第9話 失うことこそ

 シアは怒っていた。1つは、「優さんが返ってきた!」と喜んで来てみれば、彼がモノに抱き締められていたことについて。自分ですら、まだそんなことをしてもされてもいないのに、という、非常に自分勝手で個人的な怒りだ。初めて抱く“嫉妬”の感情に戸惑うあまり、若干優に八つ当たりしてしまったという面もあった。

 しかし、シアが最も許せなかったのは、その後。優が大好きで、何よりも大切にしているはずの存在――天に見せた、あまりにそっけない態度の方だった。


「優さん。あなたは今、何を見ていますか……?」


 優を見下みおろす……いや、見下みくだすシアが感情を押し殺した声で優に尋ねる。

 この時になってようやく、自分がシアに平手打ちされたのだと気づいた優。呆然とする彼には、尻餅をついたままシアの問いに素直に答えることしかできなかった。


「怒っている、シアさんです」

「はい。では、この子は誰ですか?」


 そう言ってシアが抱き寄せたのは、天だ。もちろん優は知っているため、再び素直に答える。


「神代天。俺の、妹です……」

「はい。優さんの大切なご家族です。……なのにっ」


 そこでシアは、言葉を詰まらせる。天とずっと一緒に居たシアは、任務の影で天がどれほど兄を心配していたのかを知っている。少し前には心配が過ぎて通話をつけたことも知っている。今日、兄が無事に帰って来ると聞いて自分と同じくらいに喜んでいた天も知っている。

 当然だ。大規模討伐任務は命懸けの任務で、無事に帰って来る保証など、どこにもない。いつもなら天もシアも、自分の手で仲間の危機に駆けつけることが出来る。しかし、今回はそうもいかない。ただじっと待って、優と春樹の無事を祈ることしかできない。だからこそシアも天も、こうして再会できたことを心の底から喜んでいるのに。


「なのに! どうして喜ばないんですか?! みんな無事なのに、なんで……っ」


 どうして優は笑わないのだろう。どうして優は喜んでくれないのだろう。この、奇跡のような状況を見ているはずなのに。そう憤慨ふんがいするシアの頬を一筋の水滴が伝う。


「どうして“今”を、大切にしてくれないんですか? どうして、傷つこうとしているんですか?」

「いえ、そんなことは――」

「あります! 私には、今の優さんが何かを失おうとしているようにしか見えません……っ」


 シアの知る神代優は、夢見がちで、自分以上に傲慢ごうまんで。それでもやっぱり頼りになって、格好良い。誰よりも他人を信じて、どんな状況でも最高の未来を求めて手を伸ばすことのできる、そんな人物だ。そして、シアが失ってしまったもの――家族を誰よりも深く愛していると、そう思っていた。

 しかし、任務から帰って来た優は一向にその素振りを見せない。あらゆるものを疑うような目で周囲を見回し、大好きなはずの天との再会も、喜ばない。

 シアにとっては今の優は、自分の知らない『神代優』だった。知らない間に、優が大切なものを。変わってしまった。そう思うと、シアの中には沸々とこみ上げる怒りと、そして、


「大切な人を大切にできない優さんなんて、見たくなかった……っ」


 思わず涙をこぼしてしまうほどの悲しみがある。怒りながら泣くシアの表情は、彼女自身すら整理できていない心の内を表しているようだった。


「ありがと、シアちゃん。私のために怒ってくれて」


 涙を流す友人シアを、天がそっと抱き寄せる。そして、未だ尻餅をついたまま呆然と自分たちを見上げる優を見下みくだすと、


格好悪かっこわる。せいぜいモノ先輩に甘えてれば良いよ。こんなやつってこ、シアちゃん?」


 シアを連れて、行ってしまうのだった。


 赤いカーペットに落ちたシアの涙。彼女に叩かれた左頬の痛み。天のごみを見るような視線。格好悪いという言葉。その全てが今、ここにあるものが現実なのだと優に見せつけてくる。

 天とシアの信頼。何よりも大切な物を2つも失うことで、皮肉にも、優はようやく任務が終わったのだと実感することになった。


 ――シアさんの言う通りだ……。


 こうして何かを失うことで初めて現実感を覚えている自分に、優は辟易する。

外地演習では北村秀きたむらしゅうを始めとする同級生が死んだ。初任務では、西方春陽にしかたはるひという仲間が殉職した。魔獣と戦う度に、優の周りで人が死んでいる。喪失こそが、優の知っている「現実」だった。


 ――俺はモノ先輩が言った“敵”では無くて、シアさんが言った“失うこと”を求めていたんだな。


 勝利を喜ぶことも出来ず、疑心暗鬼におちいり、挙句の果てには大切な物を見失う。


「だっさいな、本当に……」


 自分でもわかる格好悪さに、さすがの優も自嘲せざるを得ない。そうして座り込んだまま項垂れる優の前に立つ影があった。


「どう? 望みは叶った? 神代優クン」

「……何がですか?」


 からかうようなモノの口ぶりに、思わず語気を強める優。そんな彼を面白がるように、いつくしむように見たモノは、優の前にしゃがんで目線を合わせる。


「ほら、シアちゃんが言ってたでしょ? 君は何かを失いたがってるって。で、ちゃんと大切な物を失いそうになっている。……ねぇねぇ、優クン。今、どんな気持ち?」


 モノの分かりやすい挑発に拳が出そうになる優だが、どうにかこらえる。そうして優が振り上げた拳を下ろす姿に感心しつつ、モノはただ一言、優に尋ねる。


「諦める?」


 何を。鋭い目線だけで尋ねてくる優に、モノは言葉を続ける。


「私は言ったよ『失いそうになっている』って。裏を返せば、まだ決定的には失ってないんじゃない? ほら」


 そう言ってモノが指し示す方を優が見てみれば、離れて行こうとしていたシアと天を押しとどめる人物――春樹の姿がある。


「まだ間に合うと思うけどなぁ、お姉さんは」

「――っ!」


 モノの言う通り、まだ2人は優の手が届く場所に居る。いや、気を利かせた幼馴染が、時間を稼いでくれているのだ。優が諦めなくて済むように。今度こそ、優が大切な奇跡いまを掴むことが出来るように。


 ――本当に、春樹は……っ!


 モノには色々言いたいことがある優だが、ひとまず。


「ありがとうございます、モノ先輩」

「いいの。この状況を作ったのも、多分私だしね」


 お礼を言いつつ立ち上がった優は、天とシア、春樹がいる場所へ向かう。しかし、その前に。さんざんあおってきた先輩へ意趣返しを少しだけしておくことにした。


「先輩、ずっと黒だったのに、今日は白なんですね。初めて見ました」


 膝を抱えてしゃがみこんだままのモノにそれだけ言うと、今度こそ去って行くのだった。

 何の話だろうと一瞬だけ考えたモノが「なるほど」と頷いて立ち上がる。


「……膝、閉じてたはずなんだけど。油断したなぁ」


 別に優も見たくて見たわけじゃないが、そこは思春期男子だ。黒いセーラー服姿で目の前にしゃがみこんだモノの、短いスカートの中に一瞬でも目が行ってしまうのは仕方ないだろう。

 しかし、紳士として、まじまじとは見ることが出来ない。そのため、


「ついでに優クン、残念。今日は水色でした」


 黒いストッキング越しに見たソレの色を間違えてしまうのも、仕方のないことだった。


「本当に、どこまでも“普通に”良い子なんだね、君は」


 神代優という人間を十分に堪能したモノはセーラー服に銀色の髪を揺らしながら、人込みの中に消えていく。その薄い桃色の唇には、満足そうな笑みが浮かんでいた。

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