第2話
東海道線を降りて改札を跨いだら、昔はよく迷っていた左右の分岐の内エスカレーターの見える方を選ぶ。二〇二〇年現在、新設された商業施設に「高そうだな」と一瞥し西口を出るとバスターミナルが広がり、左手にはジョイナス、右手にはモアーズや銀行が立ち並ぶ中で、私が浪人生時代通っていた塾の方角へ往く。横浜駅から徒歩八分、一昨日飲んだ店とそう遠くない距離に私の勤める会社はある。
無事誰とも遭遇しないまま四階のデスクに着き、朝からハードな仕事に取り掛かる。頭の裏で昨日の興奮が鳴り止まず却って仕事が手に付いた。一時間半程パソコンを弄った後、ここで漏らせば社内にその名が轟くだろうと思いながら同階のトイレへ行くことにした。
「やっほーメアリちゃん」すると化粧鏡の前に木根洲が立っていた。平然とした表情は女犯の罪悪感を微塵も思わせない。逆に彼女の一糸纏わない姿を想像すると居た堪れないので、早速訊き出すことにしよう。
「木根洲と他の三人が一昨日の飲み会開始から寝るまで何をしていたか、教えてくれない?」
「別に良いけど何故?」膨らみのある彼女の頭上に疑問符が浮かぶ。
「酔いのせいで十九時以降の記憶が全く無いんだ。それと」寝取られた件を口にしかけるが、噂が拡張されると不味いので控えておこう。
「出来れば十分単位で誰と何処で何をしていたのか、教えて欲しい」
「わたしも例の如く泥酔だったらしいから参考に留めてよ」と予防線を張るけど、元より彼女の証言には大して期待していない。残り三人を訪ねる際には酒の強い順に信用することにしよう。
「えぇと、メアリが覚えている飲み会は二十時零分まで続いて、獺祭先輩が閉店前に服を見たいと言い出したから皆でジョイナスに入った。二十時三十分から別の近場へ二次会に行くことが賛成多数で可決され、二十二時十分まで続いたけどロゼ先輩は途中の二十一時三十分でリタイアして店を出た」
「二次会には私も参加していたの?」
「勿論、主役だもの」何と私の行動は意識の有無を問わないらしい。下手に愚痴や注文品を吐いていないだろうか。
「二十二時三十分、家に帰ったと思っていたロゼ先輩が『ベンチで休んでいたわ』と言いながら横浜駅で再合流する。二十二時四十分、皆で東海道線に乗り十分間揺られて川崎へ着く。ロゼ先輩も一緒ね」
「ほぅ」各最寄りは私が川崎、木根洲が平間、斜塔が鶴見、獺祭が登戸、角腐が武蔵小杉となっており、斜塔以外は京浜東北線あるいは東海道線と南武線を使うが斜塔は京浜東北線のみ、通勤圏外の川崎へは少なからず交通費を払って同伴したはずだ。私を祝う心からそこまで費やしてくれたなら有難いけど何処か怪しいな。
「二十三時零分にアゼリアのカフェに入り、少しお酒を飲んだら二十三時二十分に早々と出て、メアリとロゼ先輩を残してわたし達三人は南武線に乗った……はずだけど、電車の記憶が全く無い。もしかすると先輩達が平間から送迎してくれたのかもしれない」後でわたしも確認しようと加えて言う。彼女の真偽は共犯でない限り獺祭と角腐の証言を聞けば分かるようだ。
「というか、メアリがSNSで聞いた方が早いんじゃない?」言われて確かにそうだと思ったが、対面で会えば振る舞いを観察しながら嘘を嗅ぎ取れるという利点を思い付いた。ネット上では幾らでも嘘を吐けるから。木根洲の投稿を覗いてみると二十三時五十分頃に『たのしかったぁ』馬鹿みたいな絵文字付きで呟いており、他の三人に移ると斜塔は二十三時四十分頃に自宅らしき壁を背景に自撮りを上げ、獺祭は十八時二十分頃、飲みの最中にいつの間にか撮られていた写真を上げ、角腐の投稿は無い。文字より写真の方が信用度は高いが果たしてどうやら。
さて、これらの情報が揃った中で誰が犯人か。角腐や獺祭、木根洲の場合は木根洲の証言は偽で、カフェの後に連行された等の線があるが、ただでさえ下戸で臆病な木根洲が大胆な行動に出るとは考えにくい。斜塔の場合は木根洲の証言は真で、二人になった瞬間に野生の牙を剥いた線は考えられる。しかし関内まで連れられたことを考えれば川崎に立ち寄ったこと自体、嘘臭く思えてしまう。
「教えてくれてどうも。仕事頑張って」親友を疑念で掘り続けるのが心苦しくなり、謝罪の意を込めて別れを告げた。私もそろそろサボタージュを疑われる時間だ。次は誰に迫ろうか。
後ろでニヤリと笑う彼女に気付かず、トイレを後にした。
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