チュートリアル戦闘は、戦闘方法をマスターするためには大変重要なイベントです
私は屋根の上から、皆が刀を引き抜いて、猪と対峙し出したのを見て考え込む。
記憶の中のチュートリアル戦闘だったら、前線キャラが足止めして、その間に星詠みが呪文詠唱をして術で仕留めるか、術で前線キャラを強化するかで仕留める、基本的な戦闘方法をマスターする初プレイヤー用イベントだったはずなんだ。
それが、いくらなんでも星詠みどころか、後方キャラ抜きでチュートリアル戦闘なんかするか?
考えられるのは三つ。
これはあくまでイベント戦闘であり、全滅エンドはないってこと……いやいや、この乙女ゲームのメーカーはあのブラックサレナだぞ。戦闘イベントをイベント戦闘にして手も足も出ない内に終了なんてするくらいだったら「初見殺しでイベント戦闘と見せかけて全滅エンド」のほうがまだあり得る……相変わらずここの乙女ゲーム、自分が乙女ゲームだってことを忘れているな……。
もしこのふたつの可能性がないのだとしたら、残りひとつ……恋愛イベントのシナリオ修正にばかり力を入れて、ゲームのレベルバランスを計算するのを忘れた……。正直、一番考えたくないことだけれど、もう前世の頃から『黄昏の刻』のクソプロデューサーのことを信用していない。乙女ゲームだということを思い出させるぞと息巻いていたのだから、これ位初歩的なことをやらかしそうなんだもの。
馬鹿ぁぁぁぁ。『黄昏の刻』は乙女ゲームであるのと同時にRPGなんだぞ!? 初見殺しのレベルバランスで旅がはじまる前に全滅するゲームを、誰がプレイするっちゅうんじゃ!
……落ち着け。逆に考えれば、これはチャンスなんじゃないか?
神社は清められている関係で、ここからだったら魑魅魍魎は入ってこられない。おまけに紅葉の目の力で、戦況は全部見える。
星詠みが今、里の周辺を清め直していて身動きが取れなくっても、あとひとりの攻略対象を捕まえてきて、ここから支援したら、どうにか皆がやられるのは回避できるんじゃないか?
全滅エンドになんてさせない。
私は必死で目を凝らして、里の中を探し回る。
ほとんどの里の人たちは、皆必死に走り回って家の中に逃げ込んでいる……大丈夫、さっきの猪以外の魑魅魍魎は、里の中にまで入ってこられなかったみたいだ。黒いもやが見えているのだけが気になるけれど、これくらいだったら星詠みが清めたら終わる。
そして私は探している人物を見つけた。この里でも目立つ赤髪に、派手に着崩した直垂姿で……背中に弓と矢筒を引っ掛けている。彼は里の広場でいつものように踊りを披露していたところ、客が一斉に家に帰ってしまったため、ひとりで踊っていたみたい。本当に我関せずだな。里が大変なことになっているのに。
私はどうにか屋根を降りると、広場まで走って行った。
お願いだから、黒いもやこっちに来るなよ。いきなり黒いもやに取り憑かれて魑魅魍魎になったとかなんて怖ろし過ぎるからね。私が走って行った先に、先程見かけた攻略対象のひとりが踊っていた。
関節がいったいどうなっているのか、ゴムのようにぐにゃぐにゃなのか、とにかく掴み所のない動きだった。
さっきの鈴鹿の剣舞は柳の枝のようなしなやかさだったけれど、こちらはどうなんだろう。タコとも違うし。
「
私は叫ぶと、ようやく踊りを止めてこちらに顔を向けた。
利仁は里に住み着いた根無し草の踊り子で……守護者に選ばれて旅に出るキャラだ。
「なんじゃ、紅葉。そなたはてっきり屋敷に帰ったと思っておったが」
「私は神社に逃がされていたんですけれど……心配で魑魅魍魎を追っていった皆を見ていたら、猪と対峙しているみたいで! さすがに侍たちだけで猪を仕留めるのは無理です! 今は星詠みの方たちも出払っていますし……助けてください!」
「ふむ」
利仁はこちらを値踏みするように見てくる。
……ああ、そうだ。この究極のマイペースは、預言でも都からの命令でも動かず、興味を示したから旅に出た口だった。そしてそれは鈴鹿に興味を持ったから旅に出てくれたのであって、頭領の娘の紅葉にはなんの興味も示せてなかった。
どうしよう。利仁の興味を示す基準って、リメイク版でも変わってないの? 本家本元でも選択肢で興味持たせることができなかったから、戦闘にずっと連れ回して無理矢理興味持たせてエンディングに辿り着いたんだった。
でも、この人興味を示さなかったら、たとえ人の命がかかっていても動いてくれないぞ!?
私は頭を抱えて、ただ面白みもなく頭を下げた。
「お願いします、あちらには鈴鹿がいるんです……私の友達なんです。助けてください」
「ふむ。ならばそなたはなにを差し出せる?」
「はい?」
差し出す? なにを?
そもそも利仁ってこんなことを言うキャラだったっけか。私は困って顔を上げると、利仁は続ける。
「そなたがあれを友と呼び、助けたいのは理解できる。しかしそれを我が手助けする理由がない。ならそなたは我を動かさねばならぬ。我にそなたを助ける動機を差し出すといい」
あーあーあーあー……。
そうだ、この人こっちが下から言っても絶対に助けてくれない。里のピンチでも、この人の動機にはならないんだ。だって、興味がないか! なんじゃそりゃとは思っても、この人こういう人なんだよ。知ってた。というか思い出した。
私は頭を痛めつつ、彼の背中の弓と矢筒を見る。
「……あなたが手伝ってくれないならもう結構です。その替わり、その背中の弓矢を貸してください」
「ほう?」
「私、目だけはいいんです。それしかありませんけど……皆を助けられるなら」
正直、ゲームの中でだったらともかく、紅葉も私も、弓矢なんか触ったことがない。どんなに目がよくっても、腕力がなかったら弓なんて引けないはずだけれど。
私は矢を宛がうと、ギリギリと弦を引いた……里の反対側では、侍たちが猪と必死で対峙しているけれど、やっぱりというべきか苦戦している。そりゃそうだ。あれは猪突猛進なんだから、足止めしなかったら跳ね飛ばされてしまう。だから後方支援の星詠みが必要なのに、いないんだもの。
せめて弓矢で足止めしたら、皆で一斉攻撃して猪を倒せるのに。
私は大声を出す。
「お願い、皆どいてください……っ!!」
矢は、私が思っている以上に猛スピードで、真っ直ぐに飛んでいった。
でもそれは地面を突き刺し、猪の足下にかすっただけだった。猪はこちらに振り返る。
「紅葉様、すぐに神社にお戻りくださいっ……!」
猪をどうにか食い止めようと刀を広げて猪を堰き止めているけれど、猪の頭突きで、とうとう維茂は跳ね飛ばされた。反対側だというのに、猪はこちらに猪突猛進で突っ走ってくる。
逃げないと。わかっているのに、私はとうとう腰を抜かしてしまった。
「……やれやれ、発想はいいが、腕がないと見受ける。まあ、猪の足下まで矢が飛んだのなら上々だろうな」
呆れた声を上げた利仁は、私から弓矢を取り上げた。
「これが望みであろう?」
そう言って、私だったら力一杯引かなかったら動かなかった弦を本当に軽々と引いて、矢を連続で射貫いた。
プスンプスン、と猪に矢が刺さり、あれだけ早かった動きが止まる。
跳ね飛ばされて受け身で転がっていた維茂に、一瞬呆気に取られていた鈴鹿と田村丸は、そこでようやく猪に襲いかかった。
「動きの止まった、今なら……!」
鈴鹿の流麗な太刀筋が。
田村丸の長すぎる長刀の雄々しい太刀筋が。
そして、維茂の堅実で力強い太刀筋が。
それぞれ猪の身を抉り、やっとのことで黒いもやが吹き上がり、それは霧散した。
魑魅魍魎が倒せたのだ。
「よ、よかった……ありがとうございます」
私は涼しげな顔をしている利仁にお礼を言った。利仁は「ふん」と鼻で笑う。
「できもしないことをするのは蛮勇よの。じゃが、少しは面白かった。少しは、じゃが」
こちらへようやく間に合った星詠みたちが走ってきた。ここを清めたら、里も元通りだろうと、私はしばらくの間座り込んだまま、その様子を見ていたのだ。
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