第7話 “行方不明”の意味

 魔人たちの襲撃から一夜が明けた、今日。第三校は全ての授業が休講となっていた。


 ある程度時間が経ち、被害の全貌が明らかになり始めている。特に被害が大きかったのは、やはり、魔人たちがやって来た方角――第三校北西の森に居た9期生たちだった。


「殉職者16名。行方不明者8名。重傷者6名。怪我人多数……」


 第三校敷地に内に建つ保健センター、その一室。春樹のお見舞いに来ていた優は、ベッドの隣に置かれたスツールの上で今回の被害を振り返る。ここで言う行方不明者とは、魔獣の食害にあった人物のことを指す。事実上の死亡を意味する言葉だった。


 つまり、100人しかいない9期生の4分の1が犠牲になったということだ。また、敷地内に入り込んだ魔人2体によって、教職員も2名死亡している。ただ、幸いなことに、8期生、7期生は全員授業中だったため、無事だった。


 なお、襲撃してきた魔人は把握している限りで7体。うち3体の討伐が、現時点で優が聞いている“成果”だった。


 ――成果、か……。


 優は、犠牲者でも死亡者でもなく、討伐数として換算されている魔人という存在について、改めて考える。


『ユウ、シア。俺に殺される時まで、ちゃんと覚えておけよ。お前たちがいま凶器を向けてる相手が。……もとは人間だったってことをよぉ!』


 それは、戦闘前、マエダが口にした言葉だ。彼は優に、未食いという存在が居ることを明かしてみせた。文化祭の騒動の中で、天人と日本政府が様々な情報を隠匿していることを知った優。その中には、天人がこの世に受肉する際に“誰か”を犠牲にして生まれたかもしれない可能性を示唆するものもあった。


 ――もし、クレアさんが言ったあの情報が真実だとしたら……。


 生まれたときに人を殺した天人が人権を得ている一方で、まだ人を1人も殺していない魔人が今もなお問答無用で殺されようとしている。魔人は、魔獣化した時点で死亡扱いとなり、法の庇護下に置かれなくなるからだ。


 かつては人を守るための法改正だと深く考えることもなく、肯定的に受け入れていた優。しかし、今となっては「魔人だから」と目の前にいる“人間”を殺すことを疑問視するようになっていた。ただし、それはあくまでも未食いと呼ばれる魔人に限られる。昨日倒した前田敏生も、初任務の時に倒した片桐紗枝も。優は殺人鬼とも言える彼らを討伐したことに、後悔も迷いも無かった。


 と、そうして優が魔人たちに想いを馳せていたた時だ。


「そ、ら……?」

「春樹!」


 目の前で小さく天の名前を呼んで目を覚ます春樹に気付いた優は思考を止め、スツールから勢いよく立ち上がる。


「優、か……?」


 苦笑しながら身を起こそうとする春樹の身体を支えながらも、優は矢継ぎ早に質問をぶつける。


「春樹! 無事か!? どこか痛かったりしないか!?」

「お、おう、大丈夫だ! 大丈夫だから落ち着け、優!」


 優による怒涛の質問攻めに、春樹はタジタジだ。しかし、そんな幼馴染の困惑する姿を見ても、優は質問せずにはいられない。なぜなら――。


「春樹! 天を、知らないか!?」


 優の最愛の妹の姿が、今に至るまでどこにも確認されていないのだ。神代天の“行方不明”。それが意味するところを理解していながらも、それでも諦めきれない優は、春樹にすがるような声と目を向ける。天と一緒に魔人と戦っていた春樹であれば行方不明の真実が分かるかもしれない。そう思って春樹の院内着を握る優の耳に、


「……悪い、優。オレが弱かったから、天に何もしてやることが出来なかった」


 悔しそうな春樹の声が響いた。


「それは、どういう……」


 言いながら春樹の顔を見た優は、幼馴染の顔に浮かぶ自責と後悔に満ちた表情で全てを察した。


 瞬間、全身から力が抜けてしまった優はフラフラとした足取りで後退し、スツールに腰を下ろす。そして震える手でゆっくりと頭を抱えると、


「そう、か……。また俺たちは……。俺は、届かなかったんだな」


 小さく、後悔の言葉を口にする。


 すぐそばにある命を守ると誓った矢先だった。また1つ。優の手から、大切なものがこぼれ落ちる。


『何かを始めるに、遅いことは無い』


 などという言葉があるが、今の優にとって、自らの決意は何もかもが遅すぎるような気がした。


 重苦しい沈黙が落ちる保健センターの病室。その静けさを震える声で破ったのもまた、春樹だった。


「優……。本当は、こんなこと。他でもないオレが言うべきじゃないんだろうけどな」

「……ああ」

「多分、天なら大丈夫だ」

「……っ!」


 まさに“気休め”と呼ぶべき春樹の言葉に思わずうつむいていた顔を跳ね上げた優。優も16歳の学生でしかない。本音を言えば、春樹を責めたい気持ちが大いにある。なぜ、天の側に居ながら守ってくれなかったのか。どうして、天と一緒になって戦わず、ましてやお前は無傷なんだ、と。


 しかし、その叫びはあまりにも自分勝手で、幼稚なものだということは優も理解できていた。だから必死に言葉を飲み込んだ。魔法が使えず、春野の死の実感に打ちひしがれていた自分がすべて悪いのだと、そう自分に言い聞かせた。


 そんな優にとって、先の春樹の言葉は、現実逃避……天の死の責任から逃れようとしているように思えてしまう。


「春樹、お前――」

「聞いてくれ、優」


 声と表情に怒気をにじませて春樹を睨みつける優を、春樹は静かになだめる。


 春樹自身も、自分の言葉が身近な人物の死に敏感になっている優にとって酷な言葉だということは分かっている。そのうえで、なおも春樹は天が生きていると思う根拠を語らなければならない。異性として愛している神代天が生きている可能性があると、自分に言い聞かせるため。そして、まだ、優がうつむかなくても良いように。


 そんな春樹の真剣な眼差しを受けて、優も一度、怒りを鎮める。しかし、親友を見るその顔は、険しいままだ。


「根拠は、あるんだな?」


 そう問いかける優の目を見て、春樹は大きく一度、頷いて見せた。そして、天が生きている根拠を示すことはそのまま、春樹が魔人アスハとの戦闘で見た内容を明かすことでもあった。


「そう、だな……。まずは、優も見かけた女子高生っぽい魔人のこと、覚えてるか?」

「ああ。忘れられるはずもないだろ。アイツは、春野を殺した張本人だ」


 初めて明かされる優と魔人アスハとの因縁に、春樹としては驚かざるを得ない。しかし同時に、安堵しても居た。


「そうか。なら、楓ちゃんの仇は、天がきちんと取ってくれた」

「……っ! 本当か、春樹!」


 声を弾ませ、顔に期待の色を映す優に対して、春樹は戦闘を思い出しながら首を縦に振る。


 女子高生の魔人アスハと、魔法の申し子・神代天の戦闘。最初こそアスハの魔人としてのスペックに押されていた天だったが、時間をかけるほどに天は相手を観察し、成長していく。その結果、膂力と戦闘センスだけで戦っていたアスハを中盤から圧倒。終盤はもう、天の独壇場だった。


「ただ、問題はその後だった」

「その後……?」


 オウム返しをした優に、春樹は説明を続ける。


「天が女子高生の魔人にとどめを刺そうとした時、もう1体。白髪の魔人がオレ達の所に来たんだ」

「……は? もう1体?」

「ああ。しかも、その、なんだ……。情けない話、気づいた時にはもう、オレは魔人に捕まってたんだ」


 頬をかきながら気まずそうに言う幼馴染に、優はすかさずフォローを入れる。


「敵の接近に気付けないのは、ノオミとか言う天人のせいらしい。だから春樹が気にする必要は無いはずだ」

「いや、それだけじゃ無いんだ。オレが戦闘の詳細を話せてる理由……優には、分かるんじゃないか?」


 握り込んだ拳を眺めながら言った春樹の言葉を数秒かけてかみ砕いた優は、ようやく、春樹が最初に謝罪の言葉を口にした理由に思い至る。


 ――戦闘に参加すらさせてもらえなかったのか……。


 いわば、傍観していた。だからこそ、余裕をもって戦闘をつぶさに確認出来ていた。天の邪魔をしないようにと言えば聞こえも良いが、裏を返せば天と共に戦うには春樹は実力不足だったということ。


 ――つまり春樹も、俺と同じ。弱さを悔やんで、謝ってたんだな……。


 自身の弱さを嘆く幼馴染に、かけられる言葉は無いと優は身をもって知っている。もちろん、人によっては“言葉かけ”が立ち直るきっかけともなるが、少なくとも春樹は、何を言われても自身の弱さを悔いることだろう。


 それでも、しばらくすれば後悔をばねに立ち上がる。そういう春樹だからこそ、優は尊敬し、信頼していた。そのため、優は春樹を励ますでも沈黙するでもなく、説明を続けるように促す。


「捕まって、どうなった?」


 魔人が、人間を捕食するのではなく、捕まえる。その不可解な行動の理由がすぐに思いつかず眉をひそめる優に、春樹は状況報告を続ける。


「白髪の魔人は、今まさに女子高生の魔人を殺そうとしていた天に言ったんだ。オレを殺さないであげるから、その子を頂戴、ってな」

「つまり、春樹を人質にして、魔人が魔人を助けようとしたのか……!?」


 魔人たちがそこまで強い連帯感を持っていたのかと声に驚きをにじませた優だが、春樹は首を横に振る。


「違う。白髪の魔人は、女子高生の魔人を捕食しようとしてたんだ」


 連帯感ではなく、あくまでも食欲で動いた。それを聞いて、むしろ安心した優。同時に考えるのは、人質交換を申し出られた天の回答だ。正義感が強く合理的に物事を考える天。人質がただのクラスメイトであれば、交渉を蹴っていただろう。しかし。


 ――人質は、天にとって“身内”の春樹だ。だから絶対……。


 天が選んだだろう選択を優が言葉にする前に、春樹が答えを口にする。


「天、めちゃめちゃ悩んでくれたんだ。けど、1回だけ、マナを放出したと思ったら。ちゃんと交渉を蹴った。特派員として、きちんと、女子高生の魔人を殺したんだ」


 教務棟に居た優とシアが感じた、膨大な天のマナ。それはこの時に放出されたものだった。


「……なんか、ごめん。春樹。正直、天が春樹を見捨てる選択をするとは思わなかった」

「いや、オレが天に言ったんだ。構うなって。だってそうだろ? 魔人がオレを生かしてくれる保証なんて、どこにもないからな」


 確実に魔人を1体殺しつつ、そのうえで、別の魔人が力を付ける機会を奪う。特派員としてはどこまでも“正しい”選択だった。


 ただ、その結果として、用済みとなった人質――春樹を魔人がどのように扱ったのかなど、決まっている。


「天は、ちゃんとオレの意思を尊重してくれた。その代わりにオレは、魔人に全身の骨ボキボキにされて、ついでに腹に穴まで開けられて。殺された……はずだったんだけどな」


 あの時、間違いなく春樹は死を覚悟した。実際、痛みもあったし、流血もあった。だというのに、奇跡的に無事だという事実がここにある。春樹が無事である理由を誰よりも知りたいのは、春樹自身かもしれない。そして、その理由を知る人物こそ――。


「天。どこに居るんだ……?」


 病室の窓から見える澄み渡った空に向けて、優は家族の無事を祈るように呟いた。

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