第3話 異様さの片鱗

 薄暗い階段を駆け上がるノアは、先行して階段を上る優の背中を見ながら、顔をしかめていた。


 ――神代。お前の友達、どうなってるんだ?


 というのも、つい今しがたのことだ。特警の少女――春野の指示を受けて優たちが階段へと向かおうにも、クレアの護衛である黒服の男3人が立ちはだかっていた。新興国とは言え、一国の王女を護衛する人々だ。百戦錬磨とは言えないかもしれないが、日々訓練を積んだ兵士であることには変わりない。ノアとしては、優と自分、特警の少女、共闘して同数の3人で無力化するものだと思っていた。

 しかし。


「では――」


 春野が言った言葉をノアが認識するのと、鈍い音が廊下に響いたのがほぼ同時だった。ハッとノアが視線を上げて見れば、3人並んでいた黒服の内の1人が倒れ伏しており、倒れた男の前には春野が自ら作り出した銀杏いちょう色の警棒を構える春野の姿があったのだ。

 状況から見て、春野が男を昏倒させたことだけはかろうじて分かったノア。しかし、何が起きたのかは全く分からない。


「な、にが……?」


 思わず漏れたノアの言葉を拾ったのは、春野の動きを注意深く見ていた優だった。


「シンプルな〈身体強化〉だけだ。後は、踏み込み、あご先に向けた警棒の振り抜きだな」


 男たちの距離は、10mほど。その距離を正しく見切り、人の意識と目線の動きが鈍くなる一瞬をついて、春野は訓練通りに“敵”を1人、無力化したのだった。

 だが、言葉ほど簡単なことではないことなど、少しでも本物の戦闘を知る者であれば分かること。ノアも幾度となく魔獣との死闘を繰り広げてきており、その難しさを知っている。だからこそ、簡単なことのように言ってのける優に噛みつかずにはいられない。


「それはなんとなく分かる! でも相手は曲がりなりにもベテランの兵士なんだぞ?!」


 クーリア自慢の屈強な兵士を、たった1人の小柄な少女があっさりと倒し、警棒を手に自然体で立つ少女を警戒するように身構える黒服たち。その画は、ノアにとって喜劇のようであり、どこか現実離れして見えていた。


「それがどうした? 春野は特警だ。対人魔法戦闘のプロだぞ?」

「それはあの兵士たちだって同じだ! 一体何が起きて――」

「この不審者2人は本官が取り押さえます。あなた達は安心して、逃げ遅れた方の避難誘導に当たってください」


 ある意味では暢気に会話しているともとれる優とノアに、春野から再び指示の声が飛ぶ。彼女の視線は油断なく、残った黒服2人に向けられたままだ。

 対する黒服も、目の前の少女がただの子供では無いことを見抜く。当初、黒服たちの中にあった「ただの子供ガキ3人を足止めすれば良い」という油断は、この時にはきれいさっぱり無くなっている。むしろ目の前にいる少女には、自分たちの主であるクレアとはまた違った“異様さカリスマ”があることを兵士の勘として感じ取っていたのだった。

 そうして緊張感を持って黒服たちと対峙する春野の小さくも頼りになる背中に、優は熱のこもったまなざしを向ける。


 ――この様子なら、大丈夫か。


 黒服たちは間違いなく、クレアの護衛だ。しかし、出会い頭に魔法を使ってからはこれと言って攻撃行動を見せていない。その最初の攻撃も、小柄な春野が耐えることのできる、威力が加減されたものだった。であれば、黒服たちはのちの問題を大きくしないためにも殺生などは行なわないつもりだろうと優は判断する。


 ――それに、ユニバでも思ったが、春野は十分に強いからな。


 優は、自分より一足も二足も早くヒーローになった想い人にこの場を託すことにする。優が果たすべき使命は想い人を守ることではなく、クレアを保護・救出すること。それこそが、春野から託された使命だからだ。


「……行くぞ、ノア」

「なっ?! 大丈夫なのか?! 俺たちも助力した方が……いや、そうだな」


 言いながら、ノアも頭を冷やす。自分達にとっては特警である春野が2階に行ってしまうことの方が問題なのだ。敵の敵は味方、とはよく言ったもので、春野と黒服たちが相対している限りでは、黒服たちの方がノアたちの味方とも言えた。


「春野、この場は任せる。この階に他の不審者がいるかもしれない。注意してくれ」


 早々に黒服たちとの戦闘にケリがついたとしても、こう言っておけば春野が1階を捜索するかもしれない。そうすれば、時間を稼ぐことが出来る。そんな意図を込めて、優は春野に言っておく。


「はい。外ではテロもありました。彼らの仲間が居ないかどうかも含め、1階をくまなく探してから2階に向かいますね。30分くらいはかかると思います」


 これ以上ないくらい丁寧な返事をした春野の脇を抜けて、優とノアは階段がある昇降口へと向かう。もちろん、春野と対峙する黒服たちも優たちを止めようとは思っている。が、目の前にいる少女がその隙を見逃さないことも分かっていた。

 魔力持ちでもある自分たちの主であれば、あんな子供2人の相手くらい余裕で出来る。そうでなくては困る。そんな願いを込めて、黒服たちも優たちを素通りさせ、今は少女との戦闘に注意力を割くことにしたのだった。




 そうしてB棟の2階へとやって来た優とノアだったが……。


「まぁ、2階にも居るよな」


 階段を上り切った先、B棟の長い廊下には2人、女性と思われる黒服が2人いる。彼女たちはとある部屋の前で門番のように立っていることから、その部屋の中にクレアが居ると思われた。

 昇降口の影から廊下の様子を伺っていた優とノア。女性たち以外、黒服の姿は見えない。ノアからは10人の護衛が居ると聞いているため、下に居た男3人と合わせると、残り5人も居ることになる。


「残りは部屋の中か、あるいは建物の外か……」

「3階に居る可能性は無いのか、神代?」


 B棟は3階建ての横に広い建物だ。上階にも黒服が居るのではないか、と言ったノアの疑問に対して、優は廊下の様子を伺いながら答える。


「何か探し物をしながら階段を上がって行った男の人たちが来た。つまり、正解の部屋を見つけたんだろうな。だったら、クレアさんが資料を探し終えるまでの時間稼ぎに全人員を使うはずだ」


 B棟への入り口は、A棟から続く渡り廊下を始めとして1階に多く集中している。それらの出入り口を見張るための人員を割いているだろうというのが、優の予想だった。


「……神代お前、本当に任務中とそれ以外との差異が大きいな」

「そうか? 自分では分からないんだが……まぁ、とにかく。春野が来る前に早くクレアさんと合流したいが、あの護衛の人たちをどうするか」


 考え始めた優に、ノアは先ほど言えなかったもう1つの疑問を口にする。


「……あの特警の女が大の男2人に勝てる。本気でそう思ってるのか?」


 別れ際も、今も。優は春野が勝つことを前提として話している。しかし、ノアとしては半信半疑だ。互いに魔法があるという条件は同じ。マナの量を示す魔力も同じか、年齢からして男性たちの方が上。体格差もある。そんな条件のもと、屈強な兵士2人を女性1人が相手にすることが出来るといえる人が何人いるのだろうか。

 知り合いだから身内びいきをしているのではないかという批判の意味すら込めたノアの問いかけに、


「ああ」


 優は迷いなく答えて見せる。春野は市民を守る特警。ヒーローだ。それも、自称ではなく、きちんと難関試験を突破して、数千、数万人いる警察たちの精鋭部隊に入っている。もしそんな春野が対人戦で負けるようなことがあれば、日本の警察組織の底が知れてしまう。


「相手が天人ならともかく、普通の人間には絶対に負けないだろうな」

「……お前の妹にも、か?」

「残念ながら、答えは『Oui』だ。何なら中学の時――ヤバい、バレた」


 優が自慢げに中学時代のエピソードを披露しようとした時、視線の先に居た護衛の女性2人が優たちの方を見たのだ。天の話をしようと声が大きくなったのだろうかと、優は自分自身に溜め息を吐く。


「悪い、ノア」

「任務中でも、妹の話をするときのお前はお前だな、神代」

「ノアのせいでもあるからな。わざわざ天の話を持ち出すから……って、そんなことはどうでも良い。来るぞ」


 守るように立っていた部屋の中に向けて何かを言った女性2人が、優たちの方にやって来る。どちらも身長はすらりと高く、優と同じか少し高いくらいだ。体つきこそ女性のそれだが、黒服で包まれた腕や足はきちんと鍛えられていることが伺えた。

 バレてしまったとは言え、すぐそこにクレアが居る以上、優とノアに逃走の選択肢はない。体外に視線を交わしたのち廊下に姿を現して、迎撃するのだった。

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