4話 市岡ヒサシ
「まずですね、先方は式としては俺より格下です。格下。
寝てるだけの俺に近付くことすらできなかったんですからね。分かるでしょ?
俺は──俺というか、俺を含む市岡家は、狐憑きの家系です。さっき説明した犬神の作り方思い出してください。あれを応用して白い毛皮の狐の首を刎ね、式として今もこき使っている。それが我々市岡家です。
悪質? たしかにそうかもしれません。碌でもない一族です。でも江戸時代に作った式に令和の今も呪われているんだから、それなりに報復は受けているんじゃないですかね。知らないけど。いや俺ほんとどうでもいいんですよ、イエのこととか、市岡の今後とか。兄は自分を末代にすると言っています。俺にも結婚や子どもを育てたいっていう願望はないから、市岡はおそらく俺たちの代で終わります。天寿をまっとうするか狐に殺されるかはまあ──五分五分ってところですけど。
ええっと。
そう。式になった生き物が、必ずしも人間の命令に従うとは限りません。抵抗する者もいるし、自分の、俺はこの言い方嫌いなんですけど、あるじになった人間を殺そうとする者だっている。むしろそういう方が多いぐらいです。市岡家って、そもそもフツーに力強い一族なんですよね。狐っていうブーストはかかっているけれど、歴史を遡ると強い術師がわんさか出てくる。未来予知をしたり、死にかけの病人を回復させたり、何かがあって式に苦しめられているイエから原因を取り払ったり──陰陽師? 山田さんそういう言葉知ってるんですね。違います。術師です。者でもいいのかな。術者。術が使えるだけです。市岡の本家が神社っていうのもまあ体裁ですよ。何せ狐を遣っているんでねぇ。雰囲気だけでも稲荷神社っぽくしないと、傍から見て気味が悪いじゃないですか。
……狐の式なんか作らなきゃ良かったんですよ。
今のは独り言です。
それで話は戻りますけど。市岡家は江戸時代からずっと狐の式を遣っています。遣うと同時に式には毛嫌いされて呪われてもいるから、飼い犬──飼い狐──に手を噛まれまくりながらギリギリのラインでやってきたのが市岡って家です。まあ年季が違うんですよ。たとえ人間の首を材料に式を作ったとしても、江戸時代から何年もやってきた俺たちと、作ったばっかのぴよぴよの式とじゃ圧倒的に力の差があります。レベル1の状態でいきなりラスボスに挑むようなものですよ。分かります? しかも山田さんが見た式は子どもの姿をしていた……そう、式です。山田さんが見たのも式です。人間じゃない。人間だと思ってたんですか? あっやめて殴らないで! いやだなぁ、ヤクザって。すぐ暴力に訴えるんだから、こわいこわい。
式が式を遣うというケースがあるのかどうか俺には分からないけれど、昨晩ホテルを訪れたのは二体の式だったんだと思います。その証明が山田さんのスマホの中にあったんですけど、もう壊れちゃったから証人は俺たちしかいません。なので、昨日までは見ないでください思い出さないでください忘れてくださいってずっと言ってましたけど、もう状況が変わりました。忘れないでください。二体の式が俺と山田さんを襲撃しようとして、俺、つまり狐にビビって逃げて行った。これが現実です。ほかの人間がどんな風に口を挟んできたとしても、絶対に証言を翻さないでください。約束してください」
ヒサシの口上を山田は黙って聞いていた。
「終わりか?」
「はい」
「よく喋る男だな」
「は?」
煙草を吸おうと伸ばした手を、山田の左手が強く押さえた。読み解きをしてみせろと煽ったのはそっちなのに、とヒサシはくちびるを尖らせる。
手の甲を掴む力が強い。痛い。
「山田さん、痛い」
「年季が違う──年季年季年季ネエ」
「山田さん?」
ヒサシの骨張った手の甲に山田の鋭い爪が食い込む。痛い。血が滲んでいる。やりすぎだ。力の加減ができていない。なんなんだ。言われた通りに説明したのに。何が気に食わないってんだ。
「話せって言われてそんな風にべらべら手の内明かしちゃうから三流なんだよナア」
「あ……?」
違う。
山田の声じゃない。
そもそも山田には左腕がない。左手なんか存在しない。
奇妙に歪んだ声だった。ラジオに混ざる雑音をそこだけ抽出したような響きだった。
熱い。掴まれた手の甲が焼けるように熱い。
今目の前にいるのは誰だ。山田徹はどこに行った。
おまえは。
「だれ、──」
残された力を振り絞って呻く。顔を上げることすらできない、ひどい圧。
「狐だってけものなんだから毛皮剥いで襟巻きにでもしちゃえばいいんだよ」
歌うような声。ブラックアウト。
カレーの匂いがした。
ゆっくりと瞼を上げる。どこかに寝かされている。ここはどこだ。
低い天井。薄い敷布団に擦り切れた毛布。人間の匂いがする。体を起こそうとして右手を床に置き、走った激痛に思わず呻いた。
良く見ると、右手には白い包帯がぐるぐると巻かれている。
こちらの物音に気付いたのだろうか。誰かが近付いてくる気配がする。ここがどこで自分がどういう状況に置かれているのかが分からない以上無駄に暴れて体力を削りたくはないが、仮に──仮にここに監禁或いは軟禁されているのだとしたら、
「ヒサシ? 起きたのか?」
扉のようなものが静かに開き、誰かがこちらを覗き込んで訪ねた。純喫茶カズイのマスターだと気付くのに10秒ほどかかった。ということはつまり、ここは。
「ヒサシ分かるか? 俺だ、逢坂だ」
「わか……分かる……」
「今おまえの目の前に指は何本ある?」
「百本! ここどこです!」
布団を蹴飛ばして飛び起き、叫んだ。右手の指を二本立てたマスターがいつものヒサシだな、となぜか安堵の表情を浮かべた。そうして彼は、その笑顔のまま穏やかな声で質問に答えた。
「俺の店だ。おまえは三日寝てた」
それこそ再び、卒倒しそうになった。
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