6話 市岡ヒサシ
ヒサシを駅前のビジネスホテルに放り込み、黒松と山田は飲みに行ってしまった。営業を開始したクラブ・四季を訪ねるのか、それ以外のどこか行きつけの店に行くのか、ヒサシには関係のない話なので山田に渡された一万円札で韓国料理をテイクアウトしてホテルの部屋で食べた。当然、禁煙室だ。
黒松にはすべての写真を捨てるよう言い含めた。本当はどこか神社にでも持ち込んでお焚き上げにしてもらうのが最善策なのだが、ヤクザがそこまでするだろうか。しないだろう。ただ、カマタのようになってしまう、という脅し文句は多少は効果があったらしい。黒松は神妙な顔をして写真を片付け、もう見いひん、と宣言していた。
シングルベッドの上に体を投げ出し、兄に連絡をするかどうか迷う。スマホには純喫茶カズイのマスターから着信があったっきりだ。折り返すと「無事かどうか確認したかっただけだ」と言われてすぐに切られた。誰とも無駄話をしていない。寂しい。
(犬神の作り方)
思い出す。犬を一匹、首から上だけを地上に残し、体すべてを土に埋める。目の前に餌を置き、飢えた状態で十日も放置したところで、背後から鉈か何かで首を落とす。その際、犬に自分の姿を見られてはいけない。取り憑かれる。落とした首を縦横に交わる道の真ん中に埋め、できるだけ大勢の人間に踏ませる。期間は一ヶ月程度。その後首を掘り出して、用意しておいた器に入れて祀れば完成だ。犬でなくても良い。たとえば狐でも。
マルヤマの首から下の肉体はどこかに埋められているとヒサシは考えている。科捜研だとかそういうところでしっかりと首を調べた警察には、既に場所も特定されているはずだ。掘り出しに行くだろうか。行くだろう。それが彼らの仕事だ。
(被害者が増えちゃう可能性)
あり。
頭以外の部分はそのまま朽ちさせるのが筋だ。或いは犬神を作った者が自ら焼き捨てるか。
問題は誰があの首で神を作ろうとしたか──だ。
犬神を作る現場に立ち会ったことは、過去数回ある。それなりに力のある者が仕事としてそれを行うこともあったし、聞き齧りの知識で気軽に呪いを手を出そうとする者を適当なタイミングで殴ってやめさせたこともあった。前者の場合埋められた犬は無事に式となり、後者の時は犬を保護した後自分で殴った相手を自分で警察に突き出した記憶がある。
だがどちらにせよ、依代として採用されたのは犬だった。動物だ。人間を使うケースにぶち当たったことは、おそらく一度もない。
ベッドに倒れ込み、溜息を吐いた。誰だ。こんな面倒な事態を引き起こしている馬鹿は、いったい何者だ。
ドアを激しくノックする音が聞こえた。
「はあい」
大声で返事をし、相手の確認もせずにドアを開く。立っていたのは、いい感じに酔っ払った隻腕の男だった。
「あれ、朝まで飲むんじゃなかったんすか?」
「そんなこと言ってねえだろ」
「黒松さんは飲む気満々だったっぽいっすけど」
「東條と玄國会の人間が朝まで一緒に飲んでたら問題になる」
「そういう話なんすか?」
「そういう話なんだよ。おい、水くれ」
部屋に備え付けられている冷蔵庫の中から、水の入ったペットボトルを取り出した。自分のために買っておいたものだ。というか。
「山田さん自分の部屋に帰ってくださいよ」
「俺の部屋?」
「なんか別のいいホテルに部屋取ってたじゃないっすか〜」
「覚えてない」
嘘だ。絶対覚えてる。ヒサシのベッドにごろりと横たわった山田は、ここで寝る、と大声で宣言した。
「げっ、最悪。だったら俺があっちのホテル行くっす。鍵ください鍵」
「クルマに置いてきた」
「誰の? ……黒松さんの!?」
山田はへらへらと笑うだけで答えない。なんて悪質なんだ。山田の隣で寝るのは互いの体格的にも無理があったので(ヒサシは190センチにほど近い1メートル80センチ台で痩せ型、山田はそのヒサシよりも少し長身で体付きもがっしりしている)、渋々鏡台前に置かれた椅子に腰を下ろした。
「もう一部屋空いてねっかな……」
フロントに電話しようと手を伸ばしたヒサシに、
「こっち来いよ」
「はあ?」
山田がシーツの上をぽんぽんと叩く。同衾しろというのか。
「絶対嫌です……別料金です……」
「ああ?」
「俺はホストのバイトしてた頃も枕やんない男として売ってたんで! パスです!」
両手を振り上げ頭の上で大きくバッテンを作るヒサシを見て、山田が乾いた声で笑った。
「俺だっておまえみたいなやつパスだよ」
「なんですと?」
「好みじゃねえの」
「……」
それはそれでなんかムカつく。プライドが傷付く音がした。このヤクザめ、現役のヒモとして生きている俺のテクで泣かせてやろうか。
「とにかく来い。内緒話をしよう」
「ううっ、キモい……40代ヤクザと30代ヒモが内緒話とか……」
半分泣きながら冷蔵庫を開けて中から飲みさしの烏龍茶を取り出し、山田に占拠されたベッドの端に座った。どれほど飲んだのか、近付くだけで酒の匂いがする。半ば閉じた瞼の下、眠たげな虹彩は鮮やかな灰色だった。
「なんすかあ……?」
「市岡おまえ、あの首の正体はなんだと思う」
酒の匂いはしていたが、声音は思ったよりずっとしゃんとしていた。小首を傾げたヒサシは、
「何の根拠もありませんがね」
「言え。俺だっておまえからそれほど有益な情報を得られるとは思っていない。ただ、逢坂さんのお墨付きの意見を聞きたいだけだ」
「逢坂さん──ああ、純喫茶のマスター」
「おまえにとってはただの喫茶店のマスターでも、俺らにとっては違うんだよ」
見事な銀色の蓬髪を思い出す。あの年頃の人間にしては背も高く、所作もかくしゃくとしている。あとあの店のコーヒーはとても美味い。
「あの人なんなんですかあ」
「ああ?」
「交換条件っすよお。なんなんすか。玄國会の元幹部? すごく偉い人が引退後余暇で始めたのがあの喫茶店?」
シーツの上に腹這いになって尋ねるヒサシの頬から顎にかけてを、山田の長い指先がゆっくりと撫でた。このおっさん俺のこと抱く気も抱かれる気もねえな、と気付いて少しだけ安堵する。
「殺し屋」
「え?」
「1000人殺した殺し屋。それが逢坂さん」
「……クソ恨まれてそうですね」
この世に未練を残したものの魂や恨みを見ることができる目を持つ兄・稟市は決して逢坂に近付こうとしないだろう。それこそ気が触れてしまう。
「何回か収監されて、一度はまあ首吊りの判決も受けて──それがどういうことだか今も生きてる。怖いじいさんだよ」
山田は喉の奥で笑い、ほら、と今度はヒサシの額を軽く小突いた。
「喋ったぞ。交換条件だ」
「痛って」
「なんなんだあの首。黒松と飲みに行く前に適当に見つけた神社に寄ってあの写真焼いてくれって頼んだら、何が写ってるかを見もしないで断られたぞ」
「でしょうね」
よほどのインチキ神社でもない限り、あの生首にまつわることを引き受けようとはしないだろう。たとえ生首そのものではなく、ただ事務的に撮られた写真だとしても、それだけの力が溢れている。
「今誰が持ってるんですか、写真」
「警察に返した」
「ヒャー」
「なんだよ」
思わず頭を抱える。体を起こした山田がペットボトルの水を飲み干している。返したのか。返しちゃったか。そうか。
「そもそも無理言って横流しさせたんだ。返却して何が悪い」
「それはごもっとも。ああでも」
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