第5回 越えろ!アイドル黒歴史

 うっかり野盗を虐殺して落ち込んだりもしたけれど私は元気です。

 浮かれて賑わう街並みをぽかんと見渡しロゼールの頭の中は明後日を彷徨った。

 このファルテリンデに向かう途上の野盗襲撃以来、ロゼールは残りの行程を半分ほど落ち込んで過ごした。道を誤った者は容赦なく魂を神に還すのが聖騎士の務めだが、今のロゼールでは魂そのものを砕いてしまうらしい。浄化ではなく殺戮だ。

 これからおいそれと人を斬れない。

「魔神ならいくらでもお斬りなさいな」

 ハルタは杖を叩いてそう言うが、前回の獅子はともかく変態はもう嫌だ。

 とはいえ、ぐちぐちとハルタに甘え倒したおかげでロゼールもすぐに調子を取り戻した。宿の食事も美味しかったし、馬車の夜明かしも楽しんだりしている。

 そうしてファルテリンデに到着したのだが、街の光景はあまりに予想外だった。

 前の村での噂によればファルテリンデは流行り病で封鎖されているはずだった。そのための医者、は逃げてしまったが、薬品などをわざわざ運んで来たのだ。

 街はお祭り騒ぎだった。

 入り口からして異様な陽気が伝わって来る。ロゼールは何とか気持ちを切り替えようと身構えたが、まだ頭の中は現実が追い付くのを待っている状態だ。

 人が通りに大勢いる。どこから集まったのかと辟易するほどの人波だ。誰も仕事をしていない。軒並み戸口を閉ざして荷場も役場も休業中だ。めいめい勝手な出店を繰り出し延々と軒を連ねている。活気はあるがこの街の日常は止まっていた。

 客も店主も誰もかもおかしな熱に浮かされている。誰も帰って来ない街、その正体がこれだ。流行り病といえばそうだが疫病の類では決してない。祭りのせいだ。

 人を躱して歩きながらロゼールはううんと唸る。思えば道すがら通り過ぎた郊外の田畑もひと気がなくて荒れていた。家畜は勝手に草を食んでいたが、そういえば皆どこへ行ったのかしらとどこか所在なさげに見えた。こういうことだったのだ。

 街をよく見ればインフラが滞って久しい様子だ。豊かに見えるが備蓄を食い潰して崩壊寸前だった。熱狂的で楽し気な人々もどこか憔悴しているように見える。老若男女全てが生活の維持よりも優先すべきものがあると考えているらしい。

「情欲に浮かれてるわねえ」

 辺りの喧騒を面白そうに眺めているものの、ハルタの目線はどこか冷めていた。

「それを言うなら物欲だ」

 ハルタの微妙な言い様にどぎまぎしたロゼールはやや食い気味に口を挿んだ。確かに人々の目つきは危ういが、ここで見る限りみな熱心に商売をしているだけだ。

 そういえばアンスラインの商工会もいっとき商流が過大に膨れたと言っていた。であれば流転神閥エヴォルリーグの得意とするところ、貨幣神ラビータ、報知神ラビリスの双神の領分でもある。

 しかしハルタはロゼールの当て推量に小さく肩を竦めて見せた。

「この人たち自分の見せたいものを出しているだけよ。お店なのはお金が『イイネ』だからだわ。利益を出す気がなければ流転の双神は動かないわね」

 ともあれロゼールは先を急ぐことにした。これが疫病でないにせよ状況はやはり非常事態だ。これが人心の問題ならばなおのこと、二人の行き先は変わらない。

 聖堂は街の中央にあった。

 ロゼールの本来の目的は寄り合いの司教連中を探して自身の破門を解くことにある。田舎気質のブルクセン地方といえど、ここまで来れば聖職も高位のはずだ。

 訪れる街の規模に応じて聖堂もいよいよ立派になって来たのが感慨深かった。二大神閥の棟を個々に持ち中央に祭壇を置く大聖堂の基本形だ。これで立派な司教さえいれば破門も解けるに違いない。いっそハルタの信心も浄化してしまおうか。

「アナタ何か嫌なこと考えてるでしょう」

「ふっふっふ馴れ合いもここまでだ邪神の使徒め」

 ロゼールは立派な聖堂の外観に浮かれて、すっかり強気になっていた。

 ところが聖堂を覗いてみれば、一心に神像を装飾する者、床に絵札を並べてほくそ笑む者、壁といわず柱といわず絵を書き殴る者といった類に占拠されている。

 やはり肝心の司祭がどこにもいなかった。

「外にいるかも知れないわよ? 一緒に捜してみましょうよ」

 肩を落としたロゼールは却ってハルタに慰められる始末だった。


 街の中心部はさらに活発だった。道や集会場など至る所に机を並べ、大声で客を呼び込んでいる。しかも二人が目立たぬほど奇天烈な格好で闊歩する集団もいた。

 アンスラインの冒険者協会フリーターズギルドで見たようなのも多いが駐留の騎士侯でもいたのか本物が混じっている。完全武装の重騎士が自分に酔っているから始末が悪い。

「あらあら、あっちのは何かしらね」

 司祭を捜すと言った舌の根も乾かぬうちにハルタはふわふわと勝手に歩き回る。人混みで逸れないようロゼールはハルタの袖を掴まえ手を引いて歩き出した。

 うっかり目を離したらどこかに捉まりそうで危なっかしい。毅然と歩くロゼールはこの人混みからどう司教を見つけようかと思案しつつ辺りを見回した。

 ふと通りに並んだ机に目を留め、整然と並んだ薄手の冊子の前に立ち止まる。

 精緻な線で描かれているのは白衣騎士団のオーギュスト・デュパールと大聖堂の準司教エミリアン・ベルジュだろうか。眼鏡や巻き毛があってこそだが上手く特徴を捉えている。歳の離れた親友と王国騎士報に紹介され話題になった二人だった。

 一瞬脳裏に閃きを感じてロゼールは冊子を手に取った。咄嗟に純潔の誓約が反応する。小さな四角の目隠しでは間に合わず開いた誌面はロゼールの視界の中で真っ黒に塗りつぶされた。思わず純潔の誓約にちっと舌打ちして冊子を閉じる。

 ふと戦友を見るような店主の少女と目が合った。ロゼールが小さく頷く。

「端から戴こう」

「ちょっとロゼール」

「黙れ、これは検閲だ。おっとそちらの外伝も戴こうか」

 見ればこうした冊子を売る店はそこかしこにあった。派手であからさまな幟を上げて宣伝している所もある。壁面を陣取った店は人も多く長蛇の列をなしていた。

 ロゼールは身近な者の似姿を見て再び歩みを止めた。ぜんぜん先に進まない。

 天然色刷りフルカラーのそれはロゼールの純潔騎士団で副総長を務めるヴィクトル・ダルテスパンだ。経歴はロゼールより遥かに長い三十路の偉丈夫で騎士団の象徴でもある一角獣プリエールを世話している。仲睦まじいその姿は傍目に親友のようだった。

「あら純潔騎士団って男の人もいるのね」

 ハルタがロゼールの手許を覗き込んで訊ねた。純潔騎士団の歴代総長は女性が多く確かにそうした誤解もある。ロゼールは胸を張ってハルタに話して聞かせた。

「皆は何故か誤解しているが純潔騎士団の半分以上は男だぞ。女子は十代で団を離れることも多いが男子はいずれも長く務める立派な経歴の持ち主だ。ヴィクトルなどは三十年来の名誉騎士なのだからな。私も当然だが皆の信頼も篤い男だ」

「魔法使いじゃなくて?」

 ロゼールがきょとんとハルタを見上げる。

「神霊術は使えるが、それがどうした」

 いいえ気にしないでとロゼールに手を振ってハルタはどこか遠い目をした。

 ふと思い出し、司教はどこだとロゼールは人通りを見渡すものの、気づけば目線は店先を眺めている。ロゼールはようやくこの状況の危うさに気が付いた。

 だがそれよりも先に己が身の危機を自覚した。この流れは拙い。きっとアレもある。間近に迫った破滅の予感にロゼールの全身から冷たい汗が噴き出した。

 そんなロゼールをお構いなしにハルタは辺りを見渡している。人だかりの店先に飾られた天然色刷りフルカラーの写し絵を眺め、ふと小首を傾げてロゼールを手招きした。

「ねえロゼール、あれって」

「ひょおおおおおお」

 見るなり化鳥の声を上げロゼールはハルタの前に立ち塞がった。爪先立ってばたばたと手を振り、ぱんと両手でハルタの頬を挟むや首を明後日の方に捻じ上げる。何事かと集まる目線に飛び上がり、ロゼールは頭巾を鼻まで絞って俯いた。

「ちよっとアナタ、普通だったら死んでるわよ」

 首を嵌め戻しながらハルタが口を尖らせる。ロゼールは腰を丸めて耳と目を塞ぎ、こうしていれば現実は消えてくれるはずとばかりにぶるぶると震えていた。

「おや、もしや君は華の姫騎士フルラージュを知らないのかな?」

 不意に長い列の後ろにいた見知らぬ男がハルタを振り返った。ハルタは男が頭上に掲げた札を見返したが、そこには「最後尾はこちら」と書いてあるだけだった。

「大人の事情で解散の憂き目にあったが、今なお天頂偶像トップアイドルとしてこの国に君臨するこの三人の姫騎士を。活躍したのは早や二年前だが、我々信者はこうして根強く活動を続けているのだ」

 どどーん。男がよく分からない格好を決めた。早口なうえに喋るにつれて口がしゃくれて来る。どこかで見た銀の飾り鎧と作り物の大きな剣を背に担いでいた。

「いま世間を騒がせている傾国過激団と人気を二分するとも言われるが、なあに彼女らの如き破廉恥な地下系偶像ライブアイドルとは格が違う。天真爛漫、純情可憐、あの大聖堂中央公会堂の鮮烈な幕開けから僅かな刻を彗星の如く駆け抜けたルクスアンデルの華三輪すなわち、」

 唐突に男の後ろの赤い衣装が振り返った。両手を捩じって頭上にびしりと翳す。

「鮮華の姫騎士、紅百合の君スカーレットリリィことリリアーテ・ベラ=サレイユっ」

 さらにその前の黒い衣装がくるりと回って、むんと顎先を空に突き上げる。

「刃華の姫騎士、黒睡蓮の君ブラックロータスことクロエ・プルダリオっ」

「そして」

 男は背中の張りぼての剣を引き抜くや、明後日の方に掲げて声高らかに叫んだ。

「烈華の姫騎士、白薔薇の君ホワイトローズことロゼー、」

 べこんと鈍い音を立て男が跳ね飛んだ。

「きえええええ」

 ロゼールが再び化鳥の如き叫び声を上げ、ポーズを決めたまま竦んだ男を次々と蹴り飛ばした。ケープの下から黄金の翼エルドールを抜き放ち、血走った目で振りかぶる。

「こいつら全員殺して私も死ぬ」

「アナタ人を斬るのはどうとか言ってたでしょ」

 狂ったように黒刃を振り回すロゼールを抱えてハルタはその場を逃げ出した。

 人波を縫って通りを駆ける。流れに逆らわず距離を稼ぐ。門が限られているせいで裏通りとの差が激しく、路地に駆け込めばほぼ無人だった。ハルタは高い壁の裏に身を潜めると、ロゼールが正気に戻るのを待って呆れたような目を向けた。

「アナタ時々面白いわね」

「違うもん違うもん私じゃないもん」

 ロゼールは顔を覆って首を振る。機動甲冑の放熱板もかくやと赤熱していた。

 確かに浮かれて調子に乗った。歌って踊って原色頁グラビアの写し絵集を出して握手会なんかもしたりもした。だがそれはあくまで聖騎士としての使命ひいては神のため。奉加が凄かったのだ。まだ分別のない十四歳の子どもだったからなのだ。

 しかも実際の活動期間はそれほど長くなかった。

 興業の暴利を巡ってゼナイド師匠が担当司教を血祭りにしたのを遠因に、クロエは奉神の解放神閥ケイオスリーグの黒衣騎士団に、リリアーテは王族の橋渡しとして白衣騎士団に移籍することになり華の三騎士はその短い活躍の幕を閉じたのだ。

 当時のロゼールはそこで我に返った。思い返せば幼い媚態だ。しどけなさすら拙くて、まるで幼児が化粧道具で遊んでいるようだった。自分は何故あれを可愛いなどと思い込んだのか。夜毎に後悔に身悶えてベッドを転げ落ちる日々が続いた。

 以来ロゼールの周囲でこの話題に触れる者は悉く不幸に見舞われたのだが、かといって出会い頭のハルタのように無碍なく知らぬと言われたならば傷つくのもまた乙女心。しかも未だ根強いこの人気にまだ行けるんじゃねとも思ってしまうのだ。

 実に複雑なのである。

 ロゼールはようやく落ち着いて状況を振り返った。このままでは拙い。外から来た者がこの浮かれた空気に取り込まれたら危険だ。邪神の庇護下の二人には、たまたま耐性があっただけかも知れない。いやロゼールは十分に危うかったが。

「この状況、もしや魔神のせいか」

 はっとしてロゼールは立ち上がった。

「アナタそれ今ごろ気が付いたの?」

 ハルタに言われて目を逸らす。ごめんなさい夢中で分かりませんでした。

「人の情欲を糧に手っ取り早く力を取り戻そうとしているのよ。やり方は雑だけれど、人の内が露わになるの嫌いじゃないわ。そのうち寝食を忘れて死なせちゃうでしょうけど」

「邪神の使徒め」

「あらアナタもよ?」

 そうだった。ロゼール思わず突っ伏した。だがこの街の人々を衰弱死させる訳にもいかない。一刻も早く元凶の魔神を見つけ出し、ついでに司教を捜さなければ。

 ふと微かに地面が揺れていることに気付いた。

 高く立ち上がる壁に意識を向けると歓声が聞こえた。向こう側に人が集まっている。それもかなり大勢だ。何か催されているのだろう、それがこの揺れの原因だ。

 ロゼールは頭巾を目深に下げてハルタに行こうと促した。この規模の騒動なら、きっとこの街に掛けられた呪いに関係があるに違いない。

 ロゼールはうっかり蹴り倒してしまった現役信者がいないか窺いながら人の流れを追って行った。高い壁の先には木組みの門があり大きな看板が掛けられていた。

『傾国過激団中継観劇ライブスクリーン


 *****


 広場には大勢が詰め掛けていた。奥の舞台には巨大な視伝盤が、その周囲には幾つもの音伝盤が配されている。遠隔地からの写し絵と音声をありのまま中継しようというのだろう。恐らく流転神閥エヴォルリーグ由来の魔術が投入されているに違いない。

 教皇領が選挙に持ち出すほどの大規模な機材だ。もっと他にましな使い方もあるだろうにとロゼールは呆れた。

「いつの世も欲望が技術を発展させるのよ」

 ハルタはどこか遠い目をして悟ったようなことを呟いている。

 すでに中継が始まって久しいのか、場はかなりの熱気を孕んでいた。ロゼールが舞台に目を眇めると視伝盤には画面一杯に五人の少女が踊っている。

 これが話題の地下系偶像ライブアイドル、傾国過激団らしい。

 豹柄、網タイツ、ベビードール、ゴシック、チャイナと全く統一感のない衣装だが、こうも違えば逆にまとまって見えるから不思議だ。ただしいずれも扇情的で危うい。それってちょっと反則かなとロゼールは内心で口を尖らせるのだった。

「おや、もしや貴殿はご存知ないのですかな」

 前にいた男が唐突に二人を振り返った。こういう類の解説好きが素人を見抜く嗅覚は異常だ。ハルタはにこにこしているがロゼールは引き攣った口許を隠した。

 解説男は傾国過激団の五人はシトリ、ベルベット、ランジェ、エリー、ゼルダという愛称で、呼ぶときもそれぞれちゃん、さま、姫、たん、姐と敬称を使い分けるのが信者としての常識なのだ、などといったことを二人に早口で捲し立てる。

「あ」

 ロゼールが解説男を突き飛ばした。男の向こう舞台の前ほどに楽曲に合わせて一糸乱れぬ振りを披露する集団がいる。あれは祭服だ。しかもかなりの上仕立てで司教冠まで被っている。

 ロゼールの顎がかくんと落ちた。行方不明の司教に違いない。

 曲の終わりに派手な振りをびしりと決め司教たちはすっかり自分に酔っている。

「何をやっているのだ」

 とりあえずロゼールは自分を棚に上げた。人波を掻き分け司教に近づこうとしたそのとき、舞台が動いた。視伝盤の公演がひと段落し袖から人影が現れたのだ。

「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」

 よく通る声で手と腰を振りながらやって来る男はどうやらこの会場の司会役らしい。その姿を見た途端ロゼールの口許は酸っぱいものを詰め込んだようになった。

 靴と靴下、白い手袋、蝶の形の襟締めをしている。だが全裸だ。黒く膨らんだ布が申し訳程度に股間を覆っているだけだ。微妙に筋肉質なのが余計に気持ち悪い。

「魔神だな」

 吐き気を堪えてロゼールが呻いた。純潔の誓約が黒い布の縁に小さな四角い模様をちらちらさせるのが鬱陶しい。知りたくもないが何が覗いているというのだ。

「人を見た目で判断するのは良くないけど残念ながらあれは人じゃないわね」

 ハルタは答えるのも面倒くさげにそう言った。

「如何でしたか、楽しんでいただけましたでしょうか、傾国過激団の中継観劇ライブスクリーン

 司会の問いに観客が歓声で応える。視伝盤に写った五人もこちらに手を振っていた。ロゼールはその少女たちの目にも嫌なものを感じてハルタを振り返った。

「もしやあの五人も」

「そのようね」

 恐らく人の情欲を煽る手段として仕組まれたのだろう。思った以上に大規模な侵略だ。今この街で行われている人の嗜好を自主的に搾り出す策よりも進んでいる。情動に勢いと方向性を加えることで一気に放出させる気なのだろう。より悪辣だ。

「ありがとう、ありがとう皆さま、お子ちゃまの華の三騎士とはぜんっぜん違う大人の魅力、堪能していただけたみたいで、」

「待てい」

 会場からの突然の声に司会の声が途切れた。

 ここには決して傾国過激団の信者のみが集まっている訳ではなかった。中継観劇ライブスクリーンの物珍しさに来た者もいれば、そこには何より華の三騎士を慕う旧来の信者も数多くいたのである。

 ただ、つい声を上げてしまったのはロゼール本人だった。

「やっぱりアナタ時々面白いわね」

 ハルタが呆れて囁くも、注視を浴びたロゼールは引くに引けなくなっていた。

「おやあ、どうやら仲間じゃない方がいるようですねえ」

 裸襟締めの司会がさらに会場の注目を集める。

「ハイ、そこのあなた」

 会場が一斉にロゼールを振り返った。ロゼールの割り込みを好機に司会は観客席を掌握していた。周囲は流され操られている。ロゼールがうぐぐと歯噛みした。

「きさま魔神だな」

 ロゼールはやけになって黄金の翼エルドールを引き抜き黒刃の切っ先を司会に向ける。

 裸襟締めの司会は不敵な笑みを浮かべ両手でゆっくり頭上にアーチを作った。

 マル

 観客も一斉に同じ動作をする。

「おとなしく皆を解放しろ」

 バツ

 操られているとはいえ無辜の神民だ。迂闊に手を出す訳にはいかない。斬れば魂が砕けてしまう。ロゼールは人垣の無言の圧力に後退った。このまま一旦引くべきか。会場の端はすぐ後ろだ。背にした櫓台の上には後部の視伝盤が乗っている。

 ふと観客の中にロゼールに蹴られた痕も生々しい華の三騎士を真似た者たちを見つけた。私の信者だって言ったくせに、などと内心いじけるも見れば何やら様子がおかしい。流されつつも辺りを窺っている。完全に操られてはいないのだ。

「行きなさいロゼール、みんな待ってるわ」

 ロゼールが気付いたのを見てハルタが背中を押した。実は面白がっている。

「邪神の使徒め」

 ロゼールは真っ赤になって唇を噛むと視伝盤の櫓台に駆け上がった。息を大きく吸って一か八かで頭巾を払う。見上げる無数の視線に対峙して観客を見渡した。

「みんなーひっさしぶりー」

 階上がぽかんと静まり返った。

 額に噴き出す脂汗と同期して、ぽつりぽつりと観客席に呟きが弾けて行く。

白薔薇の君ホワイトローズ?」

「ロゼールちゃん?」

 点々とした声が重なる。その声はやがてうねりになり、臨界を超えて爆発した。

白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ

「ロゼールちゃーん、ほっほー」

「ほっほー」

 なにアナタそんなにぶりぶりだったの? ハルタの呆れた視線を真っ赤になって無理やり視界の隅に追い遣り、ロゼールは客席に向かって声を張り上げた。

「みんなーいっくよー」

 剣を振り翳す。

「道を開けてー」

 舞台に向かってそれを薙ぎ、客席を割るように振り下ろした。

白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ

 人垣が断ち割れた。貫く剥き身の地面の先に司会が独り呆然と竦んでいる。

「ロゼール」

 飛び降りようとしたロゼールを呼び止め、ハルタが聖杖を振る。目の前に黒塵が膨れ上がり小屋ほどもある獅子が姿を成した。観客におおおとどよめきが渡る。

 おそらく野盗を操っていた魔神の化身だ。獅子はロゼールを振り返るや口の端をにやりと持ち上げ櫓の前に蹲った。ロゼールが躊躇いもなくその背に乗ると獅子は轟く咆哮を上げて飛び出した。

「ロゼールちゃーん、ほっほー」

 叫ぶ観客の真ん中を獅子の背に乗ったロゼールが走り抜ける。

「ほっほー、ほっほー、ほっほー」

 呆気に取られた裸襟締めを前に獅子の背を蹴ってロゼールは宙を舞った。

「神罰」

「しんばーつ」

 黄金の翼エルドールを振り翳し叫ぶロゼールの決め台詞に合わせて会場が唱和する。

「覿面」

「てっきめん」

 二つに割れた裸襟締め司会が断末魔の叫びを上げて霧散した。最後までよく通る声だった。瞬間、客席の全てが息を呑み時が止まったかのように静まり返る。

 舞台の上にひとり立つロゼールは空に剣を突き上げた。

 歓声が爆ぜた。

白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ白薔薇の君ホワイトローズ

「ロゼールちゃーん、ほっほー」

「ほっほー、ほっほー、ほっほー」

 やってしまった。

 つい勢いに任せてしまった。

 嵐のような歓声に応えながらもロゼールは全身の血の気が引いていた。膝の下からゆっくりと羞恥心が這い上って来る。いちど意識してしまったらもう終わりだ。

「やるじゃない白薔薇の君ホワイトローズ

 背中の視伝盤が息を吹き返した。妖艶な唇の大写しに始まり画角は傾国過激団のゼルダに引いて行く。シトリ、ベルベット、ランジェ、エリーと、互いの身を寄せて挑発する際どい姿の四人の少女と共にゼルダは舞台のロゼールを見おろした。

「エルアリーナにいらっしゃい。私たちの常設劇場で待っているわ」

 妖しい笑みで言い放ち、ふ、と投げた吐息に視伝盤が途切れた。

 対バンだ、対バンだとどよめきが走る。

「これからも応援よろしくっ」

 何か言わねばと叫んだ言葉に我に返りロゼールは舞台袖に向かって逃げ出した。

 頭巾を深く引き下げながら全速力で走り去る。ふおおおと化鳥の声を上げ、焦げ付きそうな頬を誤魔化した。いっそこのまま地の果てまでも逃げ去りたかった。


 それからじきに街は我に返った。例の如くロゼールが引き篭もっている間に。

 夢から覚めた人々は徐々に日常を取り戻し始めている。ロゼールの祈りは届くことなく狂騒の日々との君白薔薇ホワイトローズは人々の記憶から消えていなかった。

「これは大破門に相当する追放だ。大司教さまでさえ再洗礼は一筋縄で行くまい」

「むしろ公の宣告もなく、こんな処分が存在することが信じられません」

「いっそ神器の技に近しいか。ならば神器でなければ破門を解くのも難しかろう」

 正気に返った司教たちは正体を隠したロゼールを診て口々にそう言った。正体を察してはいるものの互いの醜態を指摘しないという暗黙の了解が成り立っている。

 司教たちの指摘はロゼールの不幸に追い打ちを掛けたが、つまるところ開き直るしかないということでもあった。大司教なら王都スカーロフの大聖堂を目指す他ない。ロゼールにとっては複雑で危険極まりない帰郷だ。

「でも、その前に」

 傾国過激団がエルアリーナで待っている。

 勝手な挑発といえど、このまま魔神を放置する訳にはいかない。常設会場を持つ相手の有利は承知の上だがロゼールに逃げる選択肢はなかった。

「大丈夫かしらね。心配だわ」

 対してハルタはいつになく不安気な様子だ。何か小さな写し絵を眺めている。

「ぎいやあああ」

 絶叫したロゼールがハルタから写し絵を奪い取った。何度も何度も執拗に引き裂いて捨てる。自分史どころか純潔騎士団の暗部、天然色刷りフルカラーの免罪符だ。その写し絵には媚々の笑顔を決めた怖いもの知らずの十四歳のロゼールが写っていたのだ。

「アナタたちこれを握手権付きで売り捌いてたんですって? 神をも恐れぬ所業とはこのことよね。信者さんのところで山積みになってたのを貰って来たのよ」

 ハルタはそう言って目を細めると懐から何枚もの写し絵を取り出して見せた。

「あああああ」

 再度絶叫してハルタの手から払い落とすと、ロゼールはじたじたと何度も写し絵をを踏み締めた。ハルタの目に居た堪れず走り出す。いっそこのまま地の果てまでも逃げ去りたかった。

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