第三幕……「夜明け」

第1話 共犯者

「愛しています」


 唐突な、シアからの告白。


 しかし、優も、巨躯の魔人マエダも、目を点にするほかない。今まさに命を懸けた殺し合いを始めようとしていた2人にとって、シアの行動はあまりにも……。そう、あまりにも場違いで、突飛過ぎた。


「えっと? シアさ――」

「大丈夫です。返事は、分かっています」


 優の言葉を遮り、大きく首を振ったシア。優が春野を想い、愛していたこと。また、優の人となりからして、その愛が一生揺らぐことは無いだろうことも、シアは分かっていた。


「ただし、きちんと覚えていてください。私のような悪い女神が、あなたを好きだということ。心の底から、愛しているのだいうことをと。……それこそ、人を殺して奪うくらいに」


 自分は救いようのない神なのだと、童話を語り聞かせる母親のように言葉を紡ぐ。ただし、語られる内容は作り話などではない。シアがこれまで自覚して、懸命に抑えようとしていた、ありのままの本心だ。


「なので、もし優さんが私以外の女性を好きになるようなことがあれば――」


 そこで微かに間を置いたシア。きっとこの先を言えば、優に嫌われる。なんて自分勝手な奴だろうと、呆れられる。もう二度と優に振り向いてもらえない。そう考えると怖気づいてしまいそうになる自分をどうにか飲み込んで、最大の酷薄こくはくさを取り繕って、笑う。


「――私が、殺します」


 声が震えてしまわないように。また、涙があふれてしまわないように、懸命に感情を殺して、最後まで悪神であることに徹する。


「私が、優さんのことを愛する人を全員、殺してみせます。そうすれば、いつか私を選ばざるを得なくなりますよね?」


 愛する人が、心置きなく自分シアを恨んで、殺せるように仕向けた。そのはずだったのだが。


「ぷふ……、がははっ!」


 シアが最初に聞いたのは、豪快に笑うマエダの声だ。


「な、なんですか?」

「いや、なんだろうな……。似合わねーって、思ってよぉ……ぐわははっ!」

「なっ!?」


 一世一代の啖呵たんかを切ったつもりのシアとしては、一笑に付されたようで憤懣ふんまんやるかたなしだ。怒りと、徐々に湧き上がってくる謎の羞恥心。2つの感情に顔を赤くし始めるシアが、助けを求めて優を見れば、


「くふっ……あははははっ!」

「優さんまで!?」


 優も、爆笑していた。目端に涙を浮かべ、腹を抱えて。そのまましばらく笑い合っていた男子2人だったが、先に息を整えたのは優だった。


「ふぅ……。気は済みましたか、シアさん?」

「む。その言い方、やめてください。まるで私が子供みたいじゃないですか」

「大丈夫、シアさんはまだまだ子供です」

「違います! 法律上もきちんと私は17歳。立派な大人で――」

「違いません」


 言い募ろうとするシアを遮って、優は断言する。


「良い大人は、こんな場面で告白なんて大層なこと、出来ないと思います。“立派な大人”は、空気を読むはずなので」

「そ、それは……。そう、かもしれませんが……」


 不服そうに唇を尖らせて黙り込むシアの姿に、やはり、彼女は子供なのだと優は笑みを浮かべる。身体は確かに少女のそれだ。しかし、精神は、生まれて11年……いや12年目の、小学6年生。


 当時を振り返った優は、まだまだ、自分のことで精いっぱいだった自分を思い出す。こうありたい。こうでなければならない。そんな強迫観念と、中学生になることを前に、大人になること――未来への不安で精神的に不安定になる。そんな時期だ。


 つまり“他者”を強烈に意識し始める、いわゆる思春期で……。


「って、あっ」


 そこまで考えた優は、ようやく今のシアを言い表すのにピッタリな言葉を思い出す。何を隠そう優自身が、長年、さいなまれた状態、あるいは病気だからだ。


「シアさんって、もしかして……」

「えっ? な、なんですか?」


 和やかな雰囲気から一転。真剣な顔で考え込む優に、シアも表情を引き締める。


 伝えるべきか、否か。悩む優だったが、誰かが指摘をしないと治らない病気でもある。


「わ、私は何なんですか、優さん!」


 早く教えて、と、子供のように地団太を踏むシアの姿を見て、優は心を鬼にする。小さく息を吸って、吐いて。


「多分ですけど……。シアさんは今、『中二病』です」


 シアが罹患りかんしている病名を告げる。中二病。思春期特有の、自分に酔った状態。こうありたい、こうでいたい。そんな理想の自分を、場の空気を読まずに演じる。先ほども、そして、今も。シアの言動はまさに、中二病のそれだった。


「……はい?」


 理解が追い付かず、思わず聞き返してしまったシア。その問いかけに応えようと優が口を開くよりも早く「ガハハハッ」というマエダの豪快な笑いが二食前エントランスを満たす。


「なるほどなぁ、中二病か!」

「えっと……?」


 なおも顔に疑問を残すシアに、マエダが遠慮なく真実を明かす。


「中二病だ、中二病。つまり俺たちが言いたいのは、自分に酔ってんじゃねぇってことだな、シア」

「自分に、酔う……? 私が、ですか?」


 優と、マエダを順に見たシア。


 ――私が、中二病……?


 そこでようやく、2人が自分のことを生温かい目で見ていることに気付く。すると、シアの中に言い知れない羞恥心がこみ上げてくる。


「『自分は悪いことをしましたー。だから、これからは“ワル”を演じますー』か。若いなぁ、シアは……ぶふっ」


 笑いをこらえながらシアをフォローするマエダ。その姿に、シアの中にあった羞恥心が限界を超え、涙となって現れる。


「ひ、人の理想を……覚悟を、笑うのはよくありません!」


 ありったけの覚悟を込めて悪神を演じることに決めたシア。その覚悟を笑われたように思えた彼女は、どうにか言葉を絞り出す。しかし、言葉とは裏腹に、分かってもいた。先ほどの自分の言動が、空気を読まずに自分に酔っていた結果生まれたものだということを。自分本位で、わがままで、幼稚だったことを。


 だからこそ、シアの中には今、怒りを越える羞恥心があるのだ。


「すみません、シアさん……。ただ、あまりにも突然の中二病発現だったので……あははっ」

「~~~~~~っ!」


 詫びを入れつつも、やはり笑いをこらえきれない優に、シアが声にならない悲鳴を上げる。


 中二病それ自体は悪いことじゃない。むしろ、常に“理想”を演じている点では、自分も同じだと優は思っている。ただ、今回はあまりにも、シアが空気を読まなかったがために、指摘せざるを得なかった。


 しかし同時に、シアの素っ頓狂な行動が、優の中にあった気負いのようなものをきれいさっぱり消し去る。おかげで、優もようやく、自分がシアに伝えたかったことが明確になった。


「ふぅ……。よしっ、シアさん」

「ま、まだ何かあるんですか!?」


 まだ中二病のことを言われると思って、声を荒らげるシア。そんな彼女に対して微笑んだ優は、


「俺が強くなります」


 再び、宣言する。いや、宣誓する。


「シアさんの啓示が、俺の周囲の人を殺す。そう言うのなら、俺がその人たちを守れるように、強くなります」


 春野の死について、優は自分が全てを背負うつもりでいた。優は、シアに全ての罪を背負わせたくなかったのだ。だからこそ、シアのせいではない、自分のせいだとそう言った。しかしそれでは、想いの告白同様、責任感の強いシアから、またしても責任を奪い取ってしまうことになる。


 事実、どれだけシアのせいではないと言っても、目の前にいる幼い天人は自分を責めた。挙句、自ら堕落だらくしそうになっている。今回は中二病だとそう言って誤魔化ごまかしたものの、しばらくすればまた、勝手に思い詰めることだろう。


 ――だったら俺は。


 ほっと息を吐いた優は、シアに伝える。


「俺が、シアさんと罪を共有します」


 どちらかではなく、2人で。神の啓示の責任を負う。


「今の俺には力もないし、器用でもない。なのに誰かも分からない大勢の人を守ろうとした。結果、全部を失った。……春野を、失った」


 全てを守ろうとした結果、最も大切なものすらも守れなかった。胸を刺す痛みに顔をしかめる優に否を叩きつけるのはシアだ。


「ち、違います! 優さんは失ったんじゃなくて、奪われたんです! この私……シアに!」

「それこそ、違います。もし俺が奪われたのだとしたら。それは『シアさんに』では無くて『シアさんの啓示に』です」


 同じようで、決定的に違うものだと言うのが優の認識だ。天人の啓示は、本人の意思に関係なく、そこにいるだけで影響があると言われている。


 権能もそうだ。もちろん、きちんとした権能は、魔法同様に強いイメージを持って効力を発揮する。一方で、強く感情が揺さぶられた時にも勝手に発動してしまうこともあると、優は魔法を勉強する中で知った。そこに、天人本人の……シアの些細な意思は関係ない。


 ――確かにシアさんは、心のどこかで春野のことを良く思って無かったのかもしれない。……だが。


 それを表出させないだけの忍耐力と、驚異的な精神力がシアにはあるというのが、優のシアに対する評価だ。天人だからと自分を律し、何も願わず、何も思わず、自分を殺す。そんな自制の日々を生まれたときから10年以上も続けてきた人物を、優はシア以外に知らない。


 ――もし本当に啓示が春野を殺したのだとしても。シアさんが普通の人なら、春野が死ぬなんてことは無かった。


 シアが天人だったから。啓示が持っていたから、春野が死んだ。だとしても、それはシアが望んだ結果ではないはず。啓示・権能が勝手に、シアの願いを叶えただけだ。


 ――言ってしまえば、シアさんも啓示の被害者だ。


「だから俺は、決めました。まずは身近な守りたい人を、絶対に守れるようになる。家族と、春樹と。それから……」


 きちんと声と言葉が届くように、シアの方を見て。


「シアさん。俺が、シアさんを守ります」


 魔獣や魔人から、だけではない。啓示という名の理不尽からも、シアを守る。それが、神代優の覚悟だった。

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