が、ううむ、と歯切れの悪い音を発している。

『言葉通りだ。俺もさっき聞いた』

「ていうかお父さん今どこにいんの? 家?」

『いや。なんとかいう喫茶店だ、氷差、おまえがお世話になったという』

「「歌舞伎町!」」

 兄弟の声が見事にハモる。こんなことも滅多にない。

 いますぐ行くからコーヒー飲んで待ってて! とヒサシが叫んでいる。稟市はスマホが爆発しないよう祈りながら、社用車の鍵を探す。


 平日の真昼間ということもあり、埼玉県から新宿歌舞伎町までの道中は然程混んでいなかった。電車で移動した方が早い気もしたが、稟市はどうにも電車やバスというものが苦手だ。ふとした弾みに連続殺人鬼に遭遇してしまうことがある。

 ハンドルはヒサシが握った。というのも、

「稟ちゃん、見て」

 右手の甲に、かさぶたができていた。数日前まで血を流していたというのに。


「やあヒサシ、いらっしゃい。……おや、そちらは?」

「長男です」

 『純喫茶カズイ』を訪れるのは初めてだった。ヒサシがホストのバイトをしていた頃始発が出るまで良くこの店に来ていたという話や、先の横浜の件でマスターの孫である響野憲造には世話になったが、逢坂一威おうさかかずいという人間に相対するのは、今日が本当に初めてだ。

 カウンター席にはつい先ほどまで通話をしていた相手、実父、市岡さくが腰を下ろしていた。マスターと何やら楽しくおしゃべりをしていたらしい。いつも仏頂面の父にしては珍しく、ほかほかと優しい笑みを浮かべている。

「おとうさ〜ん!」

 ヒサシが満面の笑みを浮かべて父親に飛びついて行く。もう30になるというのに。稟市はカウンターの中で煙草を咥えるマスターに一礼し、

「市岡稟市と申します。弟が大変お世話になりまして」

 と名刺を差し出した。

「どうも。逢坂です。いやこちらこそ孫が、なんというか孫が」

 バーター抱き合わせ商品の孫が……と思いつつ稟市はにこりと微笑み、

「響野くんには、横浜行きの際本当にお世話になりました。私だけではとても」

「秋は相変わらずでしたか、面倒なやつでしょう」

 逢坂一威のことを、元殺し屋、だと秋は言っていた。1000人を殺したリボルバーの逢坂。その筋では知らない者はいないという有名人。殺して殺して殺し続け、ある時不意にそのすべてをやめた男──。

「稟市?」

 いつの間に席を立ったのか、父の声がすぐ側で聞こえた。はっと顔を上げると、稟市よりも幾らか長身の父親が眉を下げてこちらを見ていた。

「大丈夫か?」

「あ、うん、……大丈夫。ごめん」

 何フリーズしてるの稟ちゃんコーヒー飲も! とヒサシが喩えるならばギャルめいた声を上げている。稟市はこくりと頷き、カウンターのいちばん奥の席にヒサシ、真ん中に逆を挟んで、店の出入り口にほど近い席に腰を下ろした。

「それで、その」

 果樹園という名前をここで出してもいいのだろうか。長い黒髪をくるりと団子にした父の横顔と、銀髪総髪の逢坂マスターの顔を交互に見ながら稟市は口ごもる。

「果樹園、な」

 父が言った。マスターは煙を吐きながら黙っている。

「おまえたちからの手紙が届いて、俺と凛子さんと、あとおばあちゃんお母さんで色々と調べ始めたんだが、その途端」

 狐憑きの市岡と懇意にしている術者の家はそう多くない。狐憑きは祓いや呪いには有効だが、あまり深い付き合いを持つと関わった者や家まで問答無用で呪われる。神として祀っているとはいえ、狐は所詮だ。人間の理屈は通用しない。

王城おうじょうさんから連絡があって」

 いったいどこで嗅ぎ付けて来たんだか、と父は煙と溜息を同時に吐く。王城おうじょう。市岡神社がある土地よりも少しばかり北上した土地に神社を構えている一族の名前である。彼らもまたの家系で、市岡家の数少ない同胞だ。

「果樹園が壊れた、って」

「壊れた?」

 メロンソーダを飲みながら、ヒサシが眉根をぐっと寄せる。

「え何それ。火事とか?」

「いや。詳細はどうもまだ伏せられているようなんだが」

 と、市岡逆は伏せていた目を真っ直ぐに逢坂一威に向けた。

「関東某所に存在していた果樹園と呼ばれる術場、そこを維持しするために存在していた『』と呼ばれていた術師がひとりと、能力はないものの血縁者であったり、果樹園の方針に賛同し集っていた成人男性が七名、女性が二名、

 市岡家の3人の視線が、カウンター内の逢坂に集中する。煙草を揉み消した逢坂一威は、僅かな沈黙の後うんざりとした声音で唸った。


「心当たりがある」

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