3話 市岡ヒサシ

 地元民や出勤前のサラリーマンなどで混み合い始めた喫茶店を出て、別の店に移動した。割れたスマホは一応ヒサシが預かることにした。

 移動の途中でコンビニに寄り、ノートとボールペンと封筒を買った。山田に買わせた。

「あのですね。今の時代のはネット通信にも対応しているみたいなので、もうスマホは使えません」

「式って?」

「式神のことです。神様です」

「首を使って作るっていう?」

「それもまあ、式です。あのあんまり何度も口に出さない方がいいんで、首首言うのやめてもらっていいっすか」

「あの首もう火葬されて骨になったはずなのに妙だよな」

「山田さんんんん……」

 おまえと喋ってると脳が溶けそうになる、と兄に叱られることは良くあるが、ヤクザと会話をしていてこんな気持ちになるとは思わなかった。次に兄に会う機会があったら謝らねばならない。

 幸いにも喫煙席が存在する喫茶店に滑り込むことができたのだが、不運なことにカウンター席しか空いていなかったので、山田とヒサシは肩を並べて、というかほとんどくっつけて着席していた。

「山田さんは、なんで次は自分だって思ったんですか」

「調べ回ってるからかな」

「はあ」

「基本だろ。本命を狙うためにはまず周りを飛び回る蠅を叩き落とさないと」

「蠅ですか」

 ノートに書く。蠅。

「俺からも質問」

「どうぞ」

「おまえの言う『神様』ってのはどうやって作るんだ?」

 その件か。もう伏せておくのも面倒になって、犬神の作り方を早口で告げた。アイスコーヒーをストローでくるくるとかき混ぜる山田は、黙って左目を眇めて見せる。

「エグ」

「すね」

「そんなことして意味あんのか? ただの動物虐待じゃねえの?」

「俺もそう思います。ですが、ひとつの術として存在している、その事実だけは動かすことができません」

「ふん……」

「山田さん動物好きなんですか?」

「全然」

「ええ〜」

「それでその式は、人間を使って作ることもできるのか?」

 本題。

「……俺は、正直聞いたことがなくて」

「ほう」

「今回かなり混乱してます。最初に岩角さんの運転手だった人の話を聞いた時には、シンプルに犬神の仕業だと思ったんですよね」

 山田が煙草に火を点ける。ああそうだ、話す前に煙を焚かないと。気休めでしかないけれど、少しでも見え難くしないと。

「でもどうやら違う。黒松さんに写真を見せてもらった時にそういう匂いがしたんですよね」

「匂い?」

「山田さん俺のお兄ちゃんのこと知ってます?」

「知らねえ。弁護士なんだよな?」

 煙の中で言葉を交わす。まるで世界にふたりしか人間が存在していないような気持ちで。気休めでしかない。分かっている。この店は大層賑わっている。分かっている。それでもここには、ふたりだけ。

 ヒサシ自身、生き残ることに然程執着はない。だが、こんなめちゃくちゃな事件に巻き込まれて死ぬのはごめんだ。

「俺と兄はとあるど田舎の神社の子どもです。先祖代々お祓いやら祈祷やらを生業としてやってきました。兄はそれまでの市岡の中でも特に力が強くて──理由は色々あるんですけど──兄だったらたぶん、あの写真からもっとはっきり何かを読み取っていたと思います」

「呼べよ」

 今すぐここに、と山田が横柄な口調で言った。クソヤクザめ。

「無理っす。弁護士なんで。超忙しいんで」

「その超忙しくて超有能な兄ちゃんだったら、人間を使って作られた式を倒したりもできるのか?」

 絶対にできると断言はできなかった。そもそもいったい誰が何の目的で人間を使った式を作成しているのかも分からないのだ。それに、獣を使って神を作るにしても素材の選定は必須である。犬ならば、獣ならばなんでもいいというわけではない。今回素材にされたと断言できるのは黒松が報せたマルヤマという男だけ。それも組の売り物を持って高跳びしようとしていた人物だというのだから、人間性が清く正しいわけでもない。なぜマルヤマを選んだのか。その根拠は、理由は。

「ちょっと整理します。このノートに書くので間違ってたら言ってください。最初の被害者は岩角さんのところのヤタベさん。下の名前は」

「コウヘイだったかな」

「漢字……」

 ヒサシの手からボールペンを取り上げた山田がノートの端に角ばった文字を五つ並べた。

「次が宍戸さん。宍戸クサリさん」

「その次が東條のマルヤマ」

「マルヤマさんの下の名前は?」

「あー……サクヤ? とかいったかな?」

「漢字」

 再び山田が今度は漢字を四つ並べる。手元を漫然と眺めるヒサシに、彼は薄く笑って言った。

「本当は左利きなんだ」

 左腕を丸ごと失っていては、さぞ不便だろうとヒサシはぼんやりと思った。

「んー。名前を並べてもどうも統一感がないっすねえ」

「これなんか意味あるのか?」

「あ、これをですね、このメモを封筒に入れて兄に送ります。速達で」

「それで何か伝わるのか」

「ここに書いてあるだけの情報は伝わりますね。あとは兄が推理するので……」

「丸投げかよ」

 呆れたような山田の声音に、ヒサシはくちびるを尖らせる。

「俺だって色々考えてます! ていうか実際向こうは寝てる俺に近付くことさえできなかったんでしょ? そっから読み解けることだってありますよ!」

「ほー。じゃ読み解いてくれや」

 完全に挑発されている。だが乗る。乗ってやる。そしてこのヤクザの、度肝を抜いてやる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る