第4話 クリスマス・イブ

 時刻は午後6時を過ぎた頃。春樹の監視のもと行なわれた優の勉強会も、目標のページ数を達成してちょうど終わりを迎えた時だった。


「ただいま」


 帰宅を告げる、浩二の声が聞こえた。


 そろそろ夕食の時間。クリスマスイブということで豪勢な食卓なることを予想していた優。配膳など、夕食の準備を手伝おうかと自室を出ようとした彼の耳に、


「た、ただいま!」


 聞き慣れない、女の子の声が聞こえた。


「……? 誰だ?」


 自室の扉を開け、すぐ右手にある玄関を見る。そこには、休日(土曜日)にもかかわらず身なりを整えた父の姿と――。


「優お兄ちゃん!」


 女の子の姿を認めるよりも早く。彼女の方から、優に飛びついてくるのだった。


「ぎゅー……っ!」


 そう言って自身の下腹部に抱き着いてくる女の子の頭頂部を、驚いた顔で眺めることしか出来ない優。と、彼の背後、廊下の先にあるリビングから、エプロン姿のシアが姿を見せた。


「お帰りなさい、浩二さん。優さんも、そろそろご飯ができ、ます……よ……」


 小さな女の子に抱き着かれて固まる優。そんな息子の反応を待っていたとばかりに、腕を組み、満足そうにうなずく浩二。不可解な状況にシアが眉をひそめたのは、一瞬だった。なぜなら、優に抱き着いている女の子に、見覚えがあったからだ。


 ただ、シアが覚えている女の子よりも、少しだけ、背も髪も伸びているような気がする。


「果歩、ちゃん……?」


 確認するような口調になってしまうのは、仕方のないことかも知れない。


 そんなシアの問いかけに、ようやく女の子――果歩も、シアの姿を認める。そして、目を輝かせたかと思えば、


「シアお姉ちゃん!」


 ひょいと優から離れて、シアに向けて全力疾走。勢いそのままに、エプロン姿のシアに飛びつくのだった。


「シアお姉ちゃん! シアお姉ちゃんー!」


 嬉しそうに自信のお腹に頬ずりをする果歩に、シアも驚く。なぜ果歩がここに居るのか。どういう状況なのか。そんな疑問をよそに、シアの胸の中に湧き上がったのは、圧倒的な充足感だ。


 自分たちが命を賭けて守った子供が、元気に成長している。満面の笑みを見せてくれている。その感慨に涙ぐみながら、シアは果歩と目線を合わせ、果歩の小さな身体を、その温もりを、ぎゅっと抱き寄せる。


 いくら第三校附属の小学校・児童養護施設に入ったとはいえ、もう果歩には会えないと思っていたシア。彼女にとって、4か月ぶりとは言え、果歩との再会は奇跡に近い出来事だった。


 やがて、やんわりと果歩の抱擁を解いたシア。改めて果歩と目線を合わせると、


「果歩ちゃん、お帰りなさい」


 そう、微笑みかけるのだった。


「えへへっ、ただいま、シアお姉ちゃん!」


 元気いっぱいに言ってシアに抱き着いた果歩。彼女たちの様子を後方からぽかんと見つめることしか出来ないのは、事情を知らない優だ。


「……父さん。これは?」


 コートと靴を脱ぎ始めた父親に、説明を求める。


「どうだ、優? 最高のプレゼントだろ?」

「いや、プレゼントって……。確かに驚かされたけど」

「それより、ほれ。聡美さんの料理が冷めるだろ。早く晩飯の準備を手伝うぞ」


 説明はその時にでもすると言いたげな父の言葉に渋々頷いて、優は夕食の準備を手伝うのだった。




「「「メリークリスマス、イブ!」」」


 神代家一同、そして、シア、果歩の声が重なる。


 神代家では、イブは全員で。クリスマス当日は各々で、お祝いをするのが決まりになっていた。と言うのも、優と天が小学校高学年になり、ある程度落ち着きを見せた頃。


 聡美と浩二が、兄妹に言ったのだ。


『『これからは、クリスマスは2人で過ごします』』


 と。親の熱愛ぶりは、かねてから知っていた優たち。ちょうど、サンタクロースが居ないことを優が遅まきに知って、クリスマスに対する熱量が冷めていたということもある。


『『あっそ』』


 そう、兄妹は呆れ混じりの目で短く答えたのだった。


 以来、イブに家族でお祝いをするのが神代家の定番となっていたのだが……。


「……で?」


 丹精込めて作った煮込みハンバーグ(デミグラスソース)にフォークを突き立てた天が、両親に目を向ける。天の目にも声にも、ちょうど今あふれ出したハンバーグの肉汁のように、とろりとした不機嫌さがにじんでいた。


「天ちゃん? お行儀が悪いわよ?」

「そうだぞ、天。シアちゃんや果歩ちゃんを見習え」


 娘の不機嫌さを笑顔で受け止めた両親が、来客2人に目をやる。そこでは……。


「ふー、ふー……。はい、果歩ちゃん。あーん」

「あーん!」


 フォークで切り分けたハンバーグを吐息で冷ましたシアが、果歩の口元へとハンバーグを運んでいるところだった。


「アレのどこがお行儀が良いの!? カップルか!」

「あらあら。シアちゃんと果歩ちゃん、仲が良いわね~!」

「「…………」」

「お母さんはなごむな! お父さんと兄さんは、フーフーするシアちゃんを黙って見るな、気持ち悪い!」


 バンッ! と机を叩いて立ち上がった天によって、ようやく場に緊張感が満ちる。不機嫌からついに怒りへと表情を変えた天に声をかけたのは、聡美だった。


「天ちゃん、どうかしたの?」

「どうかしたの、じゃない! これ、なに? なんであの子がここに居るの!?」


 天がビシッと指さしたのは、口の周りにデミグラスソースをつけたままぽかんと口を開けている果歩だ。


「あっ、天ちゃんには紹介がまだだったわね。この子は外山そとやま果歩かほちゃん。小学校1年生よ」


 手を合わせた聡美が、果歩のことを紹介する。


「半年くらい前、果歩ちゃんのお家が魔獣に襲われて、孤児になっちゃって――」

「知ってる! だって助けたの、私たちだもん!」


 もちろん、天も果歩のことは知っている。任務の際、果歩を安心させようと優しい嘘をついた兄。そんな兄を“子供だから”という理由で、感情のまま、自分勝手に糾弾したクソガキだ。


「その子がなんでここに居るのかって聞いてるの! 私の大好きな人が集まる、この場所に……っ!」

「天……」

「天ちゃん……」


 感情をあらわにする天の姿に、優とシアが眉尻を下げる。


 家族を愛する天にとって、家族全員が揃ってお祝いをするクリスマスイブは、誕生日に並んで特別な日だった。大好きな人たちと食卓を囲って、大切な今を祝う。生きていることを確かめ合う。温かな空気感と、ちょっとした贅沢をするこの日が、天は大好きだった。


 さらに、今年はもう1人。一緒にお祝いできる人が居る。危なっかしくて、頼りなくて。だけど、そばに居ると安心できる、大好きな友人。初めてできた親友と一緒に、特別な日をお祝いできる。そう天は心を弾ませていた。なのに……。


を呼んで……。これじゃ、せっかくのイブが台無し……っ」


 長続きはしない怒りの感情。数秒経って少し落ち着きを見せた天の目に映ったのは、静まり返った食卓だ。


 ――やっちゃった……。


 気まずさから目を伏せて、静かに椅子に座り直す天。彼女は静かに、自分の胸に手を当てる。最近、なぜか感情のブレーキが利き辛くなっている自覚があった。


 先日の電車での件も、そうだ。なかなか真実を打ち明けない兄に、イライラして。かと思えば、シアへの愛情表現がやや過剰になっている。


 ――なんか、変だ……。


 自分が気分屋であることは理解している天。しかし、それにしても最近は感情の発露が顕著であることを自覚し始めていた。


「台無しにしたのは、私……か。ごめん、みんな」


 そう言って、申し訳なさそうに項垂うなだれる天。謝罪に応えたのは、父の浩二だった。


「……部外者、か。確かに天の言う通りだな」

「浩二さん? 果歩ちゃんの前でそれは――」

「良いんだ、聡美さん。……だがな、天。『今は』だ。賢いお前なら、こう言えば俺たちが何をしているのか、分かるんじゃないか?」


 そう言って、浩二はフォークを突き刺したハンバーグにかぶりつく。


「……美味い! 果歩ちゃんはどうだ? ハンバーグ、美味しいか?」

「……? うん、美味しいよ! ほらっ」


 果歩が、切り分けられたハンバーグを大きな口で食べて見せる。美味しそうに頬張る彼女の愛らしい姿に、凍り付いていた場の雰囲気が少しずつ、温まっていく。


「そうか、そうか。美味しいものを美味しいって言える果歩ちゃんは、えらいな~」

「そ、そうかな?」

「そうよ~。ありがとう、とか、これが好きとか。ちゃんと言葉に出来る果歩ちゃんは、とっても凄いわ?」

「えへへ~、そうでしょ~!」


 浩二と聡美にもてはやされた果歩が、得意げに胸を張る。


「果歩ちゃん? この美味しいハンバーグを作ったのは、天ちゃんなんですよ?」


 果歩が上機嫌になったことを察して、すかさずフォローを入れたのは、シアだ。もちろん、シアと聡美も夕食作りを手伝ったが、肉ダネを作り、味付けをしたのが天であることは事実。伝え方を変えただけでしかない。


 しかし、伝えられた方からすれば、このハンバーグの全肯定を行なったのが天であるかのように聞こえる。ましてや果歩は7歳になったばかりの小学1年生。


「そうなの!? 天お姉ちゃん、すごい!」


 食べかすを飛ばしながら言って、天をキラキラした目で見つめる。


「か、果歩ちゃん。まずはお口をふきふきしましょうね~」

「む、むぐぅ……」


 果歩の口元をぬぐいながら、天の方に困ったような、気づかわし気な目線を送るシア。2人の“純粋な存在”に、天は一層、いたたまれなくなる。


「お茶、取って来る」


 食卓を離れた天は、痛んで熱を帯びる胸を押さえて、誰もいないキッチンに置いてある冷蔵庫のもとへと逃げ込むのだった。

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