おれのルーティン
朝6時30分、母さんがおれを呼ぶ声で夢の世界から現実世界へと呼び戻される。が、完全に現実世界に戻ることができず、再び夢の世界へ片足を突っ込んだところで、再び母さんの声で呼び戻された。
まだ残る眠さを引きずりつつ、なんとかリビングにたどり着く。いつもついているテレビを見ながら、母さんが用意してくれている朝飯を食べる。
「
朝飯を食べていると、いつものように今日の献立を母さんが報告してくる。
「いいわねぇ、揚げパン。お母さんも好きだったわぁ。揚げパン嫌いな子なんていないわよねぇ」
いや、いるんだなこれが。
にやりとしながら、たくあんをおかずに白米を頬張る。
「あら!
母さんは手を止めて、テレビの前を陣取る。
朝飯の用意をしながら、おれに今日の給食の献立を報告し、7時15分からの空知さんの天気予報を見る。
それが母さんのルーティンだ。
おれが小学生のころから続いている。
「なんで、そんなに空知さんの天気予報好きなん?」
おれはずっと疑問に思っていることを口にした。
空知さんは、母さんより年上の白髪交じりのおじさんだ。気象現象と昆虫が好きらしく、毎日天気予報の終わりに、プチ昆虫情報を入れてくる。
おかげで昆虫の豆知識が日々おれの中にストックされていく。
「えぇ~、なんでって。空知さん見てると朝から癒されるのよ」
癒される?たしかに柔らかく笑うおじさんだとは思うが、おれは空知さんに癒されるなんて思ったこと一度もない。
テレビ画面に映る白髪交じりのおじさんよりも、よっぽど――。
「あ、そうだ、柚真!今日もキャンディー持って行くんでしょ?昨日、すごく可愛いキャンディー見つけたから、買っといたわ」
「はぁ?可愛いとか必要ないんだけど」
「まぁまぁ。可愛い方がウケがいいわよ絶対」
「いや意味分からん。友達と部活後に食べてんのに。男は別に可愛いの好きじゃないし」
できるだけ平然を装うが、内心はひやひやだ。
「じゃ、ごちそうさまでした」
早くこの場から逃げ出したくて、ご飯を味噌汁で流し込んだ。
あっぶね。
母さんにはもしかしてバレているのだろうか。
食器をキッチンへと下げている間もひやひやが止まらない。
だけど、おれのルーティンを止めるわけにはいかないのだ。
母さんが空知さんの天気予報に夢中になっている隙に、キッチンのお菓子箱の中にあるキャンディーを3つほど制服のポケットへと突っ込んだ。
お菓子箱の中にある今日のキャンディーは、母さんの言っていた通り、「すごく可愛い」ハート型のキャンディーで、両端がねじねじと結ばれている。
……いや、男が食べると言っているのに、これは可愛いすぎだろ。
やっぱり母さんにはバレているのかもしれない、おれのルーティンの裏側が。
おれのルーティン――それは、学校に行く前に数個のキャンディーをポケットに入れること。
中学2年生になってから「部活後の糖分補給のため」と母さんに言い張って始めたルーティン。
母さんが買い物行くとき、ついでにキャンディーを買ってきてお菓子箱に補充してくれている。
最初は男梅とか大玉とかクエン酸入りキャンディーとかだったのに、なんだこのハート型のキャンディーは。
あぁ、母親の勘の良さって怖い。
「
「知らん」
知らんしどうでもいい。
あぁ、またおれの中に昆虫豆知識がストックされてしまう。
「しかもブロック塀まで食べちゃうんだって!」
へぇ〜なんて母さんは、テレビの前で感心している。
母さんの勘が良いっていうのは、おれの思い過ぎなのかもしれない。
おれはハート型の可愛いキャンディーをポケットに忍ばせて、学校へと向かった。
給食の時間になり、周りの奴らと机をくっつけて決められた班のカタチにする。
毎回のごとく揚げパン人気は激しく、欠席者の揚げパンを懸けて「揚げパン争奪戦じゃんけん大会」が始まった。
おれも揚げパンは大好きな給食で、魅力的な争奪戦だが、今日は高見の見物といこう。
なぜなら――。
「葵、葵」
クラスメイトたちの大声に紛れて、真向かいの席の彼女の名前を呼ぶ。
「なに」
おれの声に反応して、可愛いらしい声が返って来る。
おれは机の下に手を伸ばして、催促すると、彼女――葵は自分の揚げパンをおれの手に載せた。
それを受け取り、葵の皿におれのりんごをサッと載せる。
そして、周りに気づかれないように、急いでもらった方の揚げパンを口の中に詰め込む。
揚げパンをなんの勝負もなくもらったことが、争奪戦参加者にバレたら、葵とのこの秘密のやり取りもなくなってしまう。
ん~~、揚げパンうま。
揚げパンを食べながら、ふと葵を見ると、またも可愛らしい笑顔で笑っていた。
反則的だろ、その笑顔。
おじさんの天気予報より、この笑顔を見る方が比べ物にならないほど癒される。
「あーおーいーー」
昼休み、いつものように図書館にいる葵に会いに行く。
友人たち含めクラスメイトの男子のほとんどは、野球やバスケをしているので、図書館に来る奴はほとんどおらず、葵と会うのには絶好の場所だった。
「手、出して」
いつものように葵のななめ向かいに座り、机の下に葵に手を出させる。
おれはポケットから、あの可愛らしい、ハート型のキャンディーを葵の手のひらへと載せた。
葵はそれをこっそりと受け取る。
「わぁ、かわいい」
キャンディーを見た葵の声は、いつもよりわずかに弾んでいた。
それを見て、おれは母さんにお礼を言いたくなった。まぁ、絶対に言わないけど。
中学2年生になり、葵と同じクラスになってから、おれたちの秘密のやり取りは始まった。
最初は、「葵ちゃん、食パン1枚ちょーだい」って冗談で言ったつもりだった。
それなのに葵は「助かる」と微笑んで、おれに喜んで食パンをくれたのだ。
揚げパンもくれたし、黒糖パンもくれた。
葵は、もしかしたらパンが苦手なのかもしれない。
おれにパンをやる度に葵は、笑うからそう思っていた。
だけど、パンだけじゃなく、葵はなにかとおれにくれるようになった。
その理由を知りたい気もしたが、このやり取りがなくなるのが怖くて聞けないままだ。
好きなものをおれにやっているとしたら……自分の都合の良い考えが浮かぶと同時に葵に若干の申し訳なさが生まれた。
だから、こうして昼休みに図書館で秘密裏に葵にキャンディーを渡すようになった。
「ありがとう」と「申し訳ない」の意味を込めて。
だけど、今は違う意味がこもってる。
おれのルーティン。
それは、毎朝キャンディーをポケットに忍ばせること。
そして、彼女――葵にこっそりと渡すこと。
キャンディーを渡す意味は最初の頃とは変わったけど。
青春ルーティン ゆうり @sawakowasako
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