第10回 在室中!地下迷宮の謎

 城を目指して勇み立つ一行だったが実は地上はまだ遠かった。

 扉を開けるとそこは硝子と真鍮の林立する奇妙な部屋だ。正確には打ち捨てられた祭壇跡の奥の扉は道が階下に続いており、そこに至るほかなかったのである。

 階段が下に伸びている時点で皆も内心は嫌な予感がしていたのだ。ちょうどロゼールが神器を求めて侵入した大聖堂地下の宝物庫に相当するほどの距離があった。

 しかも部屋はそれより広く遥かに混み入っていた。階段を下りた分だけ天井が高く、四方に灯る魔術の燈が室内を煌々と照らしている。

 多種の魔道具と思しき機材が所狭しと辺りに並び、壁と床には木の根蔦草の如く管が這っていた。部屋の奥には炉と思しき巨大な石の室まで据え付けられている。

 ここは出口どころか奇怪な実験室だ。魔術的な鋳造設備に他ならない。地上の王宮に続く回廊を期待していた皆は、しばし戸口に立ち尽くしていた。

「随分と心くすぐられるお部屋ね」

 ハルタはひとり楽しそうにふわふわと辺りを眺めて回っている。

「こんなのが?」

 ロゼールが顔を顰めた。

「あら男の子ならみんなそうよ」

「フロルくんも男の子かー」

 今さらながら気づいたようにリリアーテがハルタの間近に寄って顔を見上げる。

「フロルケインだ」

 リリアーテを引き剥がしてクロエは訂正した。すっかりハルタの警護役だ。

「ハルタでいいだろう」

 邪神の使徒だぞ、慣れ合うな。

 今さら呼び方を変えられないロゼールが口を尖らせる。ハルタの外見に惑わされているようだが関わればきっと恥ずかしくていやらしい目に合う。

「好きに呼びなさいな」

 ハルタは喉で笑いつつ、奥の机の向こう側に目を眇めた。

 視線に気付いたクロエが皆に向かって微かに目配せをする。机の縁にこそこそと距離を取ろうとする足が覗いていた。

 リリアーテが行く手に先回りして机を覗き込む。足は素早く方向を変えるも、そこにはクロエが待ち構えていた。無造作に手を伸ばしむんずと足を捕まえる。

「きゃーっ」

 見目に反して可愛らしい悲鳴を上げ、クロエはそれを投げ捨てた。何事かと思いながらも追ったロゼールは黄金の翼エルドールで叩き落とす。がさがさと虫のように這逃げようとするそれを床に踏み付ける。

「うわあ」

 裾から覗いたロゼールの太ももにぶわっと鳥肌立った。

 それは足の生えた顔だった。人間めいた獅子の頭に日輪の戯画の如く五本の生白い脚が生え伸びている。ロゼールも悲鳴を上げて剣を振り上げた。

「まって、やめて、ワシ何もしておらんし」

「黙れ喋るな変態魔神は殺す」

 ロゼールはにべもない。黒刃をずぶりと額に突き立てる。

「怖い、目が怖い」

 魔神はロゼールを見上げてきいきい鳴いた。喋りつつ脚が蠢くのが気持ち悪い。

「マジでは人に害は為さんし。むしろ役に立つし。何なら願いを叶えてやるし」

「甘言を弄するな」

 ぬっとクロエが覗き込んだ。先の悲鳴の反動かいつもに増してむっつりと口許を結んでいる。クロエの双丘に陰る魔神が引き攣った笑みを浮かべて抗弁した。

「いやいや本当。本当よ。なのにいっつも利用されて弄ばれて捨てられるのよ」

「誰がこんなのを弄ぶのさ」

 二人の隙間にリリアーテが顔を出した。

「人間っていつもそう」

 不貞腐れた魔神にロゼールが剣先をぐいと突き入た。

「いやいやいやいや。本当。本当に役に立ってるし。そもそもお嬢ちゃんのこれ、これよ、神罰器バニッシャーを造ったのもワシよ。脅されて他にもいろいろ造ったし」

 これって問答無用じゃね? と三人は目線を交わすも若干の興味が生じた。

 大聖堂が管理する神器のひとつ神罰原器プロトバニッシャーの機能を模して製造されたのが神罰器バニッシャーだ。神代の終わり、民権神授と王権契約の黎明に四九六器が製造され、人界統治の戦乱で三割近くが失われたという。現存するのはルクスアンデルの三七二器だけだ。

「でもそれって昔の話じゃん」

「昔も昔だな」

 神罰原器プロトバニッシャーの複製技術は奇跡によってもたらされ、その誕生と同時に神の手で焼尽されたとも伝えられている。

「そうよワシ神代からこっち、ここから出ておらんし。ていうか出たら封印されるから出たくないし。むしろ嬢ちゃんたちにも早く出て行って欲しいし」

「めっちゃ引き篭もってるぞこいつ」

「そうよ。そうよ。にわかのお馬鹿連中とは年季が違うの」

「ここから出たことがない癖に、どうして魔神の復活を知っている」

 ロゼールがぐいと踵に力を籠めた。失態に気付いた魔神が汗を噴いた。

「それは、その、嬢ちゃんたちみたいにここに押し入った人間が」

「何者だ」

 クロエに問われて魔神が口を尖らせる。

「人の名など知らんし。他人に興味はないし」

 ぐい。

「あああ、そう、聖堂の主だと言っておったし」

「大司教か」

 三人は顔を見合わせた。見おろす魔神に身を屈め、いっそう間近に詰め寄った。

「そいつはここで何をした」

「ワ、ワシの邪魔をしよるから追い出したし」

「追い出した?」

「いや、その、出て行ってとお願いしたし」

「それで素直に出て行ったのか」

「指輪をやったらすごすごと出て行きおったし」

 魔神が虚勢を張る。目線は逸らすが思い切り鼻孔を開いて息を吸う。

「それって脅し取られたのでは」

 クロエが呟いた。

「指輪って?」

「早漏紋の模造品を」

「え、ちょっと何。それって変なやつ?」

 訊ねておいてリリアーテがいやあんと微妙な顔をする。

「変って何じゃ。ワシらを従えるすごい神器ぞ」

 ロゼールは眉を顰めた。聞き覚えがある。それどころ間近に知っている。

「外なる神より精気を搾り従属賢者として使役する忌々しい指輪ぞ」

 やはりそうだ。

「そんな危険な物を渡したのか」

 自慢げに語る魔神がクロエに凄まれた。小さな声で煽るようにひいいと呻く。

「いえ、なに、模造品ゆえ使役できる数は少ないですし」

 口調は控えめだが澄ましたように自慢げだ。からかうような響きさえあった。

「しかも儂には効かんように造っておるし」

 リリアーテが思わず魔神の顔を踏み付けた。ぐいぎと踵を踏み躙る。

「あああいや、あいや」

 大司教がそれを望んだのは各所で復活した魔神を抑えるためだろうか、それとも。思案するロゼールにちらりと目を遣って魔神がべらべらと喋り出した。

「そもそも地霊に堕として搾取した外なる神が放たれたのは人間の所為だし?」

「どういう意味だ」

「聞き捨てならん」

「人間の所為とは何だコラ」

 三人の少女にぎりぎりと踏み締められ、魔神はひいいと悲鳴を上げた。獅子の鼻が大きく膨れ上がり鞴のように息を荒くしている。全身を赤黒く染めて頭の周りの脚をひくひくと蠢かせるさまに、さすがの三人も少し引いた。さっきから何なのこいつ?

 少し踵を緩めるや魔神は前のめりに顔を押し付けた。訊かずとも語り出す。

「そうよ、人が神の威を騙り争いを起こさんとした折、人類共通の敵として魔物の類が湧き出す仕組み。その名も御手軽紛争抑止装置マーズアタック。紛争の規模で魔物は強くなるけど、七二柱が解放されたなら相当のって、あれ? ということはワシが外に出ても封印されない?」

 魔神はとんでもないことを言い出したうえ最後は小声で自問自答し始めた。

「それが魔神の現れた原因だと?」

 ロゼールが切っ先をぐいと押すと魔神はそれ以上剣が刺さらないよう額を強張らせたまま必死に下顎で頷いた。ことの信憑性はともかく表情は真剣だ。

「それって私がその杖を折ったせいだって言ってなかったか?」

 ロゼールは不意に背中のハルタを振り返った。

「お尻でね」

 ハルタが肩を竦める。背中に掛けた聖杖はずっと当て布で継いだままだ。

「お尻は関係ない。騙したなハルタ」

「お尻で?」

 魔神が反応する。怪訝そうな魔神を流してロゼールはハルタを睨んだ。

「あら、関係なくはないのよ? これが折れなかったら、アナタがいちいち魔神を倒さなくても掴まえられるんですもの」

 ロゼールがうっと言葉に詰まる。リリアーテは小首を傾げて杖頭を指差した。

「それってさ、そこについてるのが本物の、その、ナントカの指輪ってこと?」

「ねえ待って、ちょっと待って」

 魔神が急に不安気な声を上げた。自分を無視して話が進むせいか、踵が軽くなったせいか、ともかく三人の少女の隙間を覗き込んで目線を彷徨わせている。

「あの、そこに誰かいるの?」

 ハルタはロゼールのすぐ後ろに立っていた。緋色のマフラーで口許を隠しいつもの目で魔神を見おろしていた。だが虚ろな獅子の目は見当違いの方を捜している。

「フロルくんが見えてないの?」

「フロルケインだ」

「ハルタでいい」

 魔神にはハルタがよく見えない。幾つかの戦いでロゼールはそれを経験していた。傾国過激団のシトリなどは何か匂いを感じていたようだが。

 ロゼールは首を後ろに反らし、こっそりハルタに鼻を近づけてみた。ふと隣のクロエと目が合って凍り付く。クロエは微妙な顔をした。

「いや、違うから、匂いが、その」

「うん」

 しどろもどろのロゼールにクロエが皆まで言うなという顔をする。違うから。

「だって名前がないんですもの、見えないのは仕方がないわね」

 ハルタは平然と言うが魔神はますます不安気だ。名を喪った神は存在そのものがあやふやで、それが代理神官のハルタにも及んでいるということだろうか。

「それよりさ、おまえ本当に大司教に指輪を渡しただけか?」

 そのまま現実から逃げようとする魔神にリリアーテが向き直った。

「おまえが大司教を操ってるんじゃないだろうな?」

 そう問い魔神の鼻面をぎりぎりと踏み付ける。

「あっあ」

 魔神の鼻孔がぶすっと膨らんだ。真っ赤になって頭を振る。

「ワ、ワシは何もしておらんし。人間が己の欲で動いておるだけだし」

「本当に何もしていないと?」

 魔神の目が泳いだ。

「本当に?」

 そう重ねて問うクロエの手はいつの間にかこれ見よがしに乗馬鞭を弄んでいる。

「ちょっとだけ唆したかも」

「はい有罪」

「あああ」

 身を乗り出して詰め寄る三人の少女に魔神はあわあわと目を走らせた。ロゼール、リリアーテの剥き出しの脚の付け根やクロエの胸を凝視する。鼻孔は少女の香りを余さず吸い込もうと広がり、口の端で涎が白い泡になって零れ出した。

「あっこいつ」

 リリアーテが気付いて思い切り蹴り飛ばした。ひいと魔神が悲鳴を上げると口からでろんと舌が垂れ下がる。ロゼールの背中にぞわりと怖気が駆け上がった。

「しまった。こいつ大司教と同じだ」

「殺れロゼール」

 クロエの声に頷いてロゼールは魔神に黄金の翼エルドールを振り下ろした。

「神罰、覿面」

「え、もうちょ」

 思い切り舌先を突き出したまま魔神は真っ二つに割れて黒塵と散った。

「恐ろしい敵だったぜ」

 スカートの裾を引きながらリリアーテが呟いた。

「アナタたちもたいがいだわ。これってご褒美とクレームのぎりぎりよ?」

 誰に言うともなくハルタは呆れたように呟いた。

「どんな手を使っても欲を満たすのが魔神なの。気を付けることねアナタたち」

「だったら止めろ」

 ロゼールが口を尖らせる。

「じゃあ魔物だの魔神だのが出るのが人の所為だっていうのは嘘なの?」

 リリアーテがハルタを振り返る。

「それは本当」

 信用はさて置き教会の教えにない神々の仕組みについてハルタ以上に詳しい者もこの場にいない。ただそれを訊くこと自体が神の意に反するのも確かだ。

「こういうのって、大概人間が元凶って相場が決まっているの」

 神官らしく達観したことを言うものの、ハルタは微妙に俗な解説を加えた。

「神さまは俗事不介入よ。問題は人間同士が解決するしかないわけ。アナタたちに神さまの都合大人の事情を言っても納得できないでしょうけれど」

「えーでも魔神が出て来るのはその仕組みのせいって話じゃないか」

 リリアーテが口を尖らせる。

「姑息な手なのは確かよね。あくまで人間同士が争ってる場合じゃないって仕向けるだけだもの。気を逸らせるだけなんて根本的な解決じゃないわね」

「そんなもんかなー」

 言い方に難はあれロゼールにはハルタの説明が不思議と道理に反していないように思えた。神の試練として教えられて来たことと根本的には同じだからだ。もしかしたらそう思うことがすでに邪神に毒されているのかも知れないが。

 無慈悲に見えてもそれが民権神授の原則だと師匠は言った。アラサークのような厳格な神が御座すのも神が人に自ら律することを期待しているからに他ならない。

 リリアーテはむうと唸って腕を組んだ。

「じゃあ、とりま大司教を吊るし上げるか」

 あっさり物騒な結論に達した。あるいは悩むのを放棄したのか。

「向こうには偽物の王女がいる。大司教とも無関係のはずがない」

 クロエがそう指摘するとリリアーテは顔を顰めて頷いた。

「残念ながらお父さまもだな。何かの術で操ってるのか、ナントカの指輪で脅迫しているのか分からないけどさ」

「まずはリリアーテが本物の王女であることを証明するのが先だな」

 ロゼールが目標を掲げると、ハルタはリリアーテに一瞥を投げて口を挟んだ。

「あら、この子は家出がしたいんでしょう? それなら王女なんか偽物に任せちゃった方が良いんじゃないの?」

「馬鹿なことを言うな。リリアーテには王女としての役目があるのだ」

 ロゼールが激昂するもハルタはきょとんと涼しい顔をしている。

「それは生んだ者の権利であって生まれた者の義務じゃないわね」

「何がどう違うと言うのだ」

 煙に巻く気かと警戒してロゼールが頬を膨らませる。

「闘おうと逃げようと自分が決めなきゃ身体は付いて来ないものよ?」

 ハルタは答えてロゼールに微笑んで見せた。

「アナタが今ここにいるのもアナタが自分でそれを選んだからでしょう」

「それは、成り行きだ」

 ロゼールがうぐぐとなる隙にハルタはさり気にその手を取って間近に覗き込む。

「ねえロゼール、アナタはあの時アタシを斬ってもよかったの。でもアナタはこの道を選んだ。だからアタシは助けてあげる。棄教のためだって構わないわ。愛し子が選んだことを止めたりしない。アタシはアナタの神の代理神官なんだから」

 ロゼールはみるみる真っ赤に茹で上がりハルタの瞳にあうあうと口籠った。

「ええい不埒なことを考えるな愚か者」

 純潔の誓約が飛んで来てロゼールの額に蹴りを入れた。ロゼールの頸がかくんと折れて顔が上を向く。純潔の誓約はハルタを振り返って噛み付いた。

「だったら、こいつをさっさと邪神教から破門しろ」

「それはヤダ」

 そんな二人半の遣り取りをクロエとリリアーテは呆れて眺めた。ちょろいぞロゼール。よく今まで純潔の誓約が無事だったな。そう思いつつ、そわそわする。

 ロゼールが少し羨ましかったからだ。

「それでもボクは偽者を倒して国を取り戻すよ。勝手に取られるのは嫌だから」

 リリアーテはそう宣言した。

「確かにこのままでは寝覚めが悪い」

 クロエも頷く。

「まあ、なんて面倒な子どもたち」

 ハルタはやれやれといわんばかりに目許を顰めて溜息を吐いた。マフラーに隠れた口許は楽しそうに微笑んでいた。

「当たり前だ。我らがそう簡単に邪神の甘言に乗るものか」

 立ち直ったロゼールが胸を張る。

 クロエとリリアーテはあえて突っ込みを思い留まった。

「まあいいわ。苦労が見合わないと思ったらさっさと辞めてうちに来なさいな。良いお店を紹介してあげるから」

 ハルタは言ってぱんぱんと手を叩いた。それじゃさっさと出口を探しなさいなと皆を追い立てる。はーいと声を上げて三人は辺りを見渡した。

「良いお店って、ブルクセンの田舎の茸屋じゃないか」

 壁を伝いに出口を探しながらロゼールが口を尖らせる。

「茸屋って何?」

「メグちゃんって頼もしい店員さんがいてね」

 クロエとリリアーテが話し掛け辺りは一層賑やかになった。

 三人を眺めて肩を竦めると、ハルタは真鍮と硝子の森を歩いて回った。


 扉はすぐに見つかった。下り以上に地上に近づく階段が伸びていた。引き篭もりの魔神にしては封もない。思えば朽ちた祭壇から続く階段にも鍵はなかった。

 闖入者を嫌う魔神にしては不用心だが、それにも当然の理由はあった。確かにこの部屋を抜ければ王城は近いのだが、そう簡単には問屋が卸さなかったのである。


 *****


 上の広間から妖し気な気配が漂って来る。鼻息と咳が混じったような音、首を絞められたような声、中途半端な化鳥の叫びが一定のリズムに乗って響いている。

 鍵はなくても入れない。侵入者を外に出すつもりもない。確かにこれなら叶うだろう。地下の隠し部屋を行き来しようにも、その先には魔物が徘徊しているのだ。

 かくかくと半身を揺らしながら歩き回る巨人が四体。人から奪ったと思しき装飾品を鈴生りに縫い付け、じゃらじゃらと音を立てている。頭は紋章の入った布に半分が覆われ剥き出しなのは口だけだ。そこからぶくぶくと変な音を出している。

 そして奥にもう一体、羽根の付いた三角帽子を被る獣のような魔物がいた。他よりひと回り巨大な身体、それを覆う僅かな布は子供の服を無理やり着込んだように寸足らずだ。弓や山刀、皮剥ぎナイフなど剣呑な獲物を身体中にぶら下げている。

 おそらく王宮側の通行止めに大司教に配置された魔物だろう。魔神とその配下といったところか。趣味の悪さに引くものの、変態と呼ぶほど奇異でもない。服を着ているだけまだましだ。この場を避ける路はないが、皆にも避ける気はなかった。

 ロゼール、クロエ、リリアーテの三人は剣を抜き放ち、魔物たちに身を晒した。

「ちぇけら」

「よーよー」

 巨人が奇妙な声を上げ痙攣したような動作でリズムを取りながら近づいて来る。

「かなり認識が歪んでるわねえ」

 ハルタが背中で嘆息を吐いた。魔物の出自に関わる話だろうか。

 口だけの魔物が皆の前に並んで立ち塞がった。不意に一体がロゼールの前に進み出る。何の儀式か片手を口許に置き、もう一方はひらひらと奇怪な振りを見せた。


 ここは地の霊域 人は死の道行

 立ち向かうその眼 じき並ぶ葬送

 足掻くのは無駄 明けを見ぬ空

 伏して捧げその身 太め脚が好み

 人は皆駒 神仰ぐ狛

 愚神 慢心

 封神 灰塵

 力得て我ら荒巻き 神鳴る永遠の回帰


 魔物はにやりと笑って口許の手をロゼールに突き付ける。ロゼールはその手をじっと見て唐突に黄金の翼エルドールを振り被った。得意げな魔物の頭を真っ二つに叩き割る。

 後ろの三体がえ、うそみたいな顔をした。

「それでいいのか」

「ロゼール歌下手だもんね」

「うるさい敵に聴かせる歌などない」

「ぶー」

 三体の魔物が唇を震わせた。親指を下に向けるやロゼール、クロエ、リリアーテに襲い掛かる。油断したつもりはなかったが三人は押された。後ろに控えた魔神の手下と思って挑めば、いつもの屍鬼グールとは比べ物にならない速さと膂力だった。

 どうやらこれら全てが魔神、あるいは魔神とその眷属に違いない。

「こいつら意外と面倒くさい」

 リリアーテが悲鳴を上げた。

 徒手空拳と思いきや切っ先が通らない。しかも魔神の四肢は人にない方向に捩じれて繰り出される。なまじ人型をしているだけに間接の挙動を意識した。動きに惑わされ対応が後手になる。まるで人の身体の制約がないルクスアンデル舞闘術だ。

 リリアーテは打ち合いの末に魔神を斬り飛ばすも決定打にはならなかった。クロエと巧みに入れ替わり、エトワールソレイユに次弾を籠める。だが詔弾の残りは数えるほどしか残っていない。

 すでに詔弾のないクロエは剣技で魔神に対峙している。倒し切れないのは承知で一柱を引き受けつつ二人に排莢と装填の隙間を設ける役回りに徹していた。

 ところがロゼールの装填の隙に最奥からの矢の一撃が来た。気配で弾いたものの危うく頭を飛ばされかけた。黄金の翼エルドールに籠め損ねた詔弾が床に転がって行く。

 三角帽子の後方支援だ。この上あれが本格的に参戦したら撤退も止むを得ない。

「観念して聖名を唱えなさいな」

 ロゼールの背中にハルタの呑気な声が飛んで来た。

「絶、対、に、いや」

 魔神に剣を打ち込みながらロゼールはハルタに叫び返した。

「何それ必殺技? そんなのあんの?」

 目にも留まらぬ攻防戦の最中にリリアーテが余計なことを訊く。

「あるのよそれが」

 ちょっと聞いてちょうだいな的にハルタが笑う。戦う敵もおらず魔神にも見えないハルタは腹が立つほどのほほんとしている。少しは手伝えとロゼールが唸った。

「五柱の魔神も一瞬でやっつけちゃうし、しかもすっごく気持ちが」

「黙れ」

 ロゼールが思わず大声を上げた。対峙する魔神が思わず竦んで謝り掛けた。

「言ったらハルタを殺して私も死ぬ」

 ハルタを睨んで涙目で叫ぶ。

「仕方ないわねえ」

 やれやれとばかりに肩を竦めるとハルタは背に掛けた聖杖を手に取った。

「それじゃ、こっちにしましょうか」

 杖先で軽く床を打つ。

「魔神合体」

 杖の先から弾け出たのはエルアリーナの五柱の魔神だ。それが妖艶な笑みを浮かべて飛んで来る。クロエ、リリアーテ、ロゼールにさえも取り付いて、拒む間もなく身体を浸食した。三人は理屈よりも先に体感と快感で何が起きたかを理解した。

「何を勝手に」

 ハルタを振り返ってロゼールが声を上げる。不意に背を向けたロゼールに魔神は容赦なく襲い掛かったが、その身体は突然現れたクロエの剣に打ち飛ばされた。

 クロエは今の自分がどこまで動けるか本能的に理解した。魔神を案山子の如く翻弄することも容易い。神罰器バニッシャーの力を欠いたはずの無慈悲アンピトヤブルは腑分けるように魔神を切り刻み、あっけなく黒塵に変えた。クロエの頭にぴょこんと突き出た豹柄の耳を見たのはロゼールだけだ。

 リリアーテは全身を鞭と化し容赦なく魔神を打ち据える。頭より高く上げた踵が別の生き物のように魔神の頬を左右に打ち喉を突き砕いた。仰け反り倒れた魔神の上を爪先を捩じり込むように歩いて渡ると、弾けた黒塵に嗜虐の笑みを浮かべる。

「うわあ」

 ロゼールが二人のさまにどん引きして蒼褪める。

 だが自分の中にもそれはいて疼くように身体を突き上げていた。

 腑抜けていると思ったか魔神がロゼールに飛び掛かった。リリアーテが無意識に伸ばした手の先に黒い茨が伸びる。ロゼールの手前で魔神を絡め捕った。嬲るような旋風が魔神を翻弄したかと思うとクロエの剣が魔神をなます斬りにした。

 なにをぼけっと突っ立っている。貴様も主の役に立たぬか。

 ロゼールの耳許に聞き覚えのある声が囁く。

 くすぐったさに首を竦めむううと感情を吐き出して、ロゼールは三角帽子の魔神に飛び出した。いつ番えているのかと思うほど間断なく射られる矢を躱し打ち払い懐に飛び込む。繰り出された山刀に首を刎ねられそうになり咄嗟に身体を捻った。

 不意に現れた赤い鎧に山刀が弾けた。突き上げるナイフの切っ先も肌の手前で鎧に阻まれ折れ飛んだ。ロゼールが魔神の腕を刎ね上げた。返す黒刃で袈裟に斬る。体勢を崩して前のめりになった魔神の三角帽子をロゼールは首ごと斬り飛ばした。

「神罰、覿面」

 黒塵が血煙の如く噴き上がった。

 赤い魔神の影はロゼールを離れ際に戯れるように身体を擦り付けた。戦慄くような刺激が下腹部を駆け上がりロゼールは思わずひっと声を上げてしゃがみ込んだ。

 からかうような笑い声が去って行く。

 声を聞かれなかったかとロゼールはこっそりクロエとリリアーテを振り返った。

 二人はぺたんと床に座り込んだまま顔を真っ赤にして放心していた。

「これくらいで参っちゃうなんて、まだまだね」

 ハルタが呑気に歩いて来る。

 リリアーテは茹だった顔でハルタを恨めし気に見上げた。

「いやこれ寿命縮むわ」

 ハルタが目を細めて笑う。

「あら、本当に縮んでるわよ?」

 あっけらかんとそう言った。

「ロゼールはともかく、これを外でやったら神さまに見つかっちゃうから、あなたたちは当分お預けね。破門されちゃったら魂も還して貰えなくなるわよ」

「それはさすがに」

 リリアーテが蒼褪める。後ろから近付いたロゼールがその肩をがっしと掴んだ。私の苦労が分かったかとばかりに耳まで口が裂けたような笑みを浮かべている。

「仲間になるのだ。殿下もいっぱい恥ずかしいことをされてしまえ」

「うわ、こいつ邪神に魂を売りやがった」

 リリアーテが助けを求めてクロエを振り返った。

「恥ずかしいことが、そんなに?」

 クロエは耳の先までを真っ赤になってぼんやりとハルタを見つめている。

「あ、だめだこいつ」

「今なら入信出血大サービス。痛いのと痛くないのが選べるわよ」

「ええい迷うな馬鹿者ども」

 ロゼールの胸を蹴って純潔の誓約が飛び出した。リリアーテとクロエにも容赦なく跳び蹴りをかまして三人を睨み付ける。

「貴様ら全員、生涯誓約を課してやる」

「え、それはちょっと」

「嫁には行きたいんですけど」

 クロエとリリアーテが真顔になる。純潔の誓約はきっとロゼールを振り返った。

「ロゼールおまえもだ」

「待って、生涯はいやだ」

 幸い乙女たちの悲鳴はすぐ頭上に迫った地上には洩れず、神には届かなかった。

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