第6話 決別

 カーテンを閉め切った薄暗い部屋。第三校の学生寮の一室で、優はぼんやりと海外映画を眺めていた。


 タブレットの中で行なわれるカーアクションにいつもなら心躍らせ、口元をニヤつかせている優。しかし今は、キャスター付きの椅子の上で膝を抱え、ただぼうっと画面を注視していた。


 魔法が使えなくなったことが発覚した外地演習から1週間。優は授業を受けて寮に直帰し、筋トレだけをする日々を送っている。これまでであれば筋トレの後、〈創造〉の魔法の練習をしながら、魔力――体内にあるマナの内包量――を高めることに勤しんでいるのだが……。


 ふと、映画から視線を切った優は自身の手を見つめ、マナを集中させようとしてみる。


「…………」


 やはり、手応えは無かった。


 先週、外地演習の後。魔法が使えなくなった原因を探るため、保健センターで検診を受けた優。そこで保険医の先生から告げられたのは心因性の「魔法不全」というものだった。


 過去にも優のように魔法が使えなくなるという症例は多数報告されている。その全てに共通しているのは、患者が深刻なストレス状態にあるということだ。マナは「心の正体」と呼ばれるほど、人の精神と密接に結びついている物質だと言われている。そのため、魔法不全の多くが心理的な要因だと言われていた。


 それはつまり、魔法不全はストレス要因を取り除けば治る病気だということでもある。そして優が思いつく自身のストレス要因と言えば、血のクリスマスとも呼ばれる難波・心斎橋魔獣災害だけだった。


「大丈夫だと、思ってたんだが……」


 もちろん優自身にも、自覚はあった。目を閉じれば、あの日のことを思い出す。


 一瞬で消えて行く無数の命。先輩特派員がいともたやすく殺され、憧れが踏みにじられる景色。倒すべき敵である闇猫を前に、尻込みしてしまった自分。


 無力感、失望、絶望、不甲斐なさ。様々な負の感情が一挙に押し寄せた感覚は、優にもあった。ただ、自分はそれを糧にして前を向けるとも思っていた。だからこそ優は、落ち込みそうな心にむちを打ってどうにか前を向き、外地演習へと向かった。


 その結果が、魔法不全。仲間に対して、不甲斐なさの上塗りをするものだった。


「ふぅ……」


 ふとした瞬間に落ち込みそうになる心を、息を吐くことでどうにか上向ける。


 優が今、しなければならないことは、いち早く平常心を取り戻して、魔法を使える状態にすることだ。これが一般人なら、ゆっくりと、時間をかけて心のケアをしていく。しかし、優は魔法を使って魔獣を倒す「特派員」を目指す学校に通っている。


『魔法が使えない』


 それは、特派員にとって、何よりも致命的なことだった。


 優に与えられた猶予は、1か月。それ以内に魔法不全の状態を治療できなければ、優は第三校と提携している通常の高校への編入を勧告されることになる。事実上、第三校を退学になることになっていた。


 厳しいようでもあるが、第三校も1人でも多くの優秀な特派員を輩出することを求められている。100という定員がある以上、“特派員になれない学生”を在籍させるわけにはいかなかった。


 ――あと、3週間……。


 優が、自分が三校生でいられる期間を計算していた時だ。彼の耳が、玄関の鍵の開く音を捉える。


 優の部屋の合鍵を持っている人物は天、シア、春樹の3人だ。今は午後5時。部活を終えた春樹が来るにはまだ早く、シアが来る時は必ずインターホンが鳴る。そうなると、消去法だ。


「兄さん、来てあげたよー」


 案の定、優の様子を見に来た天だった。


「天……」


 天の顔をちらりと見て、しかし、すぐに顔を逸らした優。そんな兄の姿にピクリと眉を動かした天だったが、


「……電気くらい点けなよ」


 優が反応するよりも早く、部屋の電気をつける。照らし出されたのは、服やゴミで少しだけ散らかった優の部屋だ。常であれば掃除が行き届いているはずの部屋の状態から、優の状態は推測できるものの。


「……で、どう、調子は?」


 優に問いかけた天が、お菓子が入った袋を座卓に置いた後、瞬間湯沸かし器のスイッチを入れる。


「ぼちぼち、だな」

「なにそれ」


 天が来たため映画鑑賞をやめて背伸びをした優。手元にあったリモコンを操作して、テレビをつける。明るくなった部屋の中。瞬間湯沸かし器が湯を沸かす音と、テレビの雑音に耳を傾けることで、優はなるべく気まずさをごまかす。


 そう、優は気まずいのだ。


「憧れている」。「追いついて見せる」。そう言い続けた妹に、どんな顔をすれば良いのか優は分からない。なぜなら、魔法を失った今、もう、天の背を追いかけることが出来ないかもしれないからだ。


 ――天に、失望されているかもしれない……。


 憧れの存在に、見捨てられるかもしれない。そんな恐怖が、今の優を支配している。


 天だけではなく、春樹が様子を見に来てくれた時も、優は気まずさを感じずにはいられない。気を遣わせているのではないかという不安。魔法を失ったことで、春樹と誓った「2人で特派員になる」という同一の目標が失われてしまうのではないかという恐怖。そして、春樹を第三校について来てもらったにもかかわらず、特派員になれないことへの申し訳なさ。それらを感じずにはいられなかった。


 本人たちからはそれとなく「そんなこと考えるはずがない」と、伝えられている。しかし、今の気落ちした状態の優は、どうしても悪い方に考えることを止められなかった。


 やがてカチッと音がして、お湯が沸く。勢いよくコップに熱湯を注いで混ぜた天が、湯気を立てる黄色のマグカップを手に部屋に戻る。


 そして兄のベッドに腰掛けると、ミルクティーを一口。続いて棒にチョコを纏わせた赤いパッケージのお菓子の箱を開けながら兄をちらりと見遣る。と、どこか落ち着かない様子で自分とテレビとを交互に見ている優の視線と目が合った。


 ――兄さん。また気まずいって、思ってる。


 ポキッと音を立ててチョコ菓子を食べる天には、兄の考えなどお見通しだった。


 この1週間、天も、何度となく優を励ましてきた。春樹やシアと相談もしながら、どうにか優が立ち直るきっかけを作れないか。そう思って手作りのお菓子を作って持ってきたり、夕食を作りに来たり。良くも悪くも単純な兄の思考を読んで、自分が適切だと思う行動と言葉がけをしてきた。


 しかし、兄は全く立ち直る気配を見せない。それどころか、何度フォローしても、悪い方へ悪い方へ思考を傾けていく。モタモタ、ウジウジ。それが、ここ最近の優に対する天の印象だった。


 悩む暇があれば動け。足りないのなら努力しろ。それは天の信念であり、天の人生だ。この考えのもと、天は自身の才能を自覚し、そのうえで努力を重ねてきた。自分に憧れてくれる、優のために。彼がいつでも自分の背を負うことができるよう、天もまた研鑽けんさんおろそかにしたことはない。


 その点、これまでの優は、天の信念に近い行動をしてきた。どんな時も諦めず、常に前を向き、考える。悩みはするもののすぐに自分なりの答えを出し、努力する。そんな兄だからこそ、天は自分自身も最大限の努力することで、兄の夢を応援してきたつもりだ。


 ――なのに、最近の兄さんは……っ。


 ポキッ。また1本、棒状のチョコ菓子を折った天。


 天の我慢は、ここ1週間だけの話ではない。クリスマス。春野が危篤きとく状態になって以降、優は心ここに在らずといった様子をずっと続けていた。しかし、兄ならばすぐにそんな状態を抜け出すだろう。そんな風に、天はある種の信頼をしていた。


 さらに時間をさかのぼれば、文化祭でのこともある。骨折した理由を、ついぞ今まで話さない優。何かあったのだろう。しかし、言えない事情がある。その事情とやらを兄ならばどうにかするのではないか。そう、期待をしていた。


 だからこそ3か月近く、待って、待って、待って。我慢し続けた天だったが――。


「……カッコわる」


 ついに、我慢の限界だった。


「……は?」


 呆けたように自分を見てくる優の言葉で、天は本音が口から出てしまったことを悟る。やってしまった、と思う一方で、良い機会かと思い直す。


 努力をやめたように見える兄。魔法不全。クリスマスのドタキャン。文化祭の隠し事……。度重なる兄の変化は、ここ最近、天にとって裏切りのように感じられていた。そうして時間をかけて、少しずつ溜まってきた鬱憤うっぷんが、ついに我慢の限界を超える。


 賢明な天だ。頭では、今の優を責め立てることが間違っていると、分かっている。それでも“今の”彼女は、感情にブレーキが利かない。


「天、いま、なんて――」

「ダサい。カッコ悪いって、言ったの。……今度こそ、ちゃんと聞こえた?」


 今度こそ優に聞こえるように、目を見て、きちんと言ってみせた天。


 目の前で大勢の人が死んで、憧れの特派員も死んで、最後に好きな人が死んで。無力感にさいなまれているだろう優の気持ちを、天も理解することは出来る。


 が、そんな優に同情できるほど、天は挫折を味わったことが無かった。当然だ。天は、挫折しないで済むように、努力を重ねてきたのだから。


「私も、春樹くんも、シアちゃんだって心配してあげてるのに! なのに、ウジウジ、グダグダ……。ほんと、ダッサい!」


 天の言葉に、優は目を大きく見開く。優としても、自覚はあった。が、魔法が使えない現状と、天に失望された事実。その2つを改めて突きつけられて、感情的になってしまう。


「俺だって……。俺だって、望んでこんなことになってるんじゃない!」

「じゃあ、どうにかしなよ! いつもみたいに努力して、治せば良いじゃん! 原因は分かってるんでしょ!?」


 原因が分かっているなら、克服できるように努力すればいい。当たり前のことだ、と。正論をぶつけてくる天に、感情的に反論しようとして。しかし、優はグッと奥歯を噛みしめる。


 ――それが出来るなら、苦労しない……っ!


 言葉になる前に飲み込んだ優の態度が、なおも天の気持ちを逆なでする。兄が、言い返す気力すらも失ってしまったように思えたのだ。


 もう、兄には努力しようとする気概がない。克服しよう、戦おうとする意志もない。そう理解した時、天は、これまで優と行なってきた“努力の追いかけっこ”が、全て無駄だったことを悟る。それは同時に、自分と、他でもない優のために努力してきた天の人生の否定を意味していた。


 もしここに、これまで緩衝材となってきた春樹やシアが居たなら、状況は変わったかもしれない。あるいは、天がもう少し精神的に安定した状態であれば、優がそう簡単に夢を諦めることなど無いと、言ってのけただろう。が、そんな仮定の話に意味はなく――。


「……お兄ちゃんなんて、大っ嫌い!」


 目に涙をたたえ、感情のままに全身から金色のマナをあふれさせた天が玄関から出ていく。もちろん、不甲斐なさと後悔にまみれた優の重い腰が、天の素早い動きに追いつくはずもない。


「待て! 待ってくれ、天……!」


 食べかけのチョコ菓子と、まだ湯気を上げる甘ったるいミルクティーだけが、優の部屋に残されていた。

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