第3話 ディスコミュニケーション

 久遠の先導のもと駅を出た優は、そこで待っていた高級車に乗り込んだ。沢渡さわたりぎんと名乗る白髪の好々爺こうこうやが運転する車で移動すること数分。


「ここが……」


 優は、車内から見えた立派な門と真っ直ぐに続く参道、その奥に見える立派な日本家屋に目を見張る。


 常坂家が道場を構えるその場所は、かつて世界遺産として有名だった寺の跡地だ。魔獣が出現して改編の日を迎えるまでの3年の間、人だけでなく多くの歴史的な遺産が被害を受けた。それこそ、修復・再建不可能なほど破壊された建物も多い。


 そんな状況にあって、常坂家があるこの寺は法堂や大方丈だいほうじょうなどの主要な建物がかろうじて原型をとどめていた。そのため、日本政府から建物の修復と保全のために遣わされたのが、常坂家だった。天人の力も借りながら内部まで破壊された建物を建て替え、人が住むことのできる形に戻した結果、今の常坂家の住居兼道場があるのだった。


 左右に白い玉砂利が敷かれた石畳の参道を徐行すること、少し。大きな日本家屋といった風貌の常坂邸の母屋にたどり着く。その玄関で待つよう久遠に言われ、広い玄関にあった木製の長椅子に腰を下ろした優は1人、


「常坂さん。めちゃくちゃお嬢様だったんだな」


 ここに至るまでずっと我慢していた言葉をようやく言葉にした。


 そう。常坂久遠はお嬢様だった。例えば優たちを出迎えた運転手の老人は、久遠のことを堂々と“お嬢様”と呼んでいた。が、それだけではない。敷地の入り口からこの母屋に至るまでの一本道。左右に白い玉砂利が敷かれた石畳の道を車で行く間、門下生と思われる人々が優たちの乗る車に向けてこうべを垂れていた。


 極めつけは、車を降りた瞬間だろう。


「「お帰りなさい、お嬢!」」


 男性の野太い声を中心とした歓迎の言葉は、地鳴りがしたと錯覚するほどのものだった。他方、出迎えられた側である久遠は、恐縮しきりの様子だったが。


(お嬢っていう言葉、まさか現実で聞くことになるとはな)


 てっきり創作物の中だけの話だと思っていた呼称に、珍獣でも見たような気分になる優。厳つい男たちが猫背でオドオドした印象の少女に頭を下げるその様は、ある種異様でもあった。


 ただ、それだけ、常坂久遠という人物が慕われているということであり、実力者であるということでもある。自分がスキルアップのために頼った人物が間違いではなかったと、優は密かに確信を得るのだった。


 と、優がそうして手持ち無沙汰に物思いにふけっていた時だ。


「か、神代さんのお兄さん」


 久遠が玄関先で待っていた優を呼びに来た。久遠からの呼称に内心首をかしげていた優だが、それ以上に気になるのは久遠から感じる印象の違いだ。


 屋内ということで上着を脱いでおり、長袖シャツ1枚とストレッチジーンズ姿になっているというのもある。しかし、


(なるほど。背筋を伸ばしてるのか)


 ここも道場の中だからだろうか。普段は猫背の背中をしゅっと伸ばしていた。そのおかげで、鍛えられながらも女性らしさを残した健康的なプロポーションが際立っていた。


「し、師範が……あっ、祖父が、呼んでます。なので、私について来てください」

「了解です。荷物はどうすれば?」

「も、門弟もんていの方に見てもらうので、その場に」


 門前払いこそされなかったものの、優はまだ稽古をつけてもらえることが決まったわけではない。これから久遠の祖父であり、魔剣一刀流の開祖でもある常坂ときさか平蔵へいぞうに入門の許可を得る必要があった。


 そして、もし入門を拒否された場合、優はその足で帰路に就かなければならない。荷物を玄関先に置いておくのも、帰り際に優に不要な手間を取らせないため。久遠がそれを指示したことから、自身の入門がかなり厳しそうであることを優はすぐに悟った。


 それでも、久遠がいなければ、それこそ門前払いをされていただろうことも優は分かっている。チャンスを貰ったのであれば、あとは全力で事に臨むだけだ。


「……分かりました」


 言われた通りに荷物を玄関先に置いて、久遠の後に続く優。優たちが歩くたびに、板張りの廊下が小気味いい音を立てる。同時に漂ってくるのは、ほのかな木の香りだ。スギかヒノキか。植物には詳しくない優だが、心安らぐ自然の匂いのおかげで緊張が少し和らぐのを感じた。


 これがいわゆる“木の温もり”だろうか、などと考えながらしばらく歩いていた優だったが。


(……長いな)


 途中、いくつも建物を経由して、時には外に出ることもありつつ、かれこれ5分くらい歩いているのではないだろうか。まさか“家”の中で5分も歩くことになるとは夢にも思っていなかった優。改めて、常坂家の敷地の広さを認識させられる。


 一方で、さすがはかつての世界遺産で観光名所だとも思う。ただ廊下と縁側を歩いているだけなのだが、そこから見える手入れの行き届いた庭や池、遠く見える山々は、ここが外地であることを忘れてしまいそうになるほどに、美しい景観をしていた。


 そうして優が、緊張しながらも周囲を見る余裕を持つことが出来るようになってきた頃。


「そ、その……。神代さんのお兄さん」


 不意に、前方を歩いていた久遠から声がかかる。


「どうしましたか、常坂さん?」

「そ、その。本来、魔剣一刀流は門外不出でして。古くから付き合いがあって、信頼のおける家の子供にしか、教えないんです」


 久遠が言ったそれは、予防線だ。優が入門を断られても、それは優個人に責任があるわけではない。だから自分を責める必要はないと優に思ってもらうための方便でもあった。


「お、お見せしたことがあるので分かるかもしれませんが。ま、魔法と剣術を組み合わせた魔剣一刀流を使えば、簡単に人を殺せます」

「そう、ですね。確かに」


 優が常坂の戦う姿を見た回数は、そう多くない。それでも、花が咲いたように藤色のマナが拡がり、かと思えば敵が、魔獣が一刀両断されているその強烈な光景は、今もなお憧れとして優のまぶたに焼き付いている。


 初見ではまず対処することができない、一撃必殺の奥義。例え技の存在を知っていても、簡単には見切ることができない刹那の魔法。しかもその理念は、最低限のマナで最大の効率を生み出すこと。ひいては、例え魔力持ちや天人でなくとも、魔獣を多く殺すことができることを目指す。


 そして、その体現者である常坂久遠は、6月からの編入生にもかかわらず、9期生全体で2位の魔獣討伐数を誇っていた。


 まさに必殺技と呼ぶべき魔法技術であり、だからこそ、優は充実した春休みを願って久遠を頼った。ただし、その力がひとたび人に向けられれば、それは人類にとって大きな脅威となることもまた、事実だった。


「そ、それに。神代さんのお兄さんは無色のマナ、なので……」

「簡単に人殺しに流用できる。だから信頼できないよそ者の俺には、教えてもらえない可能性が高い……で、合ってますか?」


 濁した言葉の先を自ら言ってみせた優の言葉に、ちょうど目的地にたどり着いた久遠が足を止めて頷いた。


「「…………」」


 もともと2人とも口数が多い方ではないだけに、微妙な沈黙が下りる。それでも、重苦しい空気の中、優は前を向く。


(常坂さんは可能性があると思った。だから俺を連れて来てくれた……はずだ)


 全く望みが無いと思っていたなら、わざわざ自分を連れてくる必要など無かっただろうというのが優の見解だ。ということは、やはり、久遠が多少なりとも自分に“入門の可能性”を見出してくれたからではないか、と優は自分に都合よく解釈することにする。


「わ、私も可能な限り、口添えはします。ですが、それでも断られてしまった場合は……」

「分かりました。……全力で食い下がります」

「……え!? あっ、ちょっ、お兄さん――」


 久遠の制止も聞かず、優は目の前にある扉を開け放った。


 そこは、板張りの道場だった。広さは、第三校の体育館の3分の1ほど。100人が入れば少し手狭に感じるくらいだろうか。外観こそ新しそうに見えたものの、道場の床も、壁も。まるで数十年も使い込まれたような年季を放っている。何より、血の跡のように見えなくもない謎の黒ずみが至る所にあった。


 そんな歴戦の跡地のような道場に居た人物は、1人。目を閉じ、胡坐あぐらを組んで座る禿頭の老人だけだ。年と威厳を重ねた数だけある顔のシワ。硬く閉じられた瞳の上にある眉毛も、きつく結ばれた口の上にある髭も、白髪が交じっている。


 しかし、不思議と年老いたという印象は受けない。むしろ、急流の中に数百年以上たたずむ巨岩のような、静かな力強さを感じさせる。彼こそ、久遠の祖父であり魔剣一刀流の開祖――常坂ときさか平蔵へいぞうだった。


「来たか」


 突如開かれた道場の扉に、薄っすらと目を開けた平蔵。そこには、覚悟を決めたような表情で立つ少年と、彼を引き留めようとした姿勢のまま固まる、孫の姿があった。


 夏休みの帰省以来、半年ぶりの孫との再会。祖父――おじいちゃんとしては待ちに待った孫との再会だ。平蔵は今すぐにでも久遠から積もる話を聞きたい。しかし、悲しいかな。厳しい精神修行の中で、平蔵は自身の気持ちを表に出さない術が、完全に身に染みてしまっていた。


 ゆえに、孫との間に致命的なまでのディスコミュニケーションが発生してしまっていることに、平蔵も、久遠も気づかない。


「久遠」

「……はい」


 平蔵に名前を呼ばれ、久遠はすぐさま正座の姿勢を取る。同時に彼女は、確信してもいた。


(絶対に、終わったぁ~……)


 厳格な祖父のことだ。緊張か、決意表明か。いずれにしても、挨拶も無しに扉を開くという無礼千万を働いた優は、祖父にとって最悪の第一印象だっただろう。もとより勝機の低かった戦いが、なお一層厳しくなった。いや、むしろ久遠としては、敗戦が確定したと言っても良かった。


 それでも一応、シア達への義理立ても兼ねて、祖父の説得を試みる久遠。


「師範。彼は武の道も剣の道も知らぬ者です。ゆえに作法も知るはずもなく――」


 まさか祖父が、可愛い孫の頼みを可能な限り聞いてあげようと思っていることなど知るはずもない彼女にとって、


い。彼の部屋の準備を」

「――門下生への刺激という面でも……。……え?」


 優が修行することを受け入れる祖父の言葉はまさに、青天の霹靂へきれきだった。

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