第6話 花の型――〈開花〉
あくる日の3月4日、土曜日。優は宿舎の個室で目を覚ます。紐を引っ張って明かりを操作する、昔ながらの蛍光灯を模したLEDライト。抹茶色をした、漆喰を思わせる壁。6枚の畳と、押し入れと衣装棚。それが、優に与えられた部屋だった。
「知らない天井だ……」
ぽつりとこぼしてから、布団の上で身を起こす優。携帯に映し出された時刻は8時を少し回った頃。門下生と時間が被らないよう9時に食堂で集合だと、優は昨日、久遠に言われていた。
耳をすませば、聞こえてくるのは鳥たちの声。さらに集中すると、遠く、威勢のいい声が聞こえてくる。朝食を済ませた門下生たちが、早々と、修行に取り組んでいるだろうことが予想された。
なんとなく先を越された気分になった優は、居ても立っても居られなくなる。まだまだ布団が恋しい気温が続いている。後ろ髪を引かれる前にさっと身を起こした彼は、歯ブラシを持って廊下へ。そのまま、共用部である廊下に設置されている横長の手洗い場で歯磨きを始める。
周囲を見れば、人っ子1人居ない。当然と言えば当然で、この宿舎にいる優以外の門下生たちはもう既に出払ってしまっているからだ。
(こんなことなら、もっと早くにアラームを設定しておけばよかったな)
久遠に言われた時間に間に合うようにと設定した起床時間だったとはいえ、これではまるで自分が怠惰な門下生のようでもある。
(まぁ、実際。第三校の1年次最終成績は下の上……良くて中の下だったんだが)
主に勉学面が足を引っ張った優は1年生全体で51位。ただし、本来なら100人居る9期生は現在76人しかいない。残念ながら、優の成績は人に誇れるようなものではなかったのだった。
思わず湧き上がってきた自嘲を、洗顔と共に洗い流した優。迅速かつ丁寧な朝の支度を終えた彼は道着に着替える。
(常坂さんには他の門下生の邪魔になるかも知れないから、あまり出歩くなって言われてるんだが)
宿舎周辺ならさすがに誰の迷惑にもならないだろう。そんな考えのもと、日課であるランニングへと出かけるのだった。
食事を終えた、午前9時半。
「それでは、行きましょうか」
上半分だけの狐のお面を着けた久遠が、優を先導する。毛量の多い外ハネの髪を揺らしながら、久遠が昨日もお伝えしましたが、と前置きをして口を開く。
「今日のうちに、花、鳥、風、月。4つの型の修行の様子を見せて頂きます」
言って、白い玉砂利が敷き詰められた美しい庭を歩いていく2人。途中すれ違う門下生が優たちに頭を下げていくのだが、その敬意が向けられているのが久遠の方であることは言うまでもない。例えお面のせいで久遠だと分からない門下生が居たとしても、この道場で唯一の4つの刺繍が施された赤い帯を見れば、それが名に聞く“常坂久遠”であることは分かった。
老若男女問わず送られてくる敬意をその身に受けながら、特段気にした様子もなく歩く久遠。特に、ガタイの良い男たちが17歳の少女に頭を下げるその姿は、なるほど、「お嬢」という呼び方もピッタリなように優には思える。
一方で、お面を着けるだけでこれだけ人が変わるものか、とも思う。普段の……お面を着けていない時の彼女であれば、恐らく、門弟たちの敬意に恐縮しきりだ。しかし、いまはこうして、堂々としている。久遠にとってお面と言うものが気持ちの切り替え以上の意味を持つだろうことを察するには、十分な出来事だった。
「まずは、ここです」
やがて、久遠に連れられた優がやってきたのは、広い常坂家の敷地の一角。生け垣で区切られ、玉砂利だけが敷かれた開けた場所だった。
と、その空間に入った瞬間、優は一瞬にして目を奪われる。そこにはもう既に数十人、門下生と思われる人々が、一定の間隔を空けて整列していた。そして、きれいに整列する人々を中心として、色とりどりのマナのドームが作られているのだ。
真っ白な地面。背の高い生け垣を背景にした色とりどりのドームは、美しく咲き誇る花のようにも見えた。
「これが、花の型……」
マナの放出に重きを置いた修行だろうか、と、優が観察していると。
「まずは花の型の修行の1つを。不肖、わたしがお見せしようと思います」
そう言った久遠が優のもとを離れ、列に加わる。そして、久遠自身も藤色のマナを放出してドームを形成したかと思えば、
「ふっ」
小さく息を吐いた。すると、久遠を覆っていたドームの表面に、無数の卵形の球体ができ始める。それが花の
「〈開花〉」
久遠の想いを組んだマナの蕾が、一斉に花開いた。
彼女に続いて、他の門下生たちも菊や桜、バラにスズランと、思い思いの花を自身の周囲に咲かせる。しかし、数百もの花を咲かせているのは久遠ただ1人だけだ。他の門下生たちは、花の造詣がまだ曖昧だったり、大きさがまちまちだったり、花の数も多くて10個程度が限界のようだった。
「ご覧の通り、ですね」
〈開花〉の魔法を解除した久遠が、藍色の瞳を優に向ける。
「華やかさを求める花の型は、体外に放出したマナの扱いを極めます。〈創造〉を用いた訓練ですが、自身から離れた場所に物を作るところが、普段の〈創造〉との違いでしょうか」
久遠の場合は自身を中心とした約1mの場所にドームを形成。花を咲かせる。その際に重要になってくるのは、放出したマナを出来るだけ長く維持するための確固たるイメージ。また、特定の位置に物を〈創造〉する空間認知能力だ。
「これを応用した技が、お兄さんにも見せた〈紅藤〉です」
〈紅藤〉とは、体外にマナを放出して敵の位置を把握すると同時に、適切な長さの武器を一瞬だけ〈創造〉して敵を一刀両断する魔法だ。その魔法の刀を〈創造〉する部分に、花の型の技術が用いられていた。
なお、久遠が優のことを“お兄さん”と呼んだのは、“神代さんのお兄さん”と呼ぶのが面倒になったからだ。以前は優のことを「神代くん」と呼んでいた久遠。しかし、半年ぶりに会った友人の兄――しかも顔見知り――をどう呼べば良いのか迷った挙句、“神代さんのお兄さん”などという回りくどい呼び方になっていた。
が、さすがに昨日・今日とで「ちょっと長くて呼びにくいなぁ」と内心で思っていた久遠。お面を着けたことで心に余裕が出来た今のうちに、どさくさに紛れて呼び方を変えたのだった。
そして、そんな久遠の戦略は正解だったと言える。
「……常坂さん。どうして数百個も〈創造〉を出来るんですか?」
優は久遠からの呼ばれ方などという些事よりも、久遠が見せた数百にも及ぶ〈創造〉の方が気になっていた。
通常、〈創造〉を行なうには、個別に、強力な想像力が求められる。そして、人間、並列処理できる数は多くても3~4個だと言われている。“魔法の申し子”たる天才・神代天ですら、6つの〈創造〉が限界だった。しかし、久遠はその人間の限界をはるかに超越した数を〈創造〉してみせた。
そのからくりを聞かれた久遠は、勿体ぶることなく門外不出の花の型の要点を教える。優はもう、門下生として認められているからだ。
「お兄さん。重要なのは、全体を見ること、ですよ?」
「全体、ですか?」
「はい。例えば桜の花を〈創造〉します」
そう言って、手元に藤色の桜の花を1輪、〈創造〉してみせた久遠。さらにチューリップ、四つ葉のクローバーをそれぞれ〈創造〉してみせた。
「3つ。本来なら、わたしが同時に使用できる魔法の限界はこの程度です。なので〈創造〉出来るものも3つが限界です。……が、お兄さん。わたしの作った花をよく見てください」
久遠に言われ、優は彼女の手のひらに乗った花々を見遣る。
「個別に見ると、花びらだけでも13個、わたしは〈創造〉していることになりませんか?」
「…………。あっ、なるほど!」
久遠の言葉と、先の「全体を見る」という発言で、ようやく優は花の型で鍛えている部分に思い至る。
思えばそれは、優も自然にやっていたことだ。例えば、優が愛用しているサバイバルナイフ。あれも、刀身と
「つまり常坂さんはさっきの藤の花を1つのものとして、〈創造〉したんですね?」
「はい!」
傍目に見れば数百の花を〈創造〉したように見えたが、久遠からすればそれは1つのものを〈創造〉したに過ぎなかった。
ただし、口で言うのは簡単だが、実際にやるとなると難しい。矛盾するようだが、全体を見ながら数百ある花のそれぞれに注目し、イメージし、マナで形を作らなければならないからだ。
「つまり、花の型では、物事の全体を見ながら個別の創造物に着目する。その思考の癖と、そうして想像した物を創り上げるマナの操作術の2つをつけることを目標としています」
「全体を個別に見て、創る……」
それだけで〈創造〉の幅がグッと広がる気がした優。もしその思考の癖が身に付いた時、その人は〈創造〉1つだけで数十本を束ねた花束を創り上げることができるだろう。鍛えれば、100本のバラを目の前の人に渡すことができる。極めれば、荒野を数百の花で可憐に彩ることができる。
(花の型が“華やかさ”を探求すると言われてる理由は、自分の想像の幅を広げるって意味なのか)
ほんの少し見方を変えるだけで、魔法の可能性が無限に広がったように感じられた優。同時に彼は、とある言葉を思い出す。
『どう? 魔法に不可能なんて、あるのかな?』
それは、赤猿たちと死闘を繰り広げた大規模討伐任務の前に、モノが優に言ったセリフだ。
(確か常識がどうとか言っていた気がするが……)
もし本当に1人の人間が魔法で荒野を花畑に変えられるのだとすると、いよいよもって、不可能なんてあるのだろうかと思わざるを得ない。魔法を理解したつもりで、全くできていなかったのだと痛感する優だった。
「他にも絵を描いたり、書道をしたり。空間や空白を大事にする芸術を用いた修行を行なうのも、花の型の特徴ですね。……ではお兄さん。次は鳥の型の修行場に行きます」
「あっ、はい。よろしくお願いします」
そうして修行場を去っていた優と久遠。彼らを見る門下生の視線が昨日とは少し異なることに、2人はまだ気づかない。
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