第8話 雨にも負けず

 その後、春樹は改めて精密検査を受けて心身ともに問題がないことが確認された。


 一方で、天は襲撃事件から1週間経った今もなお行方不明のまま。魔法の申し子の行方不明の報せに、優たちだけでなく、多くの学生たちが落胆した。女子学生の中には、泣き崩れる者もいたほどだ。それほどまでに、神代天という人物は9期生たちにとって、大きな存在となっていた。


 しかし、優も春樹も、そしてシアも。天の生存を疑っていない。根拠など、天が天だからというだけで十分だった。少なくとも3人とも、骨や肉片が見つからない限り、天の死亡を認めるつもりは無かった。




 そんな状況で迎えた2月4日。土曜日。あいにくの冷たい雨が降りしきるその日。優とシアは、大阪と奈良の県境の山中にある広大な霊園に来ていた。


「じゃ、1時間後。ここに来るね」

「「ありがとうございます、片桐かたぎり先輩」」


 自分たちをここまで連れて来てくれた1つ上の先輩・片桐かたぎり桃子ももこが運転する赤い軽自動車を見送った後、2人は霊園の受付で目的地を確認する。そのまま、高低差の激しい霊園内を、傘を差しながら歩くこと10分ほど。


「ここ、か……」


 優が立ち止まった墓石には「春野家之墓」という文字が彫られている。優も、そして、シアも。春野の葬式後にここに来るのは、これが初めてだった。


 優は、春野の命が己の腕の中で消えた瞬間を知っている。葬式の際にも遺体を見た。そして、今、こうして春野家の墓には「楓」の文字が彫られている。それでも実のところ、優にはまだ春野の死の実感が無い。まだ生きているんじゃないか。生きていて欲しい。そう願わずにはいられない。


 しかし、例えどんな奇跡をもってしても、死者が生き返ることは無い。墓石を前にして、改めて春野の死と向き合う優に、シアがおずおずと声をかけた。


「……優さん?」

「あ、すみません、シアさん。ひとまず合掌、でしたよね」


 養父母の墓参りで慣れているシアに軽く手順を確認しつつ、まずは墓に向けて合掌。2人して目に見えるゴミを回収する。


「お花。新しいですね。墓石もきれいなまま……。きっと最近、誰かが来たんだと思います」


 雨の中でも美しく咲き誇る菊やカーネーションの花をいつくしむシア。取り除くほどでもないということで、自分たちが持ってきた数本の花を追加でお供えすることにした。


 その隣で、優はキーホルダーなどのキャラクターグッズを数点、持ってきた小皿の上にお供えする。クリスマスのデートの際、春野と行く予定だった戦隊シリーズのコラボカフェに行って手に入れて来た、戦利品だ。


 そうして少しだけ華やかになった墓石に、優、シアの順で線香を立て、改めて合掌する。2人が心の中で呟く言葉は、謝罪だ。


 ――春野。一緒に戦えなくて、ごめん。


 優は単なる実力不足。


 ――春野さん。私のせいで、ごめんなさい。


 シアは心を律する力の不足。その2つが重なって、春野楓は死んだ。優もシアも、自分たちが互いに共犯者であることを、もう既に認めている。


 死者は何も語らない。ゆえに、どれだけ誠心誠意謝罪したとしても、優とシアが本質的にゆるされることは、今後一生、ないだろう。死者への謝罪は、生者が前に進むための言い訳でしかないのだから。


 しかし、優は同時にこうも思う。死者への謝罪とは、故人を忘れないための誓いにもなるんじゃないか、と。なぜ、どうして自分が生きているのか。それを確認し、刻みつけるための儀式になるはず……儀式にしなければならない、と。


 でなければ、生者は一生、死者に足を掴まれ、前に進むことが出来なくなってしまう。まるで春野を重石おもしのように、邪魔なものとして扱ってしまうことが、優としてはどうしても許せなかった。


 だから、背負う。置いていくのではない。春野を地面に這いつくばらせたままにしない。足を引っ張らせたりはしない。自身が犯した罪……自分の弱さを背負って、前に進む。背負うものが重すぎるなら、鍛えればいい。それでも重いなら、分け合えば良い。そうして己の弱さで失われた命と一緒に歩いていくことこそが、死者への手向けになると、優もシアも信じていた。


「だから俺たちは、春野と一緒に前に進む」

「だから私たちは、春野さんと一緒に前に進みます」


 今回の弔問が、ただの開き直りや、春野への言い訳とならないようにするために。そして、春野が救うはずだった命を、自分たちが救えるだけの覚悟と力を手にする、その誓いとするために。優も、シアも、きちんと墓石に刻まれた「楓」の文字を見て、きちんと言葉にして、亡き春野へと決意表明をするのだった。


「「…………」」


 そのまましばらく、春野の墓の前で立ち尽くす2人。傘を打つ雨の音だけが耳を打つ。


「……すみません、優さん。ダメ、でした」


 先に口を開いたのは、シアだった。


「……そうみたいですね。ですが、シアさんが謝ることじゃありません」


 申し訳なさそうに眉尻を下げるシアを、優がすかさずフォローする。


 この時、2人は、初任務を共にして殉職した西方春陽の葬儀の際に発生した出来事が再び起きないだろうかと期待していた。というのも、西方の葬儀の際、時が止まったような空間で、優とシアは西方の思念、あるいは幽霊とも呼べる存在と会話をしたのだ。


 後日、その出来事を振り返ったシアは、自身の【物語】の啓示が関係しているのではないかと思い至る。記憶媒体とも推測されているマナには、その人がどのように生きて来たのかも記録されているとする説があることを授業で知ったシア。


 その人が生きて来た歴史とは、すなわち“物語”だ。シアが管轄する領分でもある。


 そして、シアの深い後悔や再会の念を汲んだ【物語】の啓示が、遺体のマナに残された記録から西方春陽という人物を高密度のマナで“再現した”。それこそが、西方の葬儀に発生した出来事の正体ではないかというのが、優とシアが導いた答えだった。


 だから今回もひょっとすると、と、淡い期待をしていたのだが、叶わなかった。その理由が、春野が遺灰になってしまったからなのか、それとも、西方の時の出来事が再現不能な奇跡だったからなのかは、現時点では分からない。


「……帰りますか。お供えものってどうするのが正解ですか?」

「どう、でしょうか……。食べ物だと腐ってしまうので持って帰るのが一般的ですが、物品は……」


 念のために優が携帯で調べてみるものの、“物”のお供えについて書かれているものがすぐには見つからない。


「ひょっとして、こう言うのを供えるのは良くなったですかね?」

「そんなことないはずです。故人が好きなものをお供えしたい。大切なのは、その気持ちのはずですから」


 結局、優はキーホルダーを置いていくことにする。ただ、雨風にさらされても大丈夫なように、雨を凌げる場所にキーホルダーを移動させておくことにした。


 立ち上がった優は、最後にもう一度、春野の墓を見遣る。この時ようやくこみ上げてきたのが、もう春野に会えないのだという実感だ。同時に優は、自分が自分で思っていた以上に、春野に憧れ、尊敬し、好きだったことを改めて思い知らされる。


 クリスマスの夜。


『ご、めん、なさい……』


 春野が最後に口にした言葉の意味が、これまで分からなかった優。正確には、あの日の出来事と向き合うことを、優はこれまで避けて来た。


 ただ、こうして本人の墓を前にした時、ようやく優は春野の言葉の意図を察する。


 ――俺、またフラれたんだな……。


 告白しようとした自分の意図を察して、春野は最期の最期に“答え”を示してくれたのだと、優は信じることにする。それは同時に、あの日、恋にも闇猫にも敗北した弱い自分を、優が受け入れたことも意味していた。


 熱くなる目頭。涙がこぼれないように、声が震えないように意地を張りながら、優は不器用に笑う。


「またな、春野。今度来る時は、闇猫の討伐報告書を持って来る」


 逆を言えば、闇猫を倒すまで、優はここ……想い人の墓を訪れないということでもある。名残惜しい気持ちを押して春野の墓に背を向け、歩き出した優。一度大きく鼻をすすった彼を、供えられたフィギュアが物陰から静かに見守っていた。


 そうして決意を新たに去り行く優の後に続こうとしたシアだったが、ふと足を止めて、春野の墓と正対する。そして、小さな声で。


「これから私が言う言葉は、本当は、春野さんが生きている時に言うべきものでした。ですが、私が弱かったせいで言えませんでした。すみません」


 美しい黒髪を揺らしながら、ぺこりと頭を下げるシア。それでも彼女は、今もなお……今後一生の恋敵になるだろう春野に言わなければならない。


「私が、春野さんの代わりに……いいえ、春野さん以上に、優さんを幸せにします」


 春野を殺した自身の罪と、優への想いを受け入れたことを、きちんと明かす。


「だから、私のことを見ていてください。そして、もし私が至らなければ、その時は――」


 シアの言葉を、強い雨風がさらって行く。傘が折れてしまうのではと思える強風に、しかし、供え物の花々は揺るがず、美しく咲き誇っている。


 その気高く、強い在り方に、かつての春野の姿を幻視したシアは。


「……き、厳しい戦いですが、負けませんから!」


 負けていられないと小さくこぶしを握ってから、小走りに優の背を追う。


「シアさん? 何か忘れものですか?」

「はい、そんなところです! ……ハンカチ、使いますか?」

「いえ、自分のがあるので」


 県境の霊園。そこには魔獣によって殺された多くの人々が眠っている。


 雨の中。並んで歩き去る2人の特派員の背中を、色とりどりの献花がわらって見送るのだった。

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