第8話 決別
留学生は日本に滞在する間、第三校敷地内にある
留学生4人は体育祭では徒競走を始めとする非魔法系の競技に参加することになる。また、文化際では外国語支援教室に常駐している第三校の教員と、ノア達を引率している教員を交えた文化祭ツアーが計画されていた。
そんな三校祭を明日に控えたその日の夜。留学生ノア・ホワイトは姉と慕うクレアのもとを訪ねていた。文化祭当日の流れを確認するためだ。
「クレア、ノアだ。入って――」
クレアに割り当てられた私室のドアをノックしようとしたノアの手が止まる。というのも、中からクレアが誰かと通話する声が聞こえてきたからだった。使われているのは日本語ではなく、フランス語だ。つまり、第三校関連ではなくクーリア関連の人との会話ということになる。
また後にしようか。そんなノアの一瞬のためらいによって生まれた空白のおかげで、
「
そんなクレアの声が聞こえたのだった。
口調や声の抑揚など。長い付き合いから、ノアはクレアの話し相手が友人などではなく「国」の関係者であることを瞬時に悟る。留学が終わる年末までの短い期間とは言え、クーリアの女王であることを捨てて1人の学生として過ごす。そうクレア本人から聞いていたノアとしては、どうしても会話の内容が気になってしまう。そうでなくとも「
しばらくして通話する声が聞こえなくなったところで、ノアは改めてドアをノックする。クレアから許可が出たところで、ノアは静かに入室するのだった。
「どうしたのですか、ノア? こんな時間に」
クレアはベッドに腰掛けて、笑顔でノアを迎える。空調が効いた室内ということもあって、Tシャツに短パンという、かなりラフな格好をしていた。
「まだ9時だろ」
「『もう』9時ですよ? 年頃の男女が会うには、少し遅い時間では無いですか?」
「そうだな。だが、ボクとクレアは家族だ。関係ない」
はやる気持ちを押さえて、ノアは手近な椅子に腰かける。そんな彼の態度を「まだまだ幼い弟ですね」と内心で微笑ましく思いつつ、クレアはいつも通りに振舞う。
「それで?」
改めて笑顔のクレアによって行なわれた問いに、不器用なノアは単刀直入に用件を伝えることしか出来なかった。
「明々後日、何をするつもりなんだ?」
「明々後日というと文化祭ですね! タカサキ先生に案内して頂けるそうですよ? 日本の学校のお祭りは、どんなものなのでしょう?!」
両手を打ち合わせ目を輝かせて、嬉しそうに言うクレア。その姿は“学生として”の彼女が良く見せるいつもの顔だ。しかし、今、ノアにとって用があるのは“女王として”のクレアの方だった。
この笑顔に
「『S文書』。それを強奪するって、どういう意味だ?」
ノアが口にした言葉に、クレアの表情が笑顔のまま凍り付く。が、すぐに顔を女王としての公の物に切り替えると、他人行儀にノアに質問する。
「どうして貴方がそれを知っているのです?」
「今しがた、クレアが通話している声が聞こえた。クレアにしては迂闊だったな」
ノアの回答に、クレアも自身の失態を知る。近日に迫った作戦に対する緊張。また、通常ならこの時間、誰も出歩かないことをここ1か月で把握していた。しかし、三校祭を前にしたノアの予想外の行動によって、作戦が露見してしまった。
「そう……。でも、このことを知ったのがノア。貴方で良かった。皆様には内緒ですよ?」
クレアは知っている。たとえ何があろうとも、ノアが自分の味方をしてくれることを。確かにノアは、
「お願いだ、クレア。危ないことはしないでくれ」
「残念ながら、そうはいきません。ワタシはクーリアの未来を担う存在です。いいえ、それだけではありません――」
ベッドから立ち上がったクレアは、椅子の上で項垂れるノアに歩み寄る。そして、ノアの青色の瞳と視線の高さをそろえると、自分にとっての事実だけを語る。
「――人類の希望を担う。そんな存在にならなくてはならないのです」
そんなものにならなくていい。ノアはこれまで、何度も、何度も言ってきた。クレアは自由に生きて良いのだと。しかし、そうして差し出した手は、クレアの覚悟を前に
日本という慣れない地で神代優と瀬戸春樹という“仲間”と共に見つけた、新たな可能性。共に戦うことの可能性を見た今ならば。
「クレア。ボクは何度でも言う。王女になんてならなくて良い。今度こそ君の自由に――」
万感の思いを込めて、美しい
「ノア」
冷たい目で自分を見下ろして名前を呼ぶ
「ワタシも、何度でも言います。ノアがワタシに賛同してくれないのなら、構いません。ワタシ1人で戦います」
そうして自分のもとから離れていくクレアの後ろ姿を見て、ノアはようやく思い知る。クレアには、自分と違って1人で戦う力がある。覚悟がある。仲間など、家族など必要としない、狂気とも呼ぶべき意志がある。
――ああ……。クレアはとっくに、ボクが届かない場所に居るのか……。
このまま自分1人が何度言葉を尽くそうと、手を伸ばそうと、決してクレアには届かない。ノアはそんな現実を叩きつけられる。ならば、今の自分がクレアのために出来ることは何だろうか。俯いたまま考えていたノアだったが、
「分かったよ、クレア」
椅子から立ち上ってただ一言。それだけを告げて、クレアの部屋を後にする。
「……え?」
残されたクレアは驚いた表情のまま、静かに閉まったドアを見つめる。常ならば、ノアが謝って一件落着なのだ。しかし、今回は謝罪の言葉も、復縁の言葉もない。
「ノア……?」
名前を呼んでノアの後を追おうとしたクレアだったが、すぐに思いとどまる。今追いかけて行って、自分に何が出来ると言うのか。
先日の大規模討伐任務。大型の魔獣を前に窮地に追い込まれていた学生を救った瞬間、クレアには確かな手応えがあった。それは、自分が人々の希望になる可能性を示している。
――ワタシは、ワタシのなすべきことを。
自分が人類の希望になるために。生まれに関わらず、才能に関わらず。どんな人でも“本物”の力を得るその方法を探す。胸元で握った拳に覚悟を秘めて、クレアは大切な家族が消えたドアに背を向けた。
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