第6話 夢見ることは許されない
兄妹と父親が飲み物とカトラリーを準備する一方。シア、聡美、果歩の3人も、手分けしてケーキが乗った皿を運ぶ。
「果歩ちゃん。前と足元。ちゃんと確認して、歩いてくださいね」
「うん! ゆっくり、ゆっくり……」
両手にお皿を持って、緊張の面持ちでケーキを運ぶ果歩。言われた通り、ゆっくりと慎重に歩く小さな背中を、シアと聡美が微笑ましく見守る。
「シアちゃんも果歩ちゃんも。楽しそうで良かったわ」
不意にそうこぼしたのは、聡美だ。
シアも、果歩も。これまで聡美が見て来た2人よりも、数段明るく、笑っているように見える。その明るい空気感が家族全体に波及して、優も浩二も、いつになくくつろいでいるように聡美には見えた。もちろん、自分も、天も。
「何か言いましたか、聡美さん?」
どうかしたのかと首を傾げ、艶やかな黒髪を揺らす元女神の少女を、改めて聡美は観察する。
夏休みと、今と。この少女が娘、息子に与えた影響は大きい。特に娘……天は、かつてない程に
天才ともてはやされ、周囲に期待され、それに応えるだけの努力をしてきた天。そんな娘が“素”を見せられる相手が出来たことが、聡美は何よりも嬉しい。先ほど、天が
「ううん、何でもないの。それより、シアちゃん。今回もうちに来てくれて、ありがとう」
愛する子供たちを支えてくれているお礼をしたい。そんな切なる思いが込められた聡美のお辞儀は、自然と、深くなっていた。
「さ、聡美さん!? あ、えっと……えっと!?」
突然の感謝に、皿を持ちながら、あたふたとするシア。どうしよう、どうすれば良いのか。考えているうちに、気付けば、顔を上げてこちらを見つめる聡美の瞳と目が合う。
――天ちゃんと、同じ色……。
日本人にしてはやや明るい茶色の瞳。天の、印象的な瞳が母親譲りであることをシアはこの時初めて知る。同時に、その瞳の奥にある、母として、人としての強さや覚悟もまた、天とよく似ているような気がした。
そうして、濃紺色の瞳と茶色い瞳の交わりは、聡美が目を細めて微笑んだことで終わりを告げる。
「これからも、あの子たちと仲良くしてあげてくれると、助かるわ?」
「あっ、いえいえ、こちらこそ! 末永く、よろしくお願いしますっ」
ある種、習慣づいた動きでシアが深々と頭を下げる。
この時シアは、自分の手の、ケーキが乗った皿があることをすっかり失念していた。
「あら」
「えっ……あっ!」
聡美の声で、床に落ち行くケーキを認識したシア。
時の流れがゆっくりになったように感じる世界で、シアは、これまで第三校で鍛えて来た反射神経を発揮する。
「っ……!」
ケーキが床に落ちる、直前。紙一重のタイミングで、床とケーキの間に皿を〈創造〉することに成功したのだった。しかし、落下の衝撃を消せるわけではない。マナで出来た皿から、改めて元あった場所に移されたケーキは、見るも無残なことになっていた。
「シアちゃん、お母さん、まだ? ……って」
なかなかやってこないシア達の様子を見に来た天が、シアが持つ皿の上にある“ケーキだった物”を見つけた。
キッチンに、緊張が走る。シアが魔法を解除したことで、マナの皿に付いていたホイップクリームが床に落ちた。
クリスマスパーティーを誰よりも楽しみにしていた天を、シアは知っている。その主役とも言えるケーキをダメにしてしまった。申し訳なさと焦りが、必死で言い訳を考えて、しかし、残念ながらシアはすぐに嘘をつけるほど器用では無い。
「天ちゃん。これは、その……うぅ……」
結局、シアが絞り出した声は、何とも情けないものだった。
答えることも、嘘をつくことも出来なかったシア。形が崩れたケーキを手にしたまま、気まずそうに固まる友人に、
「ぷふっ! あははっ!」
天は噴き出した。
いつものようにやらかして、言い訳や誤魔化しをしようとするも、根が真面目ゆえにそんなことができない。そうして思考停止に陥って、固まって、なぜかこちらに助けを求めるような目を送って来る。
――めちゃくちゃ「シアちゃん」じゃん!
自分の知る「シア」という人物通り過ぎて、天は思わず笑ってしまったのだった。
そもそも、シアが思っていたほど、天はケーキというものにこだわりが無い。大切なのは、みんなで集まって、笑顔になれるこの場所なのだというのが天の本音だ。むしろ、シアに気を遣われる方こそ、天にとっては不本意だった。
ひとしきり笑ったのち、
「ふぅ……。これとそれ、私とシアちゃんで食べよっか!」
シアの手からケーキの乗った皿を1枚とって、気にしていないことを言動で示す。
「で、ですが、折角のトッピングが……」
「良いの、良いの! 見た目ももちろん大事だよ? けど、それだけじゃない。……違う?」
見た目が良いに越したことはない。それでも、見た目だけではないと言うのは、ごくありふれた概念だ。ケーキを始めとした料理であれば味。人であれば性格や財力、その他もろもろ。
「人ならともかく、ケーキは味でしょ」
あっけらかんとした天の笑顔に、シアもようやく気負うことを止める。
「人なら、見た目なんですか?」
「当たり前。イケメンと美人を嫌いな人は居ないでしょ。シアちゃん自身が証明してるじゃん」
「ですが、内面も大切にするんですよね?」
分かっている風を装うシアに、鼻を鳴らす天。実際に、シアの言う通りだった。
「それも、もちろん。金持ちの不細工と貧乏なイケメン。私なら絶対に金持ちを選ぶ!」
「あ、内面って財力の方、なんですね」
キッチンペーパーを使って、床を掃除していく天とシア。
「で、有り余るお金で整形してもらうの。これで、見た目も中身も揃う。……完ぺき!」
「そうですか? 貧乏な
床を拭き終え、手を洗う2人。
「……なんか今の、導くって感じ。傲慢で神様っぽいよ、シアちゃん」
「私も、天人なんですけど!? ……一応、ですけど」
最後に一言付け加えるあたりも、本当にシアらしいと天は思う。
「天ー、シアさんー。早くしてくれ、果歩ちゃんが眠気の限界だ」
ダイニングから届いた優の声で、天とシアも食卓へと急ぐ。
「お待たせ」
「お待たせしました」
緊張とはしゃぎ回ったせいで寝ぼけまなこになっている果歩を交えて、6人で手を合わせる。一呼吸置いて、
「「メリークリスマス、イブ!」」
全員で唱和して、ケーキを口に運んだ。
テレビから流れてくる、クリスマス特番のにぎやかな音声。それに負けないくらいに弾む、家族の会話。温かな神代家の空気感に、カフェオレを口にしたシアは充足感に満ちた息を吐く。
「このまま、シアちゃんもうちの子になる?」
半分冗談、半分本気で聞いた聡美の問いかけに、シアは椅子に座ったままぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます。でも、私はもう、自立できますから」
第三校に所属し、一定の給料を得ているシア。養親はもう必要ないというのが、シアの考えだ。これからは自分の足で立って、生きていく。そんな覚悟を決めて、再びカフェオレを飲んで――。
「じゃあ、シアお姉ちゃんが優お兄ちゃんと結婚すれば良いんだよ!」
「んぐっ、げほっ、げほっ……」
ケーキのおかげで眠気が飛んだ果歩の無邪気な発言で、シアはせき込むことになった。彼女だけではない。同じ食卓でケーキを食べていた優も、激しくむせる。
気管に入ったカフェオレをどうにか排出した後、シアは小さな口でケーキを頬張る果歩に苦笑を向ける。
「か、果歩ちゃん……?」
「カホ、知ってるよ! 結婚したら、家族になれるんだよね!」
家族になる、ならないの話をしている。であれば、自分が知っている家族のなり方を、果歩は口にしただけだ。
「コホン……。良いですか、果歩ちゃん。私と優さんは、恋人じゃないんです」
「こいびと……? 結婚、しないの?」
「しません」
断固とした口調で言い切るシアに、果歩も「そっか……」と残念そうに引き下がる。
「うふふ、それは残念ね。でもシアちゃんなら、いつでもウェルカムよ?」
そんな聡美の言葉に、苦笑いを返しつつ、シアはあり得たかもしれない未来を夢想する。
――優さんと、家族……。
これまでも多くの物語を読みふけり、いくつもの物語を夢想してきたシア。想像力の高さ……裏を返せば、思い込みの激しさは、育ての両親である
そんな、幼少から鍛えて来た妄想力が、パーティーの高揚感によって解放される。
――このままいけば、2人とも特派員でしょうか……?
天と、春樹と共に肩を並べて戦い、クタクタになって帰ってくる。それでも、人々を守っているのだという誇りを胸に体と心を鍛える。そんな充足した日々を、脳裏に描くシア。
――私と、優さん。お互いに尊敬しあって、支え合って。……愛し合って。
今この場に居る温かな人たちと、家族になる。そんな温かな理想がありありと浮かんだ、恋に恋する【運命】と【物語】の女神は、願った。
――そんな未来があったら、良かったのに。
願って、しまった。
普段の彼女であれば、持ち前の責任感と自制心で抑え込んでいた自身の理想。しかし、文化祭から続いた何気ない日常の繰り返し。そして、クリスマスイブという特別な日の、特別な空気感に当てられて、未来を……【物語】を描いてしまう。
そして、思いや想像を形にするマナが溢れる現代社会において。女神が純粋な恋心を抱いていられるほど、世界は、マナは、甘くない。
シアの強烈で純粋な願いを組んだマナが世界を駆け巡り、その願いを叶えようと運命を
「……?」
何かが肌を撫でたような感覚に優が首を傾げるのと、携帯に『空いてます』というメッセージが届いたのは、同時の出来事だった。
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