第5話 シャドウハンティング
門下生たちが食事を終えた後の食堂を借りて、優と久遠は食事をとる。
文化財を守る役目を追っている常坂家には、1年を通してかなりの額の支援金が支給されている。また、子供を預ける親からの出資金。修行の一環である魔獣・魔人討伐の報奨金。あるいは、寺から寄付などなど。そうしたお金を元手として、門下生たちには食事や衣服が無料で支給されている。
特に食事については、身体が資本の魔剣一刀流において重要視されている要素の1つだ。
「な、なので。神代さんのお兄さん。お、お金のことなんか気にせず、ご飯をたくさん食べてください!」
いつになく語気を強めた久遠の藍色の瞳で見つめられた優は、言われた通り、目いっぱい腹にご飯をかき込む。しかし、決して満腹にはしない。その理由は、このすぐ後に“運動”をすると久遠から言われていたからだ。
管理栄養士考案のタンパク質多めな食事をありがたく頂いた後、支給された道着に着替えた優は、同じく道着に着替えていた久遠と合流した。
「お待たせしました、常坂さん」
「い、いえ、お気になさらないでください。そ、それより、道着のサイズは合っていますか……?」
久遠に言われて、優は改めて支給された道着を確認してみる。
柔道着にも似た、ゴワゴワとした肌触りの道着。生地も厚く、重量感もある。それは下にはくズボンも同じで、上下ともに着心地が良いとは言えなかった。
道着の色は淡い紺色で、帯は黒色。常坂家においての黒帯は、最低限、木刀を握るだけの肉体が出来ていることを示す物だ。
他方、久遠も同じく紺色の道着を着ているが、優とは帯の色が違う。彼女のものは赤色で、先端には桜、
「き、着心地については、すみません……。で、でも、動きやすさと防御面は、し、信頼して頂いて大丈夫です」
包丁などのナイフはもちろん、銃弾すらも弾いて見せる。魔獣に噛まれても、牙が貫通しないというのがこの道着の売りだ。特派員に支給される学ランと同等かそれ以上の防御力を持っていた。
そんな道着を着たうえで、屈伸や跳躍をしてみせる優。着心地こそ最悪なものの、久遠の言う通り動きやすさはきちんと確保されている。また、意外にも蒸れない。汗をかいて衣服が肌に引っ付けば、動きが阻害されてしまう。その点、通気性という面でも、道着は計算された作りになっているようだった。
「はい、大丈夫そうです」
「よ、良かった……。それじゃあ、い、移動します」
外ハネのクセ毛を揺らして歩き始めた久遠の背中に、優も続く。しばらく歩いた2人がやってきたのは、敷地内に建つトレーニングジムだった。とは言っても、一見すると、少し年季の入った蔵にしか見えない。そのため、いざ扉をくぐった場所にあった近代的な筋トレ器具の数々に、優は驚くことになった。
「こ、ここで靴を履き替えてもらって……どうかしましたか、神代さんのお兄さん?」
ジムの入り口で固まる優を、不思議そうに見つめる久遠。
「い、いえ。勝手に、もっと古臭い……こういう器具なんてない、
聞きようによっては失礼にも当たる優の素直な感想を、久遠は笑って受け止める。
「じ、時代に合わせて形を変える柔軟性。それこそが、魔剣一刀流を生み出した常坂流の売り……だそうです」
修行の合間、言葉少なに語っていた祖父の言葉を思い出しながら、常坂流について語る久遠。
悪を斬り、人を生かすために振るわれる剣こと『
「当代の“悪”は魔獣たちです。悪を斬ることを目的とする常坂流の剣も魔獣を殺す剣……魔剣一刀流へと姿を変えました。ですが、その性質ゆえに、私たちの主な活動場所は外地を想定されています」
伝統を重んじてのんびりした修行をしていたら、魔獣に食べられる。それが、外地という場所だ。
「常に伝統について疑念を持ち、考え、磨く。そうして時と共に柔軟に形を変え、洗練されてきた剣術の理論。それこそが常坂家の“伝統”なんです」
「なるほど。……ところで常坂さん。そのお面は?」
いつの間にか顔半分を隠す狐のお面が着けられている。「これですか?」と久遠が指先でなぞったそのお面は、彼女にとってのお守りであり、ある種の自己暗示をかけるための物だ。
生まれてこの方、外地という自然に近い環境で育ってきた久遠。祖父からの厳しい修行の合間、彼女の心を癒してくれたのが動物たちだった。野良犬や野良猫はもちろん、野生のシカやイノシシですら、なぜか久遠に友好的に接してくれた。まるで、心身ともにボロボロだった久遠を慈しむように。
それは、世に魔獣が現れてからも変わらない。毎日、毎日、本家の子供としての期待を背負いながら厳しい修行に明け暮れる日々。それでも久遠を心配するように、日々、動物たちが彼女のもとを訪れた。
ひょっとすると、久遠のもとを訪れた生物の中には魔獣も居たのかもしれない。しかし、久遠から“何か”を感じたのだろうか。動物たちが彼女を襲うことはなく、久遠も生き物全てが家族のように思っていた。
だからこそ、常坂久遠は全ての生き物を殺せない。なぜなら彼ら彼女らはみな、久遠にとって大切な隣人であり、恩人であり、友人だったからだ。
その事実に気付いた常坂家が用意したのが、お面だ。魔獣を殺すのは久遠であって久遠ではない。仮面をつけた、別の人物だ。そう久遠に認識させることで、魔獣を殺せるように催眠状態にしたのだ。全ては、魔剣一刀流を極めた久遠の技術と努力を腐らせないため。魔獣溢れるこの世界で生き残るための措置だった。
いま久遠が着けている狐のお面は、顔の上半分を覆うものだ。優たちとの初任務の際に割れてしまった1代目のお面は、顔全体を覆うタイプだった。しかし、それだと剣術において重要な呼吸を阻害しかねない。そのため、久遠の身を案じた祖父の平蔵が新しいお面を発注する際に、現在の形にしてもらったのだった。
そんな祖父たちの気遣いなどつゆ知らない久遠。祖父から両親へ、そして娘である久遠へと渡った2代目のお面も、内心ではとても気に入っていた。
「お面は気にしないで下さい。ここからは恐らく
「はあ……」
久遠の曖昧な説明に、優も同じく曖昧な返事をすることしかできない。
夏休みの任務の際、久遠と優が行動を共にした時間はそう多くない。天や春樹のように彼女がお面をつける理由について聞いてもいなかった。そのため、優の中で久遠は“戦う時にだけお面をつける人”という認識になっている。そして、いざという時にだけ姿を変える久遠の姿は、優が憧れるヒーローの中でも、変身ヒーローと呼ばれる人々とよく似ていて……。
(やっぱり、格好良いな)
表情や態度にこそ出さないものの、どうしても捨てきれない憧れと中二病心をくすぐられてしまうのだった。
その後、靴をトレーニングシューズに履き替えてジムへと足を踏み入れた優たち。そこには、第三校の筋トレ室に勝るとも劣らない器具たちが何台も鎮座している。
「在籍中の門下生の数だけでも、第三校にも引けを取らないんですよ?」
そう久遠が語ったように、今も数人だが、器具の上で汗を流す人々の姿があった。彼ら彼女らの鋭い視線を浴びつつ、優が案内されたのはジムの奥にあるマットが敷かれた場所だ。
「神代さんのお兄さん。ここで、シャドウハンティングをしてもらっても良いですか?」
「シャドウ、ハンティング……?」
聞き慣れない言葉に、つい、オウム返しをしてしまう優。しかし、語呂からすぐに、シャドウボクシングみたいなものだろうと思い至る。仮想敵を思い浮かべて、討伐する。久遠がその動きを見て実力を測るつもりだろうと、瞬時に理解した。
「分かりました」
小さく息を吐いた優が、マットの敷き詰められた一角へと歩を進める。程よい所で足を止め、静かに目を閉じ、仮想敵を想像する。今の優が“敵”といわれて思い浮かべるものは、ただ1体の魔獣しかいない。
これまでに二度、相対してきた因縁の相手を思い浮かべる優。それと同時に、手のひらに蘇って来る春野楓の柔らかさと、失われていく温もり。また、シアを殺されたかもしれないという危機感。記憶と共に湧き上がって来る光景と手触り、感情。その全てを受け止めた優は小さく、静かに息を吐く。
優本人すら気付かない極限の集中。彼の脳裏をチリッと電流が駆け抜け、自然と心が凪ぐ。
次に優が目を開いた時には、目の前に“敵”が居た。
――殺す。
そうしてマットの上でシャドウハンティングを始めた優の動きを、つぶさに観察する久遠。利き手、重心移動、動きのクセ、視線の動かし方……。目に見えない優のマナの動きも、〈感知〉を使って感じ取る。そうして観察する中で久遠の中に湧き上がるのは、疑問だ。
(神代さんのお兄さん、何と戦ってるんだろう……?)
優の戦い方は、まるで複数の魔獣を相手にしているかのようだ。彼が向ける視線、武器を振り下ろす位置が毎回異なる。想定している相手が、尋常じゃなく素早い相手であることは分かる。しかし、急に巨大な敵の攻撃を避けたかと思えば、小さな敵を狙いすますような攻撃をする。
優が思い描く“敵”の像が曖昧な可能性も、十分にある。慣れていなければ、敵の動きを上手くトレースできず、今のように不自然なシャドウハンティングになってしまうこともあった。が、鬼気迫る様子の優が、きちんと“敵”を見ていること。それは久遠にはよく分かる。
(となると、やっぱり複数体の敵を想定してる……? それとも自由に大きさを変える“敵”、とか? でもそんなの、教科書で見たあの黒魔獣にしか出来ない――)
まさか、と、久遠は改めて優が戦っている“敵”を見る。そこには驚くほど鮮明に、最強の魔獣と謳われる1体の黒い猫が、像を結んでいた。
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