6話 市岡稟市
「市岡ヒサシ、大・復・活!!」
「うるさい」
動いて喋る弟を見るのはいつぶりだろう。この件が始まった時には既に別行動を取っていた。ああ、友人の宍戸クサリが入院したと聞き、見舞いに行くよう頼んだ時以来だろうか。いや、違うな。あの時も電話で話をしただけだから、姿は見ていない。
「稟ちゃん、その、何、果樹園? ヤバいね!」
人間を材料に神を作る果樹園という集団についてだけは、その必要がある相手とは情報を共有しても良いと秋から許可を得ていた。案の定弟は食い付いた。目に見えて浮かれている。その右手には未だ包帯が巻かれており、薄っすらと血が滲み出ていた。
「手」
「ああこれ。治んない」
「治らない?」
「血が止まんない。最初の時ほどドバドバは出てこなくなったけど、これもたぶんその果樹園の仕業でしょ」
ひらひらと手を振って弟は笑う。馬鹿なのか賢いのか、聡いのか鈍感なのか。30年以上彼と兄弟をやっているが、稟市にはヒサシのことが良く分からない。
「で、大復活ってことはその手以外は大丈夫なのか」
「はーい。ご心配おかけしまして。今はもうね、なんでも見えるし聞こえるよ。神様の二体や三体ぶち殺すのだって……」
「分かった、それ以上喋るな」
弁護士事務所の応接室のソファに、兄と弟が向かい合って座る。稟市が煙草を咥えれば、ヒサシも「ああ」みたいな声を上げて手元に置いた小さな鞄から煙草の箱を取り出した。
鞄?
「珍しいな」
ヒサシは基本的に手ぶらで行動する。どうしても何かを入れる袋のようなものが必要な際は、ペラペラのサコッシュをひとつ肩からかけて歩く程度だ。
「あーこれ。これはですね、大阪に一緒に行ったヤクザの山田徹さんから貰った写真を入れてきたんだけど」
と鞄の口を大きく開き、中から何の変哲もない茶封筒を弟は取り出す。
「必要があれば見て。例の、大阪の生首の写真だよ」
「警察に返したとか言ってなかったか?」
新宿歌舞伎町の純喫茶カズイとかいう店で三日も寝込み、その後喫茶店の主人の孫であり稟市と共に横浜まで足を伸ばしてくれた雑誌記者の響野憲造によって稟市の自宅まで送り届けられた弟から聞いた、弟曰く『大阪怪奇譚』の中ではそういうことになっていた、ような気がする。
「いや、なんか山田さん嘘ばっかつくんだよ。俺には返したっつってたけど写真、ずっと持ってたんだって」
「なぜそんな無駄な嘘を」
「知らない。けど見て」
茶封筒の上には見知らぬ神社の名が記されたお札のようなものが貼られている。
「お焚き上げしてもらおうとして、大阪のヤクザの人と一緒に飲みに行く途中で見かけた神社に写真持ち込んだら即答で拒否られたって」
「まあそうなるだろうな」
テーブルの上に置かれた茶封筒に触れもせずただ眺めているだけだというのに、嫌な気配を感じる。写真だけでこれなのだ。実際に生首を見て、触れて、始末した人間たちはいったいどうなってしまったのか──
「でも神社の人お札をくれたんだって。気休めにしかならないかもですがって」
「気休めにはなっているな」
「うん。この神社俺も初めて見る名前なんだけど、この件落ち着いたら菓子折り持ってお礼に行かなきゃねー」
それはそれでどうだろうと稟市は思う。シンプルに神社という意味では同業者だが、狐憑きの市岡といえば知っている者は知っている、忌むべき血統の一族だ。菓子折りどころか挨拶すらさせてもらえずに終わるかもしれない。
事務所の天井に向けて紫煙を吐き、そんでさあ、と弟は普段となんら変わらぬへらへらとした口調で言った。
「どこにあんの。その、果樹園てえのは」
弟の──市岡
神殺し。
「絶賛捜索中──というか、おまえ、果樹園の話をそのヤクザの人にも伝えたんだろう? だったら彼らの方が先に発見するかもしれないな。機動力が違う」
「ん? 俺伝えてないよ」
「え?」
意外な返答だった。半分も吸っていない煙草を灰皿に放り込んだヒサシが笑う。
「この写真もらうのに山田さんに会った時に果樹園の話しようとしたんだけどさ、もう知ってた」
「は?」
「なに稟ちゃんその間抜け顔!」
ひゃは! と甲高く笑った弟はすぐに真顔になり、
「例の、秋さん? 俺は会ってないし話を聞く感じその人と俺の相性めっちゃくちゃ悪そうだからたぶん会うことはないと思うけど、山田さんもさ、その人とのパイプ持ってんのね」
冷静に考えれば、別に驚くような話ではなかった。秋自身も言っていた。秋の本業は地獄の人材派遣業。木野ビルディングの主力商品は裏社会に関わる情報ではなく、殺し屋という人材そのもの。
「その山田さんも、殺し屋なのか?」
「分かんない。人を殺したことはまあ絶対あるタイプの人間だけど」
「そうか」
できれば顔を合わせたくないなと稟市は思う。殺人者に会うと、たいていの場合本人より先に目の前の殺人者に生命線を断たれた者と目が合ってしまうから厄介だ。
「こっちはこっちで果樹園を探そう」
「お父さんに連絡する?」
スマホを片手に弟が小首を傾げる。市岡本家。言葉が分かりやすいので本家という響きを採用しているが、市岡家に分家はない。今生きている人間──稟市から見て祖母、母、父、それに弟、これで全部だ。果樹園がどういう呪いを用いる集団だとしても、この業界の横の繋がりからはそう簡単には逃れられない。非常に残念だし認めたくない話ではあるが、畜生と畜生は惹かれ合う。これまで稟市とヒサシが果樹園の名を知らなかったのは、ふたりが市岡家を継ぐことを拒んで土地を飛び出していたせいだ。長くあの土地で祓いや呪いに手を染めている家族ならば、おそらくは──。
「電話……は、良くないかな〜」
応接テーブルの上に放り出したスマートフォンをタップしようとしていたヒサシの指が、妙に裏返った声を共に空を切った。視線も泳いでいる。煙を張っているのに。このスマートフォンも、聞けばそのヤクザの山田徹に買ってもらったものなのだという。山田徹、かなり面倒見が良いタイプなのではないだろうか。反社会的勢力の一員ではあるが。
「何がいる?」
「んー。式神。かなー。眼球がねえさっきから窓の外をうろうろうろうろ」
稟市にはヒサシが見ているものが見えない。担当が違うのだ。稟市は人間の魂、もしくはかつて人間だったもの。ヒサシはそれ以外。それ以外全部。
雑居ビル4階の窓の外を飛ぶ眼球は、既にヒトの域を越えてしまっている、さもなくばそもそもヒトではなかった何かということか。
「……手紙を書くか」
「速達で出そ!」
大阪からヒサシの手紙が無事に届いたことを思うと、果樹園の式神は電波ジャックはできても郵便配達を妨害することができないらしい。稟市はふっと煙を吐き、デスクに便箋と封筒を取りに向かった。
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