第5話 大激突はなるべくド派手に
葉村エクトの超能力。
それは_____『自然現象の再現』である。
「ほぅら_____‼」
エクトが手を振ると同時に、異界に巨大な竜巻が発生する。雷雲を伴ったそれは、最大瞬間風速100メートルを超えており、当然ながら人が踏みとどまることができるような風ではない。瞬く間に、威鳥、真守、アリカの三人は異界の空に投げ出された。
「わああああああ‼」
今日だけで、何度情けない叫び声をあげているのだろうか。何も掴むことができないまま、上も下も分からなくなり吹き飛ばされる真守。
岩すら吹き飛ばす風の中、威鳥もまた風に身を任せ、空中で回転したままだった。
そして_____エクトの攻撃はこれで終わらない。
「こういうの、一度やってみたかったんだよ」
竜巻に、今度は巨大な火球が投げつけられる。通常、炎が竜巻に近づけばあっという間にかき消されてしまう。
だが、エクトは超能力による制御でもって、竜巻の風に炎の熱量をそのまま乗せていた。そうして生み出されるは_____巨大な炎の渦。都市部での火災で『火災旋風』というものが発生することがあるが、エクトはそれを超能力という常識外れの力を用いることで、自然災害とも言えるレベルで引き起こしていた。
周囲全てを飲み込み焼き尽くす死の渦。超能力の枠組みを超えたデタラメな攻撃を受け_____それでも尚、威鳥は意識を保っていた。
そして、リフトに飲み込まれる時になんとか手元に引き寄せていた武器である『超硬い棒』を全力で振るう。
身に纏った膨大な界力が振るわれ、竜巻の中に新たな竜巻を生む。それは瞬く間に炎の渦を吹き飛ばした。
「……はは、化け物でしょ」
とはいえ、竜巻が消えたことで威鳥は足場を失っている。何もできず直線的に落下していく威鳥だが、高密度の界力を纏っている威鳥であれば、この落下でも死ぬことはない。
ならば、空中で身動きが取れない状況を最大限に活かすべきだと、エクトは考えた。
「さて……この技を実戦で使うのは初めてかな」
出し惜しみをせず、次々と技を繰り出すエクト。今度は全身から放たれる界力を冷気に変換し、風と共に冷気を圧縮。南極大陸に吹くブリザードを遥かに上回る風速と低温の空気が、まるで巨大な矢のような形となり、威鳥に向かって放たれた。
威鳥は再び、棒を振り下ろすことでその矢を迎撃。風によって持ち上げられた威鳥の周囲に、零下200度を下回る超低温の空気が満ちる。
(寒い……ってレベルじゃねぇ。呼吸したら詰みだ)
肌に霜が付き、背中を流れた汗が凍ることを確認した威鳥は、再び棒を振るって冷気を吹き飛ばした。
だが、エクトの攻撃はここからだ。
(付着確認。これなら……‼)
エクトが起こしうる自然現象の中で最も高い攻撃力を持つもの。
それは_____雷である。
「
技の名前が口にされると同時に、エクトの体が跳び上がる。その速度は、音速すら遥かに上回るものである。
エクトは冷気の道を作り空気の電気抵抗を下げた上で、威鳥に付着させた電荷と自身に付着させた電荷が引き合う力を利用し、自らを稲妻へと変えて威鳥へと突進を行った。
雷と共に叩き込まれるエクトの拳。小さな山をまるごと消し飛ばす威力を持った攻撃が威鳥の腹に叩き込まれ_____
(_____これでも、倒すには至らないか)
すんでのところで、エクトの拳は威鳥の手によって受け止められていた。威鳥はエクトの手を掴み逃げられない状態にした後、今度はこちらの番だとばかりに、棒を全力で振り下ろした。
エクトはそれを腕によってガードするも、空中にいたことによって踏ん張ることができず、そのまま勢いよく地面に落下。さらに、落下の勢いをそのまま乗せた威鳥の渾身の震脚により_____異界の大地に、放射状のヒビが入った。
人間二人の戦いとは思えぬ大激突。ありとあらゆる破壊の形が、ここには存在している。
「ふふ……あははははは‼ やっぱり_____楽しいなぁ‼」
叩きつけられたことでダメージを負い、口から血を流しつつも不敵な笑みを浮かべるエクト。
「ああ……俺もだ」
それと対峙する形で、同じく不敵な笑みを浮かべる威鳥。
二人の戦いは、さらに激化の一途を辿っていく。
* * * * *
その頃、真守はというと。
「ごめん、ありがとう」
「……助けるのは、当たり前だから」
竜巻に飛ばされたものの、アリカの結界によってなんとか事なきを得ていた。肩の傷は深いが、それでも無事な状態のまま地面に降り立つことができている。
だが、それ以上のことは何もできない。目の前で激突する二人の戦いなど、もはや理解することすら難しいレベルであった。
「威鳥、アイツ……こんなに強かったのか……?」
「……明らかに私と戦った時より強い。超能力を扱えているわけじゃないけど、単純な界力操作と身体能力の強化だけでエクトと渡り合ってる」
今も、大地を揺るがすような振動が何度も響いている。それが二人の男の拳がぶつかり合っている音だとは、この目で見るまではとても信じられない。
「……アリカ、ごめん」
「……何に謝ってるの?」
「一応兄貴だってのに……俺は何もしてあげられなかった。お前が頑張ってることを……褒めてあげることすら」
今この場でする話ではなとは思うが、それでも口にせずにはいられない。
「別に褒めて欲しくなんか_____」
「家族の義務ってやつだよ。才能のあるなし関係なく……俺はもっと、兄貴らしく振舞うべきだった」
今の真守には武器すらなく、界力を放出して異界に滞在するだけでも精一杯の状況である。とてもではないが、ここから戦いに加わることはできない。
「……ちょっと待って、何をする気?」
だが、その足はゆっくりと、確実に絶禍の戦場へと向かっていた。
「兄貴としてだけじゃない。弟として……この機会は逃せない」
それはアリカへの謝罪というより、真守自身が言葉を紡ぐことで、自分の考えを整理しているようだった。
「何考えてんの……⁉ 近づいただけでも死ぬわよ⁉」
「この機会を逃したら、もう二度とエクトに会えないかもしれない。それに、威鳥のことも放っておけない。もし威鳥が負けて威鳥に連れ去られてしまったら、大変なことが起きるかもしれない」
威鳥が一体何者で、いかなる力を持っているのか、真守には何も分からない。だが、エクトと渡り合うほどの実力を持つ未知の存在を、そう簡単につ連れ去らせていいとは思えない。
とはいえ、真守の強さでは戦場に立つことすらできないというのもまた事実。アリカならあるいは可能かもしれないが、エクトとの戦いでかなり体力を使ったらしく、界力の圧も弱っている。おまけに戦意を無くしており、例え万全の状態であったとしても今のアリカにエクトと戦う選択は取れなかっただろう。
つまり_____真守が己の意思を貫くのであれば、アリカの助けも借りず、一人で威鳥とエクトの戦いに介入しなければならない。
「ああ、俺は弱い、弱いよ。アリカほどのセンスもないし、威鳥みたいな強さもないし、エクトみたいな才能もない。でも____そのせいでエクトを殴れないのは、我慢できないくらいムカつくんだ」
そのために、真守は駆け出した。
「ダメ……‼ 死んじゃう‼」
手を伸ばしても、もう真守には届かない。必要ならば、結界を使って無理矢理真守の動きを封じ込めればいい。実際、アリカは最初、真守だけ連れて異界から離脱し、救援を呼ぶことを検討していた。威鳥がどれほどの強さかは未知数だが_____あのエクト相手に持ちこたえるのは不可能であると判断したためである。
だが_____アリカには、どの選択肢も取れなかった。
(……どうして……こんなに強くなっても……どうして前に踏み出す勇気だけは手に入れられないの?)
真守が持っていて、アリカが持っていないもの。それを得るために、エクトがいなくなってからの4年間、血が滲むような努力を重ねた。人一倍の実績を出して、多くの人に認めてもらって、自分に自信が持てるようになっていた。
だが、差し伸べるべき手が、どうしても伸ばせない。
(ああ……やっぱり私は_____)
* * * * *
エクトが次々と攻撃を繰り出し、威鳥の棒がそれらの攻撃を次々と叩き砕く。そして隙あらば接近し、大地を割り空を裂く一撃を見舞う。
「これはどうかな‼ 魔法みたいで気にいってるんだ」
風や炎を使った単調な攻撃では威鳥に通用しないと悟ったエクトは、より強力な一撃のために神経を注ぐ。
現在のエクトが再現可能な自然現象。それら全てを一度に発生させ、巨大な球体がいくつも作り出される。炎、水、氷、風、雷、岩……異なる性質を持った界力の高密度の塊が形成され_____全てが一度に威鳥一人目掛けて掃射される。
自然現象の流星群。絶望的なまでの破壊の力が向けられ_____辺り一帯が虹色の光に照らされる。光と共に放たれた衝撃と轟音は異界の遥か遠くにまで響き、走っている最中だった真守を軽々と吹き飛ばした。
(頼む……持ちこたえてくれ、威鳥‼)
破滅的な力の奔流の中_____威鳥は自分の上に乗っかった巨大な岩塊を持ち上げた。
「あはっ♪、いいね、最高に_____バトルって感じだ」
小さなビルほどの大きさを持つ岩塊を、威鳥はまるで野球ボールを投げるかのような軽さでエクト向かって投げつける。エクトが放った衝撃波の一発で岩塊は粉々に砕けてしまうが_____割れた岩塊から、猛烈な速さで威鳥が飛び出す。
(フェイントか‼)
地面を蹴り回避に入るエクトだが、それを阻止するかのように威鳥の左手が伸び、エクトの肩を掴む。そして右手に持った棒の先端による突きが放たれ、エクトは大きく吹き飛び、岩盤を何枚を突き抜けた。
だがすぐに跳び起き、エクトもまた威鳥に対していくつもの岩塊を投げつけた。棒でそれらを叩き割る威鳥だが、エクトが自分と同じように隙を伺っていることには気づいていた。
(俺と同じやり方、ね。コイツ、まだまだ余裕あるな)
威鳥もまた夢中になって戦いを楽しんでいる身ではあるが、冷静な思考は保っている。このまま戦い続けた場合、すぐに自分に限界が来ることは分かっていた。
かといって、出し惜しみはできる状況ではない。自分がここで敗れてしまえば真守とアリカのことも危機に晒す可能性もある以上、最低でもここでエクトに勝たなければならない。消耗が激しいため、まだ体力が残っている内に決定打となる攻撃を加えて一時的にでもエクトを戦闘不能にする必要があった。
「色々考えてる場合かな?」
考えに意識を取られていることが災いし、エクトの接近に気付くのに遅れが出てしまう。急いで反応して防御態勢を取ったものの、エクトの重い拳が防御を突き抜け、踏ん張りが効かずに吹き飛ぶこととなる。
「やっぱりこういうのは拳が一番でしょ‼ 殴り合おう、威鳥カルタ‼」
単純なパワーでいえば、界力量で上回るエクトの方が上である。威鳥が渡り合うことができているのは、エクトに比べて少しだけ肉弾戦の経験があり、技能面で僅かに上回れているからだ。
だが、その程度の差はエクトが学習し慣れることですぐに埋まってしまう。もう、威鳥には時間がない。
「タコ殴りにしてやる‼」
ぶつかり合う二人の拳。一発一発が岩を砕き、大地を揺らすほどの威力を持つ衝突。それがまるで銃が連射されるかのような速度で発生し、異界の大地を破壊の痕跡で塗り替えていく。
息つく間もない苛烈な戦いの中、威鳥はなんとかして必殺の一撃を練るべく、静かに力を貯め始めた。
真守は二人の戦いの余波が届かないギリギリの距離に位置取り、なんとかして隙を伺っていた。
(エクトはきっと、俺如きにいちいち意識を割くこともないはずだ。俺に攻撃する暇を、威鳥の目の前で晒すわけにはいかないからな)
かといって、エクトにとって無視できる存在でもない。真守が近づけば、必ずエクトは反応を見せる。
だが、近づくにはまず二人が動きを止めなければならない。あれだけ激しく動き回られては、余波だけで吹き飛んでしまう。
(エクトも威鳥も……勝負を決するための大技を撃つタイミングがあるはずだ。その隙に、間に割って入る‼)
それだけが_____エクトを殴り飛ばすという、後先を考えない愚かな目的を達する唯一の手段だと、真守は考えた。
そして、またエクトも威鳥と同じく、そして真守の考えと同じく、決め手となる攻撃の準備を始める。
(このまま手数でゴリ押しても勝てそうだけど、それは向こうも分かってそうだからなぁ。やっぱこういうのは『防御不能』『回避不能』で決めるのが王道だよね‼)
エクトは威鳥に対して様々な技を試しているが、『雷霆龍撃』を超える威力の技は生み出せていない。そもそも、0級レベルの敵に通用することを想定した編み出した技を真正面から受け止める威鳥の防御力は、エクトの想定を遥かに上回っている。
それを突破するとなると、正しく今のエクトの全力を出さなければならないだろう。エクトは覚悟を決め、一時的に威鳥から距離を取る。
「……来る」
威鳥もエクトの変化を読み取り、構えを取る。界力に目覚めてからまだ1日も経っていない今の威鳥にはエクトのような手数は望めない。直感のみで力を操作し、渾身の一撃の用意を始める。
だが_____視界の隅に、こちらに近づいてくる真守の姿が映った。
(……やり返しにきたのか? でも……真守の力じゃ危ないだろ)
威鳥はまだ界力の探知についての技能を有しておらず、真守の界力がどれだけ小さく弱いものであるかを理解できていない。だが、自分が倒した異獣に苦戦する真守がエクトとの戦いに現れることが危険だということだけは、なんとなく理解している。
(……いや、今はそれよりこっちに集中だ。気を抜いたら……ん、待てよ?)
戦況が一時的とはいえ凪いだことで、威鳥は冷静にこの戦いの前提を思い出していた。
(俺……なんで戦ってんだっけ?)
エクトは威鳥から離れた後、体の奥底からありったけの界力をひねり出す。
無尽蔵にも思える強大な力。そしてそれを支える卓越した頭脳と戦闘センス。奇跡とも呼べるほどの才能の塊、それが葉村エクトだ。
そんな天才が今、本気で牙を剥いた。
生み出す様々な『属性』を有した自然現象のエネルギー。空間を捻じ曲げるほどの力がいくつも生み出され、異界が妖しい虹色に染まっていく。
そしてゆっくりと_____それらの力が集まり、一つになっていく。
「……『0級が相手でも、確実に仕留める』をコンセプトに開発した技だ。属性を付与することで操る力の総量を増やす俺の能力の、ある種の到達点とも言える」
集まった力はあらゆる色を発しながら、やがて一つの小さな形に凝縮していく。力の奔流が収まった時_____エクトの手には、一本の槍が生成されていた。
「……あれは……ダメ。辺り一帯が丸ごと消し飛ぶ……‼」
光の槍に込められた極大のエネルギーを感じとったアリカは、既に攻撃の範囲に入ってしまっている威鳥、そして真守が無事に済まないことを確信した。あの槍の攻撃は、今のアリカが有するあらゆる能力を以てしても、絶対に防ぐことはできない。例えアリカよりも強い能力者がいたとしても、あれを防ぐことができる者はいないと思われた。
このことは、真守も知覚できている。
(……いや、でも……あれは……)
だが、真守は危機意識よりも_____つけ入る隙を見出した。あとは、エクトに気付かれないまま近づくことができさえできればいい。
ここで真守は_____威鳥が、僅かにこちらを向いてアイコンタクトを取っていることに気付いた。
(威鳥……何を……?)
威鳥は利き手である右手に構えていた棒を、いつの間にか左手に持ち_____そして、左手を曲げる動作をしている。
他人が見れば、そのジェスチャーの意味は理解できなかっただろう。だが、威鳥が真守の意図を理解していたことが、微かなコミュニケーションを成立させた。
真守は威鳥の意図を汲み取り、飛び出したい衝動を抑えて岩陰に隠れた。真守の理解が正しければ、チャンスは一回しかない。
エクトがこれから行おうとしているのは、槍を持った突撃技だ。恐らく、『雷霆龍撃』と同じ原理を使い、回避不能な速度であの槍が襲い掛かってくるだろう。
1秒にも満たない隙。そこに真守が介入することは可能なのか。
「行くぞ。_____
* * * * *
葉村エクトによる支部への攻撃、並びに威鳥カルタ、葉村アリカ、眼鏡真守の異界への拉致については、連盟本部でも確認できていた。ただでさえ最重要の監視対象である葉村エクトがここまで直接的に動いたともなれば、連盟も動かざるを得ない。
支部の避難用シェルターにいた志村から連絡を受けた連盟本部のオペレーターの一人、メリス・アルツィーヨはすぐに全オペレーターに対して異界の監視強化命令を通達。事態の対処のための緊急措置を実行した。
「大規模な界力現象が立て続けに発生しています。このままだと、現実との境界線に影響が出かねません」
「葉村エクトの座標、特定完了しました。同じ座標に正体不明能力者、威鳥カルタの反応もあり。交戦中だと思われます」
「異界表層部の界力が大きく乱れています。放っておけばリフトの大量発生も起き得ます」
「被害の事前抑止を最優先。緊急時対応マニュアルAK208に従い、界力安定結界を展開」
「対応部隊、全員揃いました。いつでも葉村エクトの元に殴り込めます」
「よし、転送措置開始。命令はなんだっけ?」
「『葉村エクトの可及的速やかな無力化、並びに鎮圧』。そこから先は担当能力者の判断に任せます」
連盟にとっても、エクトは何度も屈辱を味わわされた宿命の相手である。彼に殺された能力者の仲間や家族は、数えきれないほどいるのだから。
「たかが18歳の小僧に、これ以上好きにはさせん。これが最後の機会だと思い、なんとしても葉村エクトを倒して来い」
かくして、連盟の精鋭が集められた部隊が異界に送り込まれた。
* * * * *
渦巻く光と界力。槍に込められた力がもし爆ぜた場合、下手すれば異界そのものの環境を塗り替えかねない。
そんな槍を持ち、エクトは一直線に威鳥へと突進する。『雷霆龍撃』の時と同じく、威鳥とエクトの間には電気による繋がりが生まれており、例え威鳥が回避したとしても、それを追尾する形で槍が威鳥を穿つ。
亜音速に達したエクトが威鳥を穿つまでにかかる時間は、僅か0.8秒。
「ひゃはっ‼」
己の才能の全てを結集させた技を放ち、昂る気持ちを露わにしながらエクトは突き進む。数少ない自分に匹敵する存在、そして_____自分の可能性をさらにひろげてくれるであろう存在を倒し、そしてわが物として喰らうために。
そんな精神状態だったからこそ_____その狭間に割り込もうとした、取るに堪えない羽虫に気付くことができなかった。
まるでロケットのように発射したエクト。威鳥に到達するまでの僅かな時間で一気に距離を詰めるべく_____真守は虎の子の界力全てを足に集中させ、威鳥までの数十メートルを一気に走りきった。
異界に留まるための力も出し尽くす、後先を一切考えない乾坤一擲の快走。肩の傷口からは血が噴き出し、足の筋肉は一瞬で断裂して肉離れを起こした。
だが、今の真守に必要なのは、1秒にも満たないこの一瞬のみ。
(と……どけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼)
だが_____届かない。真守に残った界力は、真守の想定よりもさらに少なかった。
表情が歪み、威鳥の覚悟を台無しにした無念と無力感で歯を食いしばる。
_____不意に、背中を押す強い力を感じた。
それが何なのかは、もう考えない。自分を覆った光の壁に意識を割くことなく、真守は目的に向かって真っすぐ跳びかかった。
威鳥はこちらに真っすぐ突き進んでくる二つの人影の位置を捉え_____エクトに対抗するために練り上げた界力全てを左手に持つ棒に込めた。
そして_____一歩前に出ると同時に、棒を左に軽く投げる。
(なっ……⁉)
真正面から迎え撃つと想定していたエクトにとって、それは思わぬ動きだった。棒を手放しながら前に進んでいるのは_____まるで、わざと攻撃を受けるかのようである。
ここに、エクトの明確なハンデがあった。
(面倒だな。俺は……コイツを殺せない)
エクトの目的は、あくまで威鳥の拉致であり、戦闘はあくまで戦闘不能にすることが目的だ。槍に込められた技の威力は威鳥を消し飛ばすのに十分なものだが、殺すわけにはいかない以上、エクトはどこかで加減をしなくてはならない。
そこが_____真守が介入する隙となる。
突進しながらも、躊躇いを含んだ攻撃をせざるを得なくなったエクト。
無防備な状態のまま、エクトが決して自分を殺せないという確信に賭けた威鳥。
そして_____威鳥の渾身の界力を込められた棒をキャッチし、振りかぶった真守。
まず、エクトが手にした光の槍が、一歩前に出た威鳥の右腕を消し飛ばした。
それと同時に、威鳥の足がエクトの腹を打ち、エクトの突進を止める。
そして_____
「_____真守?」
渾身の突進を終え、そして渾身の技を放った後のエクト。全身を覆っていた高密度の界力の鎧は、随分と薄いものになり、エクトの防御力は激減していた。
そして、想定外からの攻撃と、想像だにしない人物による不意打ち。それら全ての要素が噛み合い、エクトを無防備にする。
そして、真守が掴んだ威鳥の棒が降り抜かれ、エクトの顔面を殴り飛ばした。
棒に込められた威鳥の界力がなければ、真守にこのような攻撃はできなかっただろう。叩き込まれた一撃を受け、ほんの一瞬だけエクトの意識が飛んだ。
「……っ‼」
口の中に鉄の味が充満し、血反吐を吐き出すエクト。朦朧とした視界が回復し、よろめいた足取りもすぐに回復する。
その目には_____棒で殴るだけでは飽き足らず、さらに拳を振りかぶる真守の姿があった。
「うおおおおおおおおおお‼」
エクトは、何が起こっているのかを理解できなかった。この場で誰よりもそれを成し遂げる可能性がなかった人物が今……こうして自分に一矢報いようとしている。
真守の拳は_____真守自身の体が限界に達したことで、エクトにとってはもはや止まって見えると言えるほどに遅いものとなった。
だが、なぜかそれを避けることは、エクトにはできなかったのだ。
殴る音すら鳴らず、真守の拳がエクトの頬を殴った。
ここで起きたことなど、ただそれだけだ。
「……真守」
「……やっとだ。やっとできた。ずっと……お前のことは、こうしてやりたいと思っていたんだ。理由とかは、色々あって上手くいえないけど……まぁいいや。スッキリした」
真守には、もう何の力も残っていない。界力は底を尽き、異界を満たす界力の風にすら抵抗できなくなっている。
だが、この時の真守は、威鳥にはエクトよりも強そうに見えた。
「……お前、殺されたいのか? 俺を殴り飛ばしても、この状況はどうにもならないぞ」
エクトは本気の嫌悪感と苛立ちを露わにした。放たれる殺気は、常人が近づけばそれだけで意識を失うほどの凶悪なものだ。
だが、真守は全く臆することなく、逆に言い返した。
「一つ言ってやる、エクト。俺はもうさっきお前のことを殴ったから……これで、俺とお前の兄弟喧嘩は終わりだ」
「……は?」
「喧嘩は終わり。これで正真正銘……俺とお前は、ただの敵同士だ。次からは兄貴としてじゃなくて、連盟の敵として、お前をぶっ飛ばす」
真守はもう立つことすら難しい状態になっている。だが、その気迫はエクトに匹敵し、あるいは……上回っている可能性すらあった。
「お前がたくさんの人を殺したこと、そしてアリカを、威鳥を傷つけたことは、絶対に許さない。何があっても、必ずやり返してやる」
「…………」
真守の言っていることは、妄言だ。今この場で、抵抗する力が何一つ残っていない真守に対して小さな界力を放つだけで、真守との全てが終わる。
だが_____エクトには、その選択肢が取れない。
「……ああ、俺だけじゃダメだ。アリカの分も残ってる。俺の方はこれで終わりでいいけど……アリカの兄妹喧嘩は、まだ終わっていない。おいエクト。お前……アリカから逃げるなよ」
その言葉を紡ぐことが、今の真守にできる全てとなった。体力が尽きた真守は、足の痛みに耐えることができなくなり、その場に倒れた。意識だけは保っているが、もう動くことができずにいる。
「あ……ぐ……」
すぐ近くを見ると、右腕を砕かれた威鳥もまた体力を使い切ったようであり、パタリと倒れてしまっている。本来、この二人では力を合わせたところで、エクトの足元にも及ばない存在でしかない。
だが_____どんな強敵よりも遥かに厄介なものを、この二人は持っている。
こうして、エクトと威鳥たちの壮絶な戦いは終わり_____
上から振り下ろされた拳がエクトが立っていた地面を砕いたことで、新たな戦いが始まろうとしていた。
「……ったく、やんちゃ小僧が。なーに好き勝手してくれちゃってんの」
ギリギリのところで回避したエクト。心を切り替え、招かれざる敵に対して神経を研ぎ澄ます。
「……なるほど。俺相手だったら……そりゃ、アンタレベルの人間が来るよな」
「なんで……お前の方が俺よりも強いっていう前提で喋ってんだ、ゴラ」
やってきたのは、逆立った黒髪と、この場に似つかわしくない謎の模様が入った半袖のTシャツを羽織った、目つきの悪い男だった。
「タメ口失礼するよ。0級能力者……アヴィラチオ・バルバロッサ」
「もう喋んな。お前と喋ってると……耳に苔が生えそうだ」
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