第6話 来客者たち

 結局あの後、優はノアに協力することを約束し、翌朝を迎えることになった。

 三校祭の最終日に当たる、11月6日の日曜日。昨日と違って事前の準備が必要ではないため、優は1時間遅い8時40分にA304の教室に着いていた。


「おはようございます」

「「おはようー」」


 先着の学生にさっと挨拶を済ませ、暗幕の裏で着替えを済ませる。今日は9時から11時まで、2時間シフトに入る予定だった。


「おはよう、湯浅」

「おう、神代。11時までよろしくな」


 昨日は加賀谷かがや竜士りゅうしだったが、今日の優の相方はクラスメイトの湯浅健吾だ。湯浅は今日、ほとんど1日シフトに入ることになっている。昨日、由比ゆいに呼ばれてヘルプに来ていたために、連勤になっていた。


「湯浅、文化祭、ちゃんと楽しんでるのか?」

「んお? ああ、大丈夫だ。なんたって莉奈りなと一緒に文化祭を楽しめるんだからな」

「あ、ああ。そうか」


 そう言えば湯浅は彼女でもある由比莉奈にぞっこんだったなと思い出す優。責任者と言うことで、今日も由比は給仕に立つことになっている。その恋人と一緒に過ごすことが出来る。それだけで幸せだと言う湯浅に、優は苦笑するしかない。


「ちょ、さすがに恥ずかしいらかやめてよ、健吾く~ん」


 開店前に裏方の様子を見に来た由比が、繰り広げられていた湯浅ののろけに顔を赤くする。


「俺、朝から何を見せられてるんだ……?」


 先日、体育祭でシアと共に繰り広げた甘い空気のことを棚に上げ、食傷気味に呟く優だった。

 そうして、甘い空気も漂う中始まった三校祭の最終日。日曜日と言うこともあって、開店と同時に家族連れを中心とした客が、メイド喫茶にやって来る。一般的なメイド喫茶と違い、文化祭で学生たちが経営しているからだろうか。入店の心理的ハードルが極端に下がっているというのが、優の印象だった。

 開店から10分。入店ラッシュをさばいた優と湯浅が、裏方で一息つく。


「ふぅ……。昨日よりはましだな」


 暗幕を少しめくって店内を見渡す優が、湯浅に話しかける。今は、1~2人用のテラス席が3席空いている。給仕は由比と、昨日シフトが無かった女子学生1人が行なっていた。


「まぁな。昨日は言わば、有名人2人が接客してたようなもんだからな。多分、これでも学生のメイド喫茶としては多い方の集客だと思うぞ」


 ラッシュ用にコーヒーの粉を計量して紙コップに入れながら発された湯浅の推測に、優もそれはそうかと納得する。モデルと天人。言われてみれば確かに有名人だ。2人のネームバリューが重なったせいで、昨日はあれほどの忙しさを誇っていたと言って良かった。


 ――それに「友達の様子を見に来た」って人も昨日のうちに来店したからな。


 様々な事情が重なって、A304のメイド喫茶は喫茶店と呼ぶにふさわしい、まったりとした雰囲気に包まれていた。

 その様子が大きく変わることは無く、時刻は進んで9時50分。この時間になると、料理の盛り付けを行なう優の思考の片隅に春野はるのかえでの姿がちらつくようになる。落ち着いた時に暗幕をめくっては店内の様子を確認し、居ないことに無表情のまま安堵と落胆を繰り返す。

 そんな優の行動が実ったのが、5分後。優は、見知った人物2人が来店したことに気付く。ちょうど落ち着いているため、湯浅に一言断りを入れて、小さく手を振る2人のもとへ向かった。


「よう、優。元気そうだな。体育祭の録画見たが、ちゃんと格好良かったぞ!」

「父さん……。来るなら、事前に連絡をくれ。……褒めてくれるのは、ありがとう」


 呆れ顔の優の視線の先には、神代かみしろ浩二こうじ聡美さとみ夫妻が居る。2人はもちろん、普段はなかなか会えない息子・娘の姿を見に来たのだった。


「その服、最高に似合ってるわ、優くん! ところでシアちゃんはどこ?」

「適当に息子を褒めて、お気に入りの子を探すのもやめてくれ、母さん。天の所には行ったのか?」

「これからよ。クレープのお店だっけ? でもシフトは12時からって聞いているから、それまでどうしようかって浩二さんと話していたの。何かおすすめはある、優くん?」


 相変わらず滑るように言葉を発する母の口撃こうげきの要点だけを、優は丁寧に抜き取る。


「そうだな……。昨日シアさんと回った中なら、コンビニ前広場のアカペラか、シンプルにイベントステージの軽音部の演奏がおすすめだ」


 腰に手を当てておすすめを紹介する息子の言葉を、両親は嬉しそうに聞く。


「なんだ、優。シアちゃんと一緒に文化祭デートしたのか? 羨ましいぞ、父さんは」

「まあ、まあ! 上手く行っているようで何よりだわ! 母さん嬉しい! ……ところで浩二こうじさん。羨ましいってどういうこと? 詳しく話を聞こうかしら?」

「なんだ、聡美さん。いてるのか? 俺の嫁さんは本当にかわいいな」

「父さん、母さん。シアさんを出汁にしていちゃつくのも、頼むからやめてくれ……」


 朝から連発される甘ったるい空気感に、いよいよ優も胸やけ気味だ。それでも、両親が相変わらず元気そうで何よりだと安心せずにはいられなかった。


「それじゃあコーヒーだけを注文する中年夫婦はこの辺りで一度お店を出ることにしようかしら。優くん、お勘定をお願い」

「あ、ああ。……コーヒー2杯で200円です。一度ってことはまた来るつもりなのか?」

「当然よ! まだシアちゃんの可愛いメイド服姿を見ていないんだもの! その時にオムライスも頼むつもりだけど、一緒に写真を撮ってもらっても大丈夫?」

「当人がオーケーなら、大丈夫だ。お互い、指先1つですら体に触れたらだめらしいが」


 接客業であって、接待業ではない。そんな由比のこだわりを、従業員である優が説明する。


「ほい、200円だ。ご馳走。そうだ、優。年末、期待していてくれ」

「ありがとうございました。って、……年末? 確かに帰る予定だが、何かあるのか?」

「特大のプレゼントを用意できるかもしれない」


 よく分からないことを言う父親に、優は嫌な予感しかしない。正直言って、ろくなことにはならないだろうと思っていた。


「まぁ、期待せずに待っておく」

「おう、素直に楽しみしとけ、息子よ」

「じゃあね、優くん! この後もお仕事、頑張って!」


 仲睦まじく腕を組んで廊下を歩いていく両親が見えなくなるまで、優は見送り続ける。2人に次に会えるのは、冬休みの年末だろうか。今のところ大きな任務などは無いが、特派員である以上、何があるかは分からない。


 ――それに、今日はこれからノアの件もある。


「頑張らないとな」


 プレゼントとやらが何なのか。それに興奮するにしても、拍子抜けするにしても、生きて年末を迎えなければ意味がない。優が静かに闘志を燃やしていた、その時だった。


「あ、あのー……」


 店の入り口に居た女性客が、控えめに優に声をかける。


「あ、すみません。今からご案内を……」


 このまま流れで客を誘導しよう。そう思って女性客に目を向けた優の口が止まる。なぜならそこには、


「ど、どうも。春野はるのです」


 苦笑しながら頬を掻く想い人が居たからだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る