第4話 創られた希望

 優とノア、クレアの護衛2人の戦いは、それぞれが1対1を形成して進んでいた。そのうちの1つ。


「シュッ、シュッ……」

「ふっ、ふぅっ!」


 優と女性護衛デボラとの戦いは、息遣いのみが響く静かな攻防だった。互いに武器を使わず、自身を掴もうとする手を振り払い、逆に相手の服、あるいは腕を掴んで組み伏せようとする。魔法を使用したとしても〈身体強化〉のみという、魔法溢れる現代ではまれに見る、地味な戦闘になっていた。


「「……っ」」


 すぐに決着がつかず1度距離を取った2人は互いに姿勢を低く構える。肩を上下させるのは、まだまだ対人戦に慣れない優の方だった。

 優は殺人色とも呼ばれる無色のマナを人に使うことを否としている。ただでさえ技量で劣る相手に、ハンデを負って挑んでいるようなものだ。こうしてギリギリ戦闘と呼べるものが出来ているのは、優が鍛えて来た動体視力と反射神経が役立っているからに他ならない。が、それにも当然限界はある。

 もしこの先、体力か精神が消耗していけば、


 ――いずれ俺が、負ける。


 とは言え、優に魔法を使うという選択肢はない。というよりは、使えない。ヒーローが人を傷つける様を見た子がない優にとってみれば。己が作り出した武器が、守るべき対象である人間を気付付ける様など想像出来るはずがなかった。


 ――俺1人じゃ、まぁ勝てないな。だが、ノアの方も苦戦しているみたいだし……どうするか。


 優は大規模討伐任務で学んだ複数の1対1が入り乱れる戦闘での戦い方と注意点とを思い出しながら、優は差し当たっての障害であるデボラへと目を向けた。

 対するデボラに、優を殺すつもりは無い。さらに言えば、クレア陣営は現地の日本人を害するつもりは一切なかった。クレアが該当資料を捜索する時間を稼ぐことが出来ればよいのだから、わざわざ問題を大きくする必要などない。それどころか、機密文書の持ち出し以外の国際問題を抱えたくないクーリアと、その国に属するデボラ含む護衛たちは、いわば手加減を強いられた戦闘を行なっている。それもまた、優が魔法を使わずにデボラと戦闘出来ている理由でもあった。


「……C'est vraiment agaçant!(……ほんと、めんどくさいわね!)」


 人使いの荒い自身の上司に小声で愚痴をこぼしながら、デボラは再び自身に向けて駆けて来た優を迎え撃つのだった。

 そんな静かな優たちの戦闘に比べてノアと、若き護衛隊長アリエルとの戦闘はフランス語が飛び交っていた。


『どうしてクレアに戦わせる?! どうしてクレアに罪を犯させるんだ!』

『違う! これはクレア自らが望んだことです。あの子の望みを……悲願を! 叶えることこそが、私たちの使命なのです!』


 サックスブルーの西洋剣とオーキッドやわらかい紫色の細剣が何度もぶつかり合う。その度に、鮮やかな剣戟けんげきから発されているとは思えないほどの、重い金属同士がぶつかる音がする。


『どうして! クレアの家族であるあなたが、彼女の邪魔をするのですか?! どうして、彼女が神になることを否定するのです?!』

『神、だと……? 何を馬鹿なことを――っ?!』


 叩きつけるように振り下ろされたオーキッド色の細剣を、ノアは剣を持つ手に力を籠めてどうにか受け止める。

 今回クレアの護衛として派遣された10人の部隊をまとめるアリエル・コレット・フィネルは、兵士たちの中でクレアが最も信頼を寄せる人物だ。日本に立つ前日、黒服たちの代表として言葉を交わしていたのも彼女だった。

 自身の剣を受け止めるノアを見下ろして、アリエルは言葉を続ける。


『あなたも知っているでしょう、我が国の危うさを。常に魔獣の脅威にさらされ、民は困窮し、暴動は日常茶飯事です』

『知っている! でもそれはクーリアに限った話じゃない! どこも同じだ!』

『そうです! だから人々は、求めているのです! この窮状から抜け出す術を。辛く、苦しい日々から抜け出すための、希望の旗頭を!』


 押し込まれるアリエルの細剣を、西洋剣の腹を滑らすことでいなしたノア。肉体的に未成熟なノアと、女性のアリエル。力は拮抗しているが、上背の差が生む攻撃範囲リーチと単純な剣の技術で、アリエルが優勢に戦いを進めていた。

 バックステップして一度アリエルと距離を取るノア。顎を伝う汗をぬぐいながら、息を整える。


『……本気で。人が神になれると信じているのか?』

『この世から魔獣を駆逐するための最善手だと。少なくともクレアはそう信じていますし、自身が神と等しい力を得ることを望んでいます。だから彼女は、戦ってきた』


 サングラスの奥。美しい青色の瞳を伏せて、アリエルはクレアの覚悟を代弁する。


『何度も傷つき、何度も死にかけ。それでも文句を言わず、弱音を吐かず「魔獣を殺す」とそう叫んで。10年近く、彼女は戦ってきたのです。なのに、なぜ』


 やるせなさを隠さずに、アリエルはノアへと目を向ける。


『なぜ、クレアが最も心を許しているあなたが。彼女の夢を、否定するのです……?』


 そう語るアリエルとクレアの付き合いはここ7年ほどだが、出会いだけで言えば10年以上も前になる。




 当時はフランスの軍に努めていたアリエルが、魔獣対策に駆り出された時。焼け果てた家から救出した子供が、当時3歳のクレアだった。その時クレアは軍と関係があった孤児院に入れられ、それきりの関係だと思っていた。

 しかし、その6年後。“銀狼ぎんろう”と呼ばれていた魔獣を倒した子供が軍本部に呼ばれたと聞いて様子を見に行ってみれば。


『よろしくお願いします!』


 どこか見覚えのある少女が、笑顔を咲かせていたのだ。彼女が従軍すると聞いた時、アリエルが思ったこと。それは、


 ――ああ、自分のせいだ。


 というものだった。当時、フランス軍の中では人工的にあまひとに匹敵するような“特別な力を持つ人間”を創り出す計画があると噂されていた。そんな中でやって来た、まだ10歳にも満たない少女。間違いなく計画の一環の中で呼ばれただろうとアリエルは確信していた。

 軍関係者の自分が助けたせいで、軍の息がかかった孤児院に入れられ、そして、計画に利用されることになった少女。アリエルがクレアに入れ込むようになるまでに、そう時間はかからなかった。

 せめて、罪滅ぼしを。せめて、報いを。そんな一心で魔獣と戦うことしばらく。気づけば、30を手前にしてアリエルもまた、軍の要職に就くことになっていた。すると、どうだろう。クレアを使って行なわれている実験について耳にする機会も増え、クレアと共に戦地に赴くことも多くなった。もうこの頃には、世の母と変わらない愛情を、アリエルはクレアに持つようになっていた。ゆえに、クレアを旗頭として王政国家クーリアが独立するという話を聞いた時。


『一緒に来てくれませんか?』


 そう差し出された小さな手を躊躇ためらいなく握り返したのだった。




 アリエルは、気付いている。自身がいま目の前に居る少年ノアに対して抱いている感情が、一種の嫉妬であることを。クレアを過酷な道へといざなってしまった自分では絶対に手に入れられない信頼と愛を、無条件に受け取っているノア。


『良いですか。ノアを犯罪者にするわけにはいきません。もしワタシを止めに来るようなことがあれば、必ず、足止めしてください』


 そうして心配してもらえる少年を。筋違いだと分かっていながら、羨ましいと思ってしまっている。

 魔獣討伐の合間、クレアが楽しそうに語るノアの話を聞きたくないと思うようになったのは、いつだっただろうか。


 ――いい年をして、本当に、情けない……。


 自嘲じちょうをそっと心の奥にしまい込んだアリエルは、今一度、覚悟を声に出すことで誓いとする。


『ノア・ホワイト。あなた達をこの先に行かせるわけにはいきません』


 細剣の切っ先をノアに向け、再度、臨戦態勢を取る。アリエルが厳命されているのは、日本人に危害を加えないこと。つまり、クーリア国民であるノアに対しては多少、手荒な真似をしても問題がない。


『私が、あなたを止めて見せます』


 そんなアリエルに呼応するようにノアもまた、自身の想いの証でもあるサックスブルーの西洋剣を正対に構える。退くことが出来ないのはノアも同じだ。大切な家族を犯罪者にするわけにはいかない。それが例え、本人の望みだとしても、自分は自分の理想したいことを貫いて見せる。


 ――ボクも、どこかの理想バカに当てられているんだろうな……。


 2人の背後で静かに進んでいた優とデボラの戦いが落としたわずかな擦過さっか音を皮切りに、再び剣戟けんげきが鳴り響こうとした、まさにその時。


「そこまでです、皆さん」


 透き通った声が、廊下に響き渡った。

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