優等生

川谷パルテノン

優等生

 図書室で借りた本。ページとページの間から落ちた封筒。おじいさんが笑っている挿絵、そこに挟まれていた。名前はない。間違えて挟んだまま返されたのだろうか。僕はそれを開けてしまった。A4のコピー紙。中央に綺麗な、小さな字で"ごめんなさい さようなら"と書かれていた。手書きだ。直感的に遺書だと思った。書いた人物はわからない。ただ二言だけ。


 次の日、僕は遺書を鞄に忍ばせて登校した。誰かの決意がすぐそばにあるというのは変な感じだ。おはようという同級生のあいさつが遠かった。授業中、机の中から取り出して、先生や周りから気づかれないようにこっそりと読む。すぐに読み終わる。二言しかないから。でも綺麗な字だ。ごめんなさい、も。さようなら、も。どこか潔くさえ感じる。見えない書き手の腕はか細く、透き通るような白い肌が脳裏をかすめた。

「おい、聞いてるのか」

 意識が離れすぎた。急に現実が前を塞ぐ。僕は呼ばれているような思いだった。


「ユザワ? ねえユザワってば! 聞いてんの!?」

 また意識が薄らいでいた。心が体から遠のいている。遺書のことを考えてしまっていた。キクチさんは一年の時から同じクラスで、図書委員だった。図書新聞のコピーを手伝ってほしいと頼まれていた。

「最近返却率悪くてさ……」

 彼女が話す言葉は断片的で、僕はテキトーな相槌を打っていた。さすがに見透かされて少し怒っている。

「まあ、いいけど。あんたなんか顔色悪いよ。大丈夫?」

「僕は、大丈夫。キクチさん、あのさ」

「なに」

「あの、えっと いやなんでもない」

「キモチワルッ あんたほんと大丈夫?」

 僕はキクチさんに遺書のことを共有してみようかと思いつつやめた。妙ないい方だけどキクチさんはあまりにも生きてる人だったから。邪魔をしちゃいけないとナゼかそう思って踏みとどまったのだ。

「ユザワさ、今度の日曜ヒマ?」

「なんで?」

「なんでって……その、えっと」

「何?」

「あんた、自分は中途半端なくせにめっちゃグイグイくるじゃん! あ、もうそのあれよッ ケーキの甘い店があって!」

「ケーキの甘い店?」

「だーかーらー! ヒマかどうかどうなのよ!」

「一緒に行こうってこと? いいけど」

「ホントに? 約束だからね」


 土曜の夜、僕はまだ遺書を眺めていた。借りた本は一行も読まずに返してしまった。キクチさんとは昼に待ち合わせていたから、その前に行っておこうと思った。


 港の方へ続く橋。その中央はこの辺りで一番高い場所だった。歩道も併設されていたけれど殆どがトラックのような大型車の往来に使われていた。自転車を漕ぎながら風に体が流されそうになる。僕は中央にまで来ると自転車を停めた。そこで遺書を取り出す。ごめんなさい さようなら。トラックよりも大きな、トレーラーが横を走っていく。大きな音が他をかき消して、風圧が僕を押した。「あっ」と思った時には手から紙が離れていた。おまけにメガネまで。橋の下の海へと向かってメガネは消えた。遺書の方はどこか鳥のように宙を舞いながらやがてわからなくなった。僕にはもう届かない。


「遅くなってごめんね」

「あれ。ユザワ、今日コンタクト? いいじゃんいいじゃん」


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