7話 市岡ヒサシ

 気がついたら朝だった。山田の隣で眠りに落ちていた。山田も眠っていた。ヒサシが寝てからシャワーを浴びでもしたのだろう。スーツではなくホテル備え付けの寝巻きを着ていた。ヒサシは新大阪に降り立った瞬間そのままの格好だというのに。

 目を擦りながら上半身を起こす。今はいったい何時だろう。今日はどういう風に動く予定なのだろう。山田に財布役を全振りしているし、大阪という土地に明るくないので、連れて行かれた先でそれなりの振る舞いをすることだけを考えていた。

「……ん?」

 脱ぎ捨てたままのサンダルを探そうとして気付く。

 ベッドの周りに、無数の足跡が散っている。

「ん? え? なに? なにこれ?」

「うるせえ」

 ヒサシの声に安眠を妨害されたらしい山田が枕を投げ付けてくる。シングルベッドで一緒に寝てやった仲だというのになんという態度だ。

「ちょっ山田さん起きて! これ! これはいつからありましたか!」

「おうおうご丁寧な朝の挨拶をありがとうよ……あ?」

 これ、とヒサシが指し示す先を見た山田が眉を顰める。

「なんだこれ」

「俺が訊いてるんですねえ!」

「足跡か?」

「でしょうね。あっ山田さん待って降りないでベッドの上にいて」

「便所」

「ちょっと我慢して! 大人でしょ!」

 床に足を着こうとする山田を半ば羽交い締めにして止め、ベッドの上に放置してあったスマホを持ち上げる。

 無数の着信。

「もしもし!? 俺だけど!!」

『ヒサシか。どこにいる』

 着信履歴のいちばん上に折り返した。兄の稟市りんいちだった。

「おお……さか……?」

「こっち見るな。大阪だよ」

 山田が大あくびをしながら呟く。

「大阪です! 今一緒にいる方もそう言ってます!」

『誰といるんだ』

「……」

 また山田をじっと見詰める。山田が大きく舌打ちをする。

「関東玄國会! ! 山田徹!」

 腹から出した大声は、スマートフォンの向こうにいる兄にもきっと届いたことだろう。

「山田徹さんです! ヤクザです!」

『ヤクザ?』

 ベッドの枕元にあるデジタル時計に視線を向ける。AM7:30。稟市は出勤しなくて良いのだろうか。

『ヤクザと大阪にいるのか』

「なんか流れで」

『関東玄國会つったら……』

「あのー、アレ。宍戸さんの。友だちの」

『昔の仕事相手だと言っていた』

「ああじゃあそれでいいや、昔の仕事相手の岩角さんの」

「同僚」

 山田が口を挟む。ちらりと見ると、ベッドの周りに無数に散る足跡を自分のスマホで撮影していた。話が早い。本来ならばちゃんとしたカメラの方が良いのだが。

「なんかこう〜……今俺と山田さん宿にいるんだけど、ちょっと変なこと起きてる」

『変なこと?』

「山田さん、その写真もらえる?」

「一枚一万な」

「アコギ!」

 だったらもう自分で撮った方が早い、と通話をスピーカーモードにした上でカメラアプリを立ち上げる。ベッドの足元にレンズを向けた瞬間、


『ヒサ──────────』


 ギギギ、ジジッ、ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ


 兄の声が聞こえなくなり、奇妙に何かが軋むような音が鳴り響く。同時に、手の中の鉄の塊が凄まじい熱気を帯び、


 耐えられなくなって投げ捨てた。平べったい灰色の絨毯の上に落ちたスマホは、細い煙を残して沈黙した。

「うそ、壊れた?」

「たぶんな。……見ろ」

 山田が顎で示すその先で、足跡が増えていた。小さな子どものそれと思しきサイズの靴跡と、それから明らかに獣のもの。

 ふたつの足跡がぽつりぽつりとヒサシのスマホの周りに集い、やがて消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る