第8話 風の型――〈閃〉

「……事情は、分かりました。常坂さんが天らしき人物の反応を感じたのは、事件の後。……みんなが森から出て来たタイミングですよね? ザスタと首里さんは?」

「その場にいました。そして、シアさんは神代さんと一緒に居た。となると……」


 9期生で膨大なマナを持つ人物は、いま名前が挙がった3人を除くとただ1人。神代天だけだ。優からするとノオミの可能性もあるが、常坂がマナを感じたのはノオミの権能が解除された後だ。魔人だけを権能で逃がして、自分は見つかるなどというヘマをするだろうか。


「なるほど。だから常坂さんは、天が生きている、と……」

「はい。……もちろん、わたしの願望も多分に含まれていますが」


 少しだけ唇を尖らせた久遠。彼女が脳裏に思い返すのは、悔しい思い出だ。初任務で空き家を捜索していた際に一度、久遠は天に背後を取られている。お面を着けていない状態だったとはいえ、一般人相手に久遠が背後を取られたのは、後にも先にもあの一度きりだった。


(あれからも、学校で、いたずらとか言ってちょくちょくの背後を取ろうとしてくるし、実際、何度か取られたし……)


 面倒だった半面、日ごろから気を抜かない修行にもなっていた。そんな人物が居なくなっては、張り合いが無い。友人として、良きライバルとして。久遠もまた、優とは違う理由で、神代天の生存を願う人物だった。


「さて。久遠が私の知る限り初めてライバル視をした人物でもある天さんの無事を思っていることを伝えられたところで――」

「ライバル視はしていません。ただの友達です」

「――という照れ隠しもそこそこに、風の型の紹介に移りますね」


 お面の奥。娘からの抗議の目も気にせず、涼しげな目元を優に向けた小夜さよ


「久遠から聞いているかもしれませんが、風の型は素早さを極めることを目的とします。例えば、このように」


 小夜がそう言った瞬間には、彼女の手のひらに紺藍色こんあいいろの手裏剣が握られている。4枚の刃を持った紺藍色の手裏剣は、先ほど優と久遠に向けて飛んできた凶器と全く同じものだった。


「しっかりと見ていてくださいね、優さん」


 言われた通り、優が小夜の手に握られている手裏剣に集中しようとした時にはもう、その手裏剣は苦無くないと呼ばれる先端が鋭く尖った棒状の道具に変わっていた。優が小夜の言葉に集中したその一瞬の思考の隙をついて、小夜が手裏剣を消滅させ、苦無を〈創造〉したのだ。


「あれ……?」


 優が疑問を抱いた次の瞬間には、優の首に紺藍色の小刀こがたなが当てられている。


「これが風の型が言う“素早さ”です」


 優の首から小刀を離した小夜が、優に優しく微笑みかける。


「素早さ。そう聞いて、優さんは何を思い浮かべましたか?」

「そう、ですね。身体を動かす速さ……敏捷性だったり、あるいは魔法を行使する速さだったり、でしょうか」


 優の言葉に、「その通りです」と及第点を付けた小夜。


「ですが、私たちは人間です。たとえ〈身体強化〉を使おうとも、俊敏性にはどうしても限界があります」


 その通りだ、と、優は内心で相槌を打つ。そもそも〈身体強化〉は、優が大好きなアニメやラノベで語られるものと比べると、かなり控えめな印象だ。数値としては1割ほど身体機能が向上する――100㎏までしか上げられなかったウェイトを110㎏まで上げられるようになる程度――とされる。あるいは、100mを10秒で走っていた人物が、9秒強で走れるようになる。その程度だ。


 あとは身体をマナで覆うことで、多少、衝撃を和らげたりできるくらいか。“人間”の域を超えることはできず、多少は越えられたとしても筋組織や骨がボロボロになってしまう。それゆえに脳も無意識のうちに“限界”を設定してしまう。


「ではどうやって限界を超えるのか。それが“拍”、もしくは“呼吸”と呼ばれるものです」


 人は心臓の拍を基準として、自分だけのリズムを持っている。そのリズムからズレた動き、俗に裏拍を突いた動きをされてしまうと、どうしても反応が遅れてしまう。


「そうして相手のリズムを把握し、裏拍を突いたり、優さんに見せたように言葉や身体の動きで相手のリズムを崩す。そうして相対的に早く動くこと。それこそが、風の型の本質です」


 脚を中心とした身体能力の向上、思考速度を早くして魔法行使の速度を上げること。そして、相手のリズムを翻弄すること。それが、風の型が求める“素早さ”だった。


「わたしがお兄さんにお見せした〈閃〉が、風の型の極意です」

「あ~……。〈紅藤〉もそうでしたが、天がいつまでたっても真似できないと言ってた技ですね」


 観察と吸収、天性の才能による再現こそが、天を天才たらしめているものだと言うのが優の認識だ。その点、どこまでも理詰めである魔剣一刀流の要点や理論を知らずして再現できるはずもない。


「逆を言えば、理論を知って適切な修行を行なえば、いずれは誰しもが再現できるのが魔剣一刀流です。もし神代さんがここに来れば、瞬く間に魔剣一刀流の免許皆伝を許されると思います」


 羨望と嫉妬が見え隠れする久遠の言葉に苦笑した母・小夜は、風の型の紹介を締めることにする。


「門外不出なのは、悪用されるのを防ぐためでしかないんですよ。お父様が優さんの入門を許されたのも、少なくとも魔法をひとに向けることは無いだろうことを感じ取ったからかもしれませんね」


 久遠にとっての祖父に当たる平蔵を引き合いに出しながら、優の入門許可の理由をそう語った小夜。


「魔剣一刀流は人を活かし、生かす剣。常坂の者として、この剣術で1人でも多くの人が救われること。優さんが1人でも多く大切な人を守ることが出来るようになることを祈っています」


 癖も強く、毛量も多い髪で作られたポニーテールを揺らしながら、大人として、優の背中をそっと押してあげる小夜だった。


 そのまま、優と久遠は月の型の修行場としても使われている大方丈だいほうじょうと呼ばれる建物へ向かう。その道中。


「お兄さんは今、どんな力を身に着けたいですか?」


 お面の紐に押さえつけられてもなおフワッとした印象の外ハネの髪を揺らした久遠が、優の意向を確認する。答え次第では、姉弟子でもある自分が型を決める助言をしようとも思っていた。しかし、久遠の問いかけから間髪おかず優から返ってきた、


「1人だけで戦える力、ですね」


 そんな優の言葉は、久遠が想定していたものとは少し違っていた。


 久遠が知る「神代優」は、自身の至らなさをきちんと把握しており、だからこそ仲間を上手くまとめながら任務にあたる人物だった。そういった人物に求められるのは、個々の能力以上に、俯瞰的に物事を見る視点だ。


(だから、てっきりの得意な花の型を選ぶと思ってたけど……。今のお兄さんの発言はまるで……)


 久遠の沈黙を困惑と取った優が、補足する。


「すみません。もう少し詳しく言うなら、戦闘と探索。俺1人で全てを、まずは最低限、出来るようになっておきたいです」


 それは、春休み前。好きだった人を失った優が、モノの言葉を手掛かりとして導き出した強烈なエゴだ。仲間が居なくても、目の前に居る大切な人を守るだけの力が欲しい。闇猫という、恐怖の象徴を前にしても屈しない、不屈の精神が欲しい。


「俺は1人でも戦えるんだと。大切な人……家族、春樹、シアさんを守れる力が欲しいんです」


 手のひらにマナを放出しても、ほとんど何も見えない。そんな無色透明な自分から脱したいと、優はこぶしを握る。


 その他大勢を守ることができるヒーローを目指した16年間。しかし、その理想がひどく曖昧で、努力も空虚な物であることを、春野の死をもって思い知った優。だから彼は、変わりたいと願う。目の前に居る、本当に大切な人を守る力を手に入れたいと。そして、例え他人からチープだと笑われようと、必殺技を求める。自分にはこれがあるのだと、これがあればどんな相手でも――。


(――違うな。たとえ相手が最強の魔獣……闇猫でも、倒すことができる)


 そう思えるだけの力を求めて、優は常坂家の門戸を叩いた。一般人であるにもかかわらず、魔人討伐数がザスタに次いで9期生2位。先日の第三校襲撃事件でも、単身で魔人を倒して見せた常坂久遠。彼女の強さの理由が知りたかった。


「常坂さん。俺はどの型を学べば、闇猫を殺せるくらい強くなれますか?」


 最強の魔獣を殺そうという傲岸ごうがん不遜ふそんな言葉。しかし、久遠を見る優の瞳に迷いがあることを、剣士としての久遠は見抜く。


(お兄さんが本当に求めているのは、力とか技術なんかじゃない。きっと、とおんなじだ。でもお兄さん自身はそれに気づいてないっぽい……?)


 こういう場合、どうするべきなのか。コミュニケーションでの対人経験が少ない久遠には、全くと言って良いほど分からない。が、自分は目の前に居る少年よりも1つ年上で、姉弟子でもある。自分も両親や祖父にそうしてもらったように、教え導く役目があるのではないか。


(って言うか、おじいちゃんから直々に言われた修行だし、むしろ、そう考えるのが妥当だったぁ~……!)


 お面の奥で百面相する久遠は、優の指導方針を変更する。当初は優の意志を尊重し、彼が自分で選んだ型を習得してもらう予定だった。しかし、昨日の優の動きやクセ、そして、いま彼が語った“どうなりたいのか”を参考に、久遠が優の学ぶべき型を指定することにする。


 自分が選択を誤れば、優の貴重な時間を奪うことになる。優から反感を買ってしまうこともあるだろう。


 それでもこれは、祖父から与えられた修行の一環だ。久遠からすれば無理難題だとしても、最善の選択をすれば、必ず、優は1か月以内に常坂家の門下生を名乗ることができるレベルになる。そう信じて、久遠は優に進むべき道を示すことにした。


「分かりました。それではわたしが先達として、今のお兄さんに適した型をお教えします。それは――」

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