第1話 雪降る帰省

 クーリアからの留学生であり、優が知る限り、世界初の人工天人あまひとであるクレアによる『S文書』を巡る騒動が終わった。


 結局、クレアは騒動から1週間が経った11月の中旬には第三校に復帰し、皆と変わらずに勉学に励むことになった。その裏では、日本政府とクーリア政府。それぞれの思惑が交錯したことは言うまでもない。しかし、そこにも銀髪の天人モノが一枚んでいる。


 人々が日常を謳歌おうかする裏で、天人たちの計画は着々と進められていた。ただし、たった2人。天人の中でも末っ子に当たるシアと、もう1人の天人を除いて。




 12月21日の今日。無事に終業式を終えた神代かみしろゆうは、妹のそらを伴って、実家に帰省しようとしていた。


 第三校の最寄り駅から大阪市内を目指す、電車の車内。向かい合わせの座席に座った兄妹を、規則正しい揺れが襲う。


「春樹くん、一緒に帰れなくて残念だったね」


 実家へ持ち帰る数少ない荷物に忘れ物が無いか。白いリュックサックの口を開けて確認する天が、窓の外をぼうっと見遣る優に話しかける。


「ああ……。サッカー部の練習試合、だったか?」


 優の記憶では、急遽きゅうきょ入った試合に向けた練習だったはず。


 ――確か、明日が試合なんだったか……。


 春樹とのメッセージのやり取りを思い出しながら、曇天を見上げる優。雪の予報を伴った分厚い雲は太陽の光を遮り、彼が見る世界を暗く、暗くしていた。


「……兄さん。足、大丈夫?」


 荷物の確認を終えた天が、茶色い瞳を優の足へと向ける。先日、ようやく完治が言い渡された兄の足を気遣うその顔には、うれいの他にほんの少しの疑念が混じっている。


 全力を出したクレアとの最終戦闘の際、優はクレアの権能によって作り出された旗に触れて、足を骨折していた。しかし、罪を犯したクレアを救うためにモノと手を組んだ優は、モノがでっち上げたシナリオのせいで真実を言えずにいる。


 それだけではない。モノの口止めによって、改編の日の真実――行方不明者と、誕生した天人の数が相似している事――や、人工的な天人の存在について、口外することを禁じられていた。それゆえに、


「ほんとに、テロリストの人たちと戦って、怪我したんだよね?」


 天による再三の問いかけにも、嘘をついて頷くことしか出来ない。


 敬愛し、親愛を寄せる妹への裏切りにも等しい行為。質問されるたびに付きまとう罪悪感と気まずさから目を逸らしたくて、優の言葉は投げやりになってしまう。


「……そうだ。天、しつこい」


 相変わらず車窓を眺めながら答える優に、天はほんの少しだけ眉を逆立てる。


「しつこい……? は? 何その言い方。私は兄さんを心配して言ってあげてるのに」


 憤慨ふんがいする天の言葉にも、優は「悪かった」としか答えられない。


 煮え切らない優の態度に、天の不満が高まっていく。兄が嘘をついていることなど、天にはお見通しだ。


 文化祭の騒動で知ることになったテロリスト『特殊現象研究会』。天が調べてみたところ、ただの弱小非合法組織でしかなかった。そんな小悪党に、現役の特派員(候補生)で、数々の修羅場をくぐり抜けてきた優が遅れを取るはずがない。


 家族というひいき目を抜きにしても、誰の目にも明らかだというのが天の持論だ。


「何に対する謝罪?」

「…………」


 大好きであるはずの自分の言葉でもなかなか口を割らない兄に、徐々にヒートアップする天。事件があった11月上旬からはや1か月、ずっとこの調子の優。天はもう、限界だった。


「兄さん! いい加減、ほんとのこと話して――」

「そ、天ちゃん。電車の仲ですから、シーッです、シーッ」


 声を荒らげた天を隣の席からそっといさめたのは、シアだった。


 今回の冬の帰省でも、シアは神代家にお邪魔することになっていた。理由は主に、優たちの両親――聡美さとみ浩二こうじ――による熱烈な勧誘があったからだ。


 しかも、夏休みの時は違って、


『可能な限り、連れてきて欲しい』


 というやや強引な誘いでもある。幸いだったのは、シアが神代家のことを第2の家族のように思っているところだろう。


『お、お邪魔でなければ……』


 二つ返事で了承してくれたシアに、兄妹が胸をなでおろしたのは言うまでもない。


 無理を言ってついて来てくれている親友の手前、天の怒りがフッとしぼんでいく。


「むぅ……。だって」

「優さんもその時が来たら話してくれるって言っていたのは天ちゃんじゃないですか。……そうですよね、優さん?」


 話すべき時が来たら、話してくれますか? と、濃紺色の瞳で尋ねてくるシアに、


「そう、ですね……」


 優は曖昧に頷くことしか出来ない。モノから文化祭での事件の詳細を口外する許可が出るのはいつになるのか。それは、まさに、神のみぞ知ると言ったところだ。


 中途半端な優の回答に、苦笑するシア。不貞腐れたように座席に座り直し、窓枠に肘をつく天。電車が継ぎ目を踏む音だけが、相も変わらずに刻まれる。


 そうして自分のせいで生まれた気まずい空気を変えようと、優は話題の転換を図ることにした。


「シアさん。今回も俺たちの我がままに付き合ってもらって、ありがとうございます」


 曇天から視線を切り、この時ばかりはきちんとシアを見て、改めてお礼の言葉を口にする優。


「い、いえ! むしろ私の方こそ、お誘い頂いてありがとうございますっ」

「さすが私のシアちゃん! めっちゃ良い子~!」


 隣に座るシアをぎゅっと抱いた天の機嫌が、目に見えて良くなる。


 後夜祭の時、自身の過去と春野との因縁についてシアに明かした天。以来、2人の関係はもう少しだけ深いものへと変わっている。特に天に関しては、物心ついて以来、家族以外で最も心を許している相手と言える存在がシアだった。ありていに言えば、溺愛できあいしていた。


「ちょ、天ちゃん! ……ひゃんっ!?」


 抱き着いた拍子に天の手がシアの脇腹に触れてしまい、変な声を上げてしまうシア。思わず手で口を塞いで周囲を見渡すも、幸い、兄妹以外の注目を集めることは無かった。


「そ、ら、ちゃ、ん~!」

「あはは、ごめん、ごめん」


 途中、兄弟げんかに発展しそうになりはするものの、シアが程よい緩衝材になって場を納める。結果、和やかさの裏に不完全燃焼な空気を残したまま、優たちが乗った電車は乗換駅に着いたのだった。


 暖房の効いた電車を降りると、途端に、冬本番の寒さが優たちを襲う。ここからは大阪市内を駆ける環状線に乗って、実家の最寄り駅である桜ノ宮さくらのみや駅へと向かう予定だ。


「シアさん。荷物、持ちましょうか?」


 キャリーケースにリュックサック。さらには肩掛けカバンと荷物を多く持つシアに、優が声をかける。


 今回、シアを含めた優たちは学校が始まる前日……1月の4日までの約2週間、実家に滞在することになっている。しかし、実家に荷物がある優や天と違って、シアは着替えなどを一から準備しなくてはならない。結果、結構な大荷物になってしまっていた。


 そんなシアとは対照的に、優はほとんど中身の入っていないリュックサックのみ。えっちらおっちらと荷物を運ぶシアに声をかけるのは、友人として、セルの仲間として。何より、ヒーローを志す者として、当然のことだった。


「いえ、大丈夫です。私、最近は筋トレもして、鍛えてるので!」


 力こぶを作ってみせるシア。しかし、分厚いコートに覆われてしまっていて、優の目にはとても筋肉が盛り上がっているようには見えない。


「シアちゃん。ここは兄さんに甘えても良いところだと思う。重いどうこうの前に、持ち辛いし、歩き辛いでしょ?」

「そ、それは……」

「それに、周りから見たら兄さんが情のない奴、みたいになっちゃうかも」

「うっ……」


 自分のことならともかく、自分のせいで他人がしざまに思われるのをシアは極端に嫌う。そんなシアの性格をよく知る天の甘言かんげんに負ける形で、


「で、では、これを……」


 シアは、最も軽い肩掛けカバンを優に手渡すことにしたのだった。


 こうして荷物を分担した後、環状線へと乗り継ぐ。電車を待つ間、優は黒い雲を見上げながら考えるのは、やや強引にシアを連れてくるように言った両親の意図だ。


 ――父さん達、何を企んでるんだ……?


 優には1つだけ心当たりがある。それは、文化祭の日。優とシアがボランティアとして参加していたメイド喫茶に、聡美と浩二がやって来た時のこと。帰り際、父親の浩二は優に向けて、こう言った。


『そうだ、優。年末、期待していてくれ。特大のプレゼントを用意できるかもしれない』


 父の言ったプレゼントこそが、シアに関係する物なのではないか。そう、優は予想していた。


「あっ、雪……」


 少し声を弾ませたシアの言葉で、優は空から落ちてくる白い結晶の存在に気付く。はらり、はらりと舞い落ちる雪。天気予報では、大阪でも積雪5㎝の予報だった。


「雪、ですね」

「はい。……ホームレス生活を思い出します」

「出た、シアちゃんの意外とワイルドな過去! 悪い大人に見つからなくて、本当に良かったよね」


 両親に当たる養父母に出会う前。雪が降りしきる中、橋の下で丸くなって震えていたこともあるシア。かつての寒々しい記憶に比べれば、大切な友人と、大好きな人と一緒に過ごす冬の、なんと温かいことだろう。


「……ふふっ」

「どうかした、シアちゃん?」

「いえ、何でもないです!」


 やがてやってきた電車に乗り込んで、優たちは実家を目指す。


 3人が神代家に着くころには、薄っすらと、雪が積もり始めていた。

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