第1話 初っ端は設定のオンパレード



 異界。異世界。あるいは「向こう側」。

 そう呼ばれる世界がいつから存在しているのかは、定かではない。

 こちら側、現実と呼ばれる世界で当たり前に暮らし、当たり前に生きている者たちにとって、異なる世界のことなど気にすることもない。


 だがそれは確かに存在し、数多くの異変をもたらしてきた。そして、それを知る者たちもまた、「普通」とは異なった生き様を見せている。


 超能力者。現実と異界の狭間に生き、人とひとならざるものの狭間で戦う者たち。

 それは未知なる力で以て_____君たちの目を、輝かせる者でもある。


 * * * * *


 異界への入口、【リフト】。あくまでも入口であり、出口としての機能は備わっていない。

 それは場所を問わず世界各地に突如として現れることもあれば、恒常的に発生し続け、国際機関による監視を常に受けているものもある。

 その発生数は地球上で起きている自然災害の数と同程度であり、人では認識できないほど小さいこともあれば、時には被害を出すようになることもある。

 発生するだけで周囲の空間が異界による侵食を受け、そこを竜巻が通ったかのような被害が発生するのだ。そしてそれだけでなく_____異界の住人が、その牙を覗かせる時もある。

 

「うわああああああ‼」

 _____俺は日本のとある地方都市の区域を担当する超能力者、眼鏡真守めがねまもる。現在、異界の住人とかいう怪物から全力かつ情けなく逃走している。

 超能力者としてはまだ見習い段階の俺は、初歩的な任務として小規模リフトの監視を任されていたんだ。それがどうして_____いきなり異獣アンドロールに襲われることとなったのやら。

 【異獣アンドロール】というのは、異界から現れ、リフトを通じて人間を現実から異界へとさらう怪物である。色が変わった人間のような形の個体もいれば、複数の動物が合わさったような個体、本当に何がどうなっているのか説明できない怪物のような個体まで、様々な種類がいる。

 不幸なことに、現在進行形で俺を襲っているのは、最後者こうしゃの怪物のような個体だった。現実の動物として一番見た目が似ているのは_____ムカデ、だろうか。

 戦え? 無茶言うな‼ 見習い段階の超能力者では、どう足掻いても異獣には勝てない。木造住宅をバキバキと壊しながら襲い掛かってくるようなパワーを持っている上に、銃火器を始めとした現代兵器が通用しないのである。そんなのに生身の人間とさほど変わらない俺が挑んでも、悲惨な結果が見えている。

 とはいえ、逃げ続けていては超能力者として責務を果たすことができない。一般人に犠牲者を出させるわけにもいかないので、なんとかして戦わなければならないのだ。

「ほら、こっちに来い‼」

 超能力者だけが持つ素養_____【界力かいりょく】を解き放ち、身体能力の向上を図る。界力っていうのは、まぁ……魔力とかオーラとか気みたいな類のエネルギーだと思ってくれ。

 気づいた異獣が戦闘形態に入り、鋭利な鉤爪を構える。生物の体の一部だと侮ることなかれ、この鉤爪はコンクリートを容易く砕く破壊力を秘めている。俺の体に直撃すれば、最低限の防御機能しか備わっていない防護服など、簡単に破かれて致命傷を負わされてしまうだろう。

 距離を取り、所有者の界力を込めて弾丸を放つ超能力者専用の銃を構え、全生物共通の弱点、目に向かって弾丸を掃射する。異獣との戦闘の基本は訓練で徹底的に叩き込んでいるため、目に当てるのはそこまで難しいことではない。

 弾丸を受け、よろける異獣。そして残念なことに、この程度で動きが止まることはない。通常の生物とは異なる異獣は、目という器官が攻撃を受けても_____すぐにそこを修復してくるのだ。

 このような強靭な生命力こそ、異獣が怪物足りえている所以である。

(銃だけで仕留めるのは無理だ。動きを止めてから、弱点だけを集中的に攻撃すれば、なんとか……‼)

 追いかける異獣と、逃げる俺。超能力者といえども、自分のような落ちこぼれにはこれが限界なのだ。

(なんで俺には……これしか……‼)


 * * * * *


「合格おめでとう、眼鏡真守くん。今日からは5級超能力者として、防衛局傘下の組織で地域警備任務にあたってもらう」

「ありがとうございます。精一杯、励まさせていただきます‼」

 それは、ちょうど1年前の出来事。超能力者となることを求め、超能力者を束ねる国際機関【連盟】の試験に合格し、この世ならざる世界へと足を進める権利を得た。

 100倍を超える倍率を突破できただけでも、自分は相当に恵まれていると思っている。超能力者になれば社会的な責務の大半から免除され、16歳には見合わないほどの報酬を受け取ることもできる。

 だがそんなものを手にしても_____心が晴れ渡ることはなかった。


「一緒には……戦えないね」

「…………」

「私_____先に行ってるから」

 同じ時に超能力者となったは、既に能力者の中では跳び抜けた者たちが有する「1級能力者」として認定を受け、選ばれし者の1人として、真守では手が届かない世界で戦うこととなった。あれから彼女と顔を合わせたことは、1度もない。


『じゃあな_____真守』

 4年前も、そうだった。同じ道を歩んでいいたはずのは真守を置いてけぼりにし、どこかへと去ってしまった。

 彼女と共に歩むと決めた、彼を追う約束。3人は一緒にいると誓ったはずなのに_____


 なのに今もこうして、俺だけがみっともなく、のろのろと走り続けている。


「はぁ……よし、ここなら……‼」

 異獣への攻撃を続けながら、誘い込むことに成功。小さな小川に橋が架かっているこの場所に異獣が何も考えずに突っ込めば、小川の溝を利用して異獣の動きを封じることができるかもしれない。

(橋をあの鉤爪で攻撃させて、そこに俺の全力を注いで、この橋を破壊する。あの体格的に、溝に落とされたら這い上がってこれないはず)

 銃に渾身の界力を込め、溜めによって威力が増大する「チャージショット」をいつでも撃てる状態で維持する。橋に差し掛かったところでわざと走る速度を落とし、異獣に攻撃を行わせる。

 振り下ろされた鉤爪。それをすんでのところで跳び下がることで回避し、穿たれた箇所にひび割れが生じる。元々大きな橋でもないため、頑丈な作られ方をしているわけではない。

(いける‼)

 慎重に照準を定め、鉤爪が穿った一点を狙い狙撃。放たれた界力の弾丸は刻まれたひびにさらなる衝撃を響かせ_____読み通り、見事に橋を砕くことに成功する。

 足場を壊された異獣はそのまま何かに捕まることもできぬまま、橋の破片と共に小川へと落下。ムカデ型のこの異獣は地上での高い機動力と硬い装甲が強みとなっているが、こうして足場を奪われ、そして這い上がる隙もなくなれば、それ以上動けなくなる。

「やった……‼ あとは応援が来るのを待てば……」

 俺では、弱った異獣一体を仕留めることも難しい。異獣を倒すためには界力による攻撃でなければならないのだが、肝心の界力量が既に枯渇しかけている。銃を撃てても、ほとんどダメージの通らない攻撃を数発放つだけで精一杯である。

 既に応援を要請しており、あと5分もすれば俺よりも等級の高い能力者が来てくれるはずだ。それまでの間、俺の役目は動けなくしたコイツが余計なことをしでかさないように監視することとなる。

「……もっと強くなれば、一人で仕留めらるのに……」

 この異獣は界力量や体格からして、3級相当の異獣だと思われた。まだ4級の俺が一人で行動不能にするまで追いつめたことは、かなりの高評価を受けるだろう。自分と同等級の異獣を倒すことが当たり前であるため、上位等級の異獣を討伐する実績は昇級を促すことになる。

 だが……目先の成果を素直に喜ぶことはできない。今の俺の実力は3級をギリギリ一人で仕留めきれないレベルでしかないということだが……それは目標とする道の中では、序盤もいいところだ。

(もっと……もっと強くならないと。こんな奴が何体いても一人で倒せるくらいの強さがないと……とても追いつけない)

 早く、早く……早く、強くならなければ。

「__________‼」


 そんな葛藤が、対応の遅れを生んだ。


「_____え」

 落下した小川の溝で、突如として暴れ始めた異獣。俺の想定は間違いではなく、異獣が足をばたつかせても這い上がることはできない。

 だが起きた異変は、それだけではない。奇妙な音_____恐らくは界力を有する者にしか聞こえない音が、異獣から鳴り出した。あるいはそれは、『声』と呼ぶべきなのかもしれない。

「……嘘だろ⁉ 3級が……リフトを……⁉」

 異獣とは、異界の怪物。人を異界へと攫っていくことができるとされており、そのための手段として_____リフトを、自力で発生させることができる。

 とはいえ、それは力のある強い異獣、等級でいえば2級以上でなければできない芸当のはずだ。目の前で今にも力尽きようとしている個体では開くことができないはず。

 だが、現実ほどに確かなものはない。異獣の雄叫びによって、俺が立っている場所には猛烈な界力の嵐が発生し始めていた。

「うわああああああ‼」

 異界との扉が開くときに起こる現象は様々なものがある。

 まず一つ目に、真空の空間に空気が流れ込むかのように、異界に満ちた界力が現実に洪水のように流れ込むのである。それが界力の暴風を生み、破壊的な竜巻を引き起こす。

 もう一つは、その風に釣られるようにして_____異界を跋扈ばっこしていた異獣たちが押し寄せる。

 俺の目の前にいる異獣が開いたリフトは小さなものであり、界力の風も強いが破壊力を秘めるほどのものではない。

 だが二つ目の現象_____引き寄せられた異獣たちは、どれだけ弱かろうと脅威になりうる。

「仲間を呼んだってことか……‼」

 危機的状況に陥り、仲間に助けを求める。その様は、狩りで追い詰められた動物が鳴き声をあげて助けを呼ぶのに、ひどく似ていた。

 開かれたリフトからは、次々と異獣が飛び出してくる。追い詰められた異獣と同じ、ムカデの形をした3級相当の異獣が四体。

「……クソッ」

 絶望的戦力差。

 やはり俺は_____みっともない運命に翻弄される人間らしい。


 * * * * *


 異獣の等級は、その被害規模と対処の難易度によって決められる。既に被害を発生させた記録がある場合は、その被害想定に則った等級がつけられ、まだその危険度が推定でしか推し量れないものに関しては、全面戦闘となった場合の対処難易度を元に判断される。

 一番下は6級、そして上は1級_____そしてそのさらに上に、0級と呼ばれる等級が存在する。0級の異獣ともなると、間違いなく歴史に名を残す強大な存在であり、中には超能力者と異獣の戦力バランスを単独でひっくり返すような異獣もいたという。『規格外』という言葉が何よりも似合うこの存在は、現代でも複数体確認されているらしい。

 そして、それに対抗するかのように、超能力者にも0級が存在する。異獣に負けず劣らず、こちらも怪物のような人間が揃っている。

 例え超能力者と異獣の間でちょっとした戦争が起こっても、そこに0級が一人、あるいは一体いるだけで、戦の行方は大きく変わる。単独で戦略規模の強さを有する存在、それが0級なのだ。

 もちろん、その下の1級も侮れるものではない。何かの拍子で1級の能力者や異獣が0級に昇級することもあり、数も含めれば主要戦力だと言える存在なのだ。


 では_____その下、2級、3級、4級、5級、6級はどんな存在なのか。


 数が非常に多いので、集まればかなりの戦力、ないしは被害になるだろう。だが_____2級の異獣が何体いても一人の0級には手も足も出ない。逆もまた然り、2級の能力者が束になっても、0級の異獣にとっては塵芥ちりあくたに等しい。

 俺がこれから挑もうとしているのは、そういう世界だ。数が意味をなさず、僅かな強者の存在によってのみ行われる命のやり取り。

 俺が目指している者たちは全員_____ここにいる。だから、こんなところで……4級なんかで止まっている場合ではないのだ。


「…………あれ」


 気づけば俺は、コンクリートの壁面にのめり込み、がくりと項垂れていた。時間差でやってくる全身の激痛からして、異獣に叩きつけられたことで気絶していたのだろうか。

「……はぁ。なんだよ気絶って……超弱いじゃん、俺」

 防御の態勢はしっかりと取った。尽きかけていたなけなしの界力を防御に回し、鉤爪の攻撃が直撃することはなんとかして避けたはずだ。

 だというのに、この有り様。血が流れ、体が動かせなくなっている。

 _____弱い。

 信じられないほどに、これが現実だと認めたくないほどに、これまでの積み重ね全てがミスだったんじゃないかと疑うほどに、何もかもが理不尽だと思えるほどに、ただただ……弱い。

「……アリカなら、余裕なのかな」

 ふと口から洩れたのは、どうしようもなく情けない_____嫉妬と憧れだった。


 * * * * *


 異獣を倒すためには、界力が必要だ。どれだけ強力な銃や爆弾でも、界力に身を包んだ異獣には通用しない。

 銃が脅威とされるのは、驚異的な速度で放たれた弾丸が肉体に当たった場合、弾丸が肉体を強い力で変形させ、損傷させてしまうからだ。細かく見ていけば、銃画撃たれて何かが傷つくまでには、様々な物理現象が起きている。

 だが、それらの物理現象は異獣に当てはまらない。異獣の肉体を構成する界力は、異界という現実とは異なる世界で生まれたものだ。重力などを除き、一部の物理法則は界力に対して働かない場合がある。

 確実に倒すなら、界力によって、異界の法則に従って倒さなければならない。正式な手続きを経なければエラーを起こしてしまうシステムがあるため、まずはそのシステムをよく理解した上で戦う必要がある。


 _____もっとも、そんな知識も持たずに異獣と戦う者にとって、これらの条件は役に立たないのかもしれない。

 

 硬いもの同士がぶつかり、そして衝撃が空気と地面に当たる音。そして、それと同時に俺の尻に響いた衝撃。

「……応援が……来たのか?」

 目の前で、俺に襲い掛かろうとしていた異獣が吹っ飛び、地面に思い切り叩きつけられたのである。3級の異獣に対してこのように豪快な戦い方を見せるのは、もしかしたら2級相当の能力者が来てくれたのだろうか。 

(でも……その割には、界力は感じられないな)

 強い能力者は、それに見合う強い界力を纏っている。強い界力は存在するだけで周囲に信号を放ち、界力を観測できるものだけが分かる雰囲気を放つのだ。

 だが、近くには異獣たち以外にめぼしい界力の反応がない。なら、あの異獣を吹っ飛ばしたのは、一体誰なのか。

 答えは、突如として目の前に現れた。

「…………へ?」

 何かの見間違い。最初はそう思い、眼鏡をとって目を拭いた。隊服で眼鏡のレンズを拭き取り、余分な汚れなどを落とした。

 そして正気になり、もう一度を見る。


 やはりそこには_____棒を携えた、一人の男がいる。


 あまりにも場違いな佇まい。いや、棒を持って立っているところを見るに、街中にいる分には得に不思議でもない存在だ。

 強いて言うなら_____俺には、彼はどこにでもいるチンピラにしか見えなかった。

「応援じゃ……ない? アイツは誰だ……? 不良?」

 この段階で俺に冷静な思考を求めるのはあまりにも酷だ。いくらなんでも無理があると思うのだ。

 棒を携えているだけ、異獣と戦うための超能力も武器もない彼が_____異獣をぶっ飛ばしたなどと、誰が想像できるというのか。

 だが彼は茫然とする俺になど気づかず、ぶっ飛ばされて怒り狂う異獣たちに、棒一本だけで立ち向かっていく。

「ば……何をしているんだ、やめろ‼」

 そんなことをすれば、間違いなく死ぬ。例え彼がオリンピックに出場できるような運動能力を持っていたとしても、怒り狂った異獣に対して一般人が勝つことは絶対にできない。あのように怒らせるくらいが関の山であり、かすり傷をつけることもできないだろう。

 だというのに_____、何メートルもある異獣の巨体が吹っ飛ぶことになるのやら。

 俺は、本当の本気で、自分の頭がおかしくなったのだと思った。

(界力は感じられない……もしかして、あの棒が特殊な武器なのか? 界力の気配がないのは、そういう能力だからか? ダメだ、何も分からない……)

 前例のないことをいくら考えても無駄だ。何せ目の前の男は、俺が知らないことしか起こしていなかったのだから。

 まるで未来が見えているかのように異獣たちの攻撃を華麗に捌き、見事なカウンターを食らわせた後、次々と弱点目掛けて棒の先端を当てていく。時には拳で固い装甲を殴りつけ、何倍も大きな異獣を仰け反らせている。

 混乱しているのは異獣たちも同じようであり、一度吹っ飛ばされた異獣は威嚇をするだけで、彼に不用意に近づこうとはしなかった。界力の探知機能を有する異獣にとって、界力もなしに自分たちを傷つける存在など、不気味以外の何者でもない。

 やがて、異獣たちと俺の間の中間地点に彼は仁王立ちで立ちふさがり____棒を地面に打ち付け、異獣たちを威嚇した。


「おい化け物ども、これ以上ここで暴れるな。早く帰らないなら、俺がもっとキツくしばいてやる‼」

 

 ドスの効いた、強く逞しい声。後ろにいる俺ですら、その迫力に思わず体が震えた。

 何らかの能力者であることは間違いない。だが……言葉の通じない異獣に対して意味のない警告をするところといい、界力の気配が全く見られないところといい、やはり能力者としては何かがおかしい。

(守ってくれた……のか。とりあえず助かったけど、あの異獣たちは……)

 そして、殴られた異獣たちもまた、奇妙な動きを始めていた。

 複数体が並び、小さな『声』を発し合っている。ああした威嚇をされれば、闘争本能が強い異獣たちはすぐに飛びかかってくるのが普通なのだ。

 だが、異獣たちは飛びかかることなく、隊列のようなものを組んでいる。

 そして一体何を企んでいるのかと俺が観察を始めるのと同時に_____それは、再び開いた。

 異獣たちが突如として強い界力を放ち始め、周囲に界力の波が発生する。それに伴い、先ほど開かれ、既に閉じられたいた扉、リフトが再び開く。

(_____あ、やばい)

 気づいた時には、既に遅し。

 猛烈な吸引力を伴った風が発生し、異獣たちがリフトから異界へと去っていく。

 そしてそれに釣られるようにして、俺と彼もまた、リフトに吸い込まれていった。

「う……わああああああ‼」

 本日の情けない叫び、二回目。

 その声は空に木霊することもなく_____異界への扉に響き渡ることになる。


 * * * * *


 異界は特殊な空間が広がっている。

 現実とはまるでことなる色彩、まるでことなる自然。そこには地面も空もなく、上も下も、右も左もない。現実の現象が何一つ当てはまらない世界なのだから、当然といえば当然か。

 とはいえ、界力をもった超能力者たちが入れば、人間の感覚を保ったまま、異界を認識することができる。何一つ知覚できない異界の現象を強引に人間の知覚に落とし込むと……そこは、御伽噺に出てくるような、不思議な大地が広がっているように見える。

「……げほっ……ここが、異界……?」

 俺も、能力者になる時のガイダンスとして、異界の映像を見せてもらったことがある。その時は吹き荒ぶ界力と、それを喰って生きる異獣たちが闊歩する世界だと学んだのだが_____いざこうしてやって来てみると、教えられたことの情報量がいかにちっぽけであるかを理解させられる。

 ここは、現実とは何もかもが異なっている。肺に取り込まれた空気に、恐らく窒素と酸素は含まれていない。踏みしめていると認識している地面は、恐らくただの足場でしかなく、ここに植物を植えることなどできないだろう。

 それでもこうして生存することができているのは、俺が超能力者として訓練を受け、界力を操作して自分の存在を確立する手段を有しているからだろう。戦う時にはあまり役立たなかった防護服も、界力の放出を抑える意味ではかなり役立っている。

 では_____界力を持たないは、一体どうなるのか。

「……‼ まずいぞ」

 急いで周囲の気配を探り、近くに倒れていた彼を見つける。この状況下になっても、やはり界力は感じられない。

(信じられない。本当に、ただの一般人だったんだ……‼)

 一般人が異獣を吹っ飛ばしたことを今考える余裕はない。先ほどまであれだけ強そうに見えていた彼は、異界の空気に当てられたことで、みるみる内に衰弱している。空気をいくら取り込んでも呼吸ができず、体を動かしても満足に這い進むことすらできずにいる。

 一般人が異界に連れていかれた場合の末路は2通りしかない。異界の界力に当てられて衰弱していくか、はたまた……

(そんなことに期待している場合じゃない。とにかく、一刻も早くここから脱出を……)

 もちろん、例の異獣たちもここにいる。彼を抱えてなんとか躱すが、鉤爪の攻撃は相変わらずである。

 加えて最悪なことに……異界では、異獣は大幅に強化されるのだ。界力を喰って生きている異獣にとって、異界は母なる海のようなものである。まさに水を得た魚とでも言わんばかりに、先ほどまで彼に吹っ飛ばされてばかりいた異獣たちはこれでもかと暴れ回っている。逃げ切ることは、恐らく無理だ。

 超能力者には、こうして異界に連れ去られてしまった場合の脱出手段が用意されている。俺のポケットにも、脱出用のリフトを開く機能を備えた機械が入っているが……果たしてそれを、異獣たちに邪魔されずに設置できるだろうか。

(……無理だ。あの異獣たちは俺たちのことを完全にマークしてる。逃げ切れないし、倒すこともできない……‼)

 いわゆる、詰みというやつである。

 ここまで来てしまえば、本当の意味で万事休すである。そもそも、俺にももうほとんど界力が残っていない。異獣たちに襲われずとも、界力切れになって異界の果てまで吹き飛ばされることだろう。

「……死ぬのかな。死ぬのかな、俺。こんなところで……」

 どうしようもなく、嫌な考えしか出てこない。俺が強くなれないのは、何が起きてもネガティブに捉えてしまうこんな気質のせいなのかもしれない。

 状況を打破する考えよりも先に、現実を否定する言葉ばかり浮かぶ。

 嫌だ。

 嘘だ。

 嫌だ。

 無理だ。

 くそ。

 なんで。

 ちくしょう。

 くそ。

 嘘だ。

 _____やはり俺は、誰よりもみっともなく、そしてのろまだ。

「……なんなんだ、まったく」


「おい、諦めるな」


 もうすぐ死ぬからか、どこからともなく声が聞こえてきた。誰の声かよく分からないが、つい最近どこかで聞いたような……

「頼むぜ、お前がいないとここから出られないんだ。俺が頑張って戦うから、頑張って生き延びてくれ」

 走馬灯とは、こういうのを言うんだろうか。過去の記憶がフラッシュバックするとのことだったが、なぜか記憶にない声ばかり聞こえてくる。

「おーい、しっかり_____しろ‼」

 バチン、と気味のいい音が鳴る。気が付くと、目の前に厳めしい男の顔があった。

「うわああああああ‼」

「お、まだ生きてるな。お前はとにかくここにいろ」

 一瞬誰なのかと焦ったが、先ほどまで棒で異獣たちと戦っていた奇妙な男だった。

「……え?」

 理解と同時に、理解した内容の数倍の疑問が浮かび上がる。

 なぜ、彼は今無事なのか。呼吸すらままならなかったはずの彼が、なぜ何事もなかったかのように立ち上がり、話し、そして棒を振り回しているのか。

「……いや、ちょ……ちょっと待って‼ あんた、大丈夫なのか⁉ やっぱり能力者なのか⁉ あんた、何者なんだ⁉」

「質問が多いな。先にあの怪物ども……異獣を倒してくる。お前はそこにいて、界力を温存していてくれ」

 それは、明らかに手慣れた対応だった。彼は吹き荒ぶ界力の嵐にも臆することなく、それどころか先ほど異獣たちに立ち塞がった時よりもさらに強い覇気を纏い、悠然と異獣たちに立ち向かっていった。

 俺はちゃんと正気を維持している。現実にいた時の彼は、確実に界力を纏っていなかった。界力を纏わずに、棒切れ一本だけで異獣と戦っていたのだ。

 そんな彼が_____ただ異界に来ただけで、異獣たちを臆させるほどに強い界力を放つようになっている。

(何なんだ……本当に、何が起きているんだ⁉)

 何一つ言葉にできないこの状況を、なんと説明したらいいのだろうか。

 とにかく_____彼が異獣と戦っている、ということだけは説明できる。

「いくぞコラァァァァ‼」

 雄叫びをあげながら、異獣たちに突っ込んでいく。自分たちにとって有利なフィールドに引き込んだにも関わらず、むしろ現実にいた時よりも強い力を纏って殴りつけてくる彼に、異獣たちは恐怖した。

 現実にいた時とは違い、今の彼は界力を纏っている。拳が命中すれば、込められた界力の分だけ異獣たちの界力が削られていく。握られた謎の棒にも彼の界力が纏われており、鉤爪の攻撃を弾くどころか爪を砕くほどに破壊力が高められている。

 

 _____そして3分もせずに、5体の異獣の内、3体が仕留められ、残りの2体が逃走していった。


「よし……これで俺の戦いは終わりだ」

「…………すごい」

 彼は、めちゃくちゃ強かった。3級の異獣5体を苦戦せずに倒すところを見ると、2級レベルの強さを持っている。

 だが……彼が一体何者であるかは、よく観察しなければならないだろう。

「あんたは……何者なんだ? 能力者じゃ……ないのか?」

 彼は倒された異獣の体から飛び降りると、先ほどと同じ仁王立ちを、今度は俺に向かって行った。

 そして、異界の空間にもよく響く声が轟く。


「俺は威鳥いとりカルタ‼ 最強を目指して戦い続ける男だ‼」


 それが、眼鏡真守めがねまもると、威鳥カルタの出会いだった。

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