第6話 やりたかったこと

 翌、日曜日。朝の筋トレを終えてシャワーを浴びた優は、シアとの約束場所である図書館に来ていた。空調の効いた落ち着いた雰囲気と、紙の香りが優を迎えてくれる。

 全面ガラス張りの開放感のある入り口を抜けて、正面にある階段を上る優。目指す場所は、雑談をしながら自習が出来る自習室だ。その場所は、夏休み、優と天がモノと初めてしっかりと対面した場所でもあった。

 今日もまた天人に会いに行く予定であることになんとなく縁を感じつつ、優は自習室の扉を開ける。すると、図書館とは思えない賑やかさが迎えてくれる。静かに勉強したければ空き教室や、図書館1階にある勉強スペースで。話し合ったり、教え合ったりするのならこの自習室でと言った具合に、学生たちは各々のスタイルで自習に臨むことが出来るようになっていた。


「優さん! こっちです!」


 外が見える、窓際のテラス席から優に手を振るシアの姿がある。差し込む日の光を虹色に返す、艶のある黒髪。嬉しそうに細められた目は黒にも見える紺色。窓から見える雲一つない空を背景に、日本人になじみのある色合いの頬を少し赤く染めるその姿は、完成された絵画のようでもあった。

 今日のシアは無地の半そでTシャツにグレーのロングスカート。寒暖差の激しい秋口ということで今回は、スカートと同じ色合いの首元の緩いニットのカーディガンを羽織った格好だった。

 ちらりと携帯の時刻を確認した優。これでも10分前に着いているのだが、シアはさらに早く着いていたようだった。結果として遅れる形になってしまった優は気持ち急ぎ足で、シアの左隣に座る。


「すみません、シアさん。遅れてしまいました」

「あ、いえ、大丈夫です! 私も今来たところなので!」


 シアはそう言うが、優の目端にはすっかり冷めたコーヒーがちらついている。さらに言えば、2冊ほど、小説と思われる本も置いてあった。

 優の視線に気が付いたシアが本をそっと膝の上に隠したが、さすがにもう手遅れだと言うことはシア自身も分かっている。


「あ、あはは……。はい、嘘です。すみません。ちょうど読みたい本があったので、朝から読んで待っていました」

「朝から? それは、すみませんでした」


 謝りながら隣に座った優を見て、シアは小さく息を吐く。実は「読みたい本があった」というのも嘘だった。


『三校祭に着いて、大切な話があります』『明日2人で会えませんか?』


 シアのもとにそんな文面が昨夜、優から送られてきた。以降、シアは着ていく服と期待感との格闘に追われて、いつもの半分ほどしか眠れていない。寮の自室で待っていることも出来たが、優を待たせるわけにもいかない。いつ彼が来ても良いように、手近な本を読みながら待っていたのだった。


 ――さっきのやり取り、やってみたかったですし!


 「待った?」からの「待ってない、今来たところ」。物語で何度も見てきたその光景を再現できて、シアは1人で勝手に満足していた。

 シアが読んだ話では男女が逆だったこと。慣れないことをしたせいで、あっさりと優にバレたことなどなど。寝不足のせいで若干いつもよりテンションが高いシアにとっては、些細なことだった。

 もちろん、優がそんなシアの事情を知るはずもない。待たされたのになぜか喜色満面のシアをいぶかしみつつ、まずは世間話から始める。というのも、


『本題に入る前に』『シアさんとなんでもいいから世間話をする』『絶対に!』


 最近になって妹に吹き込まれた“交渉術”だった。


「その本、面白かったですか?」

「ぅえ?」


 優の質問に、1人で盛り上がっていたところ虚をつかれた形になったシア。思わず素っ頓狂な声で答えてしまう。しかしすぐに、自分シアが本の内容が面白かったから喜んでいるのだと優が勘違いをしていることに気が付いた。

 まさかデート前のお決まりが出来て嬉しいとは言えないシア。優に悪いとは思いつつ、勘違いを利用させてもらう。


「はい。司書さんのおすすめだけあって、読みやすい異種族婚姻譚こんいんたんでしたよ? 情景はもちろんですが、登場人物たちの気持ちの変化が良く描かれていて……」


 種族と生きてきた環境から生まれる考え方の違い。互いの立場を思うからこそ生まれる葛藤とすれ違い。始まりと終わり方に類似性があるからこそ分かる対比構造など。全ての物語を愛するシアは、優に熱く語って聞かせる。それでいて、重要なネタバレは一切しない。あくまでも興味を引くための伏線だけを提示する。

 この辺りのさじ加減は、シアが大得意とすることだった。よって、10分ほどシアに熱く語られた優が、


「借りてみます」


 普段は絶対に読まない装丁の本を借りようと思ってしまったのは仕方が無いことだろう。のちに冷静になった優は「あれが物語の女神の力か」と改めて思うことになった。


「はい、是非! ……って、すみません。今日は優さんの話を聞くんでした」

「そう言えばそうでしたね」


 シアの語りに飲み込まれていた優は、ここでようやく本題に入ることにする。


「シアさん。昨日、文化祭で何かするのか聞いたこと、覚えていますか?」

「はい。お伝えした通り、天さん達と一緒にクレープ屋さんをするつもりですが……それがどうかしましたか?」


 シアの答えにやはり手遅れだろうかと思いつつ、優はシアに事情を打ち明ける。春野に文化祭で店を出すと噓をついたこと。探し回ってようやく湯浅ゆあさ健吾けんごの彼女が企画している店に参加させてもらうこと。その条件としてシアにこの話を持ち掛けるように言われたこと。全てをつまびらかに明かす。

 そのうえで、あくまでも優はダメもとで聞いてみる。


「シアさん。俺たちと一緒に文化祭でメイド喫茶をやってみませんか?」

「優さんと、メイド喫茶……。メイド喫茶?!」


 優が明かした教室企画の内容に、シアが驚愕きょうがくの声を上げた。その声の大きさと内容に一瞬、自習室が静まり返る。しかし、数秒もすればすぐにそれぞれが自習を再開した。


「め、メイド喫茶ですか?」


 声を潜めて聞いてきたシアに、優は苦笑しながら頷く。そう、優が湯浅から聞いた教室企画はの内容は、被服部が作ったメイド服を着て行なうメイド喫茶だった。


「メイド喫茶……。挿絵の付いた物語で描かれる文化際の定番ですね」


 それ、多分ライトノベルですよ、と心の中でツッコミつつも、決して口にはしない優。相槌だけをシアに返しつつ、湯浅から聞いた現状を明かす。


「実際やるとなると、恥ずかしがる女子が多いみたいで……」


 通常のメイド喫茶と違い、今回の企画では被服部の技術を見せる展示企画の側面も兼ね備えている。部費を稼ぎつつ、自分たちの部活の成果を見せる。そういう意味では悪くない企画だと思って、優もシアを誘っている。下心は無い。昨夜から優は自分に言い聞かせていて――。


 ――……いや、違うな。


 頼みごとをする自分が、本心を明かさないのは不公平だ。そう思い直して、優は何かを考え込むシアに恥も外聞も捨てて頼み込む。


「正直、俺はシアさんがメイド服を着ているところを見たかったんです」

「……うぇ?!」

「それと、誰か知っている人と文化祭で何かをやってみたい、というのも本音です。色々あって、中学の時は出来なかったので……」


 主に中二病精神のせいでと心の中で補足しつつ、優は持ち前の素直さでシアを攻める。


「もし、シアさんとお店が出来れば最高なんですが……どうですか?」


 自分の気持ちを素直に伝える。それが優に出来る最大限だ。もしこれで断られても、きちんと湯浅と湯浅の彼女には面目が立つだろう。そんな打算も込めて、優はシアの紺色の瞳を見つめる。


「メイド喫茶……。メイド服……」


 シアが断片的に知るその店の内容は、可愛い服を着て接客をする飲食店だ。青春を描いたいくつかの作品では定番だが、確かに、実際に服を着て接客するとなると、恥ずかしいものがある。加えて、シアには天たちからのお誘いもある。

 しかし。優が言った「やってみたかった」というその言葉と想いに、どうしてもシアは惹かれてしまう。なぜならその気持ちは、シアがここ最近ずっと抱えていた想いだからだ。

 外地演習で自分の気持ちに正直なることを覚えたシア。それ以来、中学までは我慢していたたくさんの「やりたい」を叶えてきた。天人として。そんな言葉に縛られていた日々と違って、ここ最近は毎日が楽しい。


 ――そんな現在いまをくれたのが、優さん……。


 絶望して命を諦めようとした時。ありもしない使命に縛られて、動けなくなっていた時。会ったばかりの男神に軟禁され、婚約を結ばされそうになった時。優がシアを助けてくれた。どんな時でも諦めずに、可能性を掴もうとする優の姿を、シアは心の底から尊敬していた。

 積み重なった感謝と尊敬は、シアが憧れ続けた圧倒的な熱――恋心となって今も心の中で燃えている。


 ――優さんが、私のメイド服姿を見たがってくれている……。


 優には春野楓はるのかえでという運命の相手が居ることを、【運命】の女神だからこそ知っているシア。事実、こうして優が自分シアに頼み込んできているのも春野がきっかけだ。


 「春野さんが、来る……」


 隣に座る優にすら聞こえない声で呟くと、またしてもシアの中に今まで感じることが無かった熱が生まれる。

 これまで多くの「好き」を断ってきた自分が、誰かに「好き」と伝えることなど許されるはずがないことは知っている。【運命】の女神たる自分が他者の【運命】に干渉し、あまつさえ自分に有利に改編することなど許されるはずがないことも、分かっている。


 ――それでも私は……っ。


「やります」


 熱に浮かされたシアの身体が、口が、心が。気付けばその答えを言葉として紡いでいた。

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