第6話 神の力を超えるには

 巨躯の魔人マエダの過去を、優とシアは知っていた。〈物語〉の権能を纏った武器でマエダに触れたとき“前田まえだ敏生としき”という人物の記憶が流れ込んできたのだ。


 実は記憶が流れ込んで来るこの現象は、初めてのことではない。初任務の際、触手の魔人と戦闘した際にも、優は同じような経験をしていた。


 マナは心の正体と呼ばれるとともに、その物質が何であるかを定めている情報記憶媒体の側面も持つと言われている。いわば生物・無生物を問わずに存在する遺伝子のようなものだ。特に生物であれば、遺伝子と共にマナの情報に従って肉体が構成されているとされる。その情報が何らかの理由で書き換えられてしまうと、魔獣のような歪な生物が生まれてしまう。


 そのマナに直接介入できるのが、天人たちが使う権能と呼ばれる力だ。通常はマナに記された情報の逆流など発生しない。しかし〈物語〉の権能は優とシア、2人分のマナが混ざり合った、不安定な状態にある。そのため、別のマナ――今回で言えばマエダのマナ――に触れるとわずかに対象のマナが逆流し、優やシアにもわずかながら影響を及ぼしていた。




 権能を通して、マエダの過去を知った優。しかし、優の中には同情も感慨も無い。どんな事情があれ、マエダは人を殺し、捕食してきた。優にとって魔人マエダは“敵”だった。


 しかし、それはそれとして。マエダがシアを救ってくれたこともまた、事実だ。マエダが居なければ、間違いなくシアは闇猫に捕食されていた。


 ――聞いた話だと、天人が食われれば、魔獣が権能を使えるようになる可能性があるんだったか?


 それこそ、人類が天人たちを最優先で守る理由でもある。幸い、天人が捕食された例を優は知らない。しかし、つい先ほど、初めての事例が発生しかけたのだ。もしシアが食べられるようなことになっていれば、ただでさえ強力な闇猫が、人知を超えた権能の力を手にしていた可能性があった。


 そう言う意味では、自身が身代わりとなってシアを守ったマエダは、人類を守ったヒーローだとも言える。いや、優からすれば自分が弱かったから……。守るべきシアから離されてしまったからこそ、敵であるマエダをヒーローにしてしまった。


 ――本来なら、俺がシアさんを守らなければならなかった。


 それでも、持ち前の素直さを取り戻した優が下を向いたのは一瞬だった。卑屈にならず、前を向く。もう二度と敵に助けられることが無いよう、強くなるという決意を込めて。


「ありがとう」


 マエダが残した血だまりに向けて黙とうをささげる。彼の隣ではシアもまた、身を挺して自分を守ってくれた命の恩人に対して、


「ありがとう、ございました。前田さんの生きた証。【物語】の女神たるわたくしシアが、きちんと心に記しておきます」


 誓いの言葉と共に、数秒間、深々と頭を下げるのだった。


「……天たちの所に行きましょう、シアさん。またいつ、闇猫が来るか分かりません」


 周囲を油断なく警戒していた優が、シアに声をかける。現在の自分たちに残されたマナはわずか。もしまた闇猫と戦うようなことがあれば、今度こそ対抗する手段がなくなってしまう。


 また、それはきっと天たちも同じだろうと優は判断する。先に感じた、天のマナ。大切な妹と、彼女の隣で戦っているだろう幼馴染の身に何かがあったことは、間違いない。もしそんな2人のもとに、闇猫が迫っているとしたら。そう考えるだけで、優は居ても立っても居られない。


 優は、大切な人を守りたい。しかし、自身の手が届かないところに居れば、守るどうこうの話ではなくなってしまう。間に合わない。届かない。何もできない。そんな思いはもう、たくさんだった。


 マエダが生きた証に背を向けて、駆け出した優。一拍置いて背後に続くシアの足音を聞きながら、ふと考えるのは、シアの啓示についてだ。


 ――案外、俺たちの前にあの魔人が表れたことこそが、シアさんの啓示の影響だったりするのかもな。


 もし、あの場に居た魔人がマエダで無ければ。精神的に不安定だったシアはご馳走として真っ先に食べられ、気を失っていた優もあっけなく捕食されていた。例え優の目覚めが間に合っていたとしても、優とシアが会話を終えるまで待つなどということはしなかっただろう。


 実際のところ、マエダが優とシアの会話が終わるのを待っていたのは、例え精神的に復調したとしても、優たちは脅威になり得ないと判断したからだ。正規の特派員でもなければ、大人でもない、ただの子供。それがマエダにとっての優とシアであり、実際、優とシアが権能を用いて振るった刃は、マエダの太い首を切り落とすまでには至らなかった。


 ――俺たちが弱かったから。あの魔人は、待っていてくれた。


 力が無かったからこそ勝てた。それは、守るために強くなろうとしている優にとって、強烈な皮肉のように思えた。


 自分達が弱く、戦っていた相手がシアだったから……かつて魔人が愛した人物とシアに共通項があったから、戦いを優位に進められた。先の戦いは、誇張抜きに全てにおいて、相手が魔人マエダでなければ成立しないものだったことは言うまでもない。


 優は改めて思う。もし本当にシアの啓示が『天人シア』に都合よく【運命】をゆがめるものだとするなら、なるほど。あまりにもシアにとって都合の良いマエダとの戦闘は、啓示の力の存在を裏付けるに値する出来事だ。それこそ、春野楓というたった1人の人物の命を奪えてしまうくらいには、強力な力だと言えるだろう。


 それは、シア当人すらも制御できない力だ。到底、人間でしかない優の力では敵うべくもない。


 それでも優は、言葉にして誓った。シアを啓示という理不尽から守る、と。


「「…………」」


 優とシア。互いに無言のまま駆ける。教務棟を抜け、かつてクレアと戦った第二駐車場にやって来た優がチラリと後方見遣れば、紺色の瞳と目が合う。


「あっ……。う……」


 戦闘の興奮が引き、再びこみ上げてきた優への罪悪感で気まずそうに目を逸らす。そんな、気弱で、しかしながら、今もなお春野の責任を譲らない。そんな、頑固で、言葉を選ばずに言えば面倒な神様を、啓示という理不尽からも守ると優は誓った。


 良くも悪くもシアの心は“人間”だ。真面目で責任感が強く、自罰的。一方で身体や内包するマナは天人のそれというアンバランスさが、シアを苦しめている。シアがシアである限り、きっとこれまでも、これからも。シアが自身の啓示に苦しめられるだろうことは、優も想像に難くない。


 そんな彼女を、どうすれば人知を超えた力から守ることができるのか。


 ――決まってる。神様の力を使えば良い。


 幸か不幸か、優には〈物語〉の権能がある。借り物で、時間制限もあるとは言え、人間の限界を超える力を手にすることができる。神の啓示を超えられる力があるとすれば、それもまた、神の力だろうというのが優の考えだった。


 ただ、〈物語〉は優個人の能力に大きく左右される側面も持つ。2人分の想い・イメージを乗せた魔法は強力だが、使用者である優が動けなければ使いこなすことは出来ない。


 ――なら、俺がこれからするべきことは……。


 優はもう、その答えを知っている。なぜなら、あの夜。魔法を使えなくなった優が傷心していた時、銀髪の天人が教えてくれたのだから。懇切丁寧に、それはもう、分かりやすく。


「見えてきましたよ、優さん!」


 シアの声で、優は体育館の向こうに見えて来た運動場へと目を向ける。


「言うまでもないですが、俺たちのマナは残り2割もありません。〈身体強化〉以外は慎重に行きましょう」

「了解です」


 改めて自分たちの現状と注意点を言葉にして確認した優とシアは運動場の手前で歩を緩め、慎重に様子を伺う。と、見えてきたのは各所に戦闘の痕が残る運動場だ。大きく抉れた地面。散見される割れ目は自然にできた物ではなく、鋭利なもので引き裂いたような鋭利な断面をしていた。


 そんな、激しい戦闘の痕が残る運動場にある人影は1つだけだ。その人影のジャージや髪の色は、優たちがよく知る人物のもので――。


「――春樹!」

「――春樹さん!」


 叫んだ優とシアの足が、同時に駆け出す。周囲に敵影が無いこと。また、天の姿が無いことを確認しつつも、優はまず、幼馴染の救出を優先することにする。


「――……っ」


 近づいたことで見えるようになってきた春樹の容態に、顔をしかめた優。なぜなら、春樹を中心としておびただしい量の血だまりが出来ているからだ。そして、春樹のジャージの腹部に大穴が開き、ジャージも大半が赤黒く染まってしまっている。


 風に乗って香る、濃密な血の香り。人は1.5リットル程度の血を失うだけで簡単に死ぬ。春樹がこぼした命の雫は、どう見てもその量を越えている。


 ――春樹も、なのか……?


 血の香りを受けて優の手に蘇るのは、やはり、クリスマスのこと。自身の腕の中で消えて行く春野の命と、その温もりだ。


 絶望的な状況に、足が重くなっていくことを自覚する優。それでも彼は、春樹の死が確定するその時まで、諦めない。


 ――力が無い俺には、絶望している時間すら、ない。


 1秒でも早く。1歩でも前に。疲れと絶望で鉛のように重い足を懸命に動かし。


「春樹…… !」


 やっとの思いで春樹に手が届く距離までやってきた優は、静かに立ち尽くす。


 春樹のジャージの腹部に開いた穴の先。出血の量からして、本来なら風穴があいていてもおかしくない春樹のシックスパックは――




 ――まるで何事もなかったかのように無傷だった。

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