第2話 未食い

「シアさん。俺が、シアさんを守ります」


 優に言われた瞬間、シアの心臓が高鳴る。同時に全身からは白いマナがほとばしり、口からは「あっ、う、あ……」と、意味を成さない声が漏れる。羞恥。歓喜。引け目。様々な感情がシアの中を満たし、濃紺の瞳が涙に揺れる。


「だから、シアさん。もう一度、俺を信じてください。……俺と一緒に、戦ってください」


 そう優に言われたことで、ついにシアの心が揺れる。


 最初から、シアは自分が何をしたいのか自覚してはいた。


 ――優さんの力になりたい。優さんを、助けたい。


 その一心だった。ただ、春野を殺したという罪悪感が、その願いを遮っていた。だからシアは自身が“悪い子”だと思うことで、どうにか優に協力する言い訳をしようとしていた。他でもない、自分自身に。ただし、そんな“悪い自分の演技”は、優によって一笑に付されてしまった。


 同時に優は、自身も一緒に罪を背負う……シアの共犯者になると言ってくれた。こんな自分に、まだ一緒に居て欲しい、と。運命を共にしてくれると、そう言ってくれている。その事実に、罪悪感を上書きしてしまうほど歓喜している自分に気付いたシア。


 ――本当に、私はどうしようもない、救いようのない神様です。……それでも。


 一度、目を閉じ、再び見開かれたシアの瞳に、迷いは無かった。


「分かり、ました!」


 まだ赤味が残る顔で、しかし、表情を引き締め、目の前にいる敵――魔人マエダを睨みつける。度重なる問答と、限界を超えた羞恥心。何より、優にそばに居て欲しいと言われた喜びが、それまでの真面目なシアには取り得なかった選択肢「開き直り」を可能にする。


 ウダウダ考えていても、運命は好転しない。物語は進まない。であれば、もう、行動するしかない。今のシアは、ありていに言えば自棄だった。無敵とも、言えるかもしれない。


「まったく、見せつけやがって……。話はついたか、ユウ、シア?」


 よっこらせと立ち上がった魔人マエダは、まだ“人”である2人に問いかける。


「ああ。待っていてくれて、ありがとう。……どうして待っていてくれたんだ?」


 シアを助け出した直後に戦闘をしていれば、自分たちに勝ち目は無かった。また、時間をかければかけるほど、救援が駆けつける可能性も高くなる。にもかかわらず優たちに話し合う時間を与え、自身の死亡率を上げる。そんなマエダの不可解な行動が、優にとってはあまりにも不気味だった。


 手元に透明なナイフを〈創造〉しながら尋ねた優に、マエダは「はんっ」と面白くなさそうに鼻を鳴らす。


「理由は2つ。どうせお前ら2人じゃ俺に勝てないだろうってこと。もう1つは、今ユウを殺せば今度こそ――」


 全身からどす黒いマナを立ち上らせたマエダが、薄く笑う。


「――シアの心が折れるからな!」


 マエダにとって、自身の勝利は揺るがない。であれば、後は戦利品であるシアについて考えるだけだ。もし、シアの想い人であるらしい優との間に不和がある状態で持ち帰っても、シアの心は優にとらわれたままだ。その場合、シアの精神は中途半端に不安定な状態になる。


 実際、優が起き上がるまでのシアは何をしてもおかしくない、自身の死すらもいとわない“危うさ”があった。中・長期的にシアを利用するつもりのマエダにとって、そんな状態のシアを持ち帰るのはリスクの方が大きい。


 しかし、きちんと優との不和を解消し、そのうえで優を殺せば。自責の念が強いシアの心は今度こそ、きれいさっぱり壊れるとマエダは踏んでいた。そうなれば、今度こそ、きれいで美しい、最悪非常食にもなる人形の誕生だ。


 ――腹が鳴るなぁ、おい。


 気丈に自分を睨みつけてくるシアを見ながら、腹部にある縦割れの口からよだれをこぼす。そんなマエダからの自分勝手な返答に、ようやく優も納得がいった。


 ――良かった。良い奴だったらやりにくかったんだが。


 これで心置きなく戦えると、心を切り替える。


「一応、確認だ。降伏するつもりはないか?」


 優の知るヒーローは、戦う相手すらも救っていた。


 それこそ、優の中での理想は、手心を加えながらマエダを屈服させ、改心させることだ。しかし、今の優は、自分に手加減できるだけの力が無いことをきちんと理解している。戦いになれば、どちらかが死ぬまで戦うことになる。


 だからこその問いかけだ。魔獣ではない。知性のある魔人だからこそ、自制できる。数例とは言え、魔人が捕縛されたケースがあることも優は知っている。彼ら彼女らは、魔力持ちや天人などを収監する特別な刑務所に入れられていたはずだ。


 もし自身の過ちを認め、素直に降伏するのであれば、戦う必要もない。一縷いちるの望みをかけた優の問いかけを、マエダは笑い飛ばす。


「降伏だぁ? 冗談にしては笑えねぇなぁ、ユウ」

「真面目な話だ。徳島の刑務所に行って罪を償うことも――」

「ふざけんな」


 怒るでも、笑うでもない。感情の見えない声で、マエダは優の言葉を遮る。


「ユウ。日本の法律では、魔人は人じゃねぇんだ」

「ああ、そうだな。それがどうしたんだ?」

「馬鹿か、お前。人じゃない。そりゃぁつまり、人権が無いってことだ。んで、人権って概念が無い時代、“敵”に捕まった奴らが何をされてたか。さすがに学校で習ったんじゃねぇのかよ?」


 マエダの言いたいことがすぐには理解できず、顔をしかめる優。彼の代わりにマエダに答えたのは、シアだ。


「拷問、ですね?」


 シアの言葉に、マエダがゆっくりと頷く。


「良いか。俺たち魔人については、分からないことも多い。例えば、身体構造とかな」


 効率よく獲物を摂取するために、魔人は本来の口以外にも、第二第三の口を持つことが多い。マエダであれば腹部に口がある。では、腹部の口で食べた物はどのようにして胃に移動するのか。そもそも、人という巨大な食べ物が胃に入るのか。特別に伸縮するように身体構造が変化するのか。それとも、何か特別な器官が新しく体内に作られるのか、などなど。


「んな感じで、分からないことがあった時。人類は何をしてきたか」


 そこまで言われれば、サブカルをたしなむ優にも分かる。


「実験、解剖か」


 第二次世界大戦後、世界的に非人道的な実験は禁止されてきた。もし行なった事実があれば、その国は国連を始めとする世界中の国々から非難され、冷遇された。しかし、非人道的な実験とは、人でないものには適用されない。


「もし俺たちが可愛い犬猫だったら、まだ同情されただろうよ。鳥獣保護法だってあるくれぇだ。だがな、俺たち魔人は人類の敵だ。敵を知るため。そんな大義名分があれば、人はどこまでも道徳心ってやつを捨てられる」


 事実、そうした人体実験が魔人に対して行なわれているという都市伝説は優も聞いたことがある。しかし、それを非道だと思ったことは無かった。カエルの解剖と同じように、事実として受け入れてしまっていた。魔人も元は人だったというのに。


 そうした事情もあって、マエダを始めとした箱根に居た魔人たちは、生を望みながらも降伏しなかった。人ではなくなってしまった。法律という、人を守るための盾を失ってしまった。だからこそ魔人たちは自分たちで結束し、己が身一つで身を護ってきた。


「だが、お前たち魔人は人を殺している」

「だから殺されて当然。死刑ってか? だがな。魔人の中には当然、人を食ったことが無い奴だっている。俺らが『未食みぐい』って呼ぶ、そいつらはどうだ? 魔人だからって、考える間もなく、お前は殺すのかよ、あぁん?」

「それは……」


 人を殺したことが無い魔人『未食みぐい』。そんな可能性を、優は微塵も考えたことが無かった。結局は人の魔獣だ、人類の敵だとそう無意識に思い込んでいたのだ。


 では、人を殺したことが無い魔人と人の間には、一体どんな差があると言うのか。違いが無いとして、無抵抗な未食い達を魔人だからと殺すことは単なる殺人ではないのか。


 考え込んでしまった優から目線を外したマエダは、続いて、シアへと目を向ける。


「シア。お前はどうなんだ?」


 マエダに水を向けられて、一瞬だけ顎に手を当て、考える素振りを見せたシア。しかし、すぐにマエダへと視線を戻す。


「あなたはどうなんですか、マエダさん。人を、殺したんですか?」

「ああ、殺した。何十、何百ってな」


 シアによる真っ直ぐな問いかけに、マエダも噓偽りなく答える。それは別に、マエダが正直者だからというわけではない。単純に、この状況でマエダが噓をつく必要が無いと判断したからだ。


「だったら……優さん」


 今なお人を殺したことが無い魔人の処遇について悩む優に、シアは目を向ける。


「悩むのは、後で良いはずです。今はこの魔人さんを倒して、天ちゃん達のところに戻らないと」


 優と口論する前に感じた、天のマナ。その異変を、シアは忘れていなかった。


 いま大切なのは、目の前には大勢の人を殺して食った人類の敵が居て、同じような存在が親友のもとにいるということ。そして、その場で異変が起きているということだ。その点、自分たちがやるべきことは単純明快だと、そう言ったシアに。


「……そう、ですね」


 優も頷いて見せ、臨戦態勢を取る。


「ユウ、シア。俺に殺される時まで、ちゃんと覚えておけよ。お前たちがいま凶器を向けてる相手が。……もとは人間だったってことをよぉ!」


 言いながら巨大な拳を優に向けて振り下ろすマエダ。直撃すれば身体が破裂すること間違いなしの攻撃を、それでも優は持ち前の動体視力で見切り、ギリギリでかわす。さらにカウンターとしてマエダの前腕を透明なナイフで切りつけるが、優の手に返って来たのは分厚く硬いゴムを切り裂くような感触だ。


 見れば、浅黒い肌の表皮を軽く裂いただけで、有効打には程遠い。


 シアを助けた時とは違い、今のマエダに油断は無い。一般人でしかない優の攻撃が、そう易々と通用するはずもなかった。

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