第4回 働け!無職の冒険者

 里を出るなり馬がいた。

 道の真ん中に仁王立ちになってロゼールとハルタを見おろしていた。頭は艶のある茶褐色の鹿毛、身体はといえばいつもの通り全裸の生白い中年男だ。

 酸っぱいものが喉元まで込み上げ、ロゼールは半眼で目の前のそれを睨んだ。

 馬男の股間に垂れるのは尻から生えた尻尾だが、その前面は臍の上まで小さな四角い模様に隠れていた。ロゼールの純潔の誓約は今日も八面六臂の大活躍だ。

「誰あろう、この私こそ」

「神罰、覿面」

 魔神の大見得が切り終らぬうちにロゼールは黄金の翼エルドールで斬り捨てた。その存在さえ全力で無視する所存だ。え、うそまだ喋ってるのにと涙目で訴えかける馬男は呆気なく黒煙となって消え去った。


 ロゼールとハルタの当面の行き先はアンスラインの教会だった。少なくとも留石村より立派な聖堂があり、そこには高位で真面目な司教もいるはずだからだ。

 ハルタがロゼールの破門を拒むため、それを無視して秩序神閥コスモスリーグへの転宗を試みたものの、ロゼールが主神アラサークから思いのほか強烈な破門を言い渡されていると発覚、留石村のフェリクス司祭は自分では無理だと匙を投げてしまった。

 それはハルタの神に帰依する以前、おそらく地下の回廊で彷徨っていたときに起きた何かが原因だ。身に覚えのない破門が棄教の原因と解った以上、ロゼールはより高位の司祭を頼ってアラサークに破門排除の慈悲を乞う以外に術がなかった。

「ねえ、このままてくてく歩いて行くの?」

 里を出る際は乗り気だったハルタも、じき山道の散策に飽きてそう言い出した。

「だったら無理に付いて来なくてもいいぞ」

 売り言葉に買い言葉、つい口にしたロゼールは内心悲鳴を上げた。このまま独りで行くなんてとんでもない。今みたいな変態怪人がまた出たらどうする。うら若き可憐な乙女を変態の群れに放り込むつもりかハルタ。などと必死に縋り付いた。

「安心なさいな、可愛い信者を見捨てたりしないわよ」

 完全に見透かされている。ロゼールはこっそり冷や汗を拭った。

「でも面倒だからさっきのを使いましょう」

 何気にハルタはそう言うと背に掛けた聖杖を無造作に振った。不意に黒煙が巻き固まり、目の前に立派な栗毛の馬が現れる。ロゼールはかくんと顎を落とした。

 唐突にも程がある。これが邪神の聖霊術なら奇跡級の魔術だ。

 その馬の頭は今しがたロゼールが斬った変態と瓜二つ。もちろん目の前の馬は四本脚の正真正銘の馬だったが、訊くまでもなく魔神の化身に違いない。

「そんなことだと思っていました。私を使役するつもりなんですね。私が馬だから。物言わぬ家畜だから。鞭打ち重い荷を曳かせ、ボロ切れのように使い潰した後で美味しくいただくつもりなのでしょう。ええ、私には分かっていましたとも」

 馬はべらべらと喋り出した。ロゼールが何だこれはと目線でハルタに問う。

「ああまた私をその無慈悲な刃にかけるつもりですね。それとも哀れな家畜の私を有無を言わせず組み敷くつもりですか。その尻を私の背に擦り付け、その脚で脆弱なわたしの腹部を絞め上げるのですか。そして鞭を、私に鞭打ちを、ああっ」

「黙れ」

 切れたロゼールが黄金の翼エルドールを引き抜き切っ先を突きつけた。

「黙ります」

 ハルタが子供のような目でロゼールに訊ねる。

「乗る?」

「絶対にいやだ」

 結局背負った旅の道具だけを馬に積み、ロゼールは黄金の翼エルドールを背に担いだ。裸馬から馬具が生え出したのは見ていて怖気る光景だったが、そもそも馬が宙から沸き出たことが異様だ。無詠唱、無触媒、儀式不要の召喚など有り得ない。

「正確に言うと、これのおかげね」

 ハルタが馬の背から聖杖を翳して見せた。中ほどを継いで黒革の帯で留めてある。出会い頭にロゼールが折ったままだ。宙から落ちて尻に敷いてしまったのだ。

 ハルタの差した杖頭に目を遣れば生命符アンクの楕円の中に鎖で吊られた二つの指輪がある。鉄と真鍮でできており、見たこともない紋が刻まれていた。

「早漏紋の指輪ですね忌々しい」

 馬がぼそりと呟いた。ロゼールが睨むと慌てて口を閉じる。

「外なる神を賢者として使役する神器よ。手に入れたのはたまたまだけど」

「こんな変態どもを使役してどうする気だ」

 ハルタは一連の変態を魔神と呼ぶが、曲りなりにも神の名を魔物に冠するのが戴けない。ロゼールの常識では本来ハルタの神さえ受け入れられないのだ。

「ええ存分に罵っていただいて構いません。その唇で口汚く罵られるたび私は、」

「おまえは喋るな」

「そうねえ、本当はもっとたくさん扱えたのだけれど」

 ハルタはわざとらしく虚ろに空を見上げて小さく溜息を吐いた。

「杖が壊れたせいでほとんどいなくなってしまったの」

 その嫌味は何度目か。ロゼールはぎりぎりと歯噛みした。

 ハルタの聖杖が折れたのは事故だ。杖が尻より脆弱なのが悪いのだ。とはいえ、そのせいで変態魔神が大勢出没するようになったのだとしたら。

 そんなの知ったことかと簡単に開き直れないほどにはロゼールも小心者だった。

「あら、向こうにお家が見えて来たわよ」

 うじうじと拗ねるロゼールを気にした風もなくハルタは弾んだ声でそう告げた。


 留石村の先のアンスラインまでは二日掛かりの行程だ。変態馬が増えたとはいえハルタを含めた荷運び役で徒歩の速さはそう変わらない。日割りも同じだった。

 途中には数世帯が暮らす小さな集落が幾つかあり、そこで宿を貸りるのがこの辺りの猟や行商の習慣だった。里から集落宛に荷を届けるのが宿代がわりらしい。大抵が顔見知りや知人の筋でそんな習慣も成り立っているのだろう。

 ハルタは初見だったが里の噂話でよく知られているらしく土産話だけでも泊めて貰えた。怪しい茸屋兼邪神教の代理神官のくせに何故か受け入れられている。この辺りはとことん気の抜けた風土だ。

 ちやほやされるハルタにむくれて地を出したロゼールはあっけなく身元がばれた。隠密任務ゆえどうかご内密にと必死で頼み込み、口止めに聖騎士ロゼール・ヴァルキュリエ参上と色紙をせがまれたりするうち二人はアンスラインに到着したのである。


 喋る馬を杖に戻して村に入ると、まずは聖堂を訪れるべしとロゼールは主張した。こうした施設はたいてい集落の中心にあるはずだ。急いて足早に歩いて行く。

 緋色のマフラーと同色の頭巾、裾丈の短い派手な給仕服。いつの間にかロゼール自身も慣れてしまったが、こうして人前を歩くと人の視線が気になり始めた。気付けば通りの特異点になっている。舞台役者が宣伝で練り歩いているようだ。

 手と足が同時に出そうになりながらロゼールは小走りに聖堂に向かった。

 秩序神閥コスモスリーグ解放神閥ケイオスリーグの聖堂がちゃんと二つ並んでいる。小村の数を思えば留石村のような合祀教会の方が多いのかも知れないが、都会育ちのロゼールは感覚が違う。二大神閥がひと所にあるのは国家大司教のいる中央大聖堂くらいだ。それも個別の棟がちゃんとあってのこと。

 ちなみに流転神閥エヴォルリーグは単独で聖堂を建てる習慣がない。それをするのは、せいぜい交易を主とするシスパニエくらいだ。双神は俗世に降りた外なる神で主に商工会の神棚に祀られている。その信仰も二大神閥と兼ねることが許されていた。

 外なる神? ロゼールはふと記憶を探る。確か別の意味で聞いた。傍のハルタを見上げると、涼しい目許でん? と訊き返された。その表情に耳の先がちくちくと熱くなり何を訊こうとしたのか忘れてしまった。

 だが聖堂の中にも拘わらずハルタは散歩でもするように泰然としている。

 他宗の、しかも邪神の使徒が、壊れかけた田舎教会ならばともかく、二大神閥の聖堂に入って何のも不安もないのだろうか。留石村でさえ神罰が落ちたのに。

「聖堂なんてただの箱よ。そこでしか神を感じられないアナタたちがおかしいの」

 ハルタはふふんと嘯いた。

「ロゼールももっと修練すれば、どこでだって感じちゃうようになれるわよ」

 そんなのは御免だ。

 秩序神閥コスモスリーグの聖堂を覗いたロゼールは、ふと留石村でアラサークに慈悲を乞おうとして雷を落とされたのを思い出した。いつでも飛び出せるよう身構えて扉を潜る。

 がらんとして人の気配がなかった。司祭も信者も誰もいない。聖務室を訪ねてみるも、やはり空っぽだ。解放神閥ケイオスリーグの聖堂も回って見たが同じだった。

 通りで人に訊ねてみた。どうやら司祭は揃って寄り合いに出ているらしい。ファルテリンデという名の街でここらからまだ五日ほど先にあるという。

 これは何のお使いだ。采配した奴は意地の悪い変人か。思わず神を詰り掛けてロゼールは首を振った。自分もまだまだ修練が足りない。

 予定のほども定かではないが、司祭たちが帰るのはまだ先のことらしい。だが街の人の話によると少々妙なことになっていた。ファルテリンデに出掛けた者が誰も帰って来ないのだという。ここに至り事態はキナ臭くなって来た。

「少し探ってみる必要がありそうだな」

 こうした折に訪ねるべきは酒場よりも商工会だ。流転神閥エヴォルリーグの信徒が運営する銀行や報道機関は、自身の利害を除いて中立的に各地の商流と情報を管理している。

 ロゼールの知る商工会は、双神の伝聞交換術で世界中に繋がった視伝盤が壁一面に並び、腰は低いが強かな目の職員が整然と詰めている印象だった。

 アンスラインのそれは、日焼けした壁の隅に埃を被った神棚が放置され、ときおり調子外れの音を立てる音伝盤がひとつきりの小ぢんまりした建屋だった。

 職員も休憩まで時間を持て余した老人と月遅れの雑誌を不貞腐れて眺める若い女性だけだ。扉を潜ったロゼールをじろりと一瞥しハルタを見て顎を落とした。

 ロゼールはハルタの前に身を乗り出してファルテリンデの状況を訊ねた。

 結論としては全く不明だ。

 少し前、ファルテリンデの商機が大都市並みに膨れ上がり、大勢がそれに注ぎ込んだのだが、ある日を境にぷっつりと連絡さえも途絶えてしまったという。

 窓口の女はロゼールに応えながらも視線はハルタを盗み見ている。無意識なのか擦り切れるくらい髪を弄っている。いっそこの頭巾を取って顔を見せてやろうか。

 確かにロゼールの衣装は女給服だ。その手の店以外で信用されるかと問われたら自分でも自信がない。ロゼールは御座なりに礼を言って窓口を離れた。

 女は今さらロゼールの衣装に気付いて背中に声を掛けた。

「そうそう、ファルテリンデなら疫病の疑いもあるとかで、冒険者協会フリーターズギルドで派遣医師の警護を募っているそうですよ」


「うわあ」

 絞り出すような呻き声が冒険者協会フリーターズギルドを覗いたロゼールの第一声だった。

 田舎にしては広い建屋に人が溢れている。壁には掲示板、奥には受付がひとつあるきりだが、どれも人が集っていた。大勢が辺りを闊歩しながら互いをぎこちなく品定めしているのである。

 こういうのは酒場を兼ねるのが伝統らしいが今はそれさえ壁際に寄せられていた。とはいえ職業斡旋所で酒を出してどうするのだとロゼールは思う。

 今まで関わりのなかった場所なだけに、ロゼールには冒険者協会フリーターズギルドのあるべき姿がよく分からなかった。

 とはいえ、これはどうなのか。

 色取り取りの大層な鎧姿がそこかしこに闊歩していた。しかもどれもが実用性に程遠く、ロゼールが儀仗用に誂えた飾り鎧よりずっと派手だった。中には身体を覆う布地が極端に少ない馬鹿に見えない鎧の類かと疑わしいものさえあった。この人たちは何と戦っているのか。

 周囲の皆を眺め、はたとロゼールは商工会の女にこの連中の仲間と思われたのだと気が付いた。違うと声高に叫びたい。だが冷静に見て否定しきれないのが辛い。

「あら、みんな楽しそうでいいじゃないの」

 ハルタの反応は軽かった。

 ロゼールは溜息を吐いて辺りを見渡した。ファルテリンデの便について確かめようにも冒険者協会フリーターズギルドの窓口は列が極端に長かった。

 仕方なく並んではみたものの、居心地が悪い。居た堪れない。

 列の前後もその周りも皆一様に自身の装束を得意気に強調し、それ凄いですねと声を掛けられるのをそわそわと待っているのである。

 しかもこれだけ極端な身形の中ではロゼールも目立たないと思いきや、ある意味「本物」を目ざとく見つけ二人を突き刺し舐め回すような視線が集まった。

 ハルタといえばマフラーに口許を隠してさえきらきらの美少年だ。だが吸い寄せられた視線はすべからく天然の見えない障壁に弾かれ、卑屈に辺りを彷徨った。

 自意識の差か、ロゼールはそう簡単にいかない。ほんの少しだけ強調された胸元や膝上ブーツの僅かな素肌の太ももなど、ほとんど物理的な視線を感じた。

 つい無意識に裾を掴んで隠そうと引けば仕草にさえどよめきが起きた。ロゼールはすでに全身が粟立ち、露出した素肌は羽根を毟った鳥のようになっている。

 以前はロゼールも見られることにここまで極端ではなかった。むしろ逆だ。少しばかり目立つ経験もある。だが一度理性が目覚めると羞恥心は止められない。

 ロゼールは過去を封印した。それを知る者もさえ闇に葬る勢いだった。

 そうこうするうち列は流れたが依然進み具合は遅々としていた。先の方からは相変わらずきんきんとした怒鳴り声が響いて来る。どれもくどくどした苦情だ。

「搾取だ。依頼主は儲けることしか考えていない」

「残業と休日が実際と違う。違法な仕事を紹介する気か」

「中抜きをするな。お前らは右から左に紹介しているだけだろうが」

「護衛はブラック。しんどすぎ。俺は断固拒否するう」

 帰れおまえら。

 憤りながら去って行く中には親子連れも多く実に居心地が悪い。みな冒険者フリーターだ。

 思えば邪教に堕ちたロゼールも騎士団に留まれる保証はない。ならば名実共に無職だ。自分は名家の生まれでよかったとロゼールは親の脛を齧る方向で安堵した。

 ようやく二人が窓口の前に辿り着くと受付嬢が死んだ目で見上げた。

「偉いわアナタ頑張り屋さんなのね」

 ハルタがそう声を掛けると彼女は声を上げて泣き出した。

 受付嬢が洟を啜り終わるのを待つ間、先にも増して延々と後ろに続く列を眺める。冒険者フリーター何だろうとロゼールはぼんやり考えた。ロゼールが何気に後ろを振り返るとみな一斉に明後日の方に目を逸らした。

 ほんと。冒険者フリーターって何なの。

「依頼がある時点でただのお仕事なんだから、この人達のは冒険じゃないわ」

 ハルタは涼しい顔でそう言って笑った。

 すっかり饒舌になった受付嬢が調子に乗ってハルタに連絡先を渡そうとするのを牽制しつつロゼールがファルテリンデについての仕事を訊き出すと、どうやら有志が医者と薬品を送り届ける段取りで決まったらしい。

 状況が皆目分からないため流行り病を警戒してのことだったが、噂が先行したせいで近隣の者もおいそれと近づけずにいるという。

 また警備を募るのには理由があって、どうやら迂回路のない道筋を狙って野盗の類が出るらしい。しかもその輩の後ろ盾には魔物がいるとの実しやかな噂だ。

 真偽はともかく魔物が相手とあっては警団や役場の駐屯兵では手が回らない。商隊の護衛は大手が契約しているし戦好きはクルフトラントの国境に出ている。

 肝心の教会は司教が揃って不在だ。

 そこで冒険者協会フリーターズギルドが護衛の募集を拡大した訳だが、それなら魔物退治で一旗揚げようという人生の近道を選んだ連中が山ほど集まったということらしい。当然ながらみな素人だ。枯れ枝で蛞蝓をつつくのがやっと連中だった。

 話を聴くうちに冒険者協会フリーターズギルドに飛び込んで来た男が強引に割り込んだ。

「おい本当に魔物が出たぞ。どうなってるんだ」

「阿呆かおまえは」

 ロゼールが反射的に男を蹴り飛ばした。やってしまって凍り付く。冒険者フリーターにもハルタに秋波を送る受付嬢にもほんの少しだけ苛立っていたらしい。

 割り込んだ男はロゼールを見て逃げて行った。

「その護衛は私たちが引き受けよう」

 何ごともなかったようにロゼールは言った。

「あ、はい、どうぞどうぞ」

 受付嬢はずっとハルタの方を向いたままロゼールの言葉に御座なりに頷いた。

 どいつもこいつも邪神の使徒の見掛けに騙されている。こんな調子でよく邪教が蔓延しなかったものだ。ハルタはロゼールが初めての信徒だと言っていた。今まで無暗に勧誘しなかったのは殊勝な心掛けだ。しかもロゼールを見出したのだから目だけは確かなのだろう。

 そう思うとロゼールは少しだけ気をよくした。

 微妙な優越感に擽られつつ、ロゼールは段取りを確かめる。医者とその助手、当座の薬品や物資を積んだ馬車の護衛だ。少し予定と異なるがファルテリンデまでの行程は段取れた。このまま帰る保証のない司教を待つよりは幾分ましだ。

 二人の参加が知れると求人倍率は一気に高くなったが、すっかり強気になった受付嬢は容赦なく職歴を基準にして有象無象を篩い落として行った。


 *****


 アンスラインを出て三日目。行程はロゼールの予想に反して何ごともなく順調だった。魔物に率いられた野盗という、いかにもな魔神案件の噂の真偽を確かめる機会は未だ訪れない。いつの間にかロゼールは旅を楽しみ始めていた。

 ハルタとの二人旅も悪くはないのだが、同行する素人兵士たちが何かとロゼールをちやほやしてくれる。それが実に気分がよかった。ただ中にはまめまめしくハルタの世話を焼く武骨な兵士も何人かいて、そこはかとなく微妙な気分にもなった。

 この辺りの路程ではまだ野宿がなく、警護の主格であるハルタとロゼール、医師と助手の女性には民家の宿も優先して貰えた。歳は上だが同性と一緒なのはロゼールも何かと気が楽だった。些事であっても同性は生理的な機微が違うからだ。

 その点、茸屋のメグちゃんも気遣いは一流だったが、ハルタは分かっていてロゼールが恥じらうのを楽しむ癖がある。意外と世話は焼いてくれるが意地が悪い。

 だがそうした気楽なファルテリンデへの路程の前半も、谷合の一本道を越えようとする辺りで唐突に終わった。野盗が現れたのである。


 突然、茂みから飛び出して道を塞いだのは十数人。医者と助手とハルタを除けば、こちらの戦力は半分ほどしかない。医者と助手はもとよりアンスラインで雇われた護衛たちさえ得物を取り落とすほど動揺していた。

 数で圧倒する野盗の戦略は戦意を奪うことに関しては的を射ている。ただしロゼールを除いては。

 厳めしい面構えで下卑た笑いを浮かべる輩は野盗でございといった風情を絵に描いたようでロゼールは少し物足りなかった。何より人だけなのだ。魔物がいない。

「おっと動くな。弓がお前らを狙っているぞ」

 頭目と思しき男が前に出る。見目におかしなロゼールとハルタに若干気後れしながらも堂に入った目付きで皆を睨め付けた。動いた者はいなかったが、どうやら決まりの台詞だったらしい。

「俺たちをただの盗賊と思うなよ、魔神さまがついているのだ。抗えば命を落とすのはお前たちの方だ。互いが無駄な血を見る前におとなしくその荷を置いて行け」

 ロゼールは間抜けを見る目で小首を傾げた。言い回しが本当に台詞のようだ。

 雑木林に気配を探るとロゼールは警告もせずに切っ先を向けて引鉄を引いた。

 悲鳴もなく倒れ伏す音がした。

 きょとんと佇む盗賊に目を向けたまま黄金の翼エルドールを反対側に振り、もう一撃。鍔を立て、排莢し、詔弾を装填する一連の流れでもうひとつ撃った。ロゼールは予告も名乗りもしない。相手は道を外れた者だ。そんなものは必要ない。

 盗賊の仲間が樹の根をあちこち撥ねて斜面を転がり落ちて来た。苔と枯葉に塗れて街道に滑り出る。白目を剥いて悶絶した足許の仲間を見てロゼールを脅した盗賊は口を噤んだ。急に不安気な顔になる。ようやく何が起きたか悟ったらしい。

 頭目は少し待てと言い捨てて後ろでひと塊になった仲間のところに走り込み、誰が先にロゼールを相手にするか相談し始めた。まるで片吟が崖縁で互いを押し合っているようだ。とうとう弾き出された盗賊のひとりが吹っ切れたような声を上げてロゼールに切り掛かかった。

 ロゼールの大剣は無造作に盗賊の構えた剣ごと上半身を断ち割った。血飛沫と呼ぶにはあまりに大量の、桶をひっくり返したような鮮血が辺り構わず飛び散った。

 ロゼールは慌てて飛び退いて服に返り血が付いていないか確かめた。このところ魔神が相手だったせいか力加減が分からない。人はこうも柔らかかっただろうか。

 衣装を確かめ安堵の息を吐くと、慄いて竦む盗賊に微笑みその頸を斬り飛ばした。また返り血を避けて身を翻す。血だまりを跳んで獲物を追う。悲鳴を上げて後退り、縺れるように身を寄せた野盗の中に踊り込むや、瞬く間に三人、四人と斬り殺した。

 神の御許に属する限り死んでも魂は新たな生を得る。無垢なる者は命を賭しても守るが道を違えた者は死こそが慈悲だ。聖騎士はその辺りに全くの容赦がない。

 転生の保証された神の御世は死に緩い。人の目に多少辛辣でも仕方がないのだ。

 鬼神のようなロゼールを相手に不利を悟ったのか数人が茂みを通って馬車に回り込んだ。人質を取ろうというのだろう。気付いてハルタに警告の声を上げる。

 返って来たのは野党の悲鳴だった。

 野盗が鰐に喰われていた。口から飛び出た脚が弱々しく藻掻いている。腰を抜かしたもう一人が虫のように手足をばたつかせて後退った。何かにあたって振り返る。もう一頭の鰐が頭から齧り付いた。くぐもった悲鳴が鰐の鼻から漏れ出した。

 及び腰でロゼールの剣を避けようとした盗賊が肩越しにその光景を見て顎を落とした。悲鳴を上げて身を翻す。仲間の血だまりに足を取られてべしゃりと転んだ。

「先生ー、先生ーっ」

 顔中を汁で汚した男が血の中を這いながら茂みに向かって声を上げた。

 渓谷の上に獣の唸りが呼応する。斜面の樹々に枝葉が散った。何か巨大なものが駆け降りて来る。その軌跡が谷合に迫り、それは吠えるように人語を放った。

「浜の真砂は尽きるとも」

 馬車ほどの獅子が飛び出した。その顔は地が灰色の毛で覆われ、口許目許が驢馬のように白く抜けている。黒刃を構えたロゼールを見つけ、きりりと睨め付けた。

「世に盗人の種は尽きまじ」

 見得を切る。その足の下ぷちんと敷きになって野党の男が絶命した。

「おまえが盗賊の親玉か、人々を唆し悪の道に引き摺り込むとは言語道断」

 ロゼールが魔神に切っ先を突き付け負けじと大見えを切った。相手が裸でないことで気が大きくなっていた。魔神は不敵に笑って歯を剥き出すと、ロゼールに向かって獅子の前肢を踏み出した。夥しい血溜りをばしゃりと撥ね上げる。

 魔神はふと、ぞわりと体毛を逆立て自分の前肢を見おろした。

「え、うそ」

 辺りは酸鼻を極める血の海だった。ひっくり返したパズルの如く人の断片が散らばっている。中には自分がうっかり潰した頭目もあるのだが、とりあえずそれは棚に置き、魔神はえーっと小さく声を絞り出した。ロゼールに思い切り眉を顰める。

「おまえこそ人としてどうなの」

「これは浄罪である」

 ロゼールはつんと胸を張り、ふんすと鼻息を吹いて言い切った。聖騎士は裁きの代行者、神の御許に魂を還す聖職だ。容赦など却って慈悲に反する行為なのだ。

「アナタたち、どっちもどっちよ」

 誰もいないので仕方なくハルタが投げ遣りに突っ込んだ。その傍らでは二頭の鰐が虚ろな眼をしてわっしゃわっしゃと野盗の身体を噛み砕いていた。

 我に返った魔神がロゼールを踏み潰さんと目を遣るも、すでに姿はなかった。

「神罰、覿面」

 一閃、魔神の胴が二つに割れる。

 断末魔の咆哮を上げ魔神は黒塵となり宙に散った。

 谷合に晴れた陽射しが射し込んだ。足許さえ見なければ爽やかな風景だ。

「これで安心して街に行けるな」

 ロゼールが笑って皆を振り返ると馬車の周囲には誰もいなかった。馬車の護衛が来た路を一目散に逃げて行く。見れば医者と助手も一緒になって走っていた。

 人ってけっこう速く走れるものなんだ。小さくなる後ろ姿を眺めながらロゼールはぼんやり考えた。他の聖職とは異なり聖騎士は人に誤解されやすいものだ。

「やはり師匠のように説服ごうもんしてから魂を送り出すべきだっただろうか」

 ロゼールは明後日の方向に反省していた。

「聖騎士も相当に糞喰らえだわね」

 ハルタは小さく嘆息してから空席の御者台を叩いてロゼールを促した。

「さ、お肉は自然に返してアタシたちはさっさと街に行きましょう」

 医師も助手も逃げたため馬車には当座の薬品や救援物資だけが残されていた。当然、御者役はロゼールしかいない。面倒だが喋る馬に曳かせるよりはましだ。

 ロゼールはハルタの手を取って御者台に登り、手綱を取って前を見た。

「そうそう」

 傍らのハルタが妖しく微笑んだ。妙な既視感がロゼールを襲う。

「アナタの剣で斬られても魂が砕けて我が御許で糧になるのよ」

「え、うそ」

 ハルタの名無き神は当然のことながら二大神閥の輪廻に組み込まれていない。その御許に堕ちた魂は当然生まれ変わることも無間地獄に行くこともないのだ。

「堅信儀礼、アナタは着実に信心を重ねているわね。なかなかに優秀よ」

 ハルタはそう言ってロゼールの髪を撫で満足気に頬を擦り寄せた。ロゼールは擽ったさに陶然と目を細め無意識にハルタに身を預けたものの、徐々に全身に変な汗が噴き出して来る。

「うそーっ」

 谷合の一本道にロゼールの絶叫が響き渡った。

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