第4話 不器用な姉弟子
その後、久遠と平蔵の間で数回、やり取りがあった後。
「「失礼します」」
「励め」
優と久遠。2人声を揃えて道場を後にする。最後に久遠が静かに扉を閉めて、無言のまま固まってしまうのだった。
しばらく、鳥の声だけが聞こえてくるのどかな時間が過ぎていく。それでも、いつまでもこうしているわけにはいかないため、優が口を開いた。
「あの、常坂さ――」
「い、いいい、言いたいことは分かります、神代さんのお兄さん! あれですよね!? あれだけ前置き……というか怖がらせておいて、あっさり受け入れられてんじゃねぇかお前、ですよね!?」
目を白黒させ、手をばたつかせる久遠。
「……まぁ、言い方は違いますが、おおよそは。俺も結構な覚悟というかやる気というか……。心の準備をしてたんですが?」
「そ、そそそ、そう、ですよね~。……た、ただっ! わ、私も、まさかおじいちゃんがこんなにあっさり受け入れるなんて思って無かったんです! 信じてください!」
久遠の言うことは本当なのだろうというのは、優にも分かっている。一方で、玄関から、もっと言えば常坂と今日の約束を取り付けてから常にあった「きちんと魔剣一刀流を学ばせてもらえるだろうか」という緊張感。また、例え拒否されても、どうにか想いを伝えて、本気であることを伝えようとやる気をみなぎらせていた。
先ほどはそんな気持ちが先走って失礼を働いてしまったが、「勝負はここからだ」と気持ちを切り替えたところで。
『
そう言った平蔵によってあっさりと、入門を許された。しかも事前に久遠から、厳しい戦いになる、という脅し……前置きすらされたうえで、だ。“肩透かし”という言葉がこれ以上に似合う場面も、そうそう無いだろう。
(あ、あれぇ~!? おじいちゃん、礼儀作法とかよそ者とかに厳しかったはずなんだけどぉ~!?)
恥ずかしさのあまりその場にうずくまりながら、予想外の事態を懸命に飲み込もうとする久遠。
実際、久遠に剣術を教える時の平蔵は鬼という表現が似合うありさまだった。世が世なら、児童虐待を疑われるほどだったかもしれない。久遠にとってはそれこそが幼少の頃のトラウマであり、「祖父は厳格で怖い人物だ」という、このさき一生修正できない人物像になっている。
しかし、久遠が知らないところで平蔵は孫娘を溺愛していた。例えば、日常生活においては久遠に不自由が無いよう、息子夫妻に必要以上の資金援助をしていたり、夏休みに久遠の大切なお面が壊れたと聞いて、わざわざ数十万円をかけて知己の名匠にお面を作らせたり。
厳しい修行も、甘やかしも、お面も、全ては大切な孫娘のため。魔獣が
ただし、そんな裏事情など知る由もない久遠は、祖父の行動の裏を深読みしてしまう。
(はっ! これもおじいちゃん……師範からの修行!? 1か月以内に神代さんのお兄さんを使い物にしろっていう、わたしの師匠としての才能を見極めようとしてる……?)
その時代に合わせて臨機応変に形を変えて来た常坂流だが、後継者が居なければ、流派は途絶えてしまう。免許皆伝という、弟子として一人前になったその次に求められるのは、指導者としてのスキルではないか。
(……うん、間違いない!)
そうして久遠は、自身の中にある“厳格な祖父”のイメージにピッタリな
「常坂さん? 大丈夫ですか……?」
そう久遠に尋ねる優の顔は、引きつっている。突然うずくまったかと思えばブツブツと独り言を漏らし、果ては百面相している同級生の少女。同じようにたびたび1人の世界へ旅立つシアとは違い、常坂と優はまだ顔見知り程度の仲だ。「いつものやつか」と思うより先に、「ヤベー奴だ」という気持ちの方が勝っていた。
優に声をかけられて、ようやく自分の世界から抜け出した久遠。
「あ、はい。大丈夫です。ご、ご心配をおかけしました……」
言いながら立ち上がって、腰に提げていた狐のお面を軽くなでる。久遠が気持ちを落ち着かせるための、一種のルーティンだ。
「オホン。え、えっと。それじゃあ一度、玄関まで神代さんのお兄さんの荷物を取りに戻ってから、泊まってもらう簡易宿舎に案内します。道すがら、ここについての説明をしますね」
久遠が言った「ここ」とは、常坂家と常坂流・魔剣一刀流についてだ。優もそのことは話の流れから察していて、
「了解です。それではこれから、よろしくお願いします、常坂さん」
先を行く“
魔剣一刀流唯一の免許皆伝者である久遠の出迎えからあるていど時間が経ち、弟子たちが修行を再開している。道場に向かうまでと違って、遠く聞こえてくるのは威勢のいい声だ。
かつて自分もその中の1人だったことを懐かしく思いつつ、久遠は師範でもある祖父からの“修行”を必死に実行する。今の久遠にとっては、優を1か月ほどで、最低限、常坂の門下生であると言えるレベルすることこそ、春休みの課題になっていた。
(え、えぇっと……。まずは……うん? 何をすれば?)
誰かに技術を教えることなど、これが初めての久遠。ましてや、通常は最低でも10年以上かけて身に着ける技術を、1か月弱で身に着けさせろという無理難題だ。
しかし、その難題は久遠にとっての修行でもある。祖父から、不可能にも思える課題を出されたことは、これまで何度もあった。その度に久遠は尻込みをして、駄々をこねて、泣いた。それでも厳格な祖父は妥協を許さない。
そうして諦めにも似た覚悟を決めた久遠が課題に取り組んでみれば、いつもギリギリのところで達成できた。その度に自分が大きく成長できた実感が、久遠にもあった。
(おじいちゃんは怖い……。けど、私が“できないこと”を言う人じゃない)
祖父に対する苦手意識はある。が、師範としての祖父には、久遠は全幅の信頼を置いていた。
だから今回の修行――期間内で優に魔剣一刀流の一部でも習得してもらうこと――も、自分にとって不可能ではないはず。
(不可能じゃない……よね? 不可能じゃ、無かったらいいなぁ……)
内心で涙目になりながらも懸命に思考を巡らせ、優が成長するための道筋を立てていく久遠。その手掛かりとして、彼女にはまず、確認しなければならないことがあった。
「か、神代さんのお兄さん。魔剣一刀流には、花鳥風月を模した、よ、4つの動き……“型”があるんです」
遠く聞こえる門下生たちの声を聞きながら、久遠が切り出す。
「4つの型、ですか?」
優の問いかけに、コクリと頷いて見せる久遠。華やかさを求める“花の型”。しなやかさを求める“鳥の型”。素早さを求める“風の型”。そして、静けさを求める“月の型”。それぞれ目指すものが異なり、1つを習得するためには最低でも3~5年はかかるとされていることを優に明かす。
「……5年、ですか? 俺が居られるのは1か月足らずですが……?」
「は、はい。ただ……」
1つの型を習得するために、というよりは、1つ目の型を習得するために、であると久遠は訂正する。
「か、型同士にも共通点はあったりします。ひ、1つ目の型を習得しさえすれば、残りの型を習得する期間は半分程度の時間で済むことが多いです」
「……はあ」
それでも圧倒的に時間が足りないのでは? と、言いたげな優の視線を受けて、さらに補足をする久遠。
「こ、ここに来る大半の生徒さんは、心身ともに未熟な、10歳未満の子供たちです。な、なので、最初の5年ほどは基礎的な肉体・体力作りがほとんどなんです。でも、神代さんのお兄さんの場合は……」
そこまで言われて、ようやく優は久遠の言いたいことを理解する。
「なるほど。その点、俺は仮とはいえ特派員として、筋トレをしている。肉体面では基礎が出来ている。そう考えて良いんですか?」
優の問いかけで、ようやく自分の言いたいことが伝わったのだと歓喜した久遠。鼻息荒く、大きく二度、頷いて見せる。
「な、なので! 神代さんのお兄さんが実際に行なうのは、基礎が出来てから行われるそれぞれの型の専門訓練……です!」
「専門訓練……。とは言え、常坂さんの家で心身ともにみっちりと修行した子供が、そこから何年もかけて“型”っていうのを習得するんですよね?」
それを優は1か月弱で身につけようとしている。結局のところ、自分はかなりの無茶無謀に挑もうとしているのではないか。そう尋ねた優に、
「…………」
久遠はただ、冷や汗まじりの笑顔を向けることしか出来なかった。
「で、でも! でも、です! コツさえつかめば、1か月ほどで型を習得した例も、い、一応、あります!」
「そうなんですか?」
それなら自分にも可能性があるのか、と考えられるほど、優の人生における成功体験は多くない。
「それって、その人が天才だっただけでは……?」
「天才!? そ、それは、ど、どう、でしょうか……」
ようやくたどり着いた玄関に置かれていた荷物を優が抱えあげた姿を見て、久遠は話を本筋に戻す。
「と、とにかく。これから神代さんのお兄さんには、どの型を学びたいのか、決めてもらいたいんです」
とは言っても、言葉だけではイメージもわかないだろうことは久遠も分かっている。
「な、なので、今日は神代さんのお兄さんの、身体能力測定。あ、明日からはそれぞれの型の特徴と修行の一部を、しょ、紹介しますね」
まずは早い段階でそれぞれの型について知ってもらい、花鳥風月、どの型で学ぶのかを優に決めてもらう。自分が選んだという前向きなモチベーションを保った状態で、修行に臨んでもらおうというのが久遠の狙いだった。
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