告解

 私がに売られたのは、生まれて半年が経った頃のことでした。私の父親に当たる人物は私を産んだ女性と婚姻関係を結んでおらず、また彼には親が決めた婚約者がいたため、女性が出奔する際に置き去りにした私という子どもが邪魔で邪魔で仕方がなかったのでしょう。また、私はまだほんの赤ら顔の小さな生き物に過ぎなかった頃から奇妙な術を幾つも使うことができました。腹が減れば父親の手足を操って自身の側に呼び付け、糞尿で不快な気持ちになった時もまた同じく、泣きも騒ぎもしない赤ん坊ではありましたが、それはひとえに必要がなかったからです。


 この世のものではないものも、幾つも見ました。たとえば私のきょうだいたち。父親が産ませなかった子どもたち。きちんと弔われなかった魂たちはいつまでも父親の周りを浮遊しており、私の話し相手になってくれました。魂というのは、意外と年を取るんですよ。産まれてこなかったからといって胎児の姿でいるのかといえばそんなこともなく、いちばんの年長者は幼稚園児──4歳か5歳か、それぐらいの女の子で。たった半年ではありましたが、大層優しくしてもらいました。ただ、きょうだいたちと言葉を交わし楽しげに笑う私の姿は、父親にとっては不愉快で不気味なものだったろうと思います。彼は私に操られない限りは、私の側に寄ろうとしませんでした。私の存在は父親の親族には完全に隠されていました。だって、予定された結婚があるわけですからね。私のようなコブは存在していてはいけないんですよ。私は、父親のひとりで暮らすには広すぎるマンションの一室に閉じ込められ、あわよくば餓死して欲しいという彼の望みを裏切りながら、半年、すくすくと成長しました。


 果樹園の人間が父親を訪ねてきた際、父親は二束三文で私を果樹園に引き渡すことに同意しました。いえ、もしかしたら彼が逆にお金を払ったのかもしれません。私という存在を永久に消し去ることができるのですから。きょうだいたちともそれきりお別れになりました。いつか時間ができたら彼らを探して在るべき場所に送ってあげられたらと思っていたのですが、それもどうやら無理みたいですしね。


 買われてすぐ、私は壺の中で暮らすようになりました。数え年でも月齢でも一歳に満たない赤ん坊が壺に入れられるというのは、非常に稀なケースらしいです。その年、私は最後の10人にまで残りました。果樹園の主人が私を途中で摘み取らなければ、首を刎ねられていたのは私だったろうとも思います。自惚れではありません。そう聞こえるかもしれませんが、私の力がいちばん強かったのです。

 ですが、私を除いた9人の中から神様は生まれませんでした。力が足りなかったのです。


 翌年も、その更に翌年も私は壺の中に入りました。果樹園を知らない方がどう解釈されているのかは分からないのですが、基本的に壺の中に入る子どもは数え年で7歳以下までと定められているのです。ですからそうですね、100人の子どもを詰め込んだ壺という呪いの作成が始まるのは大抵その年のはじめ、一月、遅くとも二月、終わるのは早ければ四月か……だいぶ長引いたとしても七月に入る前には壺の中の子どもたちは皆熟れます。それ以上経つと腐ってしまうらしいので。


 私は6回、壺に入りました。どの年も私がいちばん強い力を持っていたのですが、最後の10人、もしくは5人になったあたりで主人に摘まれました。まだ早い、と言って。

 ですが私が摘まれた後の壺は、いつも神様が生まれることなく割られました。生き延びた子どもたちは皆ただの呪いとして果樹園に奉仕することになりました。え? 6回も壺に入ったのなら顔見知りのひとりやふたりいるだろうって? ええ、いますよ。壺は常に100人で始まりますが、90人まではすぐに枯れます。自分たちがどういう目に遭わされるのか──神になるというのはすなわち首を刎ねられ祀られることだと勘付いた子どもから「たすけて!」「出して!」と泣き喚いて壺の外に連れ出されるので。

 ……助けを呼んだところで、自由の身になれるわけではないんですけどね。だって私たちは売られた身。果樹園のに過ぎないのですから。

 それで、そう、顔見知り。います。いました、というべきでしょうか。けれど皆死んでしまいました。壺から出されるとまず、体の一部を切り取られるんです。たとえば利き腕を一本、たとえば片方の足首から下、たとえば左手の薬指。それぞれの子どもの能力に応じて、切り取る部位を決めているみたいです。体の一部を切り取ることによって、能力を半減させる。分かりますか。果樹園の主人──主人だけではない、果樹園のおとなたちは皆我々子どもを、果実を畏れていました。果実たちが一致団結して能力を発揮すれば、果樹園なんてあっという間に押し潰されてしまうことでしょう。まあ、それに気付いたのもだいぶ大きくなってからなんですけど。子どもの頃は……私以外の子どもたちも皆そうでしたけど、果樹園の人々の囁きに呆気なく乗ってしまいましたからね。「おまえは特別」「最後まで残れば神様になれる」。ふふ。ひどい妄言だ。


 6回目。思えばあれが最後の機会だったのでしょう。壺には7歳以下の子どもしか入ることができないので、私が首を刎ねられるならば、数え年で7歳になる前の6回目。私もそのつもりでおりました。ところが。その年はおかしかった。

 まず、2度目に壺に入るという少女がいました。4歳か5歳か……それぐらいの黒髪の可愛らしい少女で。彼女は枇杷びわと呼ばれていました。枇杷は次こそは自分が最後まで残ると意気込んでいました。私は枇杷のその意気込みを新鮮に感じながら、彼女の姿を眺めていました。それで気付いたのです。枇杷からは、

 おかしな話です。壺を途中で出た子どもは皆体の一部分を切り落とされます。再度壺に押し込められる子どもも皆、体のどこかが足りていない、それが果樹園のルールでした。それなのに、枇杷は、こういう表現は適切ではないとも思うのですが、五体満足で。


 それから、私と枇杷は最後の5人まで残りました。でも私は、やっぱり私が最後だろうと思っていたんです。年齢の問題もありましたし……。


 ところがある時、枇杷は壺から出されました。果樹園の主人の手によって、です。主人の言葉を借りるなら、枇杷は優秀だったけれども欲を出してしまった──この意味、分かりますか? その当時の私には分かりませんでした。ただ。

 果樹園の主人が、私ではない別の子どもを呼びつけて、その子に、


 


 眼球です。そうです、人体の一部です。その目玉が枇杷のものだということに、私はすぐに気付きました。枇杷は壺から出され、その両目を抉られた。子どもの私にはその程度の推察しかできませんでしたが、でも、充分でしょう。抉った目玉を別の子どもの体内に入れようとするなんて。狂気の沙汰だ。

 私は初めて果樹園の主人に抵抗しました。抵抗というか抗議、ですかね。目玉を食わされるのが私ならば、まだ理解はできた。枇杷は少女だったんです。幽霊とかそういうものだけではなく、彼女のの前には壁も扉も何もかもが無意味。どこまでも見通せる。見抜ける。そういう力を持った子ども、それが枇杷でした。思うに枇杷は、何か果樹園にとって不都合なものを見たのでしょう。そうして騒ぎ立てるか何か、とにかく子どもらしい行動を取ってしまった。それで生命線である両目をくり抜かれた。


 果樹園への愛想が尽きた。その瞬間ですね。私の考え方が変わったのは。

 行き場のない、親もいない私を育ててくれたのは確かに果樹園です。最終的に首を刎ねられ神に、もしくは呪いになるとしても、私の死に場所は果樹園だと思っていました。でもどうやら違ったらしい。そんな風に思っていたら──思うのが、遅すぎたんですね。

 その晩でした。眼球を食わされそうになっていた少年が、壺から連れ出されたのは。


 犬神の作り方を知っていますか? え? 知っている? そ、それは意外ですね。一般的な知識教養なんですか? 違う? そうですか……。でもご存知なら話は早い。人間を媒体にして神を作る際にもほとんど同じやり方をします。少なくとも果樹園では。選ばれた子どもを首から上だけ残して土に埋め、目の前に食糧を置き、飢えさせて十日ほど放置。良いタイミングで鉈のようなもので首を刎ね、その首を四辻の真ん中に埋めてできるだけ多くの人間に踏ませる。一ヶ月程度。その後首を掘り出し、用意してあった器に納めて祀る。これが神の作り方です。


 私は、初めて自分の意志で壺を出ました。壺の外には常に果樹園のおとなが待機しており、勝手に壺を出ようとする子どもを中に戻したり、あるいはではない子どもを外に連れて行ったりするのですが、私ももう6歳でしたし。自分の力の強さは心得ていました。ただおとなであるというだけのおとなは敵にもなりません。私は、連れ出された少年と、それから枇杷を探して、果樹園を駆け回りました。

 枇杷はすぐに見つかりました。。……この意味、分かりますか? 分かりますよね、おとななら。枇杷は美しい娘でした。壺に入るのは2度目と言いつつ体のどこも欠けていなかったのは、その美しさを損なわないためだったのでしょう。

 真っ白い……ああ、思い出すだけでも悍ましい。まるで白無垢のような着物を着せられた枇杷は、壺の中にいた頃の快活さが嘘のように黙りこくり、それでいて私という他者の気配に怯えていました。無理もありません。命綱であった眼球を奪われてしまったのですから。それで私は、多少強引であるとは思いつつも枇杷の手を取り壺の中で名乗っていた名前を告げました。枇杷は、泣いていました。あたしが悪かったの、あたしが間違えてしまったの、と空っぽの眼窩から涙をこぼして……。

 私は枇杷の手を引き、立ち上がらせました。けれど彼女は歩くことができません。強制された暗闇の中にいるのですから、無理のないことです。だから私は小柄な枇杷を背負って、果樹園の最奥、神作りの庭を目指しました。私はその場所を既に知っていたのです。一度も連れて行かれたことがない、埋められたことだってない、それでも。


 だって私は、この果樹園でいちばん強い力を持った果実なのです。枇杷の眼球を食わなくたって、それぐらいは見通せます。


 おとなたちが私と枇杷を探していました。それで、私はもっともっと疾く走りました。神作りの庭に入るには、果樹園の主人が常に持ち歩いている鍵が必要です、でも分かりますよね? 鍵なんて、壊してしまえばいいんです。

 神作りの庭。そこには壺から出された──おそらく、いや間違いなく私への見せしめのために選ばれた少年が埋められていました。土気色の顔。飢えた獣のように長く伸びた舌だけがぬらぬらと赤く、彼がもう長くないことはひと目で分かりました。

 私は背負っていた枇杷を一度降ろし、待っていてね、と言いました。3人でここから逃げ出すために、やらなきゃならないことがあるから、と。

 時は満ちていません。埋められている彼は未だ熟していない。そんなことは分かっています。それでも私は、神作りの庭に備え付けられている鉈を振り翳して、彼の首を刎ねました。


 首を抱え、枇杷を背負い、私は果樹園を飛び出しました。15年も前の話です。あなたたちがどうして私に気付いたのか、それだけが本当に不思議です。だって果樹園は嫌われているでしょう? やり方があまりに醜いって。わざわざ関わろうとする人がいるなんて意外です。私にしてみれば人殺しは人殺し、美しいも醜いもない気がしますが、でも果樹園を否定する人たちがいるというのは少し嬉しいです。あんなの、やっぱり、間違っているんですよね。


 ああ、まだお伝えしていませんでしたね。

 私は、壺の中では、苔桃こけももと呼ばれていました。

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