第1話 日常に戻って

 9月25日、日曜日。奈良市街地奪還作戦と銘打たれた大規模討伐任務が終わった。優にとっては、魔獣との戦いで大切な物を失わずに済んだ初めての経験となる。


 ――何も失わずに、俺でも魔獣を打ち倒すことが出来る。


 そんな何物にも代えがたい強烈なイメージは自信となって、優にとって大きな経験と武器になるのだった。そんな大規模討伐任務が終わると、待っていたのは学校からの「振替休日」と言う名のご褒美だ。大規模討伐任務は授業の一環として行なわれたものでもある。学生の失われた休日を補填するために、第三校は3日間の休校を発表したのだった。

 迎えた、大規模討伐任務の翌日。


「……って、無くなった土日は4日じゃいっ!」


 神代優かみしろゆうのベッドの布団に携帯を叩きつけたのは彼の妹、神代天かみしろそらだった。ハーフアップにした金髪まじりの髪を乱しながら、3日間休日を与えない第三校への愚痴をこぼす。


「……おい、天。寝ている兄の起こし方としては雑過ぎないか?」


 まだ夢うつつだったところに飛んできたボフンという衝撃に、優はいよいよ覚醒する。


「だって、3日だよ?! 1日少ないじゃん! 学校は学生の休日の尊さを舐めてるっ!」


 どこに「だって」が接続したのか聞きたい優だが、天はお怒りの様子。触らぬ神に祟りなしとも言う。別に携帯を直接叩き付けられたわけでもないため、追及するのはやめにした。それに。


「兄さん、起きて。もう8時半。朝ごはん作ってあげたから、一緒に食べよ?」


 あざとく小首をかしげる妹に、シスコンの優が何かを言えるわけも無かった。

 玉ねぎとサツマイモが入った味噌汁に炊き立てのご飯とふりかけ。そこにおかずとしてレンジで温めるミートボールが加わったものが、天の用意した朝食だった。天も優の部屋にある自分用の食器にご飯を盛って、座卓を囲む。最後にテレビをつけて朝の情報バラエティをBGMとして流すと、両親が居ない神代家の食卓が出来上がった。


「頂きます!」


 手を合わせてすぐ、ミートボールを口に運ぶ妹を微笑ましく見やった後、優も手を合わせる。


「頂きます。……それで? なんで今日、ご飯作りに来たんだ?」


 白みそ仕立ての味噌汁を一口頂いた後、優が天に尋ねる。これまでも、休日に天が気まぐれで朝食を作りに来ることがあった。しかし、大体、荷物持ちとしてどこかに連れ出すための賄賂わいろのようなものでしかなかったと優は記憶している。

 今日はどういう用件で来たのだろうか。考えながら鰹節かつおぶしのふりかけをかける優に、天は「別にぃ」とそっけなく答える。


「ここ1週間インスタントとか缶詰とかばっかだっただろうから、久しぶりに手料理でもどうかなって」


 任務地の関係上、天は任務中ホテルの豪華なビュッフェを毎日食べていた。しかし、優たちは本拠点からかなり離れた場所で任務をこなしていた。質素な食事を強いられていただろう兄への激励とご褒美。それこそが、今日、天が兄の部屋を訪れた理由だった。なお、優の部屋の鍵は当然のように持っている合鍵で開けていた。


「……俺の妹、最高だな。結婚してくれ」

「さすがに引く。その言葉は別の人に言ってあげて」


 シアちゃんに。そう言いかけて、さすがにお節介が過ぎるだろうと天は5つ目のミートボールと共に言葉を飲み込む。と、天の視線の先、テレビの中でようやく、昨日の大規模討伐任務についての特集が始まった。


『続いては、こちら。昨日、国立第三訓練学校主導で行なわれていた大規模討伐任務が無事、成功と言う形で終了しました。その速報をお届けします』


 キャスターが読み上げた原稿の声に、優も一度食事の手を止めてテレビを見遣る。実は、優と天を含めた三校生の多くは、被害状況や死傷者の数など、任務の全容を知らされていない。ただ1つ、無事に全ての任地で魔獣を駆逐し、奈良市とその周辺が内地化されたことだけは知っていた。

 ドローンの空撮映像やテロップと共に淡々と語られていく任務の状況。中でも優が注目したのは、死者の数だった。


『第三訓練学校によると、参加者は全196名。うち死者2名、重傷者37名、軽傷者多数とのことです』


 読み上げられた数字に喜ぶべきか、落ち込むべきなのか、優としては悩ましい。これまで2桁の死者を出してきた大規模討伐任務に学生だけで挑戦し、たった2人だけの犠牲で目的を達成できた。メディアでは奇跡だと大きく報道されているが2人、人が死んでいる。それもまた、事実だった。

 情報バラエティゆえに、様々なコメンテーターが今回の大規模討伐任務について話している。


『まさに奇跡ですね! こうして少しずつ私たちの生活の場を広げてくれる特派員の皆さんに、あらためて感謝しないと』


 特派員を特集する雑誌の編集長がそう言えば、


『ですが、未来ある若者が2名、命を落としていますね。教育機関としてはどうなんでしょうか』


 教育アドバイザーの肩書を持つ女性が反論する。


『みんな10代とかでしょ? よく外地に行くよね~。ボクには無理!』


 と、他人事のように語る大物芸能人も居れば、そもそも特派員という職自体に疑問を呈する者もいる。


「いろんな人が居るな」

「うん。あそこに『特別魔獣討伐派遣人員』の人は1人も居ないけどね」


 何を言おうが、彼ら彼女らは特派員によって守られている内地の内側に居る人々だ。外地に赴いて魔獣と最前線で戦う特派員と、内地で過ごす彼ら。両者の間には、どうしても距離がある。少し前まで自分たちもテレビの中の人々と同じ位置に居たのだろうかと、優はいたたまれない気持ちになる。


『なお、国立第三訓練学校ではもうすぐ『三校祭』と呼ばれる学園祭があるそうです』

『未来の特派員に会えるチャンスですからね。ご興味・ご関心がある方は是非、行ってみてはどうでしょうか?』

『特派員……。つまりは公務員。収入、安定してる……。アタシも王子様、探しに行きます!』

『40過ぎて『王子様』探してる。多分アンタのそういうとこやで』


 お笑い系の女性芸能人コンビのコメントが場を盛り上げつつ、大規模討伐任務について語られる時間は終わった。


「兄さん、何? その顔。お汁、美味しくなかった?」


 味噌汁を片手に難しい顔をしている優に、天が疑問を投げかける。


「いや、天の味噌汁は美味しい。最高。母さんの味だ」

「最後の一言、めちゃくちゃ余計。でも、じゃあどしたの?」

「いや、大規模討伐任務の結果。喜んで良いのかってな」


 死者を出して得た結果を喜んで良いものか。悩んでいる兄に、ため息を吐いた天はジトリとした目を向ける。この兄はまだ、勝利したことを悩んでいるのかと。


「兄さん。私たちがこの結果を喜ばないと、誰が喜ぶの? 戦って得た結果を喜ぶのは生き残った人の権利じゃなくて、義務だよ。……っと、ご馳走様!」

「義務……義務か。そうだな。……俺もご馳走様でした」


 死んでいった者たちへの弔いとして。また、彼らの命を糧にすると誓うために。優はいつも通り、自分の喜びたいという思いに素直になって、喜ぶことにする。命を賭けた赤猿たちとの死闘もまた、無駄ではなかったのだ。

 食器をシンクに運んで洗い物を分担しながら、優はごたごたで聞けていなかったことを天に聞くことにする。


「そう言えば、天。聞きたいことがあったんだ」

「なに? てか、タオルどこ? いつものとこに無いけど」

「あー……乾燥機の中だ」

「これだから兄さんは。取って来る」


 そう言った天が洗濯物を持って帰ってきたところで、優は改めて天、シア、クレア。3人が居たセルについて小耳にはさんだ情報を聞いてみた。


「命令違反って、何をしたんだ?」

「……ナニモシテナイヨ?」


 優が洗った食器を拭いていた天が分かりやすく顔を逸らす。隠すつもりならば、天は巧妙に嘘をつくことを優はとっくに知っている。つまり、天には隠すつもりがないのだ。それでもあえて会話に“”を置く。これは優と天が大阪で生きてきた人間だからかもしれなかった。


「そうか。それで、何をしたんだ?」


 もう一度発された優の合いの手で、天は自身が犯した命令違反に至るまでの経緯を説明するのだった。

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