3話 市岡ヒサシ

 ちょっと大阪に行ってくる、と弁護士である兄に報告を入れたところ、理由をまったく問われなくて素直に傷付いた。少しは心配してほしい気持ちと、それどころではなく忙しい兄の代わりに兄の友人の見舞いに行ったばかりにこんなことになってしまったという逆ギレに近い気持ちが心の中に同居している。


「生首が出たってよ」


 昨日、いやもう今日、午前1時。純喫茶カズイの店主である逢坂一威おうさかかずいは短く告げて、それ以上のことを何も教えてくれなかった。大阪に行けば何があるというのだ。生首か。急に激しくなってきたなと内心思う。岩角遼に遠出の件を伝えた方がいいのかと思ったが、周囲の評価があまりに低いので一旦保留にする。代わりに、名刺を寄越した左腕のない男に連絡をした。左腕のない男のことは、純喫茶カズイの祖父と孫には伝えなかった。


 名刺には『山田徹やまだとおる』と書かれていて、偽名みたいな名前だなとヒサシは思った。


 名刺に載っていた電話番号に連絡をすると、当たり前だが本人が出た。

「俺大阪行くんすけど」

『生首の件か』

 話が早い。ということは今回の被害者もヤクザか。

『ちょうどいい。俺も行く』

 そういうことになった。


 品川駅で待ち合わせをした。ペラペラのナイロンのサコッシュにスマホと財布だけを入れて、膝丈のデニムに足元はサンダルのヒサシを見て山田は薄く笑った。

「コンビニ行くみたいな格好だな、おい」

「荷物は軽い方がいいっす」

「そんなもんかね」

 山田はといえば黒いスーツ姿に右手で小さなキャリーケースを引いており、左腕がない彼にはひどく不便そうに見えた。とはいえ手助けを申し出るのもなんだか違う気がして、ヒサシは黙ったままでいた。

「大阪っつっても広いですよね。どこに行きゃいいんです?」

「新大阪」

「新幹線代経費で落ちますか?」

「落ちない」

 落ちないから俺が買う、と山田は器用にスーツのふところから財布を取り出して、ふたり分の乗車券を買った。指定席だった。

「俺窓側座りたいんですけど」

「奇遇だな、俺もだ」

「若者に譲ってくれませんか?」

「もう30だろ。若くない」

「うう〜」

「それに俺はスポンサーだ」

「ううう〜」

 結局一言も言い返せないまま、山田が窓際、ヒサシは通路側の席に収まった。山田はさっさとイヤホンを付けて眠ってしまい、ヒサシは長い膝下を持て余したままもぞもぞと落ち着けずにいた。背が高いのも足が長いのも顔が良いのも長所ではあるが、こういう時に困る、特に足。

 車内販売の女性から弁当とお茶を買った。経費では落ちないと言われたが、これこれこういう値段のものを買って食べましたよと申告すれば山田はどうにかしてくれそうな気がする。岩角とは違って。いや別に岩角の金払いが悪いというわけではないが。四谷でのあの会談の際、彼は起きている問題を金で解決しようとしていたのだ。無茶だ。

 静岡と名古屋で無性に下車したくなった。京都に関しては諦めた。帰りに寄ろう。帰れたらいいな。

「山田さん俺駅弁食ったんすけど」

「そうか、良かったな」

「経費〜……」

「落ちないっつったろ。金使うなら俺が見てる時にしろ」

「先に言って!」

 新大阪で下車、キャリーケースを引きながら足早に行く山田の後を半ば駆け足で追う。自分より背の高い人間に会うのは久しぶりだった。2メートルぐらいあるのではないだろうか。左腕の欠損が、幸か不幸か彼のその長身から放たれる圧を半分ぐらいに減らしている。

「山田さんって本名っすか?」

「本名だよ。なんで」

「なんかあんまり山田さんっぽい顔してないから」

「何それ」

「なんかこう……グレイスフルみたいな顔をしている……」

「ごめん全然分からんグレイスフルってマンションの名前じゃねえの? 大丈夫かおまえ」

 軽口を交わしながら改札を出て、通路を進んだり曲がったり、階段を上がったり下りたり、気が付いたらロータリーにいた。タクシーにでも乗るのかと思ったが、違った。

「山田さん、お久しぶりぃ」

 派手なスカイブルーのクルマの窓から顔を覗かせた男が、こちらを見てにんまりと笑った。明らかな悪人の匂いがした。ここは悪人展覧会の会場なのか。うんざりする。もちろんその場合のには市岡ヒサシもカウントされている。悪人に食い尽くされないためには、自分も悪くいるしか手段がないのだ。

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