第11回 姫の偽物、胸は本物 激突!巨乳貧乳大決戦

 ルクスアンデルの王城は国がその名に定まる以前から幾度も拡張されて来た。当初はその敷地に大聖堂を擁していたが今では居城の一部と中庭になっている。部分的に残された礼拝堂も老朽化し閉鎖され久しい。今では中庭の装飾のひとつだ。

 昼下がり、不意に中庭に集う鳥が一斉に飛び立った。一拍を置いて岩を打つ音。礼拝堂が跳ねて落ち、土埃を噴く。壁が割れ飛び、押し倒れ、土色に煙る中に紫色の巨人が現れた。それはむううと胸筋を突き出し、ひと声吠えるや消え失せる。

「ここはどこだ」

 土埃に咽つつロゼールが瓦礫を跨いだ。

「うおー久しぶりの太陽」

 リリアーテが調子に乗って声を上げ埃に咳き込んだ。壁と柱をふわりと越えてハルタが中庭を見渡した。忠犬か介添えのようにクロエが後ろに寄り添っている。

「こんな奥に繋がってるなんてなー。ほらボクの部屋はずっとあっちの方だ」

 リリアーテが中庭の先の壮麗な三階建てを指差して見せる。庭の端々、建屋の窓に悲鳴が上がり衛兵を呼ぶ声がした。三人は辺りを見渡して顔を見合わせる。

「王女の帰還だってのに不遜じゃね?」

 リリアーテが口を尖らせた。

「あら残念、宮殿で優雅にお茶って訳にはいかないのね」

 ハルタが呑気に小首を傾げる。リリアーテは振り返って頬を膨らませた。

「待ってて、茶室を建てさせるから」

 四人が中庭を歩き出すと遠巻きに人が集まって来た。所々で白薔薇の君ホワイトローズだ、逆賊だと囁きが聞こえる。儀仗兵と思しき制服が押し出されるも、ロゼールを見るや真っ蒼になって槍警護兵を呼び集めた。奥から討伐軍を呼べと声がする。

 ロゼールが口許をへの字に曲げてリリアーテを振り返った。

「歯向かう奴は斬っていいか」

「賞恤金が大変だからやめて」

 見ろ殿下だ。いやあの胸を見ろ偽者だ。

「魂を砕いてヨシ」

 リリアーテがふんと鼻を鳴らした。

「のんびりと対決とはいかないようだ」

 クロエが中庭の先に目を眇める。

 王女の私室にせよ、王の謁見室にせよ、まだそこそこの距離があり、城の衛兵はどんどん数を増して行く。リリアーテは公衆を前に王女対決で芝居がかった大逆転勝利を画策していたのだが、どうやらこの状況ではそこまで持ち込めそうにない。

「ハルタ、あの獅子は出せる?」

 ロゼールがハルタに訊ねた。

 クロエがはたと手を打った。白薔薇の君ホワイトローズ復活の件で聞いた魔神の化身だ。ロゼールは巨大な獅子に跨って会場を蹂躙し観客に声援を強要したという。居城の大きさを鑑みれば人を背に乗せるほどの巨大な獅子も十分に通れる広さがある。

「何ですってここは私の出番では?」

 不意にハルタの聖杖からぬっと馬の首が突き出した。

「ひい」

 間近のクロエが悲鳴を上げる。ロゼールが馬の鼻面を殴った(※魔神です)。

「変態馬は黙ってろ」

「暴力、圧倒的な暴力」

 ハルタが杖を取って振る。

「人使いが荒いわねえ」

 中庭の方々で悲鳴が上がる。唐突に肢のひとつが人ほどもある巨大な獅子が現れたのだから当然だ。逃げ出す者、覗き見ようとする者が団子になって混乱する。

「おおうスゲエ」

 怖いもの知らずのリリアーテが歓声を上げて獅子の背に這い上がる。その後ろにロゼールが、ハルタを挿んでクロエが乗って落ちないように抱えた。

「よし行け獅子丸あっちだ」

 獅子丸って何だ。突っ込もうとしたロゼールは舌を噛みそうになって口を閉じた。腰の下で獅子の筋肉がうねる。突き飛ばすような風に逆らい身を屈めた。

 駆け付けた衛兵が建物から飛び出し、真正面に迫る獅子を見て悲鳴を上げた。

「おうおうおう我の偽物は何処か。与したものは容赦せぬぞ」

 リリアーテが声を張り上げて中庭を横切る。ここに至って城中が混乱した。

「あそこだ」

 ロゼールが建物を見上げて声を上げた。突端の三階、大きな窓から何事かと中庭を見下ろすヴェールの偽王女を見つけたのだ。あれは確かにリリアーテの私室だ。

 ロゼールはようやく発端に戻った気がした。三階の直下に巨大な落とし穴を造り付ける動機はよく分からないが、古い建屋の諸事情と流すところなのだろう。

 衛兵が集まって大扉を閉じようとするも獅子は扉ごと潰して廊下に踏み込んだ。そのまま回廊を疾駆する。逃げ損ねた衛兵を撥ね散らかして階段を駆け上がる。

 王女の私室に続く廊下は衛兵で埋まっていた。獅子を見上げて殿下、殿下と囁きが走るも衛兵は混乱して互いに顔を見合わせる。リリアーテが痺れを切らした。

「ええいボクに手向かう者は全員降格して地方勤務だ。ブルクセンで温泉を掘れ」

 衛兵がひいっと声を上げ奥の部屋まで道が割れた。獅子は廊下を走り抜け、私室の扉を踏み倒した。煽られた風が室内に吹き荒れ色取り取りの装飾を巻き上げる。

 はい到着とハルタが杖を振った。獅子が黒塵に消え失せ皆が戸口に飛び降りる。

 縁ごと扉の割れ飛んだ部屋でクロエはハルタを横抱きに抱えている。呆れた半眼のロゼールの視線に気付くと、クロエはそそくさとハルタを床に降ろした。

 部屋の中ほどに二人の近衛兵を従えた黒いヴェールの王女が立ち尽くしていた。

 ヴェールに目を向け偽王女の顔を確かめようとしたロゼールだが、その大きな胸に目線が吸い寄せられて動かない。幾度も試み術だと気が付いた。これは魔物だ。

「リリアーテ、あれだ」

 囁くロゼールにリリアーテが頷き、扉近くに隠された仕掛けの紐を引いた。床に奈落の口が開く。偽王女と近衛が縺れて落ちた。悲鳴の尾が引き遠ざかって行く。

 思いきや、ぷつりと途絶えた。穴の底から壁を穿つ音が凄まじい速さで駆け登って来る。二つに割れた巨大な蹄が縁に掛かった。ぬっと突き出したのは駱駝の首だ。竜がのたうつように長い頚を振りながら巨大な駱駝が落とし穴を這い上がる。

「何であれとボクを見間違えるかな」

 真上まで首を傾けリリアーテが呟いた。天井に閊えるほどの巨大な駱駝だった。その背の瘤の代わりに突き出していたのはヴェールを付けた偽女王の半身だ。

 延々と続くげっぷのような鳴き声を上げ、長い頚を振った。部屋中所構わず涎が飛び散る。ぎゃあと声を上げて三人が避けた。クロエはハルタを抱えて逃げる。

 駱駝の魔神が三人を跨ぎ越した。異様に膨れた複数の乳が頭上を通り過ぎる。

 部屋を駆け出た駱駝は頚のひと振りで戸口に集まる衛兵を蹴散らした。走って逃げる廊下の先に衛兵の悲鳴が順に続いて行く。

 ロゼールたちが魔神を追って駆け出した。

「全軍通達、あの魔神を逃がすな」

 リリアーテが走りながら声を上げる。気遣いや質問を号令で押し潰した。

「城から出すな、聖伐隊を前面に出せ、通常攻撃は効かぬと心得よ」

 皆が悲鳴と破壊の音を追い掛ける。相手もこちらも形振り構わない状況だった。

 硝子の砕ける音がした。少しの間を置いて遠くに悲鳴が飛び交う。突き当たったのは砕けたバルコニーだった。駆け寄り見おろせば駱駝は地上を蹂躙している。

「下だ、下だ、あれを絶対街に出すな」

 ロゼールが叫ぶと衛兵の一群はそれが件の元凶であることも忘れて階下に駆け下りて行く。クロエが皆を促して駱駝の向かおうとする先を目線で示した。

 大聖堂だ。

「大司教と合流する気か」

「てか、あっちで魔神をどうにかされたら解ける誤解も解けなくなるんじゃね?」

 瘤の代わりにヴェールの偽王女を付けた駱駝は玩具の人形を蹴り倒すように衛兵を嬲る。ぶええええと鳴いて涎を飛ばしては戯れに人間を食い散らかしていた。

「あれをどうにかできるか?」

 神罰器バニッシャーを備えた聖騎士団の招集には時間が掛かる。しかもその一角である純潔騎士団は謹慎中だった。王城防衛の衛兵たちではむざむざと駱駝に餌をやるだけだ。

「こうなったらあれを使うしかないわね」

 ハルタが嬉々として囁いた。

「絶対にいやだ」

「駄目だ許さん」

 ロゼールと純潔の誓約が二人してハルタに噛み付いた。

「どうして駄目なのさ」

 リリアーテが怪訝そうに口を尖らせる。そんなことを言っている場合かと言いつつ必殺技ぽいものが羨ましい。ロゼールは真っ赤になって唸るとハルタを向こうにぐいと押し遣り、リリアーテとクロエの頭をがっしりと抱え込んで耳打ちした。

「え、うそ」

「そんなに」

 がばっと身を起こし三人揃って額の汗を拭う。耳まで真っ赤になっていた。

「確かに人前でそれはとんでもねえな」

「だがここは耐えるしかないのでは」

「無責任なことを言うな、嫁に行けなくなったらどうする」

 地上の悲鳴は絶えず駱駝は嘲るように鳴きながら大聖堂に向いて被害を拡げる。

「このまま手を拱いていては乙女が廃るぜ」

 リリアーテはロゼールに決断を迫った。人ごとだと思ってとロゼールが睨む。

「心配すんなボクたちも一緒に行く」

「下着の替えは任せろ」

 髪を掻き毟ってあああと声を上げ、ロゼールは唐突に純潔の誓約を掴まえた。

「あっちに行ったらとどうなるか分からない。もしもの時は止めてくれ」

「最初から行きっぱなしだ。やめろ馬鹿者」

 純潔の誓約は顔を真っ赤にしてうううと唸りハルタを振り返って涙目で睨んだ。

「おまえ、責任を取れ」

 言い捨てるとロゼールの胸元に飛び込んだ。

 ロゼールがクロエとリリアーテを睨む。二人はわざとらしく耳を塞いで見せた。

「契約の御名にて我に力を」

 捨て鉢になったロゼールが呟く。

「ち、」

 ハルタの悦に入った視線に気付いて思わず目を反らした。

「ちんちんたちのすけ?」

「ち?」

「ち?」

 クロエとリリアーテが何だそれと顔を見合わせた。

 追い詰められてとち狂ったか。二人がロゼールを振り返る。吹き付けた横殴りの突風に思わず身を庇った。二人が顔を上げるとロゼールはすでに消えている。

 驚いてバルコニーに目を遣るとロゼールが三階の窓から跳んでいた。地上の駱駝に真っ直ぐな軌跡を描き、そのまま黄金の翼エルドールで黒いヴェールの頭を刈り取った。

 駱駝が喉を震わせ絶叫する。身を捻ったロゼールは何事もなく地上に降り立ち、空から降った偽女王の首を追って瓜のように踏み割った。その目許には背筋を鑢で擦り上げるような濡れた嗜虐の笑みがある。駱駝が悲鳴を上げて逃げ出した。

 駱駝は大聖堂に向かって走って行く。瘤の頭は本体ではなかったらしい。

 黒刃を担いだロゼールが笑いながら駱駝を追った。巨大な駱駝の歩幅と速度に悠々と付いて行く。駱駝が跳ねて屋根に飛び登るもロゼールも追って空を駆けた。

 嬲るような斬撃が駱駝の身体を削り取るった。恐怖に駆られた駱駝の太い鳴き声が延々と尾を引いた。それに混じってロゼールの華やいだ笑い声が聞こえて来る。

 ぽかんと口を開けたままクロエとリリアーテはその様を見つめていた。ロゼールは聖騎士も人の域も超えていた。ハルタに魔神を付けられたときより遥かに自身が魔神に近い。ハルタが肩越しに外の様子を覗き込むと二人はようやく我に返った。

「拙い、パンツが丸見えだ」

 クロエが呟いた。ただでも短いロゼールのスカートが大変なことになっている。

 二人は慌ててハルタを急かして魔神の獅子を呼び出させた。バルコニーから身を躍らせようとするのを押し留め、リリアーテの私室に取って返す。衣装棚を蹴破って、そのまま外に飛び出した。三階の窓から色取り取りの布切れが散って行く。

 子の背から落ちそうになるリリアーテに手を伸ばし、クロエはハルタ越しに身体を抱えた。獅子は手近の屋根を跳ねながら駝鳥とロゼールを追い掛ける。

「あそこだ」

 駱駝とロゼールを見つけてリリアーテが叫んだ。クロエに掴まれているのを良いことにリリアーテは獅子の上から思い切り身を乗り出す。クロエはハルタのマフラーに埋もれて前が見えない。息苦しさと嬉しさで意識が飛びそうになっている。

 大聖堂の屋根の上に巨大な獣と少女が対峙していた。長い頚をうねらせ太い四肢を振るう駱駝にロゼールは真正面からそれを打ち払う。竜殺しも斯くやの光景だ。

 尖塔に見え隠れするその位置は身廊と翼廊の交差部、装飾窓の嵌った円天蓋だ。リリアーテは獅子の足掛かりを探すも高低差が激しく登り口が見当たらない。

「玄関廊の方から車寄せを台にして、」

 リリアーテが言い掛け慌てて獅子を戻した。入り口を騎士団が封鎖している。

「中から上って屋根に出よう」

 獅子を蹴り翼廊の扉に突撃を命じた。リリアーテの無頼と調子が合うのか獅子もすっかり調子に乗って勢い大扉を踏み破る。そのまま磨かれた床の上を滑った。

 リリアーテが階段を捜して獅子の背を飛び降り、クロエもハルタを抱いて続く。

 見上げた中央の大円蓋に大きな四つ肢の影が跳ねた。小さな影が翻弄している。

「こっちだ」

 クロエが階段を見つけて指差した。リリアーテが踵を返しクロエに向かって駆け戻る。塵と埃が霧のように降る中、ハルタはぼんやりと大円蓋を見上げていた。

 ロゼールの影が駱駝に交差し屋根を踏み締める後肢を刈り飛ばした。巨体が揺らいだかと思うと影はみるみる窓を覆う。弾ぜるように色付硝子を粉砕した。

 色取り取りの硝子片が陽光に煌めいた。絡み付く黒塵が散って行く。階段口のクロエとリリアーテが振り返るとハルタはその真下に立って両手を天に翳していた。

 ロゼールの身体を抱き止める。まるで初めからそこに降ると知っていたかのように僅かな迷いもなかった。同時に落ちた黄金の翼エルドールがハルタの間近に突き立った。

 砕けた色付硝子が一面に降り注ぎ夕立のように床石を叩く。幾千と重なる破砕音が大聖堂に鳴り響いた。クロエとリリアーテは呆然とその情景に見入っていた。

 半ば意識の飛んだロゼールは無意識にハルタにしがみつき何度も身体を引き攣らせた。胸元から顔を出した純潔の制約が真っ赤になってハルタを睨み付ける。

「見るな、馬鹿者」

「はいはい。アナタもよく頑張ったわね」

 破片を警戒して頭を庇いながらクロエとリリアーテが走り寄る。踵の下の硝子が霜のようにざくざくと音を立てた。ロゼールを抱いたハルタが二人を振り返る。

 不意に複数の破裂音が響いたかと思うとハルタの背に掛けた聖杖が二つに折れた。継ぎ手に巻いた布地が辛うじて切れ残り柄頭がぶらんと背中に垂れ下がる。

 クロエとリリアーテが剣を抜いて滑り込んだ。二人を背に庇って身構える。

 玄関の大扉を振り返ると神罰器バニッシャーを構えた神官銃士が整然と並んでいた。身廊を端まで横一列に連なって塵ひとつ漏らさぬ勢いで進んで来る。その手の神罰器バニッシャーは実体詔弾の薬式銃器だ。神官兵の装備にしては血なまぐさい代物だった。

 リリアーテが歯噛みする。あれは地下の回廊で襲って来たのと同じ輩だ。

 その隊列の中ほどからぷっくりした生白い指が突き出した。隊列の隙間をこじ開け丸く膨れた祭服が転び出る。予想していたものの二人はその顔に舌打ちした。

 六代神官サロモン・ジスカール大司教はずれた司教冠を被り直すと、呆然と竦む四人を忌々し気に睨め付けた。聖杖を高く翳し、大聖堂を埋めた神官兵に命じる。

「神の御名にて、神の御名にて。逆賊を討伐せよ」

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