第8話 悪神(クズ)の本懐

 一部ガラスが割れた、前面ガラス張りの二食前のエントランス。天井の高さは3mほど。身長は優に2mを超す巨躯の魔人マエダが腕を伸ばせば、天井に届くかどうかといったところだろう。


 そんなエントランスで、改めて巨躯の魔人マエダと相対しようとしていた優とシア。これまでの不甲斐なさを返上するために気合を入れる優に対し、シアは望んでいた罰が誰からももたらされなかったことに、消化不良気味だ。


 このままではシアが自分への罰と称して、自身の命をないがしろにする恐れがある。そう考えていた優は、シアに、どうにかして生きる理由を与える方法がないかを探していた。


 そんな折、突如として、第三校全体を黄金色のマナの波が襲う。見知ったマナの色合いに真っ先に反応したのは、シアだった。


「このマナ……。天ちゃん!」


 何度も何度も見て来た親友のマナ。遠く離れた運動場で女子高生の姿をした魔人と戦っていた彼女に、何かがあった。そう直感してのことだった。


 他方、そんなシアの言葉に危機感を募らせたのは優だ。


「天!? シアさん、天と春樹は!? 退避してるんじゃないのか!?」

「い、いえ。天ちゃん達は、優さんを襲った魔人と戦闘しています」

「……っ!」


 それを早く言って欲しかった。そうシアを責めるのは見当違いだろうと思い直し、優はすんでのところで思いとどまる。


 優は今の今まで、どうやって魔人を倒すか……ひいてはシアを戦闘可能な精神状態まで持っていくかばかりを気にしていた。目の前には魔人という、死の権化が居る。現状を切り抜けようと、天や春樹の状態について考えるのを後回しにしてしまっていた。


 また、優は心のどこかで、天と春樹は無事だとも思っていた。これだけの事態だ。文化祭の時と同様に、てっきり、教員や上級生たちが駆けつけて事に当たっていると無意識のうちに安心してしまっていた。


 しかし、少し考えれば現状の異様さに気が付く。


 ――結構時間が経ったはずだが、先生たちが来ていない!


 二食は、教務棟の中にある。当然、教務棟には“教員”という正規の特派員たちも多く待機しており、何かあれば、すぐに駆けつけられるはずだ。にもかかわらず、誰も駆けつけに来る気配がない。


 ――この状況……。あの時と、同じか……っ。


 再び優の脳裏をよぎる、難波・心斎橋魔獣災害。状況は違えども、何らかの理由で増援を期待できない状態にあるということを優はすぐに察する。


 と、優はその時になってようやく、足元にある血だまりに気付いた。


「シアさん。この血は……?」

「社会の、藪須磨やぶすま先生のものです。私たちを守ろうとして、それで――」

「俺が食った」


 シアの言葉の続きを、マエダが拾う。


「良いセンコーだったぜ。そこのコンビニでバイトしていた女を逃がすために、体張ったんだからよ」


 マエダがここを訪れた際、コンビニには藪須磨とバイトで雇われていた従業員1人しか居なかった。両方で腹ごしらえをしようとしたマエダだったが、藪須磨が抵抗。従業員の女性はどうにか逃げおおせたのだった。


「なら、なんでその人は助けを呼ばないんだ!? 教務棟は、目の前なのに……!」


 逃げたのなら、助けを呼んだはず。やはり増援が来ないのはおかしい。そんな優の疑問に答えたのも、マエダだった。


「そりゃ、分からなくなってるからだろうよ。いや、見えないんだろうな、俺たちが」

「見えない……? どういうことだ?」


 今、こうして自分たちはお前を見ることが出来ているだろうと優が眉をひそめる。


「ノオミのやつ、なんて言ったかな……。確か、幻覚を見せる? みたいなことを言ってやがったか」


 幻覚。それに、見えないというマエダの言葉。その2つから優は、何らかの力が働いて、今この場所は何も起きていないように周りには見えているということなのだろうと推察する。


 そして、そんなあり得ないことができる存在は、やはり彼らしかいない。


 ――まさか、天人の仕業か……?


 そう予想する優に耳打ちしたのは、シアだ。


「ノオミさんは、【水】【月】【豊穣】を司る天人さんです」

「うお!?」


 不意の耳打ちに、思わず飛び退いてしまう優。シアが耳打ちをしたのは、ノオミの啓示をマエダに知られないようにするためだ。他意は無かったが、驚いたように自分を見てくる優の目線で、


「……は!?」


 かなり大胆なことをしてしまったのだと気づき、頬を赤く染める。


「おいおい、見せつけるんじゃねぇ。殺したくなるだろうが」


 げんなりとした顔で言ったマエダの言葉に、すぐに表情を引き締めた優とシア。


「ノオミっていう天人、シアさんは知ってるんですか?」

「はい。お姉さんのアマネさんと一緒に、日本の天人を統括する2柱として、あっちでも、有名な人でした」

「あっち……。神様の居た世界のことですね?」


 コクリと頷いたシアに、優は『天界てんかい』と呼ばれる神々のもと居た世界のことを思い出す。


 天人として顕現する前、神々は精神だけの存在だったと優は聞いている。意思や思考はあるものの、肉体は無い。概念だけの存在だったと記憶している。マナとは本来、神々が人間の世界に干渉する際に使用していたダークマターだというのが今の定説だった。


 ――そう言えば、天界って呼ばれる場所がどんな所だったのか。聞いたこと無いな。


 天界てんかい高天原たかまがはら。あの世。さまざまな呼ばれ方で表されていた神々の住まう世界。隣を見れば、そんな世界からやって来た女神が居る。


 芽生えた好奇心を、優は首を振って刈り取る。今は、天界について聞いている場合ではない。一刻も早くこの魔人を討伐し、何かあったらしい天と春樹のもとへと駆けつけなければならない。


「とりあえず、そのノオミって天人の権能のせいで、何かしら認識が阻害されている。そう考えて良いですか?」

「はい。天ちゃんと私の推測にも合致します」


 シアの予想では、ノオミの〈月〉の権能が人々の認識を阻害していると予想している。


 ――暗闇を照らす明るい月は、一方で、闇をさらに深い闇にする。そうして生まれる漆黒の闇に包まれたものは、誰にも認識できない……と言ったところでしょうか。


 持ち前の想像力を活かして、ノオミの権能の内容について考察するシア。言ってしまえば、あらゆるものを隠すことに特化した権能と言えるだろう。一見地味だが、使い方によっては凶悪な効力を持つ。


 一方で、その力も万能ではない。例えば、シアのように天人であれば、他者の啓示や権能を中和できる。つまり、天人であれば、異様さを認識することができる。さらに自身の権能を使えば、隠されたものを看破することさえ出来るだろう。


 ――ですが、逆に言えば、私でなければ戦っている天ちゃん達を探すことができないかもしれない……。


 先ほど感じた天のマナ。通常、天はあんな乱暴なマナの使い方をしない。明らかに異常事態が起きていることは、シアにも分かる。それこそ、命の危機が迫っているのかもしれない。


「シアさん。今は思うところもあるかもしれません。……ですが、お願いです。この魔人を倒すために、力を貸してくれませんか?」


 そんな、優の声が聞こえる。どうすればシアが立ち直ってくれるのか。考えたものの、ついぞ答えを出せなかった優。彼は最終的に「懇願する」という、最後にして最も単純な方法を取ったのだった。


「優、さん……」


 自分はもう既に、春野の命を奪ってしまった。その罪の考えは、シアにとっては確定事項で、優になんと言われようと変えるつもりもない。犯した罪は、もう戻らない。自分が悪い神であることは、シアにはもう覆しようのない事実だ。


 ――そう、ですよね。私は、悪い神なんです。悪い神になるって、決めたんです。


 今、優は力を貸してほしいと訴えている。もし自分がここで首を横に振れば、罪悪感がある……ひいては、良心と美しさを残した、善良な女神に見えてしまう可能性がある。


 逆に、もしここで首を縦に振れば。好きな人の恋人を殺して、なおも好きな人にびを売る。何食わぬ顔で協力し、好きになってもらおうと努力する。そんな、悪女クズになれるのではないだろうか。


 ――私は、悪い神。人を殺した、悪い神……っ!


 懸命に優に振り向いてもらおうと努力して、しかし、優はシアの“悪さ”を知っているからこそ絶対に振り向いてくれない。結果、シアは永遠に敵わない夢を抱き、努力をし続ける。そんな哀れな女神の在り方は今のシアにとって、とても都合のよい理想の悪神像であり、自身への罰だった。


 こうしてシアは、生来の真面目さをフルに生かして、自身が思う“ワル”の道を歩き始めることにする。綺麗であることを捨てて、きたなく、よごれることにする。


「優さん」

「……えっと、どうかしましたか?」


 どうにか協力を取り付けようと言葉を探していた優に対して、精一杯の笑みを浮かべるシア。


 これまで“善良な神”であろうとしたからこそ、ついぞ言えなかった言葉。どう転んでも優の心を縛ることになる呪いの言葉を、口にした。


「愛しています」

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