4話 市岡ヒサシ

 助手席に座ったヒサシに、運転席の男は名刺を差し出した。このところ名刺を貰ってばかりいる。今回も箔押しだ。強い。カードゲームなら結構いいところまで行けると思う。

東條とうじょう黒松くろまついいます。よろしく」

「市岡ヒサシと申します。あれっ」

 あれっ。

「なにか?」

「東條って東條組ですか? 暴力団の?」

 後部座席から背もたれを蹴られた。山田だ。だが、口から出た言葉を取り消すことはできない。

 黒松と名乗った男は、細い目をさらに細めて笑った。

「怖いもの知らずな坊ややなぁ」

「馬鹿なんだよ」

 山田が溜息混じりに言う。失礼な言い草だ。

「せや。暴力団の東條組。名前ぐらいは聞いたことあるでしょ」

「山田さんのとことは仲悪いんじゃないんすか」

 テレビや雑誌で特集を組まれることこそ少なくなったが、Vシネマなんかのネタにされているのを今でも良く見る。東條組と玄國会の100年抗争。100年は言い過ぎとしても、それに近い年月を抗争に費やしてきた集団だ。どちらが正義でどちらが悪かをヒサシは知らないし、興味もない。暴力団は暴力団だ。

 膝丈のパンツに麻のジャケット、黒いTシャツの胸元に銀のネックレスを揺らした黒松は肩を揺らして笑った。

「坊や、詳しいんやなあ。せやで、東條とは未だに犬猿の仲や。しょっちゅう殺し合っとる」

 山田より少し年上に見える。ヒサシの父親よりちょっと年下といった感じだろうか。日に焼けた肌と大きな口から覗く白い犬歯を見ていると、ヤクザというよりは──いや、ヤクザはヤクザだ。他の何かに見えたとしても、結局は。

 全員がシートベルトをきちんと装着したのを確認して、クルマが走り出す。生首って? と山田が声を上げた。

「そのまんまや、生首が出たんよ」

「そのまんまの意味が分からねえ。生首の持ち主は誰なんだよ」

「うちの下っ端やなぁ。最近顔出せへんと思うとったら首だけ戻ってきよって」

 この場に俺がいる必要はないのではないか、とヒサシは思ったが、実は東京に帰るための足代を持っていない。山田の側を離れたら、右も左も分からない大阪の街で本当に迷子になってしまう。それは困る。忙しい兄が迎えに来てくれるとも思えないし、そもそもこの件にここまで首を突っ込んでいると知れた時点で見放される可能性もかなり高い。厄介なことになっている。だいぶ。


 法定速度をきっちり守って走るクルマはやがて大通りを外れ、すべての道が一方通行で右折しか許されないような場所に這入り込んでいた。年季の入った古いビルが何軒も立ち並び、晴天の街に薄暗い影を落としている。

 黒松は幾つかあるビルのひとつを示し、

「一階や」

 と言い置いて山田とヒサシを降ろした。本人は駐車場を探しに行ったようだった。山田のキャリーバッグも黒松のクルマに積まれたままである。

 一階。【クラブ・四季】という看板が出ていた。

 どう考えても営業時間内のクラブのドアを、山田が顎で示す。開けろ、という意味だ。他人にこんな風に使われるのは好きじゃない。どちらかというと嫌いだ。我ながらプライドが高いのだと思う。でも今は然程嫌ではなかった。楽しくなっていた。

 ドアノブを掴む。捻って引く。開かない。捻って押す。開いた。

 店内は思っていたよりも明るかった。

 後ろ手に閉めたドアがすぐに開く。黒松が戻ってきたのだ。

「まあ、座って座って」

 純喫茶カズイよりは広い店だった。ボックス席にどっかと腰を下ろす山田の隣に座ろうとしたら狭いから来るなと言われ、仕方ないので正面に移動しようとしたらそちらには黒松がするりと入り込んだ。黒松の隣は場所的にもなんだか間違っているような気がしたので、テーブル席から椅子をひとつ引きずってきて勝手に上座を作った。

「誰の店」

「俺の」

 これ、と黒松が小指を立てる。おじさんの仕草だと気付いて少し笑ってしまった。

「なにがおもろいねん」

「いや、彼女のこと小指でたとえる人滅多に見ないんで」

「彼女ぉ?」

「こいつのことは無視でいい。それより生首の話だ」

 駐車場から店に戻る途中で、コンビニか何かに寄ったらしい。黒松がビニール袋をテーブルの上に置く。中からは酒と水と炭酸飲料が出てきた。あとつまみ。

 どうせ俺はいちばん最後なんだろと思って手を出さずにいたら、

「飲めや」

 缶チューハイを目の前に置かれた。

「ええ〜。水がいいですぅ〜」

「水は俺や。運転せなあかんからな」

「山田さん、炭酸と交換してください」

「俺は炭酸が大好きなの」

 なんて大人気ないヤクザたちなんだ。呆れてしまう。仕方なく汗をかき始めているアルミ缶を手に取り、ぐっとひと息呷る。

「飲めるんか」

「ホストのバイトしてましたんで。俺をそう簡単に潰せると思わないでくださいよ」

「自慢するようなことか」

 黒松は鼻で笑い、それよりこれの話やな、とジャケットの内ポケットから写真を数枚掴み出した。

 テーブルの上に投げ出された写真を見るなり、山田が鼻の上に皺を寄せる。覗き込んだヒサシは別にどうとも思わない。生首が写っている。

「首は、事務所に届けられたのか?」

「半世紀前の玄ならやっとったやろなあ。けど残念。これは、こいつの家にあった生首や」

「生首本人の家ってことっすか?」

 缶チューハイは一瞬で空になった。二本目に手を出しつつ口を挟んだら、ペットボトルの水を押し付けられた。あるんじゃん、俺の分の水。

「せや。本人の家や」

「東條組って家庭訪問するんすか?」

「するわけないやろボケ。──この生首の名前やけど──は売り物持って飛ぼうとしとったんや」

「覚醒剤ですか?」

「おまえ少し黙れ」

 うんざりした様子で山田が右腕をひらひらと振る。ではできるだけ早めに話を進めてほしい。このおじさんたちの会話はいちいち周りくどいのだ。

「まあ……おまえの言うとるようなもんやな」

「覚醒剤ですね!」

「でかい声出すな」

「最近の暴力団って覚醒剤解禁されたんですか?」

「されとるわけないやろ」

「暴力団って女とクスリには手を出さないのが売りなんですよね?」

「そのふたつ禁止されたら俺らどないして飯食うたらええねん」

「マンガの読みすぎ」

 東西のヤクザから口々にダメ出しをされてしまった。そんなことはヒサシだって分かっている。今のは単なる皮肉だ。伝わらなかったけど。

「この生首を最初に発見したのは?」

 山田が尋ねる。

「マルヤマを使うとった幹部や。カマタっていう」

「カマタさんね。会う必要はあるかな」

「どないやろな。本人が今は入院しとるからな」

「入院? なんで?」

 片手に持ったペットボトルで自らのこめかみをとんとんと叩いた黒松が、

「首見っけてからどうも……ここの調子があかんくなったみたいで」

 ちらりと山田を見たら、山田もヒサシを横目で見ていた。考えていることは同じらしい。

「生首を見た人は全員そんな風に?」

「いや。すぐ警察呼んで──ほんまは呼びたくないけどな、俺らみたいな商売しとると。でも六畳一間のアパートのど真ん中に首だけポツンと置いてあったら、呼ぶしかないやろ」

 警察の中にもげえげえ吐いとるやつがおってえらい騒ぎやったわ、と黒松は淡々と語る。浅黒い、角張った黒松の顔もどこか青褪めているように見える。彼も現場に足を運んだのだろう、とヒサシは想像する。そうして六畳一間のど真ん中に鎮座する生首を、見たのだ。

 三本目のチューハイの蓋を開けながらヒサシは尋ねる。

「首から下は?」

「それやねん」

 黒松がぐっと身を乗り出す。目が血走っている。

「ないんや。どんなに探しても出てけえへん」

「海にでも捨てたんじゃねえのか」

 山田が口を挟む。鼻の上の皺は相変わらずだが、写真を持ち上げ矯めつ眇めつしている。

「それならええんやけどな。警察も動いとるし、俺らも……せやけどまるで進展がない」

 海に捨てたのならそれでいいと思っている口調ではなかった。何かがあるのだ。

「俺にも見せて」

「おい」

 手を伸ばし、山田が持つ写真を奪った。大人しくしてろって言ったろ、と口調だけは厳しいが、そんなに怒っている雰囲気ではない。

 彼らは立ち往生しているのだ。

 気付くのに然程時間はかからなかった。

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