第5話 手折られる理想
年が明けた、1月6日。一昨日、第三校に戻って来ていた優たちは、昨日から通常授業に臨んでいた。
今日、金曜日の昼休みが終わると、新年初めての「魔法実技Ⅰ」の授業が待っている。優たち1年生は、冬休みの間に実戦感覚を失っていることも多い。そのため、第三校では必ず、外地演習が行なわれることになっていた。
「優、行くぞー」
ジャージの下にインナーとプロテクターを着けた春樹が、虚ろな目と顔でベンチに座る優に声をかける。
「……ああ」
口ではそう返事するものの、優に動く様子はない。
常であれば春樹も𠮟咤激励する場面なのだが、ここ1週間ほどは、春樹も優にどう声をかけて良いのか分からずにいた。
12月31日。春野楓警部が、殉職した。
年末年始ということで翌々日に執り行われた春野の葬儀には、特警の関係者と、優たちごく一部の友人しか参加していなかった。自称陰キャなだけあって、春野の交友関係はかなり狭い。ただし、関わってみれば、誰もが彼女の才能を認めざるを得ない。それが、春野楓という人物だった。
春樹も優たちと共に葬儀に参加した。ボロボロと涙を流すシア。悔しそうに唇を噛み、懸命に涙をこらえようとして、それでもこらえきれずに泣く天。顔を赤くする2人の姿は、今も春樹の脳裏に焼き付いている。
しかし、優は……優だけは。ただ茫然と椅子に腰かけていた。喜怒哀楽の一切見えない表情と瞳で春野の遺影を見つめる優の顔は、10年近い付き合いであるはずの春樹ですら見たことの無いものだった。
「――よし、行くか」
「お、おう……」
急に立ち上がって更衣室を出ていく優に、春樹も急いで追いつく。
数日経って、ようやく優に表情が戻ってきたように春樹には見える。が、例えば友人と冬休みの出来事を語る時も、真剣に授業を聞いている時も、今も。ただひたすらに、目だけは虚無を貫いていた。
「優……」
「なんだ、春樹?」
「その、なんだ……。大丈夫か?」
「特派員をやってたら、こういうこともあるだろ。
無理やりにでも前を向こうとする優の言葉。それは、春樹に言っているようであって、その実、優自身に向けられた言葉でもある。
春樹もそれは分かっていて、だからこそ、どう声をかけて良いかが分からない。自分の心を押し込めて、前を向こうとしている優を引き留めるべきなのか。あるいは感情を押し込めていては優の精神が壊れてしまいかねないため、何かしらの方法で爆発させるべきなのか。
「……くそっ!」
靴を履き替える優に聞こえないよう、春樹は小さく悪態をつく。
追い込まれているはずなのに、優は誰にも弱音をこぼしていない。それは春樹にとって、自分たちが優に信じられていないように感じられた。
――俺たちは同じセル……仲間なんだよな、優!?
果たして幼馴染の内心がどこにあるのか。やはり春樹には分からない。
しかし、分からないなら分からないなりにやりようはあるというのが彼の考えだ。それに、今もなお優の心が壊れずにいるのは、自分たち……少なくとも敬愛する天が居るからだと春樹は思っている。そんな、優の心の支柱の1本に自分もなれていることを信じて。
春樹は立ち上がって、歩き出した優の隣に並んだ。
しばらくして始まった外地演習。とは言っても、大規模討伐任務によって奈良市まで内地化されたことで、第三校周辺も便宜上は内地と言うことになる。ただし、山間部では魔獣が定期的に発生する。日々の巡回と緊張感の維持も兼ねて、これまで通り外地演習が定期的に行なわれていたのだった。
この頃になると、多くの学生が2年生に向けて固定された自分たちのセルを組み、行動するようになる。優たちも別のクラスである天、シアと合流し、フォーマンセルで行動していた。
「皆さん、緊張感がありましたね」
先日降った雪でぬかるむ山肌を歩きながら、シアは運動場に居た同級生たちの顔を思い出して言う。
年末の難波・心斎橋魔獣災害が人々に「内地でも安心できない」という意識を植え付けた一方、特派員たちが一層の警戒心を
教科書でしか見ることが出来なかった伝説の魔獣『闇猫』がすぐそばに現れ、今もなお討伐されていないという事実。一部、恐怖する者はいるが、大抵の学生たちは「自分たちこそが、いつか討伐してみせる!」という気概を見せていた。
そうしてやる気をみなぎらせる同級生たちの頼もしさに頬を緩めたシアだったが、
「ていっ」
「きゃっ!?」
唐突に繰り出された天の手刀を受けて、涙目になった。
「な、何するんですか、天ちゃん!」
「シアちゃんこそ空気読んで。……ほら。シアちゃんのせいで兄さん、ああなったじゃん」
こそこそと話す天が目線で示した先をシアも追ってみると、地面を見つめたまま固まる優の姿がある。
彼の姿を見てようやく、シアは自分の言葉が血のクリスマスを連想させる言葉だったことに気付いた。
「うっ……。空気を和ませようと思ったんですが……」
「シアちゃん不器用なんだから、慣れないことしないで」
天に茶色い瞳でジトっと見られたシアだったが、ここは天人としての威信にかけて、引くわけにはいかない。
「なっ!? じ、自慢じゃないですが、これでも料理も掃除も洗濯も得意で――」
「そういうのを言ってるんじゃない。伝わらなかったから言うけど、シアちゃんはちょっと馬鹿だから」
「は、はぁ!? 確かに天ちゃんほどではないですが、これでも学年10位以内にはいつも――」
「そう言うところが、ほんとに馬鹿……ううん、残念だよね」
「あーっ! い、言いましたね!? さすがの私も怒りますよ!?」
天が、悪いとは思いながらもシアを利用して、セル全体の雰囲気を明るく保つ。普段はスパルタの天も、好きな人が死んで落ち込む兄の尻を叩くほど、無神経ではない。ただ、このままではいけないことも分かっている。もし優が立ち直らないようであれば、折を見て、テコ入れをするつもりだ。
一瞬の気のゆるみで命を落とす。それが、特派員という職業だ。家族を守るために。そして、兄が再び前を向いて、夢に向かって頑張ることが出来るように、天は悪役を買って出る覚悟を決めていた。
「ちょっと、聞いていますか、天ちゃん!」
頬を膨らませ、眉を逆立てて、懸命に「怒っていますよ!」とアピールをするシア。そんな親友の頭を天が撫で、可能な限り場の空気を和ませていた時だった。
突如、上空でパンッと何かが弾ける音がする。瞬間、山にいる三校生全員が警戒態勢を取り、順に〈探査〉を行ない始めた。なぜなら、空中で〈魔弾〉が破裂したということは――。
「魔獣発見の合図だ。全員〈身体強化〉」
「「「了解」」」
優の声に、天たち3人が頷く。同時に、索敵を担当する優が〈探査〉を使用しようとして。
「……?」
違和感に気付いた。
――〈探査〉が使えない……?
何度かマナを対外に放出しようとするが、うまくいかない。それならばと〈身体強化〉を使おうとしてみるが、それも失敗に終わる。
体内を巡るマナは、感じることができる。しかし、マナを扱おうとすると、まるで空を切るように手応えが無い。通常は張りのあるスライムを扱うような感覚で優はマナを扱っているのだが、今はそよ風のようにほんのりと、体外にマナが漏れ出ていくだけだ。
「どうした、優? 〈探査〉しないのか?」
いつまで経っても〈探査〉を使用しない優に、春樹が声をかける。彼だけではない。天も、シアも、自身の手を見つめて立ち尽くす優を、
3つの視線を受けて、改めて魔法を使おうとする優。それでも、魔法が使えない。
「あ、れ……?」
困惑。不審。疑念。理解不能な現象を前に立ち尽くすことしか出来ない。そんな優の変化に真っ先に気が付いたのは、天だった。
「兄さん、もしかして……」
「違う。違うんだ、天!」
現状を必死に否定し、優は魔法を使おうとする。しかし、彼の意思に反して、マナは一切の反応を示さない。
魔法が使えない。それが意味するものは、特派員――ヒーロー――になれないということだ。人々を守れないということ。妹に……天に、肩を並べることができないということ。シアが望む“主人公”でいられないということ。春樹が誇ってくれる存在ではなくなるということ。
自分が欲しいと望むすべてが、この手を離れていくことを示している。
それを認めたく無くて、優は懸命に足掻く。持ち前の諦めの悪さで、非情な現実に抵抗する。
「なんで……、どうしてだ!?」
恥も外聞も投げ捨てて、優は身振り手振りも交えてマナの操作に挑む。何度も、何度も、何度も、何度も……。
――頼む……。お願いだ! もうこれ以上何も、俺から奪わないでくれ!
祈りを込めて、強い心とイメージを持って、魔法の行使を試みる。だが、結果は変わらない。何度試しても、どれだけ努力しても、優の無色透明な
ついに、優の中で何かが砕ける音がした。
「そう、か……」
「兄さん!?」
「優!?」
「優さん!?」
不意に山の斜面に膝をついた優に、慌てて天たち3人が駆け寄る。しかし、仲間たちが伸ばした手が届く、その前に。
「俺、魔法が、使えなくなったのか……」
優は、透き通る冬空に向けて、力なく呟いた。
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