第3話 特派員であること
優たちが実家に帰省してから、3日が過ぎた。
「
「……うん、美味しいわ! さすがシアちゃんね!」
「でしょ? シアちゃんの家事スキルは私が保証するから!」
「うふふ、ありがとうございます!」
神代家に居る女性陣3人が作っているのは、夕食のデミグラスハンバーグ(煮込み)だった。付け合わせはサラダと、から揚げ。そして
今日は12月24日の土曜日。クリスマスイブと呼ばれる日。多くの人々が笑顔で過ごす日……なのだが、しかめっ面の人物が神代家には居た。
シア、
「めちゃくちゃ気が散る……」
帰省してからの3日間、学生でもある優、シア、天の3人は、自宅でも可能な冬休みの宿題に追われていた。……正確には、優だけが、冬休みの宿題に苦しんでいた。
天は言うまでもなく、シアも真面目な性格が功を奏して、成績優秀者として有名だ。特に課題を苦にすることもなく、予定通りに宿題を進めている。このままいけば、年を越す前には全て終わらせる勢いだった。
他方、優はと言えば、見ての通りと言えよう。とても順調とは言えず、今日も数学の三角関数とグラフに苦しめられていた。
「数学的思考が役に立つのは分かる。分かるんだが、そのせいでトレーニングの時間が減ったら意味無いだろ……」
愚痴をこぼしながら、必死で関数を解いていく。もういっそのこと、チャットAIやネットの知恵袋を使って解いてやろうか。そんなことを考え始めていた優を、見透かすように。
『優、ちゃんとやれよー?』
タブレットの横に置かれた携帯から、春樹が
「やってる……。けど、春樹。何が悲しくて俺たち、イブに勉強会なんかしてるんだ?」
『そっちはシアさんが居るだけマシだ。オレなんか親しかいねーんだぞ。あと勉強会は天に頼まれたからな。断れるわけない』
「それは、そうなんだが……」
もし単位を落として退学になるようなことがあれば、セルは解散しなければならない。よって、三校生にとっては勉強もまた、手を抜くわけにはいかない。
「なんか悪いな、春樹。今日……イブにまで俺に付き合わせて」
『良いってことよ! それに……』
画面の向こうでニカッと笑った春樹が、声を潜めて続ける。
『天が居ないと、意味ないしな』
それもそうか、と、優は軽く相槌を返す。今も昔も、クリスマスに恋人と一緒に居たいと思う人は少なくない。思春期真っ盛りの優と春樹も、その点では世間一般と相違なかった。
「明日、どうする?」
クリスマス当日。優は、セルの全員でどこかに行こうと考えていた。しかしまだ、どこに行くかと言った具体的な内容は決まっていない。
どこか宛ては無いのか。尋ねた優に、しかし、春樹が質問を返す。
『……天はなんて?』
緊張の面持ちで、優に尋ねる春樹。もし天にクリスマスの予定がある場合は“そういうこと”になる。怖くて聞けなかった質問を兄である優にさせると言うチキンぶりを見せた春樹に、少しだけ頬を緩める優。
「別に良いよって。2人とも予定は無い感じだった」
『そうか!』
そう言って息を吐いた春樹の声に安堵が含まれていたことは言うまでもない。
「……そんなに心配なら、告れば良いのに。春樹になら、天を任せられる」
セルの仲間同士での恋愛トラブルは、優としてはごめん頂きたい。しかし、春樹が想いを告げたとしても、天が断るようには思えなかった。天に想い人が居るようにも思えず、とりあえずOK、というスタンスを取るというのが優の予想だ。
――っていうか、あの天のことだ。絶対に気付いてるしな。
優は、妹が春樹からの告白を待っているとすら思っていた。
兄である自分がお墨付きをしてあげることで、背を押したつもりの優。しかし、春樹から返って来たのは鋭いカウンターだった。
『その言葉、そのまんま返す。優こそ、そろそろ楓ちゃんに2回目行っても良いんじゃないか? 文化祭デートも悪くなかったんだろ?』
「それは、まぁ、そうなんだが……」
三校祭3日目に行なわれた、優と
『優は今、仮とはいえ特派員だ。で、楓ちゃんの方も特警になった。タイミングとしては、悪くないと思うぞ?』
「……だが、仮の特派員だ。ちゃんと正規の特派員になってから、言うべき――」
『優』
言い訳でもするかのように建前を羅列する優の言葉を、春樹が無理やりさえぎる。
『繰り返すようだが、オレ達は仮とはいえ、特派員だ。この意味を、オレも、お前も。よく知ってるはずだろ?』
「春樹……」
春樹の言葉の意味を、優は改めてかみしめる。
『オレ達だけじゃない。楓ちゃんにだって、もしものことがあるかもしれない。その時お前は、後悔しないのか?』
それは、夏休み明け。大規模討伐任務で、優が考えたことだ。
特派員は、誇張抜きに、いつ死んでもおかしくない。後悔しない選択肢を、毎日のように突きつけられているに等しい。しかし、文化祭と、それに向けた充実した学生生活の中で、緊張感が抜けていたのかもしれない。
そもそもの話。
――格好悪過ぎる。
あの夏の日、奇跡的に春野と再会できた。以来、中学の頃よりも良好な関係を築くことが出来ている……気がする。
ならば、せめて、今一度ぶつかってみるべきだと言うのが、優の出した結論だった。
「……とりあえず、春野に聞いてみる。明日空いてるか。どっか行かないかってな」
友人に背を押されて生まれたなけなしの勇気が
『明日』『どっか行かないか?』
既読は、付かない。春野の場合、非番の時は大抵すぐに反応があるため、今は仕事中だと思われた。
「送った」
『ははっ! 即断即決、即行動。格好良いぜ!』
「だろ? ……で? 春樹は?」
『……オレは、ほら、アレだ。もうちょっと待ってくれ』
「後悔しないのか?」
『する! 絶対にする! 分かってるつもり、なんだけどなぁ……』
画面の向こう。しどろもどろになりながら、天への告白を先延ばしにする春樹を、優はじっとりとした目で眺める。
「春樹。唯一そこだけは、昔から格好悪いって思ってた」
『言うな、オレも、そう思う……』
社交性に富み、人当たりも良く、運動神経も良い。ついでに頭も良い。そんな、優にとっては憧れで、同時に兄のような春樹が見せる、数少ない欠点。しかし、それもまた春樹の良さであるように、優には思える。
『さっきの後悔するって話も、何様だよって話だ……』
「いや、そこは誰が言うかよりも、何を言ってるか。どう伝えるかの方が大事だ」
誰が言ったか。何を言ったか。どう伝えたか。いずれかではなく、それぞれを個別に分けて考えることこそが大事だと優は思っている。
「春樹が俺を想ってくれてるって、滅茶苦茶伝わってきた。言い忘れてたけど、背中押してくれて、ありがとうな」
『そういう言葉、面と向かって言うのやめろ! 聞いてるこっちが恥ずかしいだろ!』
「でも、感謝はきちんと言葉にしないとだろ?」
歯の浮くような言葉をさらっと言ってのける優に、春樹が身をよじって苦しむ。そんな春樹の姿に優が笑っていると、
「兄さん、春樹くん。宿題の
ノックも無しに天が優の部屋へと入ってきた。彼女の手には、わざわざ優のために用意したホットコーヒーが入ったマグカップが握られている。
しかし、画面の中で身悶える春樹と、呆けたようにこちらを振り返って見る優の顔を見ておおよそ全て――勉強をさぼって与太話をしていたこと――を察してしまう。
「……2人とも、馬鹿なの?」
「待て、天。誤解だ。ちゃんとやってる。ただ、今は休憩中で――」
「言い訳、ダッサ」
吐き捨てるように言って、早急に部屋を出ていく天。優の鼻に、コーヒーの残り香だけが漂ってくる。
『今の声、天だよな? なんか機嫌、悪くないか?』
いつになく冷たい天の態度に、春樹が疑問を呈する。
「まぁ、文化祭の件で、ちょっとな」
『あー、な。優が骨折したあれか。テロリストと戦闘して、っていうやつ』
春樹も、優からはおおよその話を聞いている。もちろん、表向きの……嘘のシナリオの方だ。
もちろん春樹も、優の話が嘘であることは察している。それを言えない状況にあるらしいことも。ただ、天の対応との違いと言えば、春樹が待つスタンスを貫いている事か。優が話せるようになる、その時まで、春樹は優を信じて待つ。そして――。
『困ったことがあったら言ってくれ。絶対に、協力するから』
いつでもお前の味方だからなと、画面の向こうで、優に向けてこぶしを突き出す。
ニッっと笑う親友に苦笑して、優はただ一言。
「……助かる」
とだけ答えた。
この後、天が持ち去ったブラックコーヒーをシアが改めて差し入れに来たところで、優たちの勉強会は再開された。今度こそ途切れることなく続いた勉強は、夕食前まで続き……。
「ただいま」
「た、ただいま!」
浩二と、もう1人。帰宅を伝える子供の声が聞こえたところで、終わりを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます