第2話 京都へ

 3月3日、金曜日。時刻はもうすぐ11時になろうかという頃。第三校からいくつか電車を経由して、優は大阪から京都へと向かっていた。


 内地を駆ける大阪環状線とは異なり、外地へと向かう電車の多くは対魔獣仕様。外装は分厚く魔獣の突進を受けても横転しにくいように車体重量も重く設計されている。また、鉄道会社と契約するエージェントや特派員が必ず同乗しており、有事に備えていた。


 乗客に閉塞感を与えないよう、採光用の窓ガラスは備わっている。しかし、その大きさは大きくて30㎝四方と、流れゆく景色を堪能するにはあまりにも小さい。それでも無いよりはマシか、と、優がぼんやりと車窓から見える景色を眺めていると、


『京都府に入りました。乗客の皆様におかれましては、念のため、魔獣による襲撃に際した備えと……』


 そんな車内アナウンスが聞こえてきた。外地に入ったことで、魔獣への精神的な備えをしておいてくださいという内容だ。また、有事の際は魔法が使えることを乗客に伝え、最低限、自分の身を守る努力をしてくださいという念押しがされたのだった。


(外地、か……)


 車窓から目線を外した優は、自身の手に握られている金色のバッヂを眺める。たなびく旗をモチーフとしたそのバッヂは、2時間ほど前、級友でもあり、戦友でもあるノア、クレアの2人から餞別として受け取ったものだ。


(ノア達がクーリアに戻るのは来週だったか)


 大規模討伐任務や文化祭でのテロ未遂など色々あったものの、どうにか半年にわたる留学を終えた留学生たち。彼ら彼女らは、この春休み中に母国へと帰ると優は聞いていた。見送りができないぶん、最後に挨拶だけでもしておこう。そう思ってノアにアポを取ってみると、今日、3月3日しか予定が合わないと言われたのだった。


 今日は常坂との待ち合わせもあり、かなり過密なスケジュールになる。それでも今生の別れになるかもと、第三校の迎賓館を訪ねてみたところ、


『ようこそおいで下さいました、カミシロ様』


 赤を基調とした騎士風の正装に身を包んだクレアと、


『時間が無いらしいな? 全く、最後まで忙しい奴だ』


 同じく正装ではあるものの、いつものように憎まれ口をたたくノアが、優を出迎えたのだった。


 大袈裟にも思える2人の格好に少々面食らったものの、別れの挨拶と互いの“これから”とを軽く話し合った優たち。そして、優がいざ迎賓館を出ようとしたところで、クレアが優を引き留めた。


『カミシロ様、こちらを』


 そう言って渡されたのが、先の旗を見チーフにしたピンバッジだ。


『いうなれば、ワタシの戦友であるという証です。クーリアと日本。遠く地は離れていても、我々が人々の平和を願うことは同じ。そうでしょう?』


 いたずらっ子のように笑う年相応のクレアの笑顔に優が思わず見惚れていると、不意に、クレアが優に顔を寄せる。そして耳打ちをする態勢を取ると、


『S文書の件、どうかお忘れなきよう。日本政府だけではありません。世界は……天人たちは、ワタシ達人間に隠し事をしています。彼らには、くれぐれもお気を付けください』


 そう言って、あいさつ代わりのキスを優の頬に落としていったのだった。


「天人に気を付けろ、か……」


 揺れる車内。無意識のままクレアの唇の感覚が残る右頬を撫でる優が、クレアからの忠告を再度口にする。


 先日の魔人による第三校襲撃事件では、魔人側に協力した天人が居た。天とシア曰く、人の認識を阻害する権能が使われたのだという。その結果、優たち三校生は魔人の襲撃に気付けず、教員や正規の特派員たちも事態を把握するのに致命的なほど時間がかかった。


 これまで人類に友好・中立な立場を取ってきた天人による、明らかな敵対行為。優たちももちろん報告書にそのことを記載したが、学校からこれと言った反応は無い。ニュースでも、学生だから、見習いだから魔人への対処が遅れたという報道ばかりだった。


(多分、難波の襲撃にも、同じ天人が関わっていたはずなんだ)


 唐突に現れる敵。あまりに遅い救助。何より、魔人側に天人がいること。それらのことから、同じ魔人の集団によって引き起こされた難波・心斎橋魔獣災害にも、認識阻害を得意とする天人が関わっていただろうと優は推測している。


(魔人も、闇猫も。上手く天人に利用されただけなのかもしれない)


 それは、春野を死に追いやった要因に“天人”が深く関わっているということでもある。優の中に未だくすぶっているやりきれない思いの矛先が、少しずつ、天人にも向こうとしていた。


 ただし、今の自分はもう既に天人とズブズブの関係であることもまた、優は自覚している。特に黒髪の天人シアと、銀髪の天人モノとの関係は、切っても切れない仲と言って良い。


(それにシアさんは文字通り命の恩人で、モノ先輩は俺を立ち直らせてくれた大恩人だ……。2人をないがしろにするのは、あまりにも恩知らずが過ぎる)


 モノが口止めをしていることからも、天人たちが人間に何かを隠しているのは事実だろうというのが優の見解だ。ただし、誰しも秘密の1つや2つ、抱えている。隠し事をしているからといって、敵と……悪と判断するにはあまりに早計だ。


(それに“天人だから”と一括りにするのもよくない、よな)


 先日、人を殺したことが無い魔人――未食いの存在を知った優。○○だからと先入観を持つことの危険性を改めて思い知らされたばかりだ。


(ただ、魔人に協力していた天人……ノオミに話を聞くことくらいはしてみたいな)


 春野の死に深くかかわっているだろう天人の名前を心に刻んで、優はクレアから貰ったバッヂを自身の宝物とも言える学ランの胸ポケットに着けるのだった。


 と、そうして優が1人物思いにふけっていた時だ。


「あ、あのぉ……」


 優の隣から、それはもう控えめに声がかかる。優が声のした方を見てみれば、今の今まで完全に気配を消していた同学年の少女――常坂ときさか久遠くおんがそこにいた。


 外にはねる黒髪のクセっ毛はセミロング。気弱さを連想させる垂れ目は、黒にも似た深い藍色。しゃんとすれば男子の優と肩を並べられるほど身長も高く、手足も長い。鍛えられて均整の取れた健康的な身体のラインは、優が思う理想的な特派員の体型とも言える。


 しかし、本人の気質を映すように丸まった背中と肩が、どうしても頼りない印象を抱かせる。まさに宝の持ち腐れ。そんな、少し残念な少女こそ、優がこの春休みを共にする(かもしれない)少女、常坂久遠だった。


「どうかしましたか、常坂さん?」


 聞き返した優に、「あ、う、あ」と視線を何度かさまよわせた久遠。元より人見知りで、自分からはまず他人に声を掛けられない。そんな彼女は、夏休みに一度だけ任務を共にしてからは何の音沙汰もなかった男子生徒との距離感を測りあぐねていた。


「も、もうすぐかつら駅に着くので、荷物をまとめた方が……」

「……え?」


 久遠に言われて初めて、優は電車が減速しつつあることに気付く。優が思っていた以上に、思索にふけってしまっていたようだった。


「わっ、本当ですね。急いでまとめます」

「は、はい。この後、電車を乗り換えて、嵐山まで行きますね」

「了解です。えっと、ひとまず荷物棚から荷物を下ろして……。いや、まずはカバンの口を閉めないとだな」


 焦った様子で荷物をまとめる優の姿に、内心で首をかしげる久遠。というのも、天とシア、あるいは噂で伝え聞いていた「神代優」という人物と、あまりにも印象が違うからだ。


(も、もしかしたら、おじいちゃんに紹介するの、間違いだった……かも?)


 今回、彼女が優からの頼みを聞いた理由は2つある。1つは、こんな自分にも優しく接してくれる神代天、シア両名への義理立てだ。シアからのお願いであり、優は天の兄でもある。日ごろお世話になっている2人への恩返し。これが、久遠が優の頼みを聞いた理由の大半を占める。


 そして残ったもう1つの理由こそ、久遠が優に将来性を見たからだ。伝え聞く限り、夏休み以降も多くの修羅場をくぐり抜け、果ては黒魔獣と戦闘して生き残ったという。また、シアの助力がありながらも、自身の数倍の魔力を持つ魔人と1対1で、対等以上に渡り合ったと聞いた。


 久遠はその場にいなかったが、“神代優には何かあるのかもしれない”と思わせるには十分な過去。未だ魔剣一刀流の免許皆伝を受けているのが自分だけであり、このままでは流派が廃れてしまう。であれば、常坂家に新しい風をもたらす意味も込めて同級生男子を紹介するのもありかも知れない。


 そんな、親友への義理立てに無理やりのプラスアルファをすることで自分を勇気づけ、優を連れて来た久遠だったが……。


「大丈夫、かなぁ……?」


 いまもなお1週間分の荷物と不器用に格闘する優を見て、早くも彼を連れて来たことを後悔しつつあった。


 その後、乗り継いだ電車に揺られること、少し。終点でもある嵐山駅に到着する。もちろん乗客全員が下りることになるのだが、やはり人はまばらだ。かつての観光名所である『大堰川おおいがわ(桂川/保津川)』や『渡月橋』、秋になれば山々の紅葉などを求めて多くの人が下りたその場所も、今や野生動物と魔獣の住処……外地と呼ばれる場所になってしまっていた。


 そうして、かつての賑わいを失った駅舎に降り立った優は、しかし、やけにきれいな嵐山駅舎を見て足を止めることになる。


 例えば、駅の照明だ。ランタンを模した瀟洒しょうしゃなランプは、夜になれば温かな色合いで駅舎を照らす。嵐山を堪能した人々を迎え入れるような光景を作り出してくれるランプが、今もなお小奇麗な状態を保っている。


 駅名の看板もそうだ。これまで見て来た多くの駅の看板は経年劣化や動物・魔獣の被害を受けて崩れ落ちてしまっていた。しかし、嵐山駅においては看板だけでなく、柱も、壁も、何もかもが丁寧に手入れされている。


「常坂さん。ここ、外地ですよね?」


 優が思わずそう尋ねてしまうのも、無理からぬことだろう。


「あ、えっと、やけに駅がきれいなこと……ですよね?」


 優の視線から、彼が何を言いたいのかを察した久遠。


「多分、ですけど。私がいるからだと思います」


 気まずそうに頬をかいた久遠のその言葉の意味を、優はすぐに知ることになる。

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