第3回 卑劣!狙われた幼稚園馬車
「ハルタ、今日こそ教会に行くぞ」
店先に駆け込んで来るなりロゼールはハルタに向かってそう宣言した。
「あらロゼール、今日は早いのね」
カウンターから顔を上げ、ハルタは鼻息の荒いロゼールを眺めて微笑んだ。
「その恰好、素敵ね。アナタ可愛いんだからもっと飾らないと勿体ないわよ」
ロゼールは言い返そうとしたものの言葉に詰まって耳の先まで真っ赤になった。
ロゼールが店に顔を出すのは実に三日ぶりだった。魔神討伐の折に
何しろ
絶望に打ち拉がれること是非も無し。
だがロゼールの引き篭もり生活は不健康なくらい健康的だった。落ち込んでいる癖に寝るし食べるしお風呂も長い。目の下にできた隈は単に、ハルタの匂いのするベッドに悶々と目が冴えてなかなか寝付けずにいるせいだ。
加えて、一見細身のハルタに借りた寝間着が思いのほか大きく、それを姿見を眺めてはあれこれと身悶えているのも夜更かしの一因なのでる。
これはもう救いようがない。邪神の信徒としてロゼールは着実に堕落している。
だが、このままではいけないと我に返るのがロゼールの強さでもあった。
直接の原因は寝惚けてうっかりアラサークに祈りを捧げたところ足許に神罰の雷が爆ぜたせいだ。咄嗟に避けねば黒焦げになるところだった。習慣は儘ならない。
だが神の怒りがここまで具現化することに気付いては生きた心地もしなかった。
その結果が今日の奮起なのである。実は非常に切実な問題なのだった。
「なあに? 店長と教会に行くの?」
工房からメグちゃんが顔を出した。武人に劣らぬ美しい筋肉をぱつんぱつんの女給服で絞っている。恐ろしいことにロゼールと同寸同デザインの制服だ。一般常識に照らし合わせた場合の見目の正当性はともかくも、確かな美がそこにあった。
「素敵、羨ましいわ、邪神宗はどんなお祝いが良いのかしら」
「言葉だけで充分よ。でもうちの宗派は一夫多妻制なの。ロゼールは構わない?」
「いやいやいやいや」
ロゼールは頭が飛びそうなくらい首を横に振った。こうも一般に明け広げな邪神教も変だし一夫多妻もそれなりに問題だが、教会に行く目的が全く違う。邪神の棄教と再洗礼だ。ロゼールの本来あるべき人生を取り戻すのだ。
知ってからかうハルタはともかく、ロゼールは身振り手振りでメグちゃんに事情を説明した。ハルタの本業は知っていてもメグちゃんは
アラサークの聖騎士だったロゼールにしてみれば有り得ざる神など以てのほか。ましてや邪神教の神前式など祭壇に何が出て来るのか想像するだに恐ろしい。
「でもフェリクスったらいい加減よ? 少し遠いけれど、せめてアンスラインまで行った方が良くないかしら?」
メグちゃんは思案顔でそう言った。
フェリクス・バラデュールはこの村の司祭だそうだ。神閥兼務という都会では一歩間違えば断罪されかねない肩書がある。実は地方に珍しくない合祀教会も祭儀を兼務する司祭となると本来は国家大司教の職域に入る大不遜だ。さすが田舎教会と言わざるを得ない。
とはいえアンスラインの村まで徒歩で二日は掛るという。ロゼールとしては急ぎたかった。せめて改宗の目処でも立てようとして、ともかくまずは留石村の教会に行きたいとハルタに告げた。
「アタシもフェリクスに用があるし、朝食の後にお出掛けしましょうか」
散歩みたいに言うなと口を尖らせつつ、ロゼールの身体は正直にぐううとお腹を鳴らすのだった。
「そうだわ、それなら」
出掛けの際に目配せを残して工房に引っ込んだメグちゃんは緋色の頭巾を持って現れた。蛙の森のでメグちゃんが着ていたハルタのマフラーと同じ色のケープだ。
驚くロゼールにケープを着せると、メグちゃんは顔を寄せて具合を確かめる。
「ロゼールちゃんは有名なんだから気をつけないと」
そう囁いて微笑む。素性を知りつつこうして接してくれるメグちゃんは男前だ。
「それにこれは魔除けなの。お揃いだから虫除けにもなるわよ」
「ごめんなさいね、何からなにまで」
ハルタがメグちゃんに微笑む。
「いいのよ、気にしないで」
マダムの会話だ。しかし二人とも男なのだ。しかも妖艶な美少年とマッチョな美青年なのだった。感じるこの頭痛は何だろう。ロゼールは虚ろな溜息を漏らした。
そういえば、とロゼールが振り返る。ハルタの出掛けた扉には開店の印に煌びやかな緋色の髪飾りが掛けられていた。あれはメグちゃんが着けているのだろうか。
巨石の突き刺さった丘を下るのは蛙の森に行った折のこと。だが村に足を踏み入れるのは初めてだ。それはロゼールにとっても久しぶりの人里でもあった。
里の一帯は茸屋の裏から見たときより広く思えた。田畑が平らにすこんと抜けた広い視界のせいだろうか。里の境界は森が城壁のように立ち上がっていた。
里の機能はひとところに集まっていて小ぢんまりとしている。店舗の類はほとんどなく、店先で扱う品も雑多で売り分けがない。専門店として成り立っている茸屋の方がここでは特異なのだろう。もちろん扱う品もかなり特異なのだが。
ともかくこの様子では
しかもひとつきりの留石村の教会は半ば寄り合い所と化していた。
狭い礼拝堂には形の違う椅子が幾脚もあり暇そうな年寄りが集まって茶を啜っている。ハルタを見てやあ邪神さんと声を掛けるのはどこか決定的にずれていた。
目深に頭巾を被ったロゼールを無理やり覗き込み「おや別嬪さんじゃ」「生贄かえ」「悪魔の花嫁じゃな」「ふぇっふぇっふぇ」などと無遠慮に囃し立てる。
どこかしら地方巡業の黒歴史を抉られながらも愛想笑いで老人たちをいなし、ロゼールはハルタに付いて足早に礼拝堂を横切った。奥の祭壇にあるのは薄汚れたアラサークとシャラオの神像だけだった。カジオスもファブミも神の印を刻んだ板切れしか置かれていない。
俗世に降りた
聖堂詩篇は祭壇の上の埃の被った板切れに綴られていた。褪せた墨をおそるおそる辿れば三節目にはしっかりと消し跡がある。あのとき奈落の神殿で見た第三詩篇は何だったのだろう。無意識に真実と思えた確信も今となっては自信がない。
「フェリクス」
ハルタが奥の扉を叩いた。ごそごそと這うような音がして顔を突き出したのは三十路前半の無精髭の男だ。ロゼールは扉の隙間に自堕落な独り身の部屋を見た。寝床が人ほどに膨らんでいたが、そうと気付く前に司祭は後ろ手に扉を閉めた。
「やあ邪神さん、例のモノかい?」
司祭が何気に呼ぶ名か、それが。ロゼールの信頼度は最低値を更新した。自らを省みれば聖職に過度な謹厳を求めるのも身勝手だが教会を預かるなら限度もある。
ハルタは少し呆れたような顔をして司祭に小さな包みを手渡した。
「フェリクス、アナタほどほどにしないと、そのうち旦那衆に殺されるわよ」
待って何それ何してるのこの人。訝し気に身じろぐ緋色の頭巾にフェリクス司祭が気付いた。ハルタの背に隠れるロゼールの目深に引いた頭巾をじっと覗き込む。
「もしかして華の聖、」
「違う」
ロゼールはやや食い気味にフェリクスを遮った。
「似ているが別人だ」
「あら、誰に似ているの?」
黙れハルタ。そこに食いつくな。ロゼールが俯いて唸る。
「この者に謀られ邪神の信心を植えられたのだ。どうか祓って貰いたい」
「人聞きが悪いわねえ」
ハルタが笑う。こっちは笑いごとではないのだがとロゼールが口を尖らせる。
「いやいやいやいや無理だ無理。俺なんかにできる訳がない」
フェリクス司祭は慌てて首を振った。
「貴方は司祭だろう。こいつは代理神官だぞ」
「代理も何も邪神さんと神格を比べられてもなあ。だいたいほら仁義だってあるんだから。無暗に他所さまの信者さんをどうこうするのは商売上よろしくないのよ」
「商売ってなんだ」
「ねえ、まだ終わらないの?」
扉の向こうで艶のある声がフェリクスを呼ぶ。
「誰かいるのか」
司祭は慌ててロゼールを遮り扉に張り付いた。ハルタに向かって大声を上げる。
「なあ邪神さん、この娘も嫌がってるみたいだし破門してやったら?」
「嫌よ。せっかく信者を手に入れたのに」
ハルタはにべもない。
「頼む、アラサークさまへの信心を取り戻したいのだ」
ロゼールは縋るように訴えた。頭巾の縁からぎりぎり覘く潤んだ目許が我ながら絶妙の角度などと内心で自画自賛する。ハルタが喉の奥で小さく笑っていた。
フェリクス司祭は呻いた。
律令神アラサークは潔癖で厳格だ。彼女が王国騎士報で見たことのある
「仕方ない。律令神に慈悲を乞うてみよう」
折れてフェリクスは頷いた。よし、とロゼールがケープの下で拳を突き上げる。
無精髭の顎を掻いてフェリクス司祭は祭壇に向き直った。襟を留める。ロゼールはしずしずとついて歩いた。ハルタは壁際に背を預け目を細めて見守っている。
フェリクスが祝詞を上げようと口を開いた。
雷光一閃、祭壇が木っ端微塵に吹き飛んだ。
床、壁問わず木片がばらばらと雹のような音を立て降り注ぐ。年寄りたちが悲鳴を上げ、思いのほか機敏な動作で礼拝堂から逃げ出した。ロゼールはもうもうもうと舞う塵埃に咳き込み、しばし茫然とする。
「ナニ、なんなの」
呆気に取られて声を上げるもののロゼールの背中に冷たい汗が流れる。
「お嬢さん、どうやらあんたアラサークに破門されてるぞ」
「は、破門?」
「邪神さんを払うというより、破門が解けなきゃ
「そんな」
「このままじゃ
何ごとかと戸口に人が集まって来た。
「フェリクス、さっきの音は何だ」
雑貨屋の店主が怯えた顔を覗かせる。焦げて砕けた祭壇の前に佇む三人をどう思っただろう。天窓の光に立ち込める埃が何故か神々しくもあるが。
「それより聞いて驚くな」
我に返った雑貨屋の店主が声を上げる。
「魔物が現れた。でっかい鰐みたいなのが子供を攫って、」
「案内しろ」
言葉が無意識にロゼールの口を突いて出た。理性が後悔するよりも早く、その足は戸口を向いている。
ただしロゼールの手はしっかりハルタの腕を掴んで引き摺っていた。
「ちょっと、ひとりで何とかなさいな」
溜息混じりにハルタがぼやいた。
戸口の店主は勇ましい頭巾の少女に戸惑いつつ、傍にいるのがハルタと知って慌ててかくかくと頷いた。邪神教の代理神官は変なところで信用があるらしい。
「頼む、あんなのここの警団には無理だ」
*****
里外れの農道の真ん中にそれはいた。辺りには乾いた土の匂いのする木組みの小屋が二つ三つ建っているだけで、それ以外はすこんと視界が抜けている。このひと塊だけが混沌の一言に尽きたが、何故か長閑な田畑に馴染んでいた。
我関せず路肩の草を食む驢馬。荷車でけたたましい声を上げる大勢の子どもたち。馬車の傍には後ろから首を抱えられて失神寸前の少女がおり、隣には巨大な鰐頭を付けた全裸の怪人が鼻息とも鼾ともつかないふがふがした音を立てている。
鰐男の股間から伸びた鷹の首が駆け付けたロゼールを見るなりくけーと鳴いた。
「剣の女よ、よくぞ来た」
「そっちが喋るんだ」
吐き気を堪えてロゼールが呟く。ハルタが呆れたように小首を傾げた。
「少しは知性を取り戻しているようね」
「だったら先に服を着ればいいのに」
ロゼールは
人質の驢馬の荷車は仕事に出た親に代って子どもらの面倒を見る託児所の馬車らしい。各家を回って行く途中、突如あらわれた鰐男に奪取されてしまったのだ。
捕らわれた託児所の少女を始め、荷車には大声で泣く男の子、それを慰める女の子、狭い中を駆けまわる男の子、縁から身を乗り出し物珍し気に怪人の股間に手を伸ばす怖いもの知らずの女の子がいた。
頼むからもう少しじっとしていてくれないものか。
「卑怯者め、その子たちを解放しろ」
「ふははは馬鹿め、我に卑怯や羞恥心などといったものはない」
股間の鷹がいきりたつ。ロゼールはうううと呻いて縋るようにハルタを見た。
「だって魔神だもの。しょうがないわね」
そう言って涼しい顔で肩を竦める。ロゼールはがくりと肩を落とし、むうと唇を突き出して魔神を睨んだ。
手負いの鰐男が人質に何をするか、それを考えるとロゼールは迂闊に動けない。
「愚かな人間よ、その罪を償って貰うぞ」
鰐男はそう言うなりロゼールの頭上を仰ぎ越して背後に建つ小屋を見上げた。
「弟よー」
「よくやった兄者ー」
そう叫びながら屋根に現れたのはもう一人の鰐男だった。二つに割れた上顎を縛って留めている。どうやらあれこそ茸屋の裏山で最初に襲って来た奴のようだ。
「うわ増えた」
ロゼールは交互に見て愕然とした。屋根の鰐男も以前はただ化鳥の叫びを上げるだけだったが、今は普通に喋っている。結局あの大きな口は飾りなのか。
「この借りは返してやるぞ。じっくりと舐り回してからよく噛んで美味しく戴いてくれるわ」
屋根の上の鰐男はロゼールの背中が怖気に波立つようなことを言う。
「者どもあの女を捕らえよ」
小屋の後ろから全身タイツの黒い
蛙の森と恰好は同じだが
小屋の上の鰐男が全身タイツを嗾けた。じりじりと迫る
背中に迫った鰐男がロゼールをからかうように巨大な口を開き、人質の少女が悲鳴を上げて気を失った。そのままずり落ち地面に座り込む。
そのとき人質の荷車から身を乗り出した女の子が鰐男の股間で笑う鷹の頸を掴まえた。雑巾のように絞る。鷹の目がびろんと飛び出しくけーと悲鳴を上げた。
ロゼールは振り向きざま
荷車から身を乗り出していた少女は手の中の鷹が消えてしまいきょとんとしている。ロゼールは少女によくやったと微笑んだ。
「後でちゃんと手を洗うんだぞ」
振り返ると全身タイツの半分が弾けて自壊した。やはり魔神が
「待って、ちょっと待って」
包帯の鰐男が屋根から降りようと縁に掴まって足の掛け所を探している。ロゼールはゆっくり排莢し
無造作に切っ先掲げて軒に揺れる生白い尻を撃った。鰐男の悲鳴が尾を引いて、べしゃりと地面で唐突に途切れた。
鰐男ががばっと身を起こす。
「おうおうおう」
尻を押さえて身悶える鰐男に向かってロゼールはつかつかと歩み寄った。全身タイツの群れが一斉に退き、何かを悟ったようにロゼールに道を開けた。
「神罰、覿面」
容赦なく剣を振り下ろすや全身タイツ共々鰐男は黒塵となって四散した。
「残念だわ、せっかくお友達になれたのに」
そう言ってメグちゃんはロゼールを抱きしめた。ハルタと違ってメグちゃんは異性であることも意識しないがロゼールの手はその厚い背中に回りきらなかった。
「これ、本当にいいのか?」
ロゼールは緋色のケープをの端を引いてメグちゃんに訊ねる。
「もちろんよ。似合ってるわ、ロゼールちゃん」
旅立ちのときだ。何となく滞在を重ねたが、勝手に引き篭もっていたのを棚に上げロゼールはメグちゃんに向かって感慨深げに別れを告げるのだった。
里の騒動が落ち着いてすぐ、ロゼールは村を出ることにした。おそるおそる切り出すもハルタはあっさりロゼールに同行することに同意した。むしろハルタの方が乗り気なほどだ。これに乗じて信仰を広めようと画策しているのかも知れない。
これほど根付いた店を構えるにしてはハルタの支度は驚くほど簡素で、荷物は全てロゼールの背負う鞄に収まっている。思えばハルタの旅道具までロゼールが担いでいるのだが、後から気づいて地団太を踏むもハルタは取り合ってくれなかった。
「じゃあお店は頼んだわね」
ハルタがメグちゃんに手を振る。
「いつ二人が戻って来てもいいようにベッドは大きくしておくわ」
メグちゃんが不穏なことを言う。
「いやいやいや、私の家はスカーロフにあるから」
ロゼールは慌てて首を振ったものの、実際は今の自分が王都でどう扱われているのか皆目見当がつかない。城から失踪してそれっきり、だけで済めばよいのだが。
地下の回廊で神官兵らしき敵に追われたことが気に掛かる。だが素直に名乗り出る訳にも行かない。邪教に堕ちたなどと知れたらお終いだ。それだけは避けねば。
今は何よりアラサークの信仰を取り戻すのが先決だった。
「そしてロゼールの旅は始まった。彼女は自らに与えられた使命の大きさと待ち受ける波乱の運命に眩暈さえ覚えるのであった」
「何だそれは」
どこかで聞いたような語りを滔々と詠うハルタにロゼールは呆れた目を向けた。
「アタシたち二人の門出をお祝いしているの」
門出とかお祝いとか、そんな状況ではないのだが。
「勝手にしろ」
溜息を吐きつつ、どこか浮き立つものも隠しきれないロゼールなのだった。
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