第7話 残念なこと

 11時。引継ぎと着替えを済ませた優は、急いで教室を出る。今日の優はグレーのパーカーに黒のスキニーパンツ、カーキ色のジャケットを合わせた、自分が持っている中で一番マシだと思える格好をしていた。

 お昼時が近づいて来て、来校者も増えてきている。昨日の口コミのおかげで、メイド喫茶にも10人ほどの行列が出来ていた。そんな客の列を抜けて、吹き抜けになっているA棟の廊下を見渡した優は、パンフレットとにらめっこをしている目的の人物を見つける。一度、静かに息を吸って、吐いて。気合を入れた優は、


「――悪い、待たせた」


 待ち合わせていた人物に声をかける。垂目の大きな黒い瞳、うちに巻いた黒髪のボブカットは、見る人にどこか物静かな印象を与える。童顔で小柄ながら、胸とお尻はしっかりとや分からなシルエットを描く。そんな少女こそ、優の想い人である春野楓だった。

 今日の春野は、長袖のブラウスに肩口の広いニットのセーター、茶系統の色をしたハイウェストチェッカースカート、最後にスカートと同じ色合いのベレー帽という出で立ちだ。ネットで「秋 デート コーデ」と入れて出て来た「量産型女子服」なるものを、そのままマネキン買いした服だった。もちろん、優には内緒だが。


「いえいえ。お仕事、お疲れさまでした、神代くん。執事服、良く似合ってました!」


 つい先ほどまで、春野は優が働くメイド喫茶の客だった。中学の頃に見慣れていた制服ではない、どこか大人びた雰囲気のある執事服を着こなす優。そんな彼を、春野はコーヒー片手に「ご馳走様です」と堪能していたのだった。


「春野も。その服、可愛いな。似合ってると思う」

「そうですか? えへへ、ありがと」


 少し照れたように笑った春野の笑顔に、早速、優の見えない何かが削られる。思わず胸元でパーカーを握りしめた優を、春野が慌てて介抱した。


「え、神代くん?! 大丈夫ですか?」

「ああ、悪い、大丈夫だ。それじゃあ約束通り、三校祭の案内をしようと思うが、行けそうか?」

「うん! それじゃあエスコートよろしくです……っとと」


 ペコリんとお辞儀をした春野が、ずり落ちかけたベレー帽を「えへへ」と直す。そのあざとい仕草に、またしても優の“何か”がごっそりと削られる。春野が「帰る」と言うよりも先に、自分の精神がやられてしまう。そんな情けないことになる前に、優は昨晩必死で考えたデートプランを開始する。

 手をつなぐ、ということは無い。ただ隣に並んで、つかず離れずの距離を保ったまま、優と春野の文化祭デートが始まった。




 優のプランニングの甲斐もあって、デートはつつがなく進んだ。お化け屋敷に行って、しかし。特派員と特警ゆえにお化け役の出現にもついつい身構えてしまうお互いを笑い合ったり。あるいは、学生生協が主体となって行なっている縁日で、金魚すくいや射的をして勝負してみたり。決して手を抜いたわけでもないのに大差で負けた優が、昼食を1品奢おごることになったり。まるで日常と変わらない時間が過ぎていく。

 だからこそ、優は心の底から残念でならないことがある。それは、春野が携帯を注視する回数が明らかに多いことだった。

 12時を回ったころ。さっと屋台を巡って、さてこれからどうしようかと、広場で話していた今も。


「あ、神代くん、ごめんなさい。ちょっと先輩からの電話です」


 軽く断りを入れて、手元の携帯で何やらやり取りをしている。1回1回の時間はそう長くない。しかし、その数が多い。優の体感としては、10~15分に1回くらいだと思っている。春野も楽しんでくれている様子のため、決してデートが退屈では無いからだと、優としては思いたい。となると、やはり。


 ――「不審者」絡みだよな……。


 先日の体育祭の日の夜、銀髪の天人モノが優の部屋を訪れた際に言っていたことだ。


『明後日。特警が数十人規模で第三校に来ることになってる。理由は不明だけど“何か”があるんじゃないかな?』


 モノはあの時、確信に満ちた口調で、優が騒動に巻き込まれるようなことを言っていた。なぜなら“あの子”が来るからと。もし、モノ先輩の言う“あの子”が春野だとするなら。


 ――確かに。俺は絶対、特警に、春野に協力するな。


 そうでなくても、だ。昨日、優の部屋を訪れた留学生の友人であるノアに、優は協力することを約束した。そして優は、今まで自分が得てきた情報から見るに「不審者」とはクレアと、クレアの仲間だろうと予想している。


 ――ノアの話では、クレアさんの護衛という名目で、それなりに人員が居るんだったか?


 ノアは護衛である彼らともほこを交える可能性があると話していた。ある程度の数が居ると予想されるため、ノアは優に協力を願い出たのだった。

 しかし、最も重要なのは、クレアの動きを妨害出来れば良いということだ。今日、三校祭で多くの一般人が流入し、最も警備が薄くなる日だからこその作戦。もし今日、作戦を実行できなければ、少なくともクレアは今回の訪問での『S文書』入手を諦めるだろうというのがノアの見解だった。つまり、優とノアが考える理想は、そもそも作戦を行なわせないこと、未然に防ぐことだった。

 また、ノアは、


『作戦を実行するにしても、すぐには表沙汰にならないよう、可能な限り穏便にことを進めようとするはずだ』


 とも、優に語っていた。


「穏便にと言うなら、もう既に目的を果たしている可能性だってあるのか。……ノア、大丈夫か?」


 言いながら、優はB棟がある方向を見遣る。

 今日、ノアはクレアたち留学生と共に三校祭を回っている。ノアからすれば、クレアの同行を監視することが出来るという意味でもある。不審な動きがあれば優に連絡が来ることになっていた。


『クレアさんが仲間に一連の作戦を任せて、自分は逆にノアの監視を徹底している可能性は無いのか?』


 クレアはノアが作戦に反対していることを知っている。であれば、ノアが邪魔をしてくる可能性を考えて、逆にクレアがノアの同行を伺っている可能性も考えられた。

 そして、もしそうであるならば、自分たちの知らないところで作戦が終わることになるのではないか。そう聞いた優に、しかし。


『残念ながらボクの知るクレアは、自分だけ安全圏で高みの見物をするような、おしとやかな奴じゃないんだ。必ず、自分が矢面に立って、作戦を実行する』


 ノアは苦笑しながら答えていた。そうしてクレアが自ら主犯となって行なわれるだろう作戦を、日本政府、あるいは第三校も何かしらの情報網で知ったのだろう。だからこそ、こうして春野たち私服の特警が大規模に呼ばれて、警備に当たっているわけで。

 クレアが日本の特警に見つかって逮捕されてしまうことこそ、優とノアが最も防ぐべき結末だった。


「神代くん? どうかしましたか?」


 と、そうして自身の癖で深く考え込んでいた優に、携帯でのやり取りを終えた春野がのぞき込むようにして尋ねる。ふわっと香る匂いと距離の近さに「うわっ」と思わず仰け反った優だったが、咳払いを1つだけいれて、気を取り直す。


「悪い、ちょっと考え事していただけだ。何かあったか?」

「えっと、お昼ごはんの話。もう1回メイド喫茶に行っても良いですか?」


 時折吹く冷たさを帯びた秋の風に帽子が飛ばされないよう、手で押さえながら振り返った春野が優に確認を取る。


「え? この時間、混んでいるだろうが、良いのか?」

「うん。だってこの時間、シアさんが居るんですよね?」


 そう。優が混んでいると予想したのは、メイド喫茶のある意味で目玉でもあるシアが働いていることを知っているからだ。昨日の混雑具合を考えると、間違いなく混んでいることが予想される。それでも


「シアさんのメイド服姿、見てみたいですっ!」


 心から楽しみだと言わんばかりの春野に従う形で、優も客としてメイド喫茶に行くことにした。

 もしこの場に天が居れば、優を慕うシアが居る場所へ、あろうことか本人と一緒に行こうとする春野に、


「ほんと、楓ちゃんそういう無神経なところが嫌い」


 と、呆れただろう。あるいは春樹なら、そっと別の店を紹介したかもしれない。が、残念ながらこの場には天も、春樹も居ない。加えて優は、つい昨日、シアから向けられる好意が友人としてのそれだと結論づけている。


 結果、状況は修羅場待ったなしの状態になろうとしていた。

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