第2話 エージェント

「「ただいまー」」

「お、お邪魔します……」


 優たちが帰宅した時、両親は仕事で不在だった。


 ひとまず自室――シアは天の部屋――に荷物を置き、身軽になったところで近くのスーパーへと向かう。疲れて帰ってくるだろう両親に向けて、優たちは3人で夕食を作ろうと話し合っていたのだった。


 自宅から歩いて3分もしないうちに、スーパーの赤い看板が見えてくる。ファミリー向け分譲マンションに併設されているとあって、品ぞろえも豊富で、価格もお手頃。曜日ごとに違った商品が値引きされるため、平日・休日問わず客足が絶えない。そんなスーパーだった。


 早速店内へ、と、自動ドアをくぐった優。流れるように入り口にあるカートとカゴを取って、野菜売り場へ行こうとしたところで。


「ん?」


 いつの間にか、天とシアの姿が消えていることに気付いた。つい先ほどまで一緒に居た女子2人。どこに行ったのかと探してみれば、居た。


 出入り口である自動ドアの前。天とシアは、看板に張り付けられた広告とにらめっこをしていた。


「ふむふむ。今日21日は水曜日。お魚さんが安いんですね」

「ちっ。金曜日だったらお肉が安いから、ハンバーグだったんだけど……」

「魚の中では好みが分かれ辛いさけにしましょう。5人なので、6切れ買えば優さんや浩二こうじさんのお代わりにも対応できそう……」


 先に品目を決めるのではなく、安い食材を買って料理を作る。質素な生活をしてきたシアと、母・聡美さとみの買い物に付き合ってきた天にとっては当たり前のことだった。


 他方、浩二と同じスタンス……食べたいもの・好きなものを作るために食材を買う派であるところの優。


 ――寒いし、今日はシチューでも作るかな。


 などと考えながら、一昔前よりも3倍近い値段がする人参、ジャガイモなどをカゴに放り込む。そして、彩りとして入れる立派なブロッコリーへと手を伸ばしたところで、


「待った、兄さん」

「待ってください、優さん」


 今夜のメニューを鮭にすると決めていた天とシアが同時に優の腕を掴んで、待ったをかけた。


「どうかしたのか、2人とも?」

「この食材……シチューとかグラタンとか作ろうとしてない?」


 カゴに入った食材たちを見て、瞬時に兄の思考を読む天。そのかたわらでは、シアがそそくさと野菜を元あった場所に戻しているのだが、天に視線を向けている優は気付かない。


「そう、シチューにするつもりだったんだが……。あっ」


 言いたいことを察してくれたのか。そう思ってブロッコリーを掴む優の腕から手を離した天。そんな彼女に向けて、優はにやりと笑う。


「安心しろ、天。ちゃんと肉も入れる――」

「はい、違う。バイバイ、ブロッコリー」


 大きくため息を吐いたのち、天は勘違いする愚兄ぐけいの手から優しくブロッコリーを奪い取って棚に戻す。


「……天ってブロッコリー苦手だったのか。……って、いつの間にかカゴが空になってるんだが?」

「最初から何も入ってなかったよ。そんなことより兄さんはカートをもって私たちについて来て。くれぐれも、余計なことしないように」

「お、俺のクリームシチューが……」


 夕飯のメニュー変更を余儀なくされたことを察して、気を落とす優。しかし、作戦中ならまだしも、夕飯のメニューで意地を張るようなことでもないと思い直す。


 金と黒の混じる髪を揺らして歩き始めた妹の背を追ってカートを押し始めた優。そんな彼の隣に並んだのは、シアだった。


「今日は鮭の塩焼きか、西京さいきょう焼き。それにご飯と合わせみそのお味噌汁にしようと思います」


 鮭の味付けに選択肢を用意したのは、夕飯のメニューを押し付けることになってしまったことへの申し訳なさがあったからだ。


「塩味と味噌味。どっちにしますか?」


 苦笑しながら聞いてきたシアに、やや考える時間を置いてから、優は自身の好みを口にする。


「西京焼きの方が良いですね。うちではあんまり食べないので」

「分かりました。他には……お味噌汁の具材に好みはありますか?」

「豆腐があれば。天は、油揚げが好きだったはずですよ?」

「お豆腐とお揚げですね。それなら白味噌で、ワカメとタマネギも……ですが、タマネギがちょっと高いんですよね……」


 おとがいに指を添えながら、神代家の好みに合わせて献立の内容を調整するシア。鮭と言い味噌汁といい、神代家の献立をシアが考えることに兄妹は何も言わない。寮生活でも時折、こうして手料理を振舞うシアへの信頼が見て取れた。


 そんなシアを横目に、優は店内の食材、その上部に張り出されている価格表示へと目を配る。


 一昔前に比べて、物価は明らかに上昇している。2倍、3倍などは当たり前だ。その原因が魔獣であることは、言うまでもない。


 魔獣により作付面積が減ったことはもちろん、地方に住んでいた農家の人々が魔獣によって襲われ、次々と命を落としてしまったのだ。さらに、日本の農業がかねてより抱えていたのが後継者不足の問題。農家の人々の死によって多くのノウハウが継承されず失われてしまった。


 漁業も同じことが言える。海では、陸以上に人の立場が弱い。天候にも大きく左右されるうえ、海洋の魔獣に襲われれば死は必至。


 農業・漁業ともに収穫が安定的とも言えず、リスクに見合ったリターンが得られないことも多い。2つの産業は、その衰退を加速させていた。


「シアちゃん、こっちこっち!」


 シアの名前を呼ぶ天が居たのは、鮮魚コーナーだった。天が小さな手で示す先には切り身にされた鮭が並び、グラム売りされている。


「グラム600円とか安すぎ! さすが国産!」


 言いながら、天が袋の中に鮭の切り身を入れていく。


「色合いも良いですね……あ、天ちゃん、これとこれも」

「え~? こっちは良いけど、こっち。ちょっと脂、多くない?」

「そうですが、1つくらいは選択肢として取っておくのも有りかと」


 きゃいきゃいと鮭を選ぶ2人。さすがシアさん、分かってる、と、内心で脂身の多い鮭を楽しみにしつつ、優は「特価! 1切れ600円(税込)!」と書かれた値札を見遣る。


 日本が抱える食糧問題には、自給率の低さもある。輸入に頼りきりだった日本の食糧事情だったが、魔獣の出現で運輸産業も形を変えた。


 より確実に輸出入をするためには人件費を使って特派員を始めとする対魔獣のエキスパートを大量に雇い入れる必要がある。運輸コストは当然のように高くなり、それがそのまま食品の価格に反映される。


 結果、時間と労力をかけて海外からの輸入する品よりは国産の肉・野菜の方が安い。「海外産の方が高級品」というのが、魔獣が現れて依頼は常識になりつつあった。


 ――まぁ、その運輸産業こそが、第三校卒業者の第二の選択肢なんだけど。


 優は、今も携帯している鉄製のプレート――特派員仮免許――を見て、将来に思いを馳せる。


 魔獣を倒す公務員が、特別魔獣討伐人員と呼ばれる人々だ。特派員免許を持つ人々の多くが進む道で、特に希望が無ければ三校生は卒業と共に、正式に国所属の特派員となる。


 一方で、実は特派員だけが進路ではない。


 例えば個人で事務所を立ち上げて魔獣を倒す人々もいる。国所属の特派員とは別に『エージェント』などと呼ばれる人々だ。


 特派員に対して、エージェントたちは、より地域や個人に根差した活動をすることが多い。国からの仕事のあっせんが無く、手ずから仕事を取って来なければならない反面、特派員よりも自由かつ幅広い活動が出来る。


 大手企業のお抱えエージェントになれば、特派員よりも数倍近く稼ぐことができる。特別な伝手つてがある者や、自分の実力に自信がある者、あるいは一攫千金を狙う者たちは、エージェントになる道を選ぶこともある。


 農家の人々に雇われ、長期間、住み込みで魔獣の対処をしたり。あるいは、沖に出る船に乗って、魔獣被害に対処したり。任務とはまた違った形で魔獣に対処し、人々に貢献する働き方だった。


 ――まぁ、俺は特派員以外、なる気はないけど。


 安定した暮らしだけではなく、活躍の場が保証されている……ひいては人々により確実に必要とされる特派員になりたい。かねてよりヒーローに憧れて来た優にとって、エージェントよりも特派員の方が魅力的に映っていた。


「兄さ~ん、どした~?」


 ふと聞こえた天の声で、優の意識が引き戻される。


 気づけば優が押すカートの中には袋詰めされた鮭が入っており、天とシアの姿は鮮魚コーナーの先にある精肉コーナーの前へと移動していた。


 2人との合流を目指しながら、ふと、優は天たちの進路が気になる。天とシア。間違いなく実力者である2人は、エージェントになった方が、稼ぎも活躍の場も多いだろうというのが優の予想だ。


 先日の三校祭。第三校からすればスポンサーへのアピールという意味合いがあったが、スポンサーからすれば、若くて実力のある特派員・エージェントの卵と顔見知りになる機会でもある。


 ――俺の知らないところで、天とシアさんが勧誘を受けていてもおかしくない……。


 その時、2人はどんな選択をするのか。あるいはもう、答えを出しているのかもしれない。


 セルを同じくする、天才と天人。2人の少女に用意されている幅広い将来の選択肢を思い浮かべながら、優は荷物持ちに徹するのだった。

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