第7話 鳥の型――〈呼子鳥〉

 花の型に続いて、鳥の型の修行場へとやってきた優。そこは、優が常坂家を訪れた際に荷物を置いた『法堂』と呼ばれる建物から少し行った場所。魔獣に破壊される前は『庫裏』と呼ばれる場所に建てられた、真新しい小屋だった。


 その小屋の中に入った時、優はテレビで見たアイドルのレッスン室や、バレエ教室を思い浮かべた。白い照明と、艶のあるフローリング。壁の一部が鏡張りになっていて、自分たちの姿を確認できる造りになっている。


 そこでは門下生たちが修行をしていたのだが……。


(ヨガ、か? いや、ピラティスっていうんだったか……)


 詳細については優も分からないが、フローリングに敷かれた1畳ほどのマットの上で、十数人の門下生たちが柔軟体操のようなものをしていた。


「ここが鳥の型の修行場の1つです。しなやかな強靭さを求める鳥の型では、身体の柔らかさ。そして、しなやかな筋肉作りを目指します」


 いざという時、頼りになるのは己の肉体だけだ。身体能力が高ければ〈身体強化〉を使用する場面を選べるようになり、その分、マナを節約することができる。また、怪我のリスクを大幅に軽減できたり、受け身を取ることで衝撃を和らげられるようになったりする。


「どうすれば効率的に関節の可動域を広げられるのか。どうすれば実用的、かつ常坂流の剣を振るうのに必要な筋力が身に付くのか。歴史という積み重ねがよく表れる型ですね」

「なるほど……」


 華やかな花の型を見た後だと、地味で、素朴な印象を受ける鳥の型。しかし、優からすると、肉体という基本中の基本を極めるというのは、とても理にかなった方法だと思う。言わずもがな、ここで手に入れることになる至高の肉体は、全ての型に応用されることだろう。


(型、だけじゃないな。日常生活においても、特派員としても。常坂家で洗練されてきた体の動かし方を知ることができるのは大きいか……)


 鳥の型を学んでみるのも面白いか、と、頷いていた優に、「ですが……」と申し訳なさそうな久遠の声がかかる。


「鳥の型の免許皆伝には、決められた日々の行程を3年以上こなすことが、最低条件となります。そのうえで、ポージング、登山、プール遠泳など。常坂家が課す『試練』を全てクリアしないといけないんです」


 つまり久遠が何を言いたいのかと言えば、いま優が鳥の型の修行に入っても、絶対に免許皆伝は出来ないということだ。もちろん優もそのことは理解していて、


「残念ですが、了解です」

「あっ。修行の方法やルーティンを教えることは出来るので、それを学ぶという意味ではありかも知れません」


 こなすべき行程さえ分かれば、いずれは免許皆伝に至るかもしれない。そう優をフォローして、常坂は次の型紹介へと移行する。


 2人が向かうのは、風の型の修行場だ。その道中、久遠は風の型について、改めて説明を行なう。


「風の型は素早さを追求します。実は静けさを求める月の型と共通するルーツを持つんですが、何か分かりますか?」


 常坂に尋ねられて、歩きながらしばし熟考した優。素早さ、静けさ。そう聞いた優の脳裏に、ふと、黒装束の人々が思い浮かぶ。


「もしかして、忍者……ですか?」

「はい、正解です。諸説ありますが、剣術の中でも常坂流が流動的である理由は、起源が忍者だからだと言われています」


 世に忍び、悪を斬る。それこそが常坂家の起こりだと、久遠は祖父から聞いている。時代に合わせて手を変え品を変え誕生する悪。彼らを誅するためには、常坂家もその時代に合わせて武器を変え、方法を変えなければならなかった。


「だからですね……っと」


 何気なく言った久遠が腕を振る。藤色のマナの光が一瞬だけ閃いたかと思えば、乾いた金属音が響いた。少し遅れて反応した優が、久遠と、彼女の足元に落ちている4つの刃を持つ特徴的な遠距離武器――手裏剣をその目に捉える。


「こうした卑怯な闇討ちも、得意だったりします」


 お面で隠れていないぷっくりとした唇の形を“微笑み”に変えた姉弟子に、優は2つの意味で目を見張る。


 どうやって手裏剣に対処したのか。そもそも、どうやって、死角からの攻撃に気付いたのか。気を抜いていた優には、何もかも分からなかった。


 また、もし手裏剣が自分に向いていたのなら、少なくとも重症、当たりどころが悪ければ死んでいた。


〈創造〉で創られた武器は、時間が経てばきれいさっぱり消滅する。残されるのは、傷を負った、あるいは死亡した自分の死体だけ。物的証拠の残らない殺人事件の完成だ。その事実に、思わず身震いする優。


 常坂家があるこの場所は、外地だ。魔法使用に関する制限が、事実上、無いと言っても良い場所である。そのため、魔獣はもちろんのこと、魔法を使う人間も脅威になりうるのだ。外地での魔法を使った暴行事件やテロ騒動は、この10年でも枚挙にいとまがない。


「こうして対象を……今の世では魔獣ですね。魔獣を確実に殺すために。あるいは、こうした殺意から身を守るために。わたし達は日々、修行しているんです」

「……すみません。気を引き締めます」

「はい。ですが、さすがに敷地内でお兄さんが襲われることはありません。今の攻撃も、わたしに向けられたものです。そこは、安心してくださいね」

「はあ……?」


 なぜこの人は我が家で殺されそうになっているんだろうか。そんな疑問を優が抱いた頃には、2人は風の修行場に到着していた。


 と、これまでとは違って、2人を出迎えるように女性が1人、立っている。


 背が高く、身長は優よりも高い175㎝ほど。凛とした雰囲気の目元が特徴だ。そして、ほんの少し青が残る黒い瞳、ポニーテールにしてもなおクセが残る髪。立ち居振る舞いも雰囲気も全く異なるが、なんとなくその女性が久遠の親戚であるのだろうと想像する優。


「来ましたね、久遠。その子が昨日言っていた?」


 そう言って目を向けられた優が、腰を折る。


「初めまして。神代優です」


 優の自己紹介に、腕を組んで大きく頷いて見せた女性。


「はい、初めまして。久遠の母、常坂小夜さよです。特に妹さん……神代天さんが、いつも久遠と仲良くしてくれているみたいですね。ありがとうございます」


 あえて天のことを引き合いに出しながら、優に挨拶を返した小夜。その時に一瞬だけ身体を硬直させた優の反応を見て、続ける言葉を選ぶ。


「妹さんのこと、久遠から聞いています。先月から行方不明なんですよね?」

「はい……。ですが――」


 言い募ろうとした優の頭に手を置いた小夜が、言葉を優しく遮る。


「安心してください。天さんは生きています。……そうですね、久遠?」

「えっ……。は!?」


 何か確たる証拠があるのか。唐突にもたらされた希望の光に、思わず久遠を見遣る優。春樹やシアですら、最近は露骨に天の話をしなくなった。仕方のないこととは言え、1か月という時間は、生きているだろうという確信が疑念に代わるには十分な時間だ。


 優も、自分が今抱いている天の生存を思う心が、確信なのか、それとも願いなのか分からなくなってきている。そんな状況にあって、不意にもたらされた光。優としては体面も気にせずすがりつくほかなかった。


 そうして、母である小夜と優からの視線を受けて、久遠が小さく首を縦に振る。


「確証はありません。が、あの日、あの時。わたしが同級生と共に森から帰る途中、1人だけ強大なマナを持つ人物の反応がありました」


 反応がある。久遠のその言い方は〈探査〉や〈感知〉など、魔法的な感覚を利用した際によく使われる言葉だ。


「天人か、魔力持ちか。マナだけではハッキリとしませんが、その人物が単身、森の中へと消えて行ったんです」

「それが天の可能性があると……?」


 まだ魔獣や魔人が残っているかもしれない森へ、単身で。普通ならあり得ないことだが、時折、正義感を暴走させる妹のことだ。まだ森にいただろう魔人の残党を追撃しに行ったか、もしくは別の目的があって森へ行ったと考えてもおかしくない。ただし、と優は心の中で注釈を加える。


「そんな情報、報告書には無かったはずですよね?」


 もちろん、優は第三校の襲撃があった日の報告書全てに目を通している。しかし、いま久遠が語ったような内容はどこにも見当たらなかった。なぜ隠していたのか。疑念と非難の色が込められた優の視線に、久遠は首を横に振ってみせる。


「書きました。ですが、もし本当にお兄さんがわたしの報告書にも目を通していたのだとして。その記述を見つけていないのだとしたら」

「見落とした……? いや、隠ぺいしたのか、学校が」


 優が“隠ぺいした”という結論に至ったのは、第三校襲撃事件と難波・心斎橋魔獣災害に共通していた『ノオミ』という天人の存在が、世間に明るみになっていないからだ。優、春樹、シア。3人もの生徒が確かに体感し、提示した、事件への天人の関与。優とシアに至っては、魔人マエダから直接、ノオミの存在を聞いている。


 にもかかわらず、世間には公表されていない。


「久遠がもたらした情報が、不利益になったり、大きな混乱を招いたりするかもしれない。だから学校は、この子の情報を隠したのでしょう」


 小夜の言葉に、一定の納得をする優。天人が魔人に手を貸した。その事実が露呈すれば、夏休みにちょっとした騒動になっていた“魔女狩り”の再来だ。あの時に狙われていたのは女性の魔力持ちだったが、今回狙われることになるのは天人たち全員だろう。


 すると、自分たちに刃を向ける人間たちを、天人たちが見限るかもしれない。世界の理すらも変えかねない強力な権能の力が、人間に向けられるようになるかもしれない。そんな事態に発展しないように、学校や世間は天人ノオミの関与を明かさず、特派員の怠慢として喧伝した。


(理解はできる。……できるんだが……っ)


 頭で理解はできるが、感情で納得できるのかは、別の話だろう。特に優は当事者でもある。彼の中には天人に対する不信感と疑念が、順調に育っていた。

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